第19話

一条の街を経って七日。通常よりも緩やかな行軍こうぐん速度で三条影成さんじょうかげなり洲羽すわより五里ごりの距離にあった。彼の率いる八百の軍勢は、表向き敵対関係である信尾国しなのこくを縦断し、国主の治める長平ながひらの目の前を無傷で通過している。


これには訳があった。かねてから信尾国は、北は越州国えっしゅうこく、南は甲威国かいこくという大国に挟まれ、両者からの全面的な侵略におびえていた。信尾国主はあえて洲羽すわという緩衝地帯を差し出すことで、双方からの火の粉を直接浴びないよう画策していたのである。


「信尾国主は話しが早くて助かる。ああいうのが最期まで生き残るのだ。背後を刺されぬよう気をつけねばな。まあ、そんな甲斐性は奴にないだろうが」


彼の目には遠く開けた雪原が映っていた。天は晴れ渡り、遠く洲羽湖もかすかに臨んでいる。洲羽北部、春になれば稲作で賑わう広大な田園地帯だ。

「良い景色ではないか。この実り多い土地がすべて我のものとなる」

 そんな独り言に応じるように、いつのまにか馬を寄せた者がいた。

「そのあかつきにはそれがしもおこぼれをあずかりたいものですな」

「おお、むじなではないか。お前が合流したということは」

 影成の口元が歪んだ。

「恐れ多くもお伝えいたします。殿の弟君、影英かげひで様は、出陣の折り運悪く敵の毒矢に倒れ、おそらくは落命されたかと」

「お前はどうしたのだ?」

それがしはこの事を一刻も早く影成様へお伝えせねばと、守備隊に影英様をお預けし馬を飛ばして参った次第です」

 晴天の雪原に影成の笑い声が高く響いた。

「そうか、死んだか。いやなに、不憫な奴であった。これで、かわいい弟を死に追いやった洲羽を許しては置けぬなあ、むじな

「左様で。敵の手に落ちた山城の奪還よりも、無防備な洲羽の民を根絶やしにする方を優先すべきでしょう」


 再び響く二人の笑い声を覆うように、一騎の馬が早足で近づいてくる。


「影成様に申し上げます!」

「どうした」

「洲羽の手前、ここから二里にりの場所に、洲羽の者どもが陣を構えております!その数、およそ三百」

「なんだと!? かの兵はすべて山城に向かったはずではなかったのか」





「来ましたな。数は八百」

「ああ」

 雪原の真ん中に陣を敷いた洲羽軍本体、その後方に領主である洲羽治頼すわはるより軍大将いくさだいしょうである佐補佳直さふよしなおの姿があった。二人とも洲羽の代表的な色である藍色あいいろの甲冑を身につけている。

「結局、すべて灯火ほのかの言った通りになっておるな」

「奴は考慮すべき可能性のひとつ、と申しておりましたが」

「それでも、備えたことしか役にはたたん。そら恐ろしいやつだ」


いったん山城へ向かった多くの兵は、密かに佳直が率いて洲羽北部の田園地帯へ引き返していた。


「仏僧たちからの情報提供があったとは言え、どこまで先を見通しているのか。灯火はまるで戦のために生まれてきたような危うさがある。それでも、味方であるうちは頼もしい限りだ」

「はい、今頃ちょうどせいたちと城攻めをしている最中さなかかと。無事であればいいのですが」

「灯火にここまでお膳立てしてもらったのだ。こちらも勝って彼らの帰りを待つとしよう。さて、行ってくるか」


越州国、洲羽の両陣営が目前に迫ると、両者より馬が一頭ずつ駆け寄る。口上の始まりだ。


「我こそは越州国国主、三条影虎さんじょうかげとらが次男、三条影成さんじょうかげなりである! よく我々の南下に気づいたものだな!」

「拙者は洲羽を統べる洲羽治頼すわはるよりと申す。貴殿の意地汚さはよく身に染みておるのでな。しかしこうなると貴殿は信尾しなの国主をも取り込んだということになる」

「はは。どうかな。直接聞いてみるがいい。しかし意地汚いとは失礼千万。あれを見られよ!」


影成が自軍を振り返って指さす。一列に並んだ赤の甲冑の中で、十人ほどの若者が黒の前掛けをしているのが見えた。皆、少年とも言える年齢で虚ろな目を地面に落としている。


「あれは?」

「洲羽の圧政に嫌気がさした若者たちを一年前から保護してやっている。散々ただ飯を食わしたんだ。今日こそ役に立ってもらわねばな」

「貴様!!人取ひととり(人さらい)をしておいてその言い様、武士の風上にも置けぬ!」

「ハハ!!その言葉、刃と共にお返ししよう。ありがたく思え」

「ぬかせ!この戦い、洲羽の歴史に刻む大勝利となるだろう!」


物別れとなり、背を向けた赤、青の二騎がそれぞれの陣営に帰って行く。


「すまぬ。儂が不甲斐ないばかりに。許せ」

 人取りにあった少年たちを救う術は無い。治頼はこのとき、馬上より前が見えなくなるほどに涙していたという。


しかし、各々の気持ちなど待ってくれるはずもなく無情な戦が始まる。


「影成様、奴らは見たところ馬も少なく装備も貧相です。数も半分以下。恐るるに足りません」

「当然だ。武士でもない民草を動員しているのだろう。あの格好を見よ。毛皮を身につけて、まるで獣の群れだ。人ですらない。皆の者!戯れに獣狩りと興じようではないか!」


矢を放てー!!


