第16話

無数の枯れ枝を晒す下社しもしゃの境内に、白い筋が真っ直ぐに空に昇っていく。氏子うじこの亡骸を一カ所に集めて火に掛ける側で、神主の守矢真静もりやましずと巫女姿の初瀬はつせ姫は一心に祈りを捧げていた。

 集まった故人の家族は、目を腫らして呆然と白い煙の先を見守っている。その瞳には憎しみよりもずっと深い絶望の色に包まれていた。

 集団の中には佐補家の面々もあった。このときばかりはお役目を抜けてきた長男の佳直よしなおをはじめ、きぬ、せい灯火ほのか、負傷した手が痛々しいたつの姿もある。


「せめて旦那様だけでも土に還して差し上げたかった・・」

「お義母上ははうえ、"けがれを広めないため" 真静ましず様も苦しい決断をされたのです」

 と、佳直が諫める。

「わかっていますとも。ただ、あんなお姿になっても勇ましく武士として戦い、たつさんを救ったのですよ? 悔しいではないですか」

「わ、私のことはいいのです。それに、父上は決して特別な扱いを望まなれないでしょう。ご立派な、最期でした」

 と、涙ながらにたつが慰める。


周囲に分け隔てなく心を砕き、自分にも目を掛けてくれていた佳政よしまさ。そう遠くない思い出を頭に浮かべては、灯火は無力感に捕らわれていた。


結局、なにもできなかった。


父と死別するのはこれで2人目だ。対して晴は自分への怒りに捕らわれているように見えた。


「くっそ! あの場でもっと多く越州のやつらを切り伏せたかった」

「晴はひとりで初瀬様をお連れしていたのだから致し方なかろう。作戦を考えた灯火ともども、ようやった」

 佳直が声をかけてくれる。あの場には小夜も同行していたが "夜目が利く"という理由で一緒について行っただけ、ということになっていた。小夜に殿しんがりを任せたことを言うわけにもいかず晴は悔しくてたまらない様子だった。


三日間に渡る火葬を終えた後、下社の男衆は次々と上社に向かって歩いて行った。



死者、三百四十人余。

けが人、六百九十人(行方知れず十八人)。

家屋の倒壊・焼失、二十六棟。


被害が明らかになるにつれて領主の心は削り取られていった。四年前の"渋依川の戦い"で命を落としたのは武士ばかりだった。しかし、此度のそれは何の罪も無い民草ばかりだ。洲羽に住まう民の一割に相当する人々が越州国の強襲により命を奪われたり怪我を負わされたことになる。

 上社を仮の拠点とし住まいを移した領主は、参集した上社・下社の男達に次々と指示を出していた。敵の残党は無いか。火災の延焼はないか。井戸水は飲めるか。夜盗、郎党の動きは無いか。状況を嘆き悲しむ暇もなく、まず民が生きることを最優先にしているようでもあった。「儂が甘かった」と、ようやく自戒の念をこぼすことができたのは襲撃から七日後のことである。


「皆の者、聞いてくれ」

「は」

「正義なく我が洲羽領に進出し、暴虐の限りを尽くした越州国をもはや許しておくことはできぬ。佐補佳直さふよしなお、そなたを侍所さむらいところ総大将とし命ずる。越州の山城やましろを攻め落とし、三条影成さんじょうかげなり影英かげひでの首を獲って参れ」

「は。この佳直、命に代えましても」

「して・・、」

「はい」

「儂は荒事に疎いから尋ねるのだが、勝算はいかほどか」

「恐れながら申し上げます。拙者の命程度では万に一つも勝つ見込みはございませぬ」

「やはりそう思うか」

「一度手を出した以上、越州国は何か理由を付けて洲羽の再攻略を試みるでしょう。そのときは徹底的に。紀野国に攻め入ったときほどでは無いにせよ、七、八百人近い兵を集めてきても不思議ではありませぬ。準備に時間がかかったとしても、猶予はおよそ半年から一年」

「対して我が方は上社、下社の武士を集めても、もはや二百に届かぬ、か」

「は。まして城攻めともなれば少なくとも兵数で上回らねば勝機はないものと」

「・・・それでは、座して死を待つしか。いや、なんとかならぬのか」

「・・・」

「そうだ、灯志楼とうしろう。いや、灯火ほのかはおるか」

「は。こちらに」

「そなたならばどうする。妙案で初瀬を救ってくれたではないか。なにか此度も良い案は持たぬか」


 灯火はしばらく思案した。このまま戦を回避する手立てが無いわけでも無かった。しかし、土地を奪われ、家族を奪われ、後に全てを奪われるとわかっていて、それでもただ「生きてさえすればいい」と誰が言えるだろうか。ただ死んでいないというだけで、その魂を誰が救えるというのか。が灯火の前世だったとして、やり直しのために、宿業を果たすために今ここにいるのだとしたら・・。


