第17話

山々の峰がうっすらと輪郭を現した。白く静謐なその佇まいは強く、そして美しかった。静まりかえった洲羽すわに朝日が昇る。それまで闇に包まれていたすべての痕跡を地表に現し、長い影を落とした。湖に近い修練場に集められた無数の馬たちは足元にわずかに残った草を惜しむように食んでいる。彼らの大きな瞳は朝日を受けて透き通り眼下の雪原を映している。


遠くより雪塵を巻き上げ近づいてきた伝令役から"越州国、武士八百を率いて出陣"の報せを受け取ると、佐補佳直さふよしなおは、小さく頷いた。


「皆の者よく聞け!機は満ちた。これより出陣する!」


ときは上がらなかった。みなそれぞれに顔を合わせ、目線を交わす。それだけで十分だった。武士二百名、領民四百名にもなる即席の集団は順番に修練場を出て長い道を作っていった。


長かった。

灯火もそう思った。


越州の急襲を受けてからもうすぐ一年になろうとしていた。渋依川しぶよりかわ付近で何回かの小競り合いがあった他は、越州との大きな戦もなく今日を迎えた。


「いよいよだな灯火」

 百姓の子、助一すけいちだった。一年前に母を亡くした彼は前衛の槍持ちとして側にあった。

「まさかおらっちが戦に出ることになるたあな。だが、鍛錬もしたしこれでやっとおっかあのかたきがとれるずら」

「俺たちの力作も日の目を見るって事だよな、灯火」

 大工の子、弥八やはちもいた。盾持ちとして側に控えている。

「弥八、いろいろ頼んでしまってすまなかったな」

「なーに気にすんな。最初はびっくらこいちまったが、聞けば聞くほど俺たち職人じゃないと作れねえもんばっかりだったし、楽しかったよ。それも今日までだ。これで越州のやつらをぶっとばせるんだろ?」

 はにかんだ笑顔は幼いときのままだ。灯火は頷く。「行こう」と声を掛けて前の隊列に続く。下社近くで見送る人々の中に真静ましずの姿もあった。数人の巫女と共に見守っている。


「灯火、どうか無事で帰りなさい。私はもう反対しません。代わりにこれを。ヤサカ様が守ってくださいます」

 下社のご神木に祀られた御守り、石神じゃくしん様を受け取るとわずかに温かさを感じた。灯火はしばし幼少の思い出に浸りながらその丸い石を懐に仕舞う。


「戻ります。必ず」


行く先には母のきぬが、義姉のたつが目に入った。ふたりとも祈るように手を合わせている。別れは家で済ませてきたはずなのに後ろ髪を引かれるようにしばらく背中に気配を感じた。必ず、守ってみせまする。





「影英様、洲羽すわ勢が動いたとの報せが。数は少なくとも四百以上。山間の迂回路を通り、この山城へ向かってくるものと考えられます!」

「やっと来たか!しかし数が多いな。噂では市井の者を集めていたというが本当か」

「は。甲冑もなく獣の皮衣かわごろもを着込んでいる姿も多数見られております」

「気でも触れたか。いや狂信というやつかもしれん」


間諜より"洲羽が本格的な戦支度をはじめた。出陣が近い"との報せが入り、兄の影成がようやく兵を伴って一条を出たのが三日前。早ければ明後日にでもこちらに合流できるはず。機が合えば洲羽勢を挟撃できるかもしれない。


「こちらはしばらく城に籠もっているだけでよい。この山城は山肌と川に囲まれた天然の要害。向こうの戦意を削り取らせてもらおう。兄が合流次第我らも打って出る。守備隊に準備を急がせろ」

