一夜を過ごして

カーテンの隙間から差し込む日差しがまぶしくて俺は目を覚ました.

久しぶりに熟睡した気がした。

目をこすって周りを見渡すと、なんの変哲のない部屋があった。

だがベッドの隣に目を向けた時、そこには誰もいなかった。

俺はベッドに座ってぼーっとしたまま、一人で納得し呟いた。

「そういうことか……」

スマホの時計を見ると、午前11時38分だった。

昨日あれだけ飲んだから、彼女が出ていくのを気づけなかっただろう。

折しも腹時計が鳴った。俺は箱入りのカップめんを出しふたを開け,やかんでお湯を沸かした。 そして沸かしたお湯をカップラーメンに入れ、麺が温まるまで待った。

その間俺はいきなり訪れた孤独感を味わった。

昨日は一体なんだったんだろう。

沢村愛深。彼女は一体誰だったのだろう。

まるでキツネにつつまれたかのようだった。俺は昨日の彼女との幻想的な出会いを振り返した。

セックスをしたのは多分一年ぶりだ。誰としたっけ。たぶんアプリで知り会った女性とワンチャンやったのが最後だろう。 名前は何だったっけ。ぽっちゃりとした足の太い女性だったが、その日やった後、そのまま別れた。ラインが来たが、俺は無視した。 実を言うと少しも気にならない。 ただ俺の飢えていた時の一時的な獲物だったからだ。不意にそれを思い出した。でもそれとこれとは次元が違っていた。無意味なセックスほど虚しいものはないが、彼女とのセックスはなぜか多くの意味をもたらしてくれた。

昨日愛深がさらけ出して見せてくれたのは本当にいやらしい光景だった。彼女の体のバランスや、感触や、忘れられない温もり。リボンとフリルで飾られたターコイズブルーの可愛いデザインの下着とかも。思い出すだけで欲情してしまいそうだった。

しかし、同時に疑問も残った。なんで俺なんかの相手をしたんだろう。ノリだったのか、それとも意図的な行為だったのか。

それを考えるとすごく寂しい気持ちになった。

俺はカップ麺を啜りながら性欲と食欲の不必要さについて考えた。

そもそも男に性欲がなかったとしたら、こんなに苦しいほど寂しい気分を味わうこともなく、食欲が存在しなければ食って生きるという自然の仕組みにも逆らえた筈だ。

人間とはとても非効率的な動物だ。もし次の生涯があるとするならば俺は海中の波にのまれる貝になろう。

カップ麺を全部食った俺はいっぷくをして、またベッドに戻った。

ベッドからは彼女の温もりと香りが微かに残っているようだった

激しかった昨日の夜を思い出して、我慢できなかった俺は股間を握った。

「あぁ!愛深。気持ちいいよ!」

騎乗位で腰を振ってた彼女を、その淫らな姿態を。俺はもう一度記憶の中で愛深を犯し、また犯し続けた。

そしてやがて俺は射精した。

我に返った後、俺はティッシュで白濁な子種を拭き、ゴミ箱に捨てた。

そして虚脱感はさらに深まった。

「連絡先聞いとけばよかったわ」

だがそれは後の祭り、そこに留まることはできない。俺は惜しみを後にして作業を進めるためにキャンバスの前に座った。

俺の頭の中は白紙状態だった。とりあえずなんの理由もなくゴム消しで十字線を消して違う方法を考えた。

そしてまたタバコを吸い、吸いまくって、考えを練ってるうちにもう一度手淫をし始めた。片手で魔羅を握り振りつづけ二度目の射精を終えた後、ベッドに横になるのを繰り返した。

俺は一体何をしようとしてるんだろう。だがその悩みの先に答えがあるはずだ。

そして俺はセックスについて考えた。セックスは宇宙を創造する行為だ。尚且つ結果的には無数の星が生まれる行為だ。

俺は性欲の根本に近づくことにした。原初的ながらロマンチックな、ありのままの姿の男女が触れ合い、互いを求める行為。それは愉悦を産み、時には寂しさを、時には悲しみを産む、そして愛へと至る。

