応援コメント

終ノ語リ」への応援コメント


  • 編集済

    一話ずつ読もうと思って作品をフォローしたんですが、読み始めたら一気に読んでしまいました。
    面白かった……と書いてしまうと、うわヤベエ奴来た! とか思われてしまうんでしょうか、もしかして。
    でも掛け値無しに、面白かった。この手の文体ってなかなか作品と自分との距離が遠いというか、没入するのが難しいと私なんかは思ってしまうのですが、ゆっくりゆっくりと引き込まれて最後のほうはついには駆け足でした。じっくり味わうだけの魅力は満たしているけれど、こっちの性分という話で。

    犬神憑きとかは私も好きな題材で、とはいってもフィクション以外には『憑物信仰論』(小松和彦)ぐらいしか読んではいないんですが、リアリティは充分確保されていて、没入を阻害されることなく読み切れて、いやあ好いものを読ませてもらった、と余韻に浸っているところですw

    作者からの返信

    コメント並びにレビュー、ありがとうございます!

    能う限り最高の賛辞をいただいたような気分で、こういうメッセージにはどうもうまく返答できません。それにしてもカクヨムにはこの手のホラーを尊ぶ土壌が豊かだとでもいうのでしょうか。十数年前に小説講座でこれを発表した時は、微量ながらも全員から引かれていた空気が確かに存在したんですが w。

    波長が合う方には、それなりに没入できる要素をまぶしたつもりですので、一気に読んだ、面白かったと言っていただけるのは、嬉しさこの上ないお言葉です。ただ、民俗学的な裏付けはかなりいいかげんで、執筆に必要な「犬憑き」の事例を最低限確認しただけ、それも、どこのどんな文献(あるいはサイト)を参照したのか、今となっては全然思い出せません。ので、作中の詰めの部分はまるっきりのフィクションというわけですが、そのへんを好き勝手な想像で補ったのが、却ってよかったのかなとも思います。
    小松和彦は、「ムー」の記事だったか、大学の文化人類学だったかで興味を持った記憶はありますが、最近その手の真面目な論考にはすっかりご無沙汰してますねー。ちょっと懐かしい名前です。忘れないうちに調べ直してみます。

    なにはともあれ、楽しんでいただけまして何よりです。現金なもので、何人もの方からあけっぴろげに賛辞を頂いていると、なんだか自分がとても素晴らしい文学を残せたような気分になれて、この頃では誇らしくもあります 笑。


  • 編集済

    事前の警告を読んで最初は読むのを迷ったのですが……いや、すごかった。筆の力でぐいぐい引っ張られました。惨殺シーンの詳細な描写は、目に物見せられるようで。お寺で僧侶が伝聞の形で語るという構成が、惨劇から一歩引いて淡々と話しているようで、凄味を感じます。それは、語りかけられているのが読み手自身(=物語中の当事者)のように感じてしまうからなのかもしれません。「ベタな復讐譚」といえば、その通りなのかもしれませんが、描写の熱量がすごい。どうも私は全体的なストーリー展開などより、細かい描写に目がいってしまうようです。すごい物語をよませていただきました!

    作者からの返信


    熱のこもったコメントをありがとうございます!

    ある意味、これを書いた十数年前はいろいろたまってましたからねえ。遠慮なくぶちのめせる何かがほしいと思っていたのは確かです 笑。ほんとに改めて読むと、徹頭徹尾今で言う「ざまぁ」でしかない作品だと思います。今はここまで思いつめたものなんて書けないかも。架空の被虐待キャラとは言え、憎しみをぶつけ続けるのって、ほんとにエネルギーがいるんですよ。でも楽しんでいただけたのなら、本気で吐き出した甲斐がありました。
    「すごい物語」とおっしゃっていただけて、面映くもあり、誇らしくもあります。これを励みに……と言いつつ、なんだかここしばらくずっと過去作にもたれかかってしまってます w。さて、連休までにはほんものの新作書いて、連載も再開せねば。

  • 私自身復讐等の重いテーマの作品は読むのも書くのも苦手で敬遠しがちなジャンルだったのですが、物語に引き込まれスラスラと読むことが出来ました。


    最後の問いかけのシーンもグッとくるものがあり、こういった表現を用いる事で心地の良い読後感に包ませてくれるのかと、非常に勉強になりました。

    他の作品も読ませていただくと同時に、これからの作品も心待ちにしております

    作者からの返信

    コメント並びにレビュー、ありがとうございます!

