第17話
山々の峰がうっすらと輪郭を現した。白く静謐なその佇まいは強く、そして美しかった。静まりかえった
遠くより雪塵を巻き上げ近づいてきた伝令役から"越州国、武士八百を率いて出陣"の報せを受け取ると、
「皆の者よく聞け!機は満ちた。これより出陣する!」
長かった。
灯火もそう思った。
越州の急襲を受けてからもうすぐ一年になろうとしていた。
「いよいよだな灯火」
百姓の子、
「まさかおらっちが戦に出ることになるたあな。だが、鍛錬もしたしこれでやっとおっかあの
「俺たちの力作も日の目を見るって事だよな、灯火」
大工の子、
「弥八、いろいろ頼んでしまってすまなかったな」
「なーに気にすんな。最初はびっくらこいちまったが、聞けば聞くほど俺たち職人じゃないと作れねえもんばっかりだったし、楽しかったよ。それも今日までだ。これで越州のやつらをぶっとばせるんだろ?」
はにかんだ笑顔は幼いときのままだ。灯火は頷く。「行こう」と声を掛けて前の隊列に続く。下社近くで見送る人々の中に
「灯火、どうか無事で帰りなさい。私はもう反対しません。代わりにこれを。ヤサカ様が守ってくださいます」
下社のご神木に祀られた御守り、
「戻ります。必ず」
行く先には母のきぬが、義姉のたつが目に入った。ふたりとも祈るように手を合わせている。別れは家で済ませてきたはずなのに後ろ髪を引かれるようにしばらく背中に気配を感じた。必ず、守ってみせまする。
※
「影英様、
「やっと来たか!しかし数が多いな。噂では市井の者を集めていたというが本当か」
「は。甲冑もなく獣の
「気でも触れたか。いや狂信というやつかもしれん」
間諜より"洲羽が本格的な戦支度をはじめた。出陣が近い"との報せが入り、兄の影成がようやく兵を伴って一条を出たのが三日前。早ければ明後日にでもこちらに合流できるはず。機が合えば洲羽勢を挟撃できるかもしれない。
「こちらはしばらく城に籠もっているだけでよい。この山城は山肌と川に囲まれた天然の要害。向こうの戦意を削り取らせてもらおう。兄が合流次第我らも打って出る。守備隊に準備を急がせろ」
「左様で」
いつもは不遜な態度をとる
翌日、待ち構えていた城の正面にはまだ洲羽の姿はない。
「遅い。洲羽の動向を
「遠見では、渋依川を超え山城より
「ずいぶんと手前だな。城の正面は隘路になっているから密集して大きな損害を出すのを怖がっているのだろう。しょせんは寄せ集めの集団。恐るるに足らず」
そのまた翌日、影英は業を煮やしていた。
「まだ向かって来ぬのか洲羽勢は。これでは兄上が到着した後、手柄を全て持って行かれるぞ」
「はあそれが、洲羽のやつらは火を焚き酒宴を開いているようだとのことで」
「なんだと・・!? 我らが城から出ぬと踏んで馬鹿にしおって」
「影英様にお伝え申します!!」
伝令役が息も絶え絶えになだれ込んでくる。
「今度はどうした」
「
「なにがあった!まさか別の場所で戦端が開かれたか!?」
「恐れながら、影成様は
思考が固まる。安全な
「おのれええ影成!
「どういうことでしょうか」
「この山城、この影英を囮にして洲羽を単独で攻め落とすつもりだ!一度ならず二度までも。どこまでコケにするつもりなのだ」
アーハッハッハ
それまで影を潜めていた
「まんまと出し抜かれましたな、影英様」
「貉!貴様知っておったな!」
「まさか。ご冗談を」
影英は怒りの形相で貉に近づき襟元を掴み上げる。
「ここに籠もっていては出遅れる。今すぐ出陣するぞ!! 貴様には先陣を切ってもらうからな!」
「・・ご命令の、通りに」
※
「
下社連中が太鼓に合わせて奉納演舞を踊る様子を横目で睨みながら、
「そういってくれるな。これも作戦のうちだよ」
「こうしている内にも越州国の大軍が到着してしまいます。みすみす首を逃すおつもりですか」
「それについては俺も賛成だな」
晴が横から割って入る。
「作戦はわかるが今すぐ突撃して山城を攻め落とせばいいんじゃないか?数はまだこっちのほうが多いんだし、城攻めの準備もしてきたんだろう?」
「それだと、多くの民が命を落とすことになる、確実に。ふたりとも、もう少し我慢してくれまいか。もうじきあちら方が山城を出て攻めてくるから」
「ああん?城からわざわざ出てくるわけないだろ」
しばらくして洲羽方面から早駆けの伝令が到着すると、灯火は待ってましたとばかりに総大将である
「兄上、手はず通りに」
「あいわかった。灯火、無茶をするでないぞ」
「兄上も、ご無事で」
言い切らぬうちに、今度は山城を見張っていた物見から「
( ほら、言ったでしょう? )灯火が目配せをすると、晴が
( 信じられん )と同じく目で応えた。
納得いっていない小夜の気配を感じながら、灯火は精一杯に声を張り上げる。
「山城攻略隊、
※
「前方、洲羽勢が前進してきます」
「ようやく戦う気になったか。背後を突かれるとも知らずに。揺さぶりをかけてくる。横陣で備え!」
山城を出て小谷に差し掛かった
「音にこそ聞け、近くば寄って目にも見よ!我こそは
