第2話 迫る悲劇

「お兄ちゃんお尻痛いよー」

「もう少し我慢してくれ。あと少しで経由地のルクス村だからさ」

「ルクス村って何かあったっけー?」

「主に農業を行っている村かな。料理が美味しいと思うよ」


 馬車に揺られながらステラが文句を言っている。

 料理の話で盛り上がるかと思ったのだが、当てが外れてしまった。少しは機嫌がよくなると思ったのだがな。


「お兄ちゃんさ、私達が持っているお金の合計額知ってる?」

「いや、知らないです……」

「十万ルーベしかないんだよ? これじゃ何も買えないし、食べることなんて無理過ぎるわよ」

「す、すみません……」


 謝るしかできない。

 約一ヶ月だったがステラが稼いでいてくれたから、こうして馬車に乗れている。頭が上がらないし、お金の管理を任せていてよかったと思ってしまう。


「オーレリアでは地に足を付けて暮らそうね」

「そうだな。きっと楽しく幸せにいける。そのために、頑張るからさ。二人で笑っていこうな」

「そのために頑張ってね、お兄ちゃん!」


 笑顔で頑張ってと言ってくれる。

 どこまでも見捨てないでいてくれる良い妹だ。その笑顔を曇らせないように頑張らなければならない。

 隣に座って外の景色を眺めているステラを見ていると、子供のようにはしゃいでいた。年相応とまでは言わないが、無理に大人びたことをさせずに自然体でいてほしいと願ってしまう。


「頑張るよ。あ、もうすぐルクス村だ。ここで次の馬車に乗り換えれば、辺境都市オーレリアはもうすぐだな」

「やっと到着できるんだね! もう腰が痛くて辛かったよー」


 腰を軽く叩きながらステアが降りていく。

 二人が降り立ったルクス村は有名な静養地だ。自然が多く、空気が澄んでいる老夫婦や若い夫婦が降りている姿がちらほら見える。


「良い空気ー! こんな場所があるだなんて知らなかったね、お兄ちゃん!」

「そうだな。空気が美味しいし、草花が多くて癒されるよ。ここで一時間休憩だから、ゆっくりするか」

「お金ないけどね!」

「ははは……」


 お金のことになると辛辣だ。

 あまり話題に出したくないけど、出さなきゃいけない時が辛い。だけど、今はこのルクス村を堪能して辺境都市オーレリアを目指すしかない。それにステラが喜んでいるから安心だ。