    基本、露骨に罰当たりな作品だと思うんですが、ポジティブに捉えて読んでくださって嬉しいです。心地の良い読後感……とおっしゃっていただけると、ちょっと複雑な気分でもありますが w、本作はホラーと言うよりはいわゆる"ざまぁ"小説だと思いますんで、フィクションの中なりに、なんらかのカタルシスを感じる方もいらっしゃることでしょう。私も書き上げた時は結構爽快でした 笑。

    こういう、直線的にぐいぐい進んでいく作品は、湾多の作品ではかなり珍しい方で、他の作品だと色々とがっかりなさるかも知れませんけれども、時々冷やかしにおいでいただければありがたいです。よろしくお願いします。


  • 編集済


    復讐者の怨念がひしひしと伝わる執拗な惨劇描写と、
    淡々としながらも味のある、僧侶の語り口。

    実に素晴らしい。
    個人的には、これまでの湾多作品でもっとも面白いと思いました。
    物語がひたすらに復讐を追究し、一切妥協しない。
    ある種ピカレスク的な展開で、最後まで突き進む点も、
    迷いがないため読みやすく、物語に没入出来ました。

    問題作、と言われていましたが、私個人としては、まったく問題などない。
    むしろこれくらい尖ってこそ小説だ、くらいまで断言できます。

    物語の展開も非常に巧みで、揚げ足を取る隙が一切ありませんでした。
    えげつない悪役たちも、リアルの事件を見るに全然ありそうですし。
    そんな惨劇を経て執行された犬憑きにも違和感はなく、最後まで主人公たちに共感出来ました。

    ……と、ここまでほぼ手放しなのですが。
    贅沢を承知で、二点ばかり物足りなかった点を。

    一つは、後半の展開に起伏がないこと。

    僧侶の正体は、まあいいです。
    大方の読者にはバレバレでしょうが、あれしかないですし。
    そこは様式美と言うことで。

    それより復讐パートの後半部分です。
    犬憑きが始まってから、犬絡みの復讐がガンガン始まり、
    前半(妹が死ぬまで)くらいまではバリエーションが感じられるのですが、
    後半は同じようなパターンに陥り、悪党一家も委縮してしまっているため、
    いまいち盛り上がりに欠けると感じました。

    思うに、彼らが屋敷に引きこもってしまったのが一因かなと。
    たとえば、最後に夫婦が食われるシーン。
    あれを屋敷の話にせず、車で夜逃げさせて、
    (因縁のBMWで。事故車だから売れなかったとか理由付けて)
    そこを野犬の群れに追われ、からくも逃げのびるも、車内で覚醒した里美に
    食い殺され、交通事故。で、衆人が集まり、真予がきて、当初の展開に繋げる──

    とかだと、派手に盛り上がりませんかね。
    それにほら、ホラーにカーチェイスはつきものですしw


    もう一つの贅沢希望は、意外かもですが、毒が足りてないことです。
    この話のテーマを見た後では余計にそう思います。

    今作では、主人公らの復讐は直接の加害者に限られ、きわめて理性的です。
    それ故、ある種「ざまぁ系」のように、
    読者は深く考えることなく、気持ちよく復讐に酔えるわけですが。

    「愛に生きる人生があるのなら、憎しみに生きる人生があってもいい。」

    このテーマを追究するなら、それは違うと思うのです。

    まず、復讐が綺麗すぎるのは逆効果です。
    読者が「そこまでやらなくても」と思うくらいぶっ飛んでいなければ、テーマには足りません。
    すなわち一族郎党。教室で傍観者だった者の親兄弟。街ぐるみ。

    たとえば、最後に訪れて来た元不良を、我が子に憑いた呪いを解いてもらうために来たことにして。
    「子供に罪はない」と懇願する男に対して、「コロに罪はありましたか?」と冷笑して、サトをけしかける。
    町の産婦人科は、連続で新生児が「不審死」したことで閉鎖される。
    復讐の連鎖は、えげつないまでに広がっていく。現在進行形で。この先も。

    これくらいやって、読者の間でさえ賛否が割れるくらいになってこそ、
    「憎しみに生きる人生」と言えるんじゃないかと。
    そして、それでも真予を全肯定するからこそ、総真に狂気を感じさせられるのではないかな、と。
    この作品を読みながら、つらつらと考えてしまいました。

    同様に、真予が准教授などやっているのも、「憎しみに生きる人生」からは遠ざかって見えます。
    いまだに憎しみを忘れず、復讐を続けていることにリスクがあってこそ、彼女の狂気と執念が描けるのではないでしょうか。

    たとえば、クールと評判のサングラスを外さない理由は、片目が抉れているから。
    あまりに長期間、犬憑きを続けたことで呪いが返り、あちこちの肉が食われてしまっている。それでも彼女は呪い続ける。まさに「憎しみに生きて」いる──

    いや、良質な作品を読んだせいで、ついつい妄想が迸りましたがw


    この二点が気になったので、「傑作」評価から「佳作」にやや落ち。
    とはいえ、梶野内採点は★4。文句なしの★3です。
    いやあ。久しぶりに気合の入った作品を読ませていただきました。
    面白かったです。

    作者からの返信

    過分なコメントとレビューをありがとうございます!

