第35話 経験
「あの、経験というのは」
「天照大御神様も言っていただろう。多くの魂を救えと。そうだな、具体的には人の死が多く集まる場、戦場で御霊送りの儀式をせよ」
「瀬織津姫! それは」
「危険だから行かせたくない、と? これから先最も危険な場に行くのにまだそんな甘いことを言うのか御津坊」
瀬織津姫様の鋭い瞳に闇御津羽神様は言葉を詰まらせた。彼の反応から戦場は危険な場所なのだろう。
戦で大勢の人間が死に無念、怒り、恨みが渦巻く地。行ったことはないけれど、想像しただけで背筋が寒くなる。
でも
「闇御津羽神様、瀬織津姫様。私は戦場で御霊送りの儀式をします。いえ、させてください。きっとそれは本来の巫女の務めだと思いますので」
「鈴華」
「よく言った。鈴華よ、心配せずとも闇御坊と止雨、祈雨も同行させるから安心して御霊送りの儀式を遂行せよ」
「はい」
瀬織津姫様はそう言うと自室へと戻った。見送りに阿須波様が付いて行き、祈雨様と止雨様は部屋の外で待機している。
再び闇御津羽神様と二人きりになった。
「お前はいいのか?」
「はい。私は貴方に救われました。闇御津羽神様は私が貴方を助けたと言いますが、私も救われているんです。だから、貴方を失いたくないです。それに」
「それに?」
続きを待つ彼に私は勢いで言いかけた言葉を呑み込んだ。言いかけた言葉を冷静に考えると恥ずかしい。
期限を超えても巫女を続けたいということは彼の傍にずっといたいと告白しているのも同然だ。神様相手になんておこがましい。
「なんでもありません」
「鈴華、気になるから言え。何を言われても俺は怒らないから」
「あの、いえ。だって、私」
急に恥ずかしくなってくる。逃げようと腰を浮かせた瞬間、彼に手を掴まれる。逃げられそうにない。
言うまできっと彼は手を離してくれない。祈雨様も止雨様も闇御津羽神様の命令で緊急事態以外は入ってこない。
阿須波様だって離宮からここまで距離があるから戻るには時間がかかる。観念するしかない。私は彼を見上げた。鼓動が速くなる。
「私、は。巫女を続けたいです。叶うなら貴方の傍にいたいです。なぜかはまだ分からないのですが、ずっとお傍にいたいと思うのです」
言ってしまった恥ずかしさと相手の反応が怖くなって今すぐにでも逃げ出したい。彼の私の手を握る手の力が強くなる。
「そうか。そう思ってくれるのか。素直に嬉しいものだな」
彼を見上げると微笑んでいた。その顔が綺麗で触れてみたくなる。でも今私の手は彼に掴まれていて叶わない。
互いに見つめ合い、距離が縮まる。先ほどの続きだ。唇が触れそうな距離まであと少し。目を閉じた方がいいのだろうか。
自分の鼓動がうるさい。色々な思考がぐるぐると頭の中を巡る。私はギュッと双眸を閉じた。
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