まずは越州国(赤軍)から一方的に矢が放たれると洲羽(青軍)の前線へ降り注いだ。青軍は前衛として、長槍と楯を組み合わせた部隊"山嵐やまあらし隊"を、円弧を描くように配置していた。弧線陣と呼び、意図的に兵数を少なく見せる巧妙な布陣だった。これらの装備も陣形もみな、灯火ほのかが事前に提案し訓練した内容である。


(まず、敵は矢を放ってきます。でもあえてこちらからは撃ち返さずにその場で耐えてください)


山嵐隊の隊長を務める下社しもしゃ武士の桑原総三くわばらそうぞうは、灯火の言葉を繰り返し思い出していた。

守護人しゅごにんの意地を見せてあげましょう。楯持ちは槍持ちを守ってください!」

 槍持ちの間に等間隔に配置された楯持ちは、人の丈ほどあろうかという大きな楯を頭上に掲げ、その場で耐える。敵の矢は地面に刺さるか盾をわずかに貫通するだけで致命傷に至ることは無かった。


赤軍はじりじりと前進していたが、矢の効果が出ていないことを確認すると、自軍の槍持ちを前進させ、力ずくで突破を試みる。数が少ない相手を難なく蹴散らせるという目算からだった。

 しかし、青軍が目前に迫ったとき、その異様さがわかった。青軍の持つ槍はとてつもなく長かったのである。赤軍の槍が一丈(約3メートル)であったのに対し、青軍のそれはその倍以上の長さだった。両者が交わると一足先に青軍の槍先が赤軍に届く。その結果、一方的な結果を避けるため、赤軍は槍を捨て刀を振りかざすしか道がなかった。槍の交わる狭い場所を通り刀を振りかざす。


死ねぇええ!


「ひぇぇ!こっちに来た!」

「落ち着け!練習通りやればいい!」

 隊長である桑原の叱咤で、戦の経験がない民草が奮起する。

「楯持ち!頼んだぞ!」

「応!」

 青軍は人の丈もある巨大な楯を今度は前面に張り出し敵の刀を受け止めると、楯の裏に隠し持った短剣に手を掛ける。小回りの効く両刃の剣で狙うは、相手の脇や太ももなど甲冑の無い部分だ。

 陣形を保ちながら楯の隙間から短剣を出し、少しずつ相手に傷を負わせる。あえて殺さずに戦力だけ削ぐ。赤軍が助けに入ろうとしても長い槍で牽制・整列させられ混戦にはならない。


「なかなか粘るな」

 赤軍の後方、安全な間合いに留まるむじなは独りごちた。それを聞き逃す影成ではない。

「何を呆けておる! 馬で挟撃せよ!」

「は!」


満を持して自慢の騎馬隊に指示を出す。越州国を代表する速足自慢の馬たちは白い息を吐きながら雪原へと駆け出していった。百六十騎にもなる馬の大群は二手に分かれ、山肌を駆け下りる溶岩のごとく突進する。人の判断を超える速度で青軍の両脇をすり抜け、左右から挟撃を謀った。その時である。


 ビィイイイ


悲壮な馬の鳴き声が戦場に響いた。馬たちはことごとく前足を振り上げ乗り手を落とすと、自制を失い周囲の馬に次々とぶつかる。混乱は連鎖し騎馬部隊は統制がとれなくなっていく。


「どうしたのだ!?」

 見ても馬たちは矢を射られているわけでもない。


 ヒュン!


不思議がる武士の兜を猛烈な衝撃が襲い、落馬した。回転する世界に朦朧としつつ足元を見ると、拳大こぶしだいの丸い石が落ちている。まさか投石!? いや、しかしどこからだ。少なくとも手で投げて届くような距離ではない。


対する青軍。中衛に布陣する船乗りの男達は歓喜に沸いていた。


「また当てた!」

「俺だって!」


前衛の弧線陣の背後に隠れていた中衛は、両脇を固める側方陣を敷いていた。


(膠着状態になったら、側面から敵の騎馬が回り込んできます。皆さんはそれまで息を潜めて待っていてください)


「灯火の野郎の言ったとおりになったな!」

「水切りを練習しろって言ってたのはこれのためだったか」


前衛の側面から走り込んできた敵の騎馬に対し、側面から投石紐を使って馬に石を当てる。長い丈夫な布の先端に石をくくりつけ、遠心力を使って石を飛ばすのだ。その独特な音のため中衛は"風切かぜきり隊"と呼ばれた。ちなみに投石に使われた丈夫な布は奥方おくがた連中からかき集めた着物の帯だったため、みな色とりどりである。