「恐れながら、兵力差を大きくくつがえすほどの奇計は城攻めには通じません」

「そうか・・」

「ただ、兵を増やすことはできます」

「ん??」


「民草を兵にするのです」


 その場にいた武士全員の目が灯火に注がれる。


「なにを言うか佐補の三男坊! 貴様なら知っておろう、我らがどれほどの研鑽を詰んで武士の役目を果たしておるのか」

「そうじゃそうじゃ! くわしか持ったことの無い農民に刀を持てというのか。馬鹿馬鹿しいにもほどがあろう」

「そんな話、全国を旅した者からも聞いたことがないわ!」


 武士達の言い分は至極もっともだった。側付きや荷駄としてあるじについていく家人を除けば、この世の中で戦をするのは武士の身分のみと決まっている。


 そう。この世の中では、だ。


「まあ、まてまて。説明はそれだけではないのだろう、灯火?」

「はい。確かに、弓を射て、槍を突き、刀を振るう。阿修羅のごとき武者を一年で育てることはできません。しかし、戦はひとりでするものでもありません。まして城攻めともなれば」

「なにがいいたいのだ」

 荒れた場の中で、晴だけがじっと灯火を見つめていた。灯火はその視線に合わせて頷いて見せた。


「役割を分担し、それを束ねるのです」

「なに??」


とくとくと策を語りはじめる灯火。


 いやしかし、

         そんなことが?

  ひょっとして・・

       いやいやそんな

    もしかすると。


めまぐるしく変わる表情達は困惑を現しつつも、その目線は徐々に定まっていく。


「灯火、若いお前がなぜそんなことを知っているのだ?」

「それは・・・土蔵で読んだ書物に書いてありました、たしか」

「ということは源平の頃か。失われた兵法があっても不思議ではないが・・」

「佐補殿の収集癖を皆で笑っておったものだが、役に立つこともあるのだな」


「灯火!あいわかった。儂はそちに"使い番"の役を与える。己が言葉を領主の言葉として伝え、皆を動かすがいい。佳直もそれでよいな」

「はっ! ありがたき幸せにござりまする」


「しかし灯火よ。そうやって民草を訓練出来たとして、糧秣はどうする。皆が懸命に働いてくれていたからこそ糊口をしのいでこれたのだぞ」

「田畑や漁の傍らに戦の準備、鍛錬をしますが、やはり例年よりは量が足りなくなるでしょう。それに、いくさ支度ともなれば鉄やその他の資材も不足するのは必然」

「であれば、どうする」

「実は、不足する物資を集めるお役目は領主様にしかできないのでございます」

「んん??」


目を丸くした領主、洲羽治頼すわはるよりは事の次第を灯火から聞くと苦笑いを浮かべながら渋々承諾したのだった。


「我ら年寄りの余生を使って、思うがままにやってみせよ」





越州の急襲を退けてから四ヶ月、街の復興を急いだ洲羽は慌ただしい春を迎えた。小夜こやはまだ、佐補さふ家の奉公を続けていた。とは言っても佳政よしまさ様を亡くした今、女衆の仕事は落ち着きを取り戻し、小夜の役目は専ら掃除ばかりとなっている。

暇に飽かしていた小夜に領主より"物見番ものみばん"のお役目が言い渡された。山歩きに精通し夜目が効くということで佳直よしなお様の推薦があったようだ。物見番のかしら灯火ほのかが兼任していたから、男装をして共に行動する時間もずいぶんと増えていた。


主様ぬしさま、今日はどこにいくのだ?」

「漁師達にも協力してもらおうと思って。船着き場へ行こう」


いくさの準備を任されたというから、慣れない民の鍛錬ばかりを行うのかと思っていたが灯火はそうしなかった。かわりに街の方々に顔を出して変なお願いばかりを繰り返している。


先日なんて、武家をまわって女将おかみ連中に「余っている着物やおびがあったらもらえませんか」と声をかけて、「なにに使うんです?」と問われると苦笑いをしながら「これで敵方の馬を止めます」などと言っておった。まさか長帯を馬の足を掛けて転ばせるのかと思えば、「そんなことしたら止める前に蹴り殺されてしまう」と笑いながら。


その前なんて、田を耕している農家を尋ねて「田植えが終わったら馬を買い取る」などと言う。「若いの、この馬は足腰は強いがのろまな駄馬。騎馬戦なんざできやしねえぜ」と言われれば、また苦笑いをして「人は乗せないのですよ」と。皆は狐につままれた様子で、それでも領主様の願いだからと手を貸してくれる。