「左様で」

 いつもは不遜な態度をとるむじなが、戦を前に気後れしているのか言葉少なに一点を凝視している。気にはなったものの戦支度の興奮が勝って捨て置くことにした。



翌日、待ち構えていた城の正面にはまだ洲羽の姿はない。

「遅い。洲羽の動向をしらせよ」

「遠見では、渋依川を超え山城より二里にりほどの地点で休止しておる模様でございます」

「ずいぶんと手前だな。城の正面は隘路になっているから密集して大きな損害を出すのを怖がっているのだろう。しょせんは寄せ集めの集団。恐るるに足らず」


そのまた翌日、影英は業を煮やしていた。


「まだ向かって来ぬのか洲羽勢は。これでは兄上が到着した後、手柄を全て持って行かれるぞ」

「はあそれが、洲羽のやつらは火を焚き酒宴を開いているようだとのことで」

「なんだと・・!? 我らが城から出ぬと踏んで馬鹿にしおって」


「影英様にお伝え申します!!」

 伝令役が息も絶え絶えになだれ込んでくる。

「今度はどうした」

影成かげなり様率いる増援隊はこちらには来られません!」

「なにがあった!まさか別の場所で戦端が開かれたか!?」

「恐れながら、影成様は長平ながひらを素通りして直接洲羽に向かわれている模様」


思考が固まる。安全な紀野国きのこくを通ってこちらに来ずに、敵方の信尾国しなのこく内を通って洲羽に向かっている?なぜだ、こちらの増援に来たのでは無かったのか。影英はその瞬間信じられない結論に達した。


「おのれええ影成!はかったな!」

「どういうことでしょうか」

「この山城、この影英を囮にして洲羽を単独で攻め落とすつもりだ!一度ならず二度までも。どこまでコケにするつもりなのだ」


  アーハッハッハ


それまで影を潜めていたむじなが声を上げて笑う。


「まんまと出し抜かれましたな、影英様」

「貉!貴様知っておったな!」

「まさか。ご冗談を」


影英は怒りの形相で貉に近づき襟元を掴み上げる。


「ここに籠もっていては出遅れる。今すぐ出陣するぞ!! 貴様には先陣を切ってもらうからな!」

「・・ご命令の、通りに」





主様ぬしさま。いつまでこんな茶番を?」

 下社連中が太鼓に合わせて奉納演舞を踊る様子を横目で睨みながら、小夜こやは問いかけた。焚火の周りには男たちが座り込んで歌を歌っている。

「そういってくれるな。これも作戦のうちだよ」

「こうしている内にも越州国の大軍が到着してしまいます。みすみす首を逃すおつもりですか」

「それについては俺も賛成だな」

 晴が横から割って入る。

「作戦はわかるが今すぐ突撃して山城を攻め落とせばいいんじゃないか?数はまだこっちのほうが多いんだし、城攻めの準備もしてきたんだろう?」

「それだと、多くの民が命を落とすことになる、確実に。ふたりとも、もう少し我慢してくれまいか。もうじきあちら方が山城を出て攻めてくるから」

「ああん?城からわざわざ出てくるわけないだろ」


しばらくして洲羽方面から早駆けの伝令が到着すると、灯火は待ってましたとばかりに総大将である佳直よしなおに進言する。


「兄上、手はず通りに」

「あいわかった。灯火、無茶をするでないぞ」

「兄上も、ご無事で」

 言い切らぬうちに、今度は山城を見張っていた物見から「三条影英さんじょうかげひで、山城より出陣」の報せが入る。


( ほら、言ったでしょう? )灯火が目配せをすると、晴が

( 信じられん )と同じく目で応えた。


納得いっていない小夜の気配を感じながら、灯火は精一杯に声を張り上げる。


「山城攻略隊、菱形隊形ひしがたたいけいで前進!!」





「前方、洲羽勢が前進してきます」

「ようやく戦う気になったか。背後を突かれるとも知らずに。揺さぶりをかけてくる。横陣で備え!」


山城を出て小谷に差し掛かった影英かげひでは、率いる守備隊百名に待機指示を出し単身洲羽勢の前に駆け寄った。


「音にこそ聞け、近くば寄って目にも見よ!我こそは越州国主えっしゅうこくしゅ 三条影虎さんじょうかげとらが四男、三条影英さんじょうかげひでなり! 悪いことは言わぬ!今すぐ街に逃げ帰り、我が兄 影成かげなり率いる大軍に備えるがいい!」