「我は洲羽領筆頭武士、佐補家が次男、
物別れに至った両者口上の後、両陣営から放たれた無数の矢は、灰色の空に同化しながら鋭く地面を穿つ。今、戦いの火蓋が切って落とされた。
(( 全軍前進! ))
山城守備隊の放った矢を木製の盾で防ぎながら、洲羽勢は少しずつ前進していた。
しかし徐々に勢いを失い、終いには谷間を後退しはじめる。
「矢合わせは押していますな。洲羽の方が数で勝るとは言え烏合の衆。勝ち戦ですぞ」
貉の言に「言われずとも」と反応しつつ、影英は妙な違和感を拭えなかった。名乗りを上げたのは名も知らぬ武士。領主はどうしたのだ? しかも、過去に急襲を受けたことのある彼らがこちらの言に動揺一つ見せなかったのも気にかかった。しかし深く考える間もなく続けざまに吉報が届く。
「敵の陣形崩れました。敗走しています」
「騎馬突撃! 我に続け!」
戦の趨勢を決める好機とばかりに五十騎を超える駿馬が坂を下る。越州国最大の武器とも言える高い機動性をもって影英は洲羽勢に迫った。そのとき、
ドン
という衝撃とともに猛烈な熱を感じた。見れば左脇腹に一本の矢が刺さっている。
やられた! だがなぜだ。矢は敵軍のいるはずの無い山肌より飛来した。
異変を感じた愛馬が徐々に速度を緩め集団を外れる。
「影英様が負傷されたぞ!後方へお連れしろ!」
「影英様、傷は浅うございます。ですがいったん城へお引きください。手当をさせます」
「貉、山側に伏兵がいる。掃討しろ」
そう答えながら力一杯に矢を引き抜く。出血はさほどでもないが気分が悪い。ままならぬものだ。鎧を
「私はいったん引く。貴様が指揮をとって追撃せよ」
「はっ!」
命を受けた貉の口元がニヤリと歪んだ気がした。
※
時は半刻ほど遡る。
山城へ登る道は細い谷となっており、その道幅は大人が十人横に並べるかどうかという狭さだった。すぐ脇には深い崖。底には川が流れ、落ちてしまえば自力で這い上がることはできない。
ただ、灯火は太鼓の調子を変える。それを察した先頭集団が最前列を入れ替えながら徐々に後退する「反転後退」。この動きを繰り返し練習してきた。敵正面から見ると怖じ気づいて総崩れになっているように見えるのだ。
つられて突撃してきた敵軍の馬を長槍で突き、馬から武士を引きずり下ろす。深追いせずその動きを徹底するように言い含めてある。
「一斉に逃げろ!!」
弓矢の射程外に達したのを見計らって号令を掛ける。と、全員が背を見せながら敗走をはじめる。それをみた敵軍の騎馬部隊がここぞとばかりに突進してきた。
あわやもう少しで背中を取られるというところまで敵の馬が差し掛かったその瞬間、最高速に達した馬たちは次々に前のめりに転倒し、乗っていた武士たちは放り出された。見れば馬の足には雪で隠された
「敵将を探せ! 俺が相手をする!」
晴が気を吐いたかと思うと
「
「抜かせ!」
上手く事が運んだ。はずだった。故に敵兵は目の前で次々と斃れていく。白い地面を赤く染め、命を散らしていく。すべて灯火が考え、準備してきた結果だった。それなのに灯火の意識は赤く染まっていた。
俺が殺した。俺のせいだ。
越州国は汚い。わかっている。
洲羽を守るため。わかっている。
奪うことはいつか奪われること。わかっている。
でも、この戦いに勝者はいるのか? これでは同じ事の繰り返しではないのか。
灯火には確信が持てなかった。遠い異国の地で迷い、後悔して、やり直した結果がこの景色なのか? なあ、"お前様"よ。
「逃げる者は追うな! 命乞いをしたものは赦せ!」
懸命に声をかけてまわる。しかし積念の恨みと恐怖の掛け合いを前に虚しく響くだけだ。
「ひぃ・・! お助けください!」
越州の武者が地べたにひれ伏している光景が目に入る。見れば晴が剣戟を制していた。
「貴様、この期におよんで死を恐れるなんて恥ずかしくないのか?」
「晴!やめよ、捨て置け!」
駆け寄り、腕を挟む。
「
「退かぬ。無用な殺しは恨みを買うだけだ。この地とて洲羽の端。ヤサカ様もそのような行いを断じて許されぬ」
「・・・好きにしろ」
晴はわかってくれた。安堵したそのとき、背後からカチャりと音がした。振り返るその瞬間、視界の隅より白銀の刃が灯火の横腹に食らいつく。胴当ての紐が切れ、衣がはじけ飛ぶ。
「はは!隙ありぃぃ!!」
刀を抜いた敵兵は、横に飛ばされた灯火に向けて再び刃を突き出す。研ぎ澄まされた鋭利な先端を目の前に、灯火の身体は凍り付いた。
身動きひとつできない無限とも思える一瞬の間に刃は心の臓を目がけて一直線に迫ってくる。最早、これまで。
「
耳に届いた瞬きの間に刃はわずかに逸れ灯火の左肩を貫いた。その衝撃で灯火の身体は地を離れ背後の崖へ滑り落ちていった。
灰色の空を見たのは一瞬だった。
眼下に
最期にみた兄の顔が、情けないくらいに歪んでいた。
兄者、すまぬ。情けない弟で。・・・後は、頼んだ。
(
薄れゆく意識の端で
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