今だって目の前で。


「この壊れた一人用の船も使えるんか?」

「使えますね」

「山城へ攻めにいくのだろう?船なんかどうするんだ」

「真っ二つにして担いでいきます」

「?? この破れた網も?」

「使えますね」

「直さなくていいのか?」

「魚より大きな獲物を捕るのでこのままで平気ですよ」

「はあ」

「それとお願いした通り、これから毎日"水切り"の練習をしてくださいね」

「水切ってえと、平たい石を水面に投げる、あの遊びのことだろ?」

「もちろん。他にはないですよ」

 などと言って、相手をあんぐりさせている。


「主様よ。お前様 本当は何も考えていないのではないか?」

 帰り道、小夜は我慢ができずにそう尋ねた。


「うん、まあそう言われては返す言葉がないんだが。そのうちおいおい話すよ。皆に全容を語っていたら敵方に知れることもあるだろうし」


領主の命として伝えている以上は誰も断ったりしないが、本当に大丈夫なんだろうかこの。何もかもを胸の内に潜ませて、全部自分で成し遂げようとする大胆さは稚拙さにも見えて心配になってしまう。ただ他方で、年齢にそぐわない落ち着いた瞳はいつもどこか遠くを見ているようで、小夜はその先を一緒に見てみたい、とも思うのだ。それに、このぼんやり者の策が必要とならないように、私が早く敵将の首をとればいいだけだしな。


憎き、里の敵である "三条影成さんじょうかげなり" 家々を焼き、家族を殺し、おさを目の前で馬裂きにした。もうひとりの影英かげひでは、なぜか瀕死の私を捨て置き、見逃した。思い出すと今でも言いようのない苦悶に捕らわれてしまう。


決着はこの手でつける。必ず。小夜は灯火の背中を追いながら何度目かの決心をした。



山間、新緑の道をせいは歩く。樂心和尚がくしんわじょうに稽古を着けてもらってから、帰りにこの道を通るのが日課になっていた。途中からぱらぱらと降ってきた雨に道程を急ぐ。森が開けると山の傾斜に沿って四つの登り窯が連なり、てっぺんに東屋が立っていた。付近には焚き木にするのであろう大量の木材が積み上がっている。


「どうだ? 首尾のほうは」


晴が尋ねても、大柄の青年"子丸十郎こまるじゅうろう"は振り返りもせず手を動かし続けている。


「なんとか、な。しっかし洲羽の民が身につける大量の武具を打てと言われたときは本当に驚いたぜ」


十郎はかつて上社かみしゃの武士として晴たちと鍛錬を重ねた仲だったが、今は領主の命で家業の鍛冶師に専念し、武具の制作に当たっていた。


「灯火の無茶振りは方々で評判が悪いんだ。苦労かけるな」

「なに、最初こそ面食らったが、今じゃ奴のことを信用してるぜ。これを見ろ」


十郎は二振ふたふりの短い剣を晴の前に並べた。ちょうど肘から指先くらいの長さの剣で、武士の扱う片刀と違い両側に刃が付いている。鍔は大きく、柄には手に引っかける頭が付いている。


「上社で奉っているご神体に似てるな」

「素人が扱うにはこっちの方がいいんだとよ。確かに長い刃先を振り回すには技術や腕力がいる。それに混戦になったら刃がどっち側に付いているかなんてわからなくなるしな。ただ、俺が驚いたのは姿形だけじゃねえんだ」


十郎は二振りの短剣を石の上に置いて、金槌で思い切り叩き込んだ。すると一方は乾いた音を立てて真っ二つに折れ、もう一方は多少曲がりながらもその姿を維持している。


「おお。」

「貴重な砂鉄を節約して武器を多く作るために、通常の刀を打つときよりも木炭を多めに入れてみた。割れた方がそれ。これじゃあ使い物にならんと頭を抱えていたところを、灯火の野郎が "水ではなく熱した油で冷やすといいです" なんて言い出しやがった」

「熱した油で冷やす・・? 冷やすのに熱するのか??」

「俺だって知るか。そんなやり方、爺様の代から伝わる巻物にだって書いちゃいない。それでも半信半疑でやってみたのよ」

「それが、折れない方だっていうのか?」

 十郎は神妙に頷く。

「本人も理屈はわかっちゃいねえみたいだったが、倉にあった書物に書いてあったそうだから、その昔にそういう技術があったんだろ。しかしこれはすげえわざだ。鍛冶師の常識が