第3話 一筋の希望

「お兄ちゃん! しっかりして!」

「ス……テラ……」


 地面を何度も転がった先にはステラがいた。

 涙を流し、悲痛な表情のまま何度も身体を揺すってくる。どうやら先に逃げていたステラの側まで吹き飛ばされてしまったようだ。


「お兄ちゃん血が!」


 言葉を発するごとに口から大量の血が溢れ出てしまう。

 呼吸をするごとに腹部が痛み、何度も血を吐き出す。脚が震え、腕に力が入らない。立ち上がることなど到底無理だ。


「な、なんだあいつ……華奢な身体のどこにこんな力が……」

「お兄ちゃんもう喋っちゃダメ! これ以上血が出たら死んじゃうよ!」


 今にも意識が飛びそうだが、ここで気絶をするわけにはいかない。

 意識をギリギリのところで留めていると、ニアが衝撃的な言葉を発してくる。


「あ、この女の子いいかもぉ! ねぇ、ニクスもそう思うでしょぉ?」

「そうですね。素質はあると思いますから、連れて行きましょうか」


 連れて行くって、何をふざけたことを言っているんだ。

 そんなことはさせない――させるわけにはいかない。

 大切なステラを守らなければならない。そのために生きているのだから。


「ステラは連れて行かせない! お前達の好きには絶対にさせない!」


 両足に力を入れて辛くも立ちあがる。

 腹部の痛みや、咳き込むと未だに血を吐いてしまうが、それが理由で倒れるわけにはいかない。震える右腕に力を入れて剣を握り締めると、ニクスと呼ばれている男性が、瞬きの一瞬で目の前に現れた。


「きゅ、急に目の前に!?」

「今の移動すら見えないのに、よく好きにさせないとか言えたものです。さっさと死んでください」


 その言葉と共に首元をニクスに捕まれ、持ち上げられてしまう。

 体格が良いとは言えないのに、首を掴んで持ち上げる力があるとは到底思えない。ニア同様にどこにそれほどの力を秘めていたのだろうか。不可思議なことが起こり過ぎる。


「ぐぅぅぅう!」

「テネア王国の人間風情が弱いくせに生意気ですよ。あなた達は、私達の糧になっていればいいのです!」


 ニコニコと微笑していた顔が一変、突然般若のような表情に変化した。

 指に力が込められ、ノアは背中から地面に勢いよく叩きつけられてしまう。


「がっふぅ!?」


 “ドンッ!„という轟音を発生させながら、地面にめり込んだ。

 言葉にならない凄烈な痛みが、背中から全身にかけて駆け巡った。受けたこともない痛みに涙すら出ない。痛みに身体を支配される感覚だ。


「あなたはいらないので、そこで死になさい。妹さんは我々の目的のために有効活用させていただきますので、悪しからず」


 悔しい、このまま何もできずに死ぬのか。

 そんなの嫌だ。ステラを守れず、このまま何も成せないまま死ぬのは嫌だ。一緒に二人で生きていくんだ。死ねない、死にたくない――生きたい。

 ニアに連れて行かれる姿が目に映る。辛うじて動く右手を浮かせて涙を流しながらニアに連れて行かれるステラに向けて手を伸ばすと、耳心地の良い声が聞こえてきた。ハッキリとは聞こえないが「そこまでよ」という少女の声なのは確かだ。


「そこまでにしなさい。これ以上の狼藉は許さないわ」


 しなやかで綺麗な両足から目の前に躍り出てきた。

 どうやら目の前に声の主が立っているようだ。短いスカートを履いているようで、視線を上げたら下着を見てしまう恐れがある。あらぬ誤解は受けたくない。

 この状況下で変なことをして敵に回すことはしてはならない。だから視線を上にせずに、このまま様子を見ることにした方がいいはずだ。


「あなたは確か――ルナ・オーレリアですか。厄介ですね」

「私のことを知っているの? この辺りでしか活動していないんだけど、不思議ね」

「当然知っていますよ。我々アスラ皇国の邪魔をする白銀の姫だとね!」


 白銀の姫という異名は知らないが、ルナ・オーレリアのことは知っている。

 辺境都市オーレリアを統治している、辺境伯令嬢の名前だからだ。その令嬢の異名が、白銀の姫ということだろうと察しがつく。


「邪魔なんてしていないわよ。ただ辺境地域を乱す不届き者を、私と仲間達で滅ぼしているだけ。ただそれだけをしていたら、なぜか名前が広がっただけよ」


そう言いながら銀色の剣を腰に差している鞘から引き抜く。

仲間もいると言っていたが、一人で戦うつもりなのだろうか。素人からでも、別格の強さを持つ二人をたった一人で相手にできるわけがない。


「逃げてください! 一人で相手ができるわけがないです!」

「普通はそう思うだろうけど、私に任せておきなさい」


 痛みを堪えて発した言葉は一蹴されてしまった。

 

