第19話
一条の街を経って七日。通常よりも緩やかな
これには訳があった。かねてから信尾国は、北は
「信尾国主は話しが早くて助かる。ああいうのが最期まで生き残るのだ。背後を刺されぬよう気をつけねばな。まあ、そんな甲斐性は奴にないだろうが」
彼の目には遠く開けた雪原が映っていた。天は晴れ渡り、遠く洲羽湖もかすかに臨んでいる。洲羽北部、春になれば稲作で賑わう広大な田園地帯だ。
「良い景色ではないか。この実り多い土地がすべて我のものとなる」
そんな独り言に応じるように、いつのまにか馬を寄せた者がいた。
「その
「おお、
影成の口元が歪んだ。
「恐れ多くもお伝えいたします。殿の弟君、
「お前はどうしたのだ?」
「
晴天の雪原に影成の笑い声が高く響いた。
「そうか、死んだか。いやなに、不憫な奴であった。これで、かわいい弟を死に追いやった洲羽を許しては置けぬなあ、
「左様で。敵の手に落ちた山城の奪還よりも、無防備な洲羽の民を根絶やしにする方を優先すべきでしょう」
再び響く二人の笑い声を覆うように、一騎の馬が早足で近づいてくる。
「影成様に申し上げます!」
「どうした」
「洲羽の手前、ここから
「なんだと!? かの兵はすべて山城に向かったはずではなかったのか」
※
「来ましたな。数は八百」
「ああ」
雪原の真ん中に陣を敷いた洲羽軍本体、その後方に領主である
「結局、すべて
「奴は考慮すべき可能性のひとつ、と申しておりましたが」
「それでも、備えたことしか役にはたたん。そら恐ろしいやつだ」
いったん山城へ向かった多くの兵は、密かに佳直が率いて洲羽北部の田園地帯へ引き返していた。
「仏僧たちからの情報提供があったとは言え、どこまで先を見通しているのか。灯火はまるで戦のために生まれてきたような危うさがある。それでも、味方であるうちは頼もしい限りだ」
「はい、今頃ちょうど
「灯火にここまでお膳立てしてもらったのだ。こちらも勝って彼らの帰りを待つとしよう。さて、行ってくるか」
越州国、洲羽の両陣営が目前に迫ると、両者より馬が一頭ずつ駆け寄る。口上の始まりだ。
「我こそは越州国国主、
「拙者は洲羽を統べる
「はは。どうかな。直接聞いてみるがいい。しかし意地汚いとは失礼千万。あれを見られよ!」
影成が自軍を振り返って指さす。一列に並んだ赤の甲冑の中で、十人ほどの若者が黒の前掛けをしているのが見えた。皆、少年とも言える年齢で虚ろな目を地面に落としている。
「あれは?」
「洲羽の圧政に嫌気がさした若者たちを一年前から保護してやっている。散々ただ飯を食わしたんだ。今日こそ役に立ってもらわねばな」
「貴様!!
「ハハ!!その言葉、刃と共にお返ししよう。ありがたく思え」
「ぬかせ!この戦い、洲羽の歴史に刻む大勝利となるだろう!」
物別れとなり、背を向けた赤、青の二騎がそれぞれの陣営に帰って行く。
「すまぬ。儂が不甲斐ないばかりに。許せ」
人取りにあった少年たちを救う術は無い。治頼はこのとき、馬上より前が見えなくなるほどに涙していたという。
しかし、各々の気持ちなど待ってくれるはずもなく無情な戦が始まる。
「影成様、奴らは見たところ馬も少なく装備も貧相です。数も半分以下。恐るるに足りません」
「当然だ。武士でもない民草を動員しているのだろう。あの格好を見よ。毛皮を身につけて、まるで獣の群れだ。人ですらない。皆の者!戯れに獣狩りと興じようではないか!」
矢を放てー!!
まずは越州国(赤軍)から一方的に矢が放たれると洲羽(青軍)の前線へ降り注いだ。青軍は前衛として、長槍と楯を組み合わせた部隊"
(まず、敵は矢を放ってきます。でもあえてこちらからは撃ち返さずにその場で耐えてください)
山嵐隊の隊長を務める
「
槍持ちの間に等間隔に配置された楯持ちは、人の丈ほどあろうかという大きな楯を頭上に掲げ、その場で耐える。敵の矢は地面に刺さるか盾をわずかに貫通するだけで致命傷に至ることは無かった。
赤軍はじりじりと前進していたが、矢の効果が出ていないことを確認すると、自軍の槍持ちを前進させ、力ずくで突破を試みる。数が少ない相手を難なく蹴散らせるという目算からだった。
しかし、青軍が目前に迫ったとき、その異様さがわかった。青軍の持つ槍はとてつもなく長かったのである。赤軍の槍が一丈(約3メートル)であったのに対し、青軍のそれはその倍以上の長さだった。両者が交わると一足先に青軍の槍先が赤軍に届く。その結果、一方的な結果を避けるため、赤軍は槍を捨て刀を振りかざすしか道がなかった。槍の交わる狭い場所を通り刀を振りかざす。
死ねぇええ!
