第20話
「――まずいな」
「はい」
再び視点は
しかし、その後赤軍が開始した弓矢の雨は、敵味方を問わず降り注ぎ、青軍(洲羽)の体力を確実にすり減らしはじめている。回避不能な消耗戦を強いられた場合に小国が負けるのは、数々の歴史が物語っているが、さて。
「灯火から託された策は?」
「もう、残っておりませぬ」
冷淡な
「ならば、この本陣もろとも突撃するより他あるまい」
「は。領主様にふさわしいご判断かと。どこまでもお供いたします」
佳直は覚悟と共に領主と目線を交わした。深く刻まれた瞳の奥に、諦めと覚悟が混在した色が浮かぶ。戦慣れしない
無理に破顔してみせた。その景色の先、雪原の向こうに揺れる旗印を見つけた。伝令役と思える一頭の馬が猛々しい走りで近づいてくる。はためく旗印の文様は
「
走り込んできた馬は息を上げ、到着と共に雪上へ倒れ込む。飛び降りた晴は、勢いのまま領主と佳直の元へ走り寄り両膝をついた。
「領主様へ申し上げまする! この
周囲の者も歓喜にどよめく。
「おお! やってくれたか!! して、敵将はどうした」
「敵将、
「でかした!してーー」
「仔細をお話したいのは山々ですが! 急ぎの用向きにて失礼いたします」
「んん?」
「俺に残された騎馬全てをお預けください! 憎き敵将・
「
「最後まで聞いてください領主様!今から間もなく敵本陣に隙ができます!今しかその機会はないのです。急がねば!」
「なんだと?? それはどういうことなのだ!?」
※
その頃、越州国の本陣営は騒然としていた。
突然上がった「ぎゃあ!!」という断末魔と舞い上がる血しぶき。目を向けてみれば、数人の兵が突然絶命していた。その光景は凄惨なものだった。ある者は肩口から下の肉が無くなっており、一番運の悪い者は首がもげ吹き飛んでいた。あたり一面には赤い鮮血が雪上にまき散らされている。
「な、何が起きた!」
問うても事態を飲み込めているものはおらず、地面にめり込んだ身の丈ほどもある巨大な矢が墓標のように立っているだけだ。「こんなでかい矢は見たことがない」と周囲の兵は怯え、青い顔で立ち尽くしている。矢のめり込んだ方向から東の森を見る。ちょうど山城のある方角だった。その手前の森から"何か"が飛来した。
「伏せろ!!」
「何が起きておる!」
混乱した
「影成様、お引きください!敵の矢です」
「馬鹿を言え!別働隊など何処にも見えんではないか」
「遙か遠く、あの森から
「ほざけ!あんな遠くから届く矢などあるわけがなかろう!」
貉は心の中で舌打ちをする。こいつはもうだめだ。未知の恐怖に対して冷静さを欠いている。将の器が無い。引き際だ。
「
貉は影成の了承も満足に取らぬまま、自らの手勢と本陣からいくらかの兵を率いて東の森へ急いだ。
「開いた!!」
新たな馬を駆り、
見れば、近づきつつある前方赤軍の本陣が割れ、一部が東の森に駆け始めていた。後からわかったが、
晴は騎馬隊を率いて敵陣へ
「おらぁぁあああ!!!」
「どけどけどけぇえええ!!」
男達の
「我こそは!下社筆頭武士、
走りながら口上を告げると、すぐさま影成が振り返って応じる。
「舐めるな小僧!我は三条影成ぞ! 皆の者、手を出すでない。力の差を見せつけてやる!!」
「望むところだ!一騎打ちといこう!」
影成は、すさまじい騎馬速度で背後を突かれたことから不利状況を察し一騎打ちを選択した。応えた晴は"乗せられた"と内心気づいたものの、もちろん負ける気などさらさらない。
すぐさま二人を包む空間だけが自然と開け、二頭の騎馬が真向かいに佇んだまま、周囲の兵はその結末を見守った。その場のだれもがこの戦の趨勢を決める一番だと肌で理解していた。
風が吹いた。澄んだ冬の空気の中に獣のような血の匂いが混じって届く。静かに互いの馬の、前足が上がり、地を掴む。
「いぃえええあああ!!」
まさに馬の腹を蹴ろうとした瞬間、晴の目に信じられない光景が飛び込んできた。これから刃を交わそうという影成の腹から、怪しく光る槍の刃先が突き出ていた。吹き出る血は馬の背を伝い、白い雪の上に牡丹を描く。
「うっ ぼ・・っ」
声にならない声を上げて影成は馬から滑り落ちた。その向こうに、黒の前掛けをした少年が立っていた。瞳には何の感情もなく、立ち尽くしている。少年は一年前に越州に連れ去られた洲羽の民の一人だった。
影成は奇声を上げながら貫かれた槍を両手で掴み、必死の形相で引き抜こうとしている。そうしている間に、晴は馬から降り、ゆっくりと影成に近づいていった。槍を捨て、腰に佩いた刀を空に引き抜く。その手には亡き
「ま、まて。なぜ・・だ。この我が・・なぜ死なねばならぬ。ありえぬ・・ありえぬぅうううう」
「まだわからんのか? お前の罪が、ようやくお前に追いついたのだ。あの世で悔いろ」
斬。 晴れわたる空に一振りの刀が白々しく輝き、あっけなくひとりの人生を刈り取った。
「敵将獲ったり!!」
寒風に響くその一言で、時間が再び動き出す。わっと蜘蛛の子を散らすように逃げ始める越州兵を、もはや誰も追撃しようとはしない。間違いなくこの瞬間、戦の勝敗は決したのだ。
※
「あのときの
「
貉が急行した雪原の終わりに手入れがされた柿の林があった。その入り口で今、二十人ほどの軍勢同士が向かい合っている。
「今は
「貉様!何をやっておられるのです!!はやく
「落ち着け!! あれをよく見よ、どうやらあの化け物のような矢は品切れのようだ」
貉が指さしたその先には、小さな小屋ほどもある構造物が見えた。高さは人の背丈ほど、長さは人を縦に三人ほども並べた木組みの異形。中央に巨大な弓が横たわっている。
「ちょうどいい、次の主君への土産が欲しかった所だ」
「貉様・・あなたは何を言って・・」
んがあ!!
貉が手で合図をした瞬間、越州国の
「最後に見苦しいところを見せた」
「曽我先生・・いや、貉。あなたは何者なのです。なぜ洲羽を裏切ったのですか」
「やれやれ、裏切ったつもりはなかったのだがな」
「・・!! あなたのせいで!多くの民が土地を奪われ、凍えながら飢え死にしました!」
貉はしばらく思案した後、落ち着き払った声で語り始めた。
「ふむ・・そうだな。どうせこのまま越州国に帰るつもりもないことだし、冥土の土産に聞かせてやろう」
「・・・」
「俺は元々、
「・・そして指南役の座を射止めた」
「ああ。緩やかな日常、こんな人生があってもいいなと思っていたんだ。あの越州国の進軍があるまでは、な。震えたよ、
「だからあなたは洲羽を裏切り、越州に取り入った。
「ああ。勝ち馬に乗って身を立てるは武士の
「・・・
「ふふ、何とでも言え。だが・・・
貉は馬を下り、刀の
「誰も手を出すな」
灯火もまた、周りの負傷兵を下げ、ひとり円の中心に佇んでいる
馬鹿め。こいつは確か、剣の切っ先を向けると動けなくなったはず。
「小僧! 見ろ!」
貉は刀身を見せ、灯火を両断するように中心に構えた。
灯火は、みるみる内に身体を震わせてその場に固まっている。
「死ねえぃ!!」
縛られた灯火の左腕、その肩口に向かって、上段から豪腕が振り下ろされる。遅れてやってくる無機質な白刃は一種の美しさを伴いながら灯火を切り裂いた。
・・・ギジ・・ギギギ。甲高い金属音が震える。
瞬きの内。切り裂かれたかに思われた灯火の身体は、一分の乱れもなくその場に留まっていた。貉の体重が乗った刃先は、ピタリと灯火の肩口で動きを止めている。
「・・・なっ!!」
貉は幻でも見ているのかと目を見開いた。灯火の背後、その影から燃えるような"一つ目"が覗いていた。影から飛び出た黒い腕と二本の小刀が、貉の刃をすんでの所で防いでいた。
※
時は瞬きの間を
しかし、背後にいるのは城攻めの折りに負傷した民兵ばかりだ。ここで乱戦に持ち込まれれば全員が討ち死にすることは想像に難くない。幸い、相手は大弩弓"タケミナカタ"を無傷で手に入れたがっているようにも見えた。
ならば。
心配する皆を押しとどめて一騎打ちに応じる。
「小僧! 見ろ!」
差し出された刀身が妖しく光る。その切っ先には見覚えがあった。
(そこを、一歩も動くな)
王にして友から告げられた最後の言葉が脳内に響く。時を超え、灯火を縛ってきた呪縛。しかし、今の灯火には恐れる気持ちなど微塵もなかった。頭上から振り下ろされる貉の刀を目で追いながら、灯火はその信頼から一歩もその場を動かなかった。
灯火の影に隠れた
その隙に灯火は腰から短剣を抜き、目一杯伸ばした腕で貉の腰を払った。剣先は甲冑の前垂れを引き裂きながら腰に届いた。
「くっ・・! なんなんだ、お前たちは!?」
「逃げはしない。運命などと諦めもしない。精一杯足掻いてみせる。小夜、手伝ってくれ」
灯火は片手で短剣を構える。黒装束に身を包んだ小夜が背後で頷く気配がした。
「もちろん。
なにも酔狂で
『この剣、
ふたりで一斉に踏み込んだ足、跳ね上がる鼓動。一、二、三! 飛び込んでくる貉の剣筋を短剣の腹で受けながら右へ避ける。小夜の小刀が貉の籠手を捕らえた。短剣を刀身に滑らせて前へ。脇差しを掴んだ相手の左腕を掴む。足を掛けながら押し倒そうとすると、貉の膝蹴りが二人を宙へ飛ばした。転がりながら一旦距離を取り再び立ち上がる。止まっていた時間がまた動き出す。
「二対一とは卑怯なり!!」
貉の手下たちが刀を振りかざすと、
「三下は俺たちに任せろ灯火!!」
両陣営が初めて突撃を開始する。
時間はかけられない。次で、決める!
再び間合いを詰めた貉と灯火。繰り出した灯火の短剣を貉が刀の棟で受けるとそのまま前蹴りで灯火を蹴り飛ばす。灯火の背後から舞い上がった死神が小刀で貉の首を狙うが、すんでの所で腕を掴まれてしまう。貉が警戒した小夜のもう片方の手に小刀はなく空を掴んでいた。
??
白く薄化粧をした木々の根元に、赤い華が咲いた。
「
見れば、いつのまにか自らの短剣を捨て、小夜の小刀に持ち替えた灯火の右手は貉の首を深々と穿っていた。
カフッ ・・ゴブッ ・・ルル
喉から鮮血が溢れる。大木に背を預け、小刻みに震える貉の喉。震えていたのは灯火の右手も同じだった。
はじめて人を殺めている。
そこにあったのは、紛れもなく元服を過ぎたばかりの若者だった。歯を食いしばり反撃ができないように必死に体重をかけ続ける。いつしか貉の目は生気を失い、虚空を映すばかりだ。
「もう、いい」
震える手に、小夜の手のひらが触れた。
「もう大丈夫だ。灯火。私たちは勝った」
「・・勝った・・?」
立ち上がり、周囲を見回す。主の最後を悟った貉の手下たちはいつのまにか背を向け走り出していた。
疲れ切り倒れ込む洲羽の男達の耳に、風に乗って
※
日が傾き、戦場により近い
境内の一角、陣幕の内側で合戦の記録が取られ始めていた。一段落した
「灯火、鼠小僧と共闘していた。というのは
「どういうことだ。奴は死んだはず。それとも我らを騙していたのか」
「黙っていてはわからん。返答次第によってはそちを切らねばならぬ」
「・・・」
矢継ぎ早に問いただす佳直を横に、領主は微動だにしない。
「・・・。考えてもみれば灯火、お前の考える案はどれも
「それは・・。土蔵の本に書いて――」
「倉にある書物を全て確認したが、そんなことはどこにも書いていなかった。どういうことか申し開きせよ」
まずい――。晴はなんとか灯火を救えないものかと必死に考えたが、急に妙案が出てくるはずもない。
「とは言え
「しかし、武士たちからの疑いが晴れぬまま傍に置くこともまた、できませぬ」
目線を落とした灯火は、暫しの沈黙の後に居住まいを正し、覚悟を持って進言する。
「領主様、佳直兄上。返す言葉もありません。多くは語れませんし、信じてももらえないでしょう。自覚しているのは、
指さした陣幕の片隅に二つの桶が奉ってある。
「どうするつもりだ」
「越州国にお返しします。そしてそのまま、洲羽には二度と戻りません。今後、どのような主君にも仕えないと誓いましょう」
佳直と領主は顔を見合わせ「そういうことならば」と、灯火を
「ご免」
薄暗い陣幕を出て行く灯火。その表情を
「
「・・
「俺も一緒に行く」
「だめだよ。兄者はこれからの下社、いや、洲羽に必要な
「何言ってんだ水くせえ。たったふたりの兄弟じゃねえかよ!」
「・・・」
一歩。近づいた灯火は片腕で晴の肩を抱いた。力強く、熱い手のひらが震えていた。
「長きにわたり世話になった。私は遠い異国の武人、フレイトスと申す者。所詮そなたとは住む世界が違ったのだ」
下社の境内に風が吹く。冷たい風ではあったが、どこか懐かしくて胸が詰まる。一緒に駆けた草原と、煌めくような洲羽湖を通り過ぎた匂いがした。
晴はひとり、立ち尽くしていた。周囲には夕闇が迫っていた。徐々に見えなくなる灯火の背をずっと目で追っていた。これからも見続けられるはずだった。涙で歪むその背中を、惜しむようにずっと見ていた。
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