「ですが!」

「いいから! あなたは瀕死な状態なんだから、そこで休んでて。すぐに終わらせてくるから待ってなさい」


 向けてくる笑顔からは、恐怖なんて感じていないように見える。

 どれだけ自信があるのか分からない。だが、剣を持つ構えが様になっているとノアから見ても分かるほどだ。


「すぐに終わらせるだなんて、我々も舐められたのです」

「ぶぅー! お姉さん酷いよ! どうしてそんなこと言うの!?」

「アスラ皇国が敵だからよ。あなた達が私達の生活を脅かし、平和を壊しているからね。だから私達が守っているのよ!」


 そう言いながらルナは斬りかかるが、どこからか取り出した黒色の剣でニクスに軽々と防がれてしまった。二人は戦いながら移動をし、ノアから数メートル離れた位置で戦闘を繰り広げている。

 剣同士が何度も衝突し、嫌でも金属音が耳に飛び込んでくる。その音は生々しく、目で追うのも難しい速度で斬り合いが行われていることだけしか理解できない。


「す、凄い……あれが戦いなのか……」


 凄まじい戦闘を目の当たりにしたノアは、ただただ打ちのめされていた。

 何が騎士になって守るだ、何がこれから強くなるだ。元から身体能力や才能が違い過ぎる。騎士になろうとしていたことが恥ずかしくなるほどに、目の前で繰り広げられている戦いに目を奪われてしまう。


「リズミカルに紙一重で避けて攻撃をしている…‥どうやったらそんなことできるんだ……」


 迫る剣を鼻先数ミリの距離で躱し、攻撃に転じるルナの姿が目に映る。

 明らかに攻撃の軌道が読めていないとできない行動だ。素人目からでも、明らかに実力の差が違う。

 避けられ続けて一向に攻撃が当たらないニクスは、次第に涼しげな表情が苛立ちに染まっているようだ。そうなっても無理はないだろう。敵に同情をするわけではないが、全ての攻撃が全く当たらずに避けられれば苛立ちを感じるものだ。


「どうしてですか! どうして攻撃が当たらないのですか!」

「どうしてだと思う?」


 微笑みながら攻撃を躱し、煽るような言葉を発するルナ。

 そこまで煽らなくてもと思うが、ニクスの反応が面白いのだろう。何度も声を殺しながら笑っているルナがその証拠だ。


「そんなの私が知るわけないでしょう! 白銀の姫と呼ばれていても所詮は田舎娘のはず! それなのに! どうしてですか!」

「本人の前で田舎娘だなんて酷い言い方ね。辺境都市オーレリアは、この国で一番栄えていると思うけど、秘密主義のアスラ皇国から見たら栄えていないのかな?」

「国のことを侮辱しないでいただきたい! アスラ皇国は世界で一番幸せな国です! テネア王国とは違って、皇国民全員に幸せが行き届いている唯一の国なのです!」


 両手を上げて恍惚の表情を浮かべているニクスに対して、ルナは溜息を吐いていた。どうやらその姿を見て呆れているようで、戦闘中なのにもかかわらずおかしな空気が流れていた。


「全員に幸せだなんて無理よ。必ず不幸な人や苦しんでいる人がいるわ。前もそうだったし、この時代でもそう。確かニクスって名前だっけ? 君の言う幸せが行き届く世界だなんてありえないわ」


 キッパリと否定されてしまったニクスは、雄叫びを上げた。

 “ありえない„という言葉に激怒をしたのだろうか。剣を構えて一歩前に出た瞬間、右肩をいつの間にかニアに捕まれている。


「もう時間がないわ。そこまでにしなさい。これ以上時間を浪費するのなら、私がお前を殺すわ」


 少し前までのふわふわとした話し方とは違い、冷たい空気を纏って冷静に話しかけている。

 その言葉を受けたニクスは動きを止め、遠目からでも震えているのが分かるほどに恐怖を感じているみたいだ。


「そ、そうですね。もうやめるので、そんな顔をしないでください」

「ならいいわぁ、早く行こぉ。早く祝福を授けないといけないからねぇ」

「上手くいくといいですが、この少女の適合率次第です」


 訳の分からないことを二人が話しているが、ステラに妙なことをしようとしていることだけは理解できる。

 そんなことはさせない。今すぐに動いて止めたいが、身体が言うことを聞かない。こんな時に動かない身体が憎いし、弱い自分が恨めしい。

 涙を流して地面の土を力強く握り締めているとニアとニクスが周囲に爆風を発生させて、ステラと共にこの場から移動をしてしまった。

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