「ひぇぇ!こっちに来た!」
「落ち着け!練習通りやればいい!」
隊長である桑原の叱咤で、戦の経験がない民草が奮起する。
「楯持ち!頼んだぞ!」
「応!」
青軍は人の丈もある巨大な楯を今度は前面に張り出し敵の刀を受け止めると、楯の裏に隠し持った短剣に手を掛ける。小回りの効く両刃の剣で狙うは、相手の脇や太ももなど甲冑の無い部分だ。
陣形を保ちながら楯の隙間から短剣を出し、少しずつ相手に傷を負わせる。あえて殺さずに戦力だけ削ぐ。赤軍が助けに入ろうとしても長い槍で牽制・整列させられ混戦にはならない。
「なかなか粘るな」
赤軍の後方、安全な間合いに留まる
「何を呆けておる! 馬で挟撃せよ!」
「は!」
満を持して自慢の騎馬隊に指示を出す。越州国を代表する速足自慢の馬たちは白い息を吐きながら雪原へと駆け出していった。百六十騎にもなる馬の大群は二手に分かれ、山肌を駆け下りる溶岩のごとく突進する。人の判断を超える速度で青軍の両脇をすり抜け、左右から挟撃を謀った。その時である。
ビィイイイ
悲壮な馬の鳴き声が戦場に響いた。馬たちはことごとく前足を振り上げ乗り手を落とすと、自制を失い周囲の馬に次々とぶつかる。混乱は連鎖し騎馬部隊は統制がとれなくなっていく。
「どうしたのだ!?」
見ても馬たちは矢を射られているわけでもない。
ヒュン!
不思議がる武士の兜を猛烈な衝撃が襲い、落馬した。回転する世界に朦朧としつつ足元を見ると、
対する青軍。中衛に布陣する船乗りの男達は歓喜に沸いていた。
「また当てた!」
「俺だって!」
前衛の弧線陣の背後に隠れていた中衛は、両脇を固める側方陣を敷いていた。
(膠着状態になったら、側面から敵の騎馬が回り込んできます。皆さんはそれまで息を潜めて待っていてください)
「灯火の野郎の言ったとおりになったな!」
「水切りを練習しろって言ってたのはこれのためだったか」
前衛の側面から走り込んできた敵の騎馬に対し、側面から投石紐を使って馬に石を当てる。長い丈夫な布の先端に石をくくりつけ、遠心力を使って石を飛ばすのだ。その独特な音のため中衛は"
「見ろよ!主人を振り落とした馬が元気に走り回るから奴ら混乱してやがる!」
「こっちは弾切れの心配は無いんだ。どんどん投げろ!」
「逃げた馬は殺すなよ!後で百姓が使うんだから」
「あんな上等な馬をか?」
投石で落馬した敵の武士は、後衛の弓持ちと
「
「今のところ数的不利を感じさせず奇跡的に上手くいっています。しかし・・・」
「なんだ、はっきり申せ」
「防戦一方では敵将を仕留めることはできませぬ」
「・・・それも
「
「おお」
手を上げたのは上社の若武者、
「"
「しかし大丈夫か、まだまだ敵の本陣は弓持ちも健在。無策に駆けていっては――」
領主の心配も意に介さず、十郎は自信満々に頷いてみせた。
「お任せください。灯火より預かった秘密兵器がございます。これであやつらに一泡吹かせてみせましょう」
※
「騎馬隊はなにをやっている!?押し切れていないではないか!」
「影成様、ここは一旦兵を退いて体勢を立て直すことも必要かと」
「黙れ
頭の中でため息をつきながら、貉は妙な違和感を感じずにはいられなかった。圧倒的に数で有利であったはずの前線は膠着し、打開に走った騎馬も思ったほど敵陣に浸透できていない。かつて渋依川以北で戦った洲羽とは明らかに様子が異なった。向こうが準備万端で待ち構えていた段階でもっと慎重に
そう思った矢先、前衛の布陣に変化が見られた。がっぷり四つに組んでいた槍持ちたちの戦線は、徐々に山側から離れるように一方向に傾き、回転しはじめていた。戦の上ではこのようなことも希にあるが、その滑らかな動きは操作されているようにも見られる。
まさか、な。たまたまであろう。
そう
なんだ・・と?
「退けえ!!」
異変に気づいた前衛の
「
弓持ちが構え、矢の雨を降らす。敵兵を狙った矢は荷車の囲いに阻まれ乾いた音を立てるだけだ。そうして距離を詰められた後に、奴らはまた一撃を放って離脱していく。驚いたのは、通常馬を射れば止められる進撃も、奴らは射られた馬を荷車から外し、そのまま走り去っていった事だ。幸い本陣の被害はたいしたことが無かったが、背後から射られた前衛は浮き足立ち、中には逃げはじめる者まで出ている。
「
「・・・わかりませぬ!」
気が触れたように騒ぎ立てる影成を忌々しく感じながら貉は素直に掃き捨てた。
「ならば指をくわえてないでこちらから仕掛けよ!弓持ちを前進させるのだ」
「は!しかし逸れた矢が味方に当たってしまうやも・・」
「かまわん!!依然として数で勝っているのだ。むしろ逃げる兵は容赦なく射よ」
「承知」
味方の負傷をいとわない力任せの用兵で戦場は再び優勢になりつつある。貉はこの時間を使って次の算段にふけっていた。
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