「見ろよ!主人を振り落とした馬が元気に走り回るから奴ら混乱してやがる!」

「こっちは弾切れの心配は無いんだ。どんどん投げろ!」

「逃げた馬は殺すなよ!後で百姓が使うんだから」

「あんな上等な馬をか?」


投石で落馬した敵の武士は、後衛の弓持ちと上社かみしゃ武士が各個撃破していく役割分担となっていた。

佳直よしなお、戦況をどう見る?」

「今のところ数的不利を感じさせず奇跡的に上手くいっています。しかし・・・」

「なんだ、はっきり申せ」

「防戦一方では敵将を仕留めることはできませぬ」

「・・・それもしかり。ではやはり打って出ねばならんか」


それがしにお任せください!」

「おお」

 手を上げたのは上社の若武者、子丸十郎こまるじゅうろうだった。無事、鍛冶師の役目を全うし今は武士に戻っている。

「"渋依川しぶよりかわの合戦"で上社が受けた屈辱、自らそそぎとうございます!」

「しかし大丈夫か、まだまだ敵の本陣は弓持ちも健在。無策に駆けていっては――」

 領主の心配も意に介さず、十郎は自信満々に頷いてみせた。


「お任せください。灯火より預かった秘密兵器がございます。これであやつらに一泡吹かせてみせましょう」





「騎馬隊はなにをやっている!?押し切れていないではないか!」


むじなの目から見ても三条影成さんじょうかげなりの怒りは頂点に達しているようだった。国主より預かった八百もの軍勢は、かつて紀野国きのこくに決定的な一撃を加えた規模に等しい。小国相手に万が一敗戦したとあっては、いよいよ国主である影虎かげとら様も許すまい。切腹を命じられることはないだろうが、表舞台から下ろされ蟄居ちっきょさせられる可能性は大いにあった。


「影成様、ここは一旦兵を退いて体勢を立て直すことも必要かと」

「黙れむじな!越州が退くことなぞありえん!」

 頭の中でため息をつきながら、貉は妙な違和感を感じずにはいられなかった。圧倒的に数で有利であったはずの前線は膠着し、打開に走った騎馬も思ったほど敵陣に浸透できていない。かつて渋依川以北で戦った洲羽とは明らかに様子が異なった。向こうが準備万端で待ち構えていた段階でもっと慎重に物見ものみをするべきだったのだ。

 そう思った矢先、前衛の布陣に変化が見られた。がっぷり四つに組んでいた槍持ちたちの戦線は、徐々に山側から離れるように一方向に傾き、回転しはじめていた。戦の上ではこのようなことも希にあるが、その滑らかな動きは操作されているようにも見られる。


まさか、な。たまたまであろう。


そう唾棄だきした貉の目に、遠く上がる雪塵が飛び込んできた。回転し、山側に背を向け始めた我が前衛達の背後に、密集した馬の群れが迫る。なんだあれは、と周囲の武士たちもどよめき立つ。見れば、三頭引きの馬が囲いのついた荷車を引いている。それも一台ではない。ざっと二十台はあろうか。荷駄に見えるそれらは前衛の背後を取ると、一様に囲いから人が立ち上がり弓矢を放ってきた。一台に二名ずつ乗り込んだ射手と馬の操者が見える。


なんだ・・と?


「退けえ!!」

 異変に気づいた前衛のかしらが叫んだが、敵の馬車は前衛の背後を舐めるように一撃離脱。速度を落とすことなく今度は本陣を狙って突撃してくる。

殿とのをお守りしろ!」

 弓持ちが構え、矢の雨を降らす。敵兵を狙った矢は荷車の囲いに阻まれ乾いた音を立てるだけだ。そうして距離を詰められた後に、奴らはまた一撃を放って離脱していく。驚いたのは、通常馬を射れば止められる進撃も、奴らは射られた馬を荷車から外し、そのまま走り去っていった事だ。幸い本陣の被害はたいしたことが無かったが、背後から射られた前衛は浮き足立ち、中には逃げはじめる者まで出ている。


むじなぁ!あれは何だ!?申してみよ!」

「・・・わかりませぬ!」

 気が触れたように騒ぎ立てる影成を忌々しく感じながら貉は素直に掃き捨てた。

「ならば指をくわえてないでこちらから仕掛けよ!弓持ちを前進させるのだ」

「は!しかし逸れた矢が味方に当たってしまうやも・・」

「かまわん!!依然として数で勝っているのだ。むしろ逃げる兵は容赦なく射よ」

「承知」


洲羽すわ武士。姿形は変わらぬ田舎侍いなかざむらいども。それにも関わらず、奴らの動きの向こう側には異質な軍師の姿がちらつく。洲羽にはそのような人材はいなかったはずだから、甲威国かいこくを通じて大陸の客人でも囲ったに違いない。ならば万が一越州が総崩れになる前に、おのれだけでも離脱する機会を窺わなければな。

 味方の負傷をいとわない力任せの用兵で戦場は再び優勢になりつつある。貉はこの時間を使って次の算段にふけっていた。


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