「我は洲羽領筆頭武士、佐補家が次男、佐補晴路さふせいじなり! 左様な戯言で追い返せるとでも思ったか! 恥を知れ! その頭が胴体とつながっているうちにせいぜい後悔するがいい!」


物別れに至った両者口上の後、両陣営から放たれた無数の矢は、灰色の空に同化しながら鋭く地面を穿つ。今、戦いの火蓋が切って落とされた。


(( 全軍前進! ))


山城守備隊の放った矢を木製の盾で防ぎながら、洲羽勢は少しずつ前進していた。

しかし徐々に勢いを失い、終いには谷間を後退しはじめる。


「矢合わせは押していますな。洲羽の方が数で勝るとは言え烏合の衆。勝ち戦ですぞ」

 貉の言に「言われずとも」と反応しつつ、影英は妙な違和感を拭えなかった。名乗りを上げたのは名も知らぬ武士。領主はどうしたのだ? しかも、過去に急襲を受けたことのある彼らがこちらの言に動揺一つ見せなかったのも気にかかった。しかし深く考える間もなく続けざまに吉報が届く。


「敵の陣形崩れました。敗走しています」

「騎馬突撃! 我に続け!」


戦の趨勢を決める好機とばかりに五十騎を超える駿馬が坂を下る。越州国最大の武器とも言える高い機動性をもって影英は洲羽勢に迫った。そのとき、


ドン


という衝撃とともに猛烈な熱を感じた。見れば左脇腹に一本の矢が刺さっている。


やられた! だがなぜだ。矢は敵軍のいるはずの無い山肌より飛来した。


異変を感じた愛馬が徐々に速度を緩め集団を外れる。


「影英様が負傷されたぞ!後方へお連れしろ!」

 むじなが駆け寄って、近くの兵に指示を出す。

「影英様、傷は浅うございます。ですがいったん城へお引きください。手当をさせます」

「貉、山側に伏兵がいる。掃討しろ」

 そう答えながら力一杯に矢を引き抜く。出血はさほどでもないが気分が悪い。ままならぬものだ。鎧をつんざくほどの矢が、果たして遠い山間から打てるものだろうかと思案したが、熱から変わった強烈な痛みにかき消されてしまった。


「私はいったん引く。貴様が指揮をとって追撃せよ」

「はっ!」


命を受けた貉の口元がニヤリと歪んだ気がした。





時は半刻ほど遡る。

山城へ登る道は細い谷となっており、その道幅は大人が十人横に並べるかどうかという狭さだった。すぐ脇には深い崖。底には川が流れ、落ちてしまえば自力で這い上がることはできない。灯火ほのかは騎馬を後方に下げ、歩行かちの兵を前線に並べる。廃船を解体した盾持ちと竹槍隊とは交互に配置していた。ただ、この槍は普通の長さでは無い。騎馬で扱う槍の二倍はあろうかという長さの竹。その先端に小さな刃をくくりつけたものだった。縦に担いで運ぶにも難儀な長さだが、越州国の騎馬隊を退けるには有効な長さとなる。対越州戦に準備した手札のひとつだった。


せいが啖呵を切って開戦した後、灯火は微速前進を指示した。祭りで使っていた太鼓を一定の間隔で鳴らすとその調子に合わせて皆が歩を進める。訓練不足の即席兵でも隊列を乱さずに進むことができた。

 ひょうのように降り注ぐ敵方の矢は想像していたほどの圧力ではない。大きな盾のお陰でほとんどを無力化できているようだった。向こうの守備隊もたいした人数がいないのかもしれない。


ただ、灯火は太鼓の調子を変える。それを察した先頭集団が最前列を入れ替えながら徐々に後退する「反転後退」。この動きを繰り返し練習してきた。敵正面から見ると怖じ気づいて総崩れになっているように見えるのだ。