「さて、どこに行こうか。村の中心部を流れる川でも見る?」

「いいかも! 凄い綺麗みたいだよ! 早く見よう!」


 早く来てとステラが手を振ってくる。

 無邪気な笑顔が荒んでいる心に良く響くが、今は追いかける方が大切だ。一緒に座って馬車の時間を待つとしよう。


「今行くよー」

「早くこっちに来てお兄ちゃん!」


 川で何かを見つけたよう。

 手招きの速度を速めて言っているその顔が、無邪気な子供のように見える。年相応な行動に少し安心するが、このまま大人びることなく過ごしてもらいたいものだ。


「ねぇねぇねぇ! 小さな魚がたくさん泳いでるよ!」


 屈んで指を差す先には、小さな魚が元気に泳いでいる姿が見える。

 村の中心部を流れる川はステラが言うように、とても綺麗でルクス村の自然豊かさを体現しているように思える。

 たった二人の兄妹で川の側に座って馬車の発車時刻を待っていると、静寂を引き裂くように悲鳴が聞こえてきた。


「悲鳴?」


 キョトンとしているステラとは違い、ノアは腰に差している剣をすぐさま構えた。

 聞こえてくる悲鳴はどうやら村の北側から発せられたようで、人が慌てて走ってくる姿から見てもただならぬ出来事があったに違いない。


「腕から血を流している人や、額から血を流している人が多い……何があったの?」

「分からない……分からないけど、ルクス村に何かがあったのは確かだ!」


 怪我をしている観光客や村人が慌てて逃げる姿が目に入る。

 明らかに異常な光景だ。ステラは人達の様子を見て涙目になっているようだが、ここで止まってはいられない。なぜなら、一刻も早く逃げなければいけないからだ。


「早く馬車の方に行こう!」

「わ、分かった!」


 振るえているステラの手を強く握り、勢いよく駆け出した。

 途中で何度か「転んじゃう!」と叫ぶ声を無視して走り続ける。今はそんなことに構っていられないし、転んだとしてもすぐに立ち上がらせるしかない。


「今は逃げないと駄目だ! 頑張ってくれ!」

「うぅ、辛いけど頑張る!」


 無理をさせて申し訳ない。

 無事に逃げたら何か買ってあげることにしよう。そのためにも早く馬車の場所まで行かないと。

 逃げ惑う人に体当たりをされながら移動すると、悲鳴があった方向から「殺したりないー!」と叫ぶ甲高い声が聞こえてきた。


「ニクスぅ、もっと殺したい! テネア王国の人間なんだから、もっと殺してもいいでしょうー?」

「少しなら許しましたが、たくさんは駄目ですよ。我々の目的にはテネア王国の民が必要不可欠なんです。それにニアは忘れっぽいんですから、そこだけは忘れないでくださいよ」

「はーい。アスラ皇国の敵は全部滅ぼしていいって、お父様が言っていたのになぁ」


 恐ろしい言葉を発しながら歩いている男女二人組が嫌でも目に入ってくる。

 一人はニアと呼ばれた小柄な少女だ。腰にかかるまでの桃色の髪と、その愛らしい顔も相まってとても可愛らしい。隣を歩くニクスと呼ばれた男性の方は鋭い目付きが印象的だ。藍色の短髪を風で靡かせながら、ニアを見て溜息を吐いている。


「お兄ちゃん、あの二人が着てる青色の軍服ってアスラ皇国のじゃない? 近頃テネア王国と小競り合いをしているって食堂で聞いたことあるよ!」

「アスラ皇国か……」


 アスラ皇国はテネア王国の隣国にある宗教国家だ。

 かつて存在したとされている、神や天使に最も近づいたと神人という種族を信仰しているとして有名だ。しかしそれ以外の情報が世に出ていない謎めいた国家である。


「領土侵犯を最近してきて、いつ戦争が起きてもおかしくないって噂だよ。テネア王国の国民を拉致して、何やら実験をしてるとも言われているみたい!」

「他国の人間を拉致するなんて最低だ! 捕まる前に、俺達も早く逃げないと!」


 迫る二人から逃げるようにノア達は村の入り口を目指すが、アスラ皇国の人間からは簡単に逃げられない。

 移動を始めたのも束の間「どこに行くのかなぁ」と甘い声色で呼び止められてしまった。


「君達はテネア王国の国民だよね? なら、逃がすわけにはいかないな」

「そうだよぉ。何人かは生きたままだけど、他は殺しちゃったからさぁ。あなた達を生きて捉えるねー!」


 笑顔で語る言葉ではなく、無邪気さの中に何か恐ろしいモノを感じる。

 しかし、そう簡単に捉えられるわけにはいかない。ステラと辺境都市オーレリアに行って幸せに暮らすためにも、ここで死ぬわけにはいかないからだ。


「逃げろステラ! 早く逃げるんだ!」


 背後にいるステラを見ずに逃げろというが、一向に逃げる気配がない。

 「お兄ちゃんも一緒に逃げないとダメ!」と叫んでいるが、今は逃げられない。ニアとニクスが襲って来た際にステラを守らなければならないからだ。


「俺が逃げる時間を確保するから、早く逃げろ!」


 前を向きながら再度怒鳴ると、鼻をすする音と共に「来なかったら怒るからね!」と涙声で言葉を発して地面を蹴る音が聞こえてきた。

 一人にはしない――今までもこれからも。二人で一緒に生きていくために、守ると決めたのだから。


「一人にはしない! 絶対にな!」


 決意を固めた瞬間、目の前に誰かが一瞬で現れたのが視界の端に見えた。

 その誰かとは、遠くで話していたニアと呼ばれている少女だ。小柄な身体をさらに小さく縮め、振りかぶる右手には銀色の手甲をいつの間にか装着していた。


「誰が一人にしないのぉ? 弱いテネア王国の国民ができるわけないでしょぉ?」

「い、いつの間に!?」

「どう移動したかなんて、生贄が知る必要ないわぁ。じゃ、死んでねぇ!」


 腹部にニアの拳が力強く当たる。

 周囲に爆音が響き渡るほど大きい。腹部が拳大に抉られたかもしれないと錯覚するほどに、凄まじい威力を身体全体に受けた。

 華奢で小柄な身体からは予想できない威力の拳を受けたノアは、後方に勢いよく吹き飛ばされてしまった。

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