-4-

 エレベーターで21階に上り、駆け足でローレルの元へ。ロックを解除、素早く乗り込み、キーを捻ってエンジンを叩き起こす。水温、油温…共に理想よりも大分低い。車を停めてから数時間…春、まだ寒い時期だからか、思った以上にエンジンは冷えていた。


 連中はやってこない。はやる気持ちを抑えながら、数度アクセルを吹かしてみると、エンジンは軽やかに吹け上がった。


「ヨウさん?」

「ちょっと上の手すりに捕まってろよ」


 ひとまずOK…マニュアルに載せ替えたミッションも適正温度じゃないが…今はそんなことを言ってる暇は無いだろう。俺はシフトレバーをローに叩きこむと、サイドブレーキを下ろしてクラッチを切った。


 急加速、フロア中に6発エンジンの轟音が響き渡る。純正280馬力…上乗せ200前後…常用ブーストで480馬力。回転計の針は一瞬で8千2百まで跳ねあがり、聞いたことも無いセシルの悲鳴が上がった。


「ヨウさん!これって!ちょっと!?キャ!」

「緊急事態だからセーフだっての」


 2速に叩き込み、狭い駐車場の中で更に加速していく。速度計の針は既に3桁を超えていた。瞬時に3速に叩き込み、そこから更に速度を重ねていく。


「どの道、間に合わなかったか」


 加速する最中、視界の隅にスーツ姿の男を捉えた。14階からここまで、エレベーターを使わないとなればエスカレーターか非常階段を登って来たのだろう…一瞬でミラーの彼方へと追いやったが、すぐに車のライトが見えた事を、俺は見逃さなかった。


 出てきたのは、ちょっと厳ついBMW…M5か?それともM3?どの道、ただの豚鼻セダンだ…敵さんは妙に金持ちで、ハリウッド被れがいるらしい。だが妙だ…連中の止めていた場所は、居住区の方…今は考えてる暇は無いか…


「逃がす気は無さそうだな」


 そう呟いて、目の前に迫った角に向けて急減速。2速、1速に落としてクラッチを踏み込み、サイドブレーキをちょっと引いた。


「キャァ!ぶつかるって!!止まって!止まれぇぇ!!!」


 クルリと車2台分の直径を描くターン…普通のセダンでは無い動きを見せて再び加速…俺はセシルの悲鳴を聞き流しつつ、窓の外から聞こえるエンジン音とスキール音に耳を澄ました。入り組んだ駐車場、高速道路出入り口に近くなればなるほど、道は狭くなっていく。


 左右に止まった車の間を突き抜け、その先で再び180度ターン…いろは坂の様に、右に左に、何度も何度も続いた先。駐車場を遂に抜け、料金所のETCレーンを超え、短い加速区間をフル加速で抜けて環状線に合流した。


 ミラーを見やって、追手の姿が見えなくなった辺りでクルージング。クルーズ…と言っても、法定速度90キロの倍近くは出ているが…


「ちょっとは落ち着いたか?」


 ここでようやくセシルの方を見てみると、彼女は全身を強張らせて、細く切れ長の目を思いっきり見開いて固まっていた。黒縁眼鏡の奥に見える瞳は、僅かに潤んでいる様に見える。


「……は、はい…どう…でしょうね?はぁ…ふぅ…ジェ、ジェットコースターとか、苦手、なんですよ?…」


 彼女の返答からも、今の一瞬がどれだけの恐怖体験であったかがよく伝わって来た。俺はちょっとだけ罪悪感を感じつつも…ミラーを見やりながら、まだ終わったわけじゃないと気を引き締める。


「悪い悪い、だけどもう少し飛ばすぞ。あの連中を撒かないとな」

「そ、それなら…東京方面ですか?」

「あぁ、それが良いだろ。旧環状に出て、どっかで降りるしか無いわな」

「それなら、人の少ない所で…」

「そうか?人混みに紛れた方が良いだろ?」

「いえ、その手の方面にはがあるんです!会社の人に見られるのはちょっと…」

「なるほど。あの追手に見覚えは?」

「それは全く…」

「じゃ、会社とは別口と見て良いのか…?」


 俺はビルの間に入り組んだ環状線を結構なスピードで駆け抜けながら思考を巡らせる。やがて見えた湾岸への分岐…それをしっかり左に曲がって湾岸線へ。


「さて、こっから少し飛ばすぞ」


 そう言うと、運転席側のエアコン吹き出し口の方に手を伸ばす。目的はその下…ローレル特有のコインボックス部を改装して埋め込んだミサイルスイッチをカチっと押し込んだ。


 パッとLEDランプが赤く灯り、アクセルに対する反応が僅かに変わる。それを体感してからギアを2つ下げ、グッとアクセルをそこまで踏み抜くと、4千回転に落ち込んでいた回転計が瞬時に8千まで回っていった。


「ちょっとぉ!!!待ったぁ!!!」


 3速8千回転、クラッチを踏み抜いて、ギアを上げて4速…再び8千まで回して5速!海の上に架かる湾岸線、ただ真っ直ぐ、車はブレる気配は無く、一般車の影すら見えない。


 ミラーを見ても追手の姿は見えず…とりあえずは振り切ったと見て良いだろう。ここから先は、ただの暇つぶし…俺はを良い言い訳にして、どこまで速度を乗せていけるかを試しにかかった。


「ひ!…怖い怖い!!!今、何キロですかぁ!!??」

「270」


 ステアリングコラム上に載せた小さなデジタルメーターは、まだまだ数値を上乗せしていく。加速感が途切れない…流石はスクランブルブースト、550馬力は伊達じゃない。


 デジタルメーターの百の位が3に切り替わった所でアクセルオフ。一瞬のうちに潜り抜けた看板には、アクアライン合流まで3キロの表示。途切れた加速、隣に座ったセシルは脱力して、ガタガタと震え始めた。


「お、終わった…」


 速度を220まで落とした所で、ようやく一言。これでも、さっきセシルがと言った速度は優に超えているのだが…慣れというのは恐ろしい。


「で、何処に逃げるよ?」


 更に速度を落としながらセシルに尋ねる。彼女は僅かに考えるそぶりを見せると、ハッと顔を上げた。


「汐留とかどうでしょう?」

「新橋の方か。良いのか?」

「はい、あそこなら…何も無いですし…ワタシに繋がる場所はありませんから」


 十分に速度が下がり切った車内で、セシルは深い溜息を付いて胸を撫でおろす。そして、徐に煙草を一本取り出してこう言った。


「適当にどこかで時間を潰しましょう。そろそろ、ヨウさんはの時間ですし」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る