    そうですか、これぐらいではまだ毒が足りていないのですね……お寄せいただいた改定案をにらみながら、思わず唸ってしまいました 笑。最後のほうがただ肉をぶちまけてるだけになってるなあとは思ってたんです。まあでもさらにさらに派手な切り刻み方をしてもなあ、と思ってたんですが……。
    カーチェイスの後で踊り食い(?)ですか。いいですね w。めちゃくちゃ盛り上がりそうです。うーむ、完全解とはこういうものを言うのですね。

    テーマの扱いについても考えさせられました。というか、今どきだとマジで町一つゴーストタウン化させないと、世間様を騒がすホラーにはなりえないということでしょうか。一理あるなあと思いつつ……憎しみに生きるとはそう言うことでは、とのご意見にも賛同しつつ……でもそうは書きたくないなあと思うのですよね。書き手なりのリアリティがどこか崩れる気がするといいますねかね……まあ要するに、私が肝心なところで甘ちゃんなだけかも知れませんが。

    「サングラスの下の目」については、大いにありだろうなあとは思います。呪う側が一切のダメージ無しでずっと過ごせているというのは、確かに不自然ではあるんですよね。ただ、「受けた恨みを他に晴らす方法がないから呪うのだ」という呪い手の立場に立つと、仕返しをしただけなのにさらに新たな不利益を被るというのは、理不尽と言うか釣り合いが取れないと言うか。むろん、呪いとはそう言うものだ、と説明することは出来るし、普通はそこに落とし込むもんなんですが――うーん。

    という感じで、いいところを突いてくるなあと手応えを感じつつ、同時に自身の自作に対する姿勢もいろいろ振り返らせてもらいました。コメントがいつにもまして熱のある文章に感じられて、おっしゃることそれ自体は、すべてがすいすいと胸の裡に収まっていく印象です。改訂作業にかかるかどうかは微妙なところですが、アップして本当によかったと思いました。これだけ楽しんでいただけると、書き手としては冥利に尽きます。

    まあそれにしても、ビビりながら心の闇を表にしてみたというのに、これぐらいではまだまだということでしょうか。ホラー読みを自認する方々となると、本作程度では"壊れた"うちにはならんというわけですね……。
    この分野の文章って、書いてる最中に、ああ、深みにどんどん沈んでいってるな、と言う自壊の感覚が半端ないんで 、今後とも精進します、とは言いづらいんですが w、いただいた言葉の数々を反芻しつつ、少し真面目に、人の心の暗がりというものを、その描写のあり方というものを、今一度考えてみたいと思いました。

    書き手が望みうる以上にじっくりと作品と向き合っていただき、その上での示唆に富む言葉の数々、ひたすら感謝です。重ねてありがとうございました!

  •  楽しく読んで参りました(*^_^*)

     まさか呪われた側が生きてるとはΣ(゚Д゚)

     復讐は忘却しにくくなることで、苦しみを鮮明にし、幸せを逃すからこそ、人呪わば穴二つなのでしょうか??

     記憶って思い出すほど強固に残るらしいですしね(´;ω;`)いい思い出は消えて復讐と悲しい事ばかり記憶に残ってしまう気がする(TOT)



     少し作家的に思うのは、主人公はどうしても読者に好かれる必要があるので、ある程度は理想的な行動や選択そして思考をするのでしょう(*^_^*)

     普通から理想的の範疇を逸脱すると感情移入が出来なくて、作品を楽しめなくなり、読めなくなると思います(´・ω・`)ニッチな読者狙いなら、逸脱もありなのだと思いますけどね(≧∇≦)b

     頭オカシイは好物だけど、電波系はキライなんていうエイルはニッチな変人なのでしょうヽ(=´▽`=)ノ

     理解できないはドン引きなんよ(@_@;)

    作者からの返信

    率直なコメントをありがとうございますっ!

    作品にした以上、ここのすべてのキャラの行動はそれなりに説明して差し上げられるし、私自身の思いを大かれ少なかれ反映したものになっているわけですが、間違っても本作は広く共感を得られるストーリーではありませんよね。
    特に日本人は――って、話を民族性に持っていくのもどうかなと思うんですけれど――総じて思いつめ方が足りないと言うか、極端から極端に動く割には、恨みとか怒りとかさっさと忘れてしまう、あるいは忘れるのが吉、みたいな行動が基本になってるような気がします。むろん、それは美点でもあるんですが。

    湾多がこういうシチュエーションで復讐やるとしたら、こんなに何十年越しの行動に出ることはまずないと思います。ただ、海外だと何代も前の仇を親子代々ずっと追いかけていて、何人もの子孫がライフワークに復讐やってる、なんて話もありますからね。冷めた頭で「お前の償いはこれこれの量である」と見積もって、目の前でそれをやらせて見届ける、そういう形の復讐も、一つの生き方になるだろうか、なんて考えました。まあ、ここまでくると憎しみと言うよりはほとんど愛のようにも見えますね。
    あるいは、こうすることが両親と愛犬への思慕につながるものと信じているのか。今日的には、きわめて不健全だし、仏教的には「カルマにとらわれておるっ」という解釈になるのでしょうけれど……さて、それはそんな一言で全面否定できるものなのか?

    ほんのちょっとだけ、と念を押しておきますけれども、ラストシーンで「犬」を見つめる二人の姿、自分が書いたシーンながら、ええ場面やなー、なんて思ってしまってます 笑。

    読んでいただいてありがとゔざいました。