俺は昨日彼女と愛を交わす時間的余裕がなかった。

それは幻想として残るからこそ完成された、それがすべて。

俺にはその虚しさを埋め尽くす行動が必要だった。

そう考えている間、いつのまにか俺は自然と鉛筆を握っていた。

そして流れに身を任せ、下絵を描き始めた。

何か月か前散歩がてら出かけた井の頭公園の池を思い出し、地形を描いていく。

そして水面と水底のベースとなる鮮やかめで明るい水色と土の色を塗り、暗い色を足していく。

無我夢中になり、当時の目の前に広げられた風景の中に溶け込まれてゆく。

もっと透明に、もっとリアルに。

水の揺らぎと水影を完成させ、水面の反射を描くと、いつのまにか作業時間は既に4時間を切っていた。

きらめく水草をライトなグリーンとブルーでやや滑らかに付けた時点で俺は筆をおろし、自分の描いた風景を眺めた。

不思議な気分だった。今までずっと悩んでいたはずなのに、今日に限ってこんな簡単に描けるようになるなんて。

「描ける、描けるぞ俺!やったぞ!」

歓喜に包まれるかのようだった。思わず大声を出して叫ぶと、隣の部屋から壁を叩く音がした。

「昨日からうるさいよ!」

「……すみませんでした」

雰囲気は一気に静まったが俺はまた絵筆を持って平常心に戻った。

俺は絵の全体図を見て、なにかしら物足りなさを感じた。

これはこれで良い出来だ。だがな……。

その時俺はスマホの時計を見てしまった。

やばい、もう後一時間後にバイトや。そろそろ準備しないと。

今日は18時からの深夜パートだ。

でもどうする。俺にはまだ描きたいものがあるんだ。

今の調子でこの作品は今日じゃないと描けない。でも、今からバイトをサボるってなると無理がある。いや、でもしかし。

判断に迫られ考えた末、俺は店長に電話をかけた。

「もしもし、彩木?」

「店長、すみません」

「え、どうした?」

俺はそわそわしながらも平然と大嘘をこいた。

「あの、えーと。実は昨日から体調が悪くてですね……」

「え、今日出れないの?」

「いえ、大丈夫です。出れます出れます」

「何、熱でもあんの?」

「……ええ、少し」

「いや、困るよ。いきなり体調崩したからって、今日のシフト分かってる?」

「すみません」

俺はスマホ越しに頭を下げた。そうすると店長はため息をつきながら「ちょっとまってて。かけなおすから」と電話を切った。

そして5分後また店長からの電話が鳴った。

「彩木、今日出れない?」

「あ、だ、大丈夫です」

「いや、熱あるんなら今日は休んでいい。塩沼がいけるって言ってるから」

「え、本当ですか?」

マジか、塩沼さん神かよ。

「あぁ、インフルなら大変だしな。代わりに塩沼に後でちゃんと謝れよ」

「はい、すみません、ありがとうございます」

「早く治れよ。明後日は出れるよな?」

「はい、ちゃんと出ます」

「んじゃ。しっかり休めよ」

「ありがとうございます。はい。では、失礼します」

とんでもない理由でずる休みをしてしまった俺は、電話が終わった後、若干の申し訳なさを抱いたまま塩沼さんにラインを送った。

「塩沼さん、今日は本当にすみません。明日は必ず出ます、っと」

あちゃ、ちょっと誠意が足りないか。そう思ってるとすぐ返信が飛んできた。

「早く治れよ。お酒飲むなよ」

と、「元気玉」って書いてある変な顔の猫のスタンプ付きで。

なんてクールな人なんだ、と俺は思った。

にしてもうちのコンビニは優しすぎだ。だから5年も続いてるわけだ。卒業後内定が決まって途中で一回辞めてはいるが、研修期間中に辞表を出してフリーターとして戻って来た俺を迎え入れてくれたのも、店長と社員の塩沼さんだ。そう考えると罪悪感にまみれてしまった。

さて、今日の分の謝罪代わりに、俺は今日この作品を完成させなければいけない。

俺は袖を二の腕までたくしあげ、再び作業に挑んだ。

一見見ると俺はただの風景画を描いただけだ。確実に前よりは腕が上がっているが、これじゃまるで自分の作品じゃないみたいだ。

もっとレペゼンを出したい欲求が湧きあがって来るのだ。

ここで白を入れて水面の波を強調するか?いや、それだと絵面が荒れそうでちょっと怖い。それでも俺は白が欲しかった。後、池に生命力を与えたかった。

この絵にふさわしい変化球はなんなんだろう。

そこで想像してみた。

池の水底で優雅に泳いでる一頭のクジラ。しかも地球上で一番でかい哺乳類と言われるシロナガスクジラだ。

池にはオキアミなどいるはずもなく、水深も浅い、当然ありえない話だが、池の中にクジラなんて俺以外誰が描くと言うんだ。

思うがまま、俺はキャンバスに入りきらないくらいでかいクジラの全身を描いた。写真を検索しどでかい骨格、分厚い皮膚、お腹のウネ、黒い鯨髭をより繊細に描く。そして皮の部分にグレーを塗っていく。

何時間経ったか、気づけば自分でも驚くほどのクォリティーで立派なシロナガスクジラが水中を泳いでいた。

一つ疑問が湧いた。

これは本当に自分の作品か?

何故だろう。本当に何故だろう。楽しい。楽しすぎる。

今までこんな瞬間があったのだろうか。

完成した絵を見つめながら、タバコを吸うと汗が流れた。我ながら感心した。こんなにスラスラ絵を描いたのは何年ぶりだろう。

多分人生で初めてじゃないかな。

「もしかして俺の魂、覚醒したのか?」

という中二病っぽい独り言が口から出た。無論そんなわけない。

でも、今日の俺はゼロベースだった自分を乗り越えた。

これは主観的に考えても今までの落書きレベルではない、れっきとした一つの作品だった。

そう思った突然心が強く揺れ、激しく動く音がした。

これだ、この感覚。

今まで忘れていた自分の創作意欲がいよいよと漲って来たのだ。

でもそれと同時に、この意欲は誰かに与えられたものなんじゃないかと、なぜかそう思った。

そして俺は自然と昨日の出来事を振り返った。

もしかすると彼女との出会いが大きいインスピレーションを与えてくれた、のだと。

もしそれが本当だとしたら。

また彼女と繋がりたいと、切実にそう思った。

 

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白いキャンバス まるひと @hitoshi1114

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