つられて突撃してきた敵軍の馬を長槍で突き、馬から武士を引きずり下ろす。深追いせずその動きを徹底するように言い含めてある。


「一斉に逃げろ!!」


弓矢の射程外に達したのを見計らって号令を掛ける。と、全員が背を見せながら敗走をはじめる。それをみた敵軍の騎馬部隊がここぞとばかりに突進してきた。

 あわやもう少しで背中を取られるというところまで敵の馬が差し掛かったその瞬間、最高速に達した馬たちは次々に前のめりに転倒し、乗っていた武士たちは放り出された。見れば馬の足には雪で隠された投網とあみが絡まっている。以前漁師から譲り受けたものだった。洲羽勢は反転、将棋倒しとなった敵軍を半包囲し、長槍で馬を突く。混戦になった後は晴たち武士の出番だった。


「敵将を探せ! 俺が相手をする!」

 晴が気を吐いたかと思うと小夜こやも負けてはいない。

三条影英さんじょうかげひでは私の獲物。横取りは許さない」

「抜かせ!」


上手く事が運んだ。はずだった。故に敵兵は目の前で次々と斃れていく。白い地面を赤く染め、命を散らしていく。すべて灯火が考え、準備してきた結果だった。それなのに灯火の意識は赤く染まっていた。


俺が殺した。俺のせいだ。


越州国は汚い。わかっている。

洲羽を守るため。わかっている。

奪うことはいつか奪われること。わかっている。

でも、この戦いに勝者はいるのか? これでは同じ事の繰り返しではないのか。


灯火には確信が持てなかった。遠い異国の地で迷い、後悔して、やり直した結果がこの景色なのか? なあ、"お前様"よ。


「逃げる者は追うな! 命乞いをしたものは赦せ!」

 懸命に声をかけてまわる。しかし積念の恨みと恐怖の掛け合いを前に虚しく響くだけだ。


「ひぃ・・! お助けください!」


 越州の武者が地べたにひれ伏している光景が目に入る。見れば晴が剣戟を制していた。

「貴様、この期におよんで死を恐れるなんて恥ずかしくないのか?」

「晴!やめよ、捨て置け!」

 駆け寄り、腕を挟む。

灯火ほのか、ここで逃がせばまた敵となって立ちはだかるぞ。そこを退け」

「退かぬ。無用な殺しは恨みを買うだけだ。この地とて洲羽の端。ヤサカ様もそのような行いを断じて許されぬ」

「・・・好きにしろ」 

 晴はわかってくれた。安堵したそのとき、背後からカチャりと音がした。振り返るその瞬間、視界の隅より白銀の刃が灯火の横腹に食らいつく。胴当ての紐が切れ、衣がはじけ飛ぶ。

「はは!隙ありぃぃ!!」

 刀を抜いた敵兵は、横に飛ばされた灯火に向けて再び刃を突き出す。研ぎ澄まされた鋭利な先端を目の前に、灯火の身体は凍り付いた。


身動きひとつできない無限とも思える一瞬の間に刃は心の臓を目がけて一直線に迫ってくる。最早、これまで。


主様ぬしさま!」


耳に届いた瞬きの間に刃はわずかに逸れ灯火の左肩を貫いた。その衝撃で灯火の身体は地を離れ背後の崖へ滑り落ちていった。


灰色の空を見たのは一瞬だった。

眼下に川面かわもが迫り、次の瞬間には視界が泡で埋め尽くされた。痛みを伴うような冷たい水が手足の自由を奪う。上も下もわからないままに灯火の視界は暗闇に沈んでいった。


最期にみた兄の顔が、情けないくらいに歪んでいた。

兄者、すまぬ。情けない弟で。・・・後は、頼んだ。


主様ぬしさま!)


薄れゆく意識の端で小夜こやの声だけが最後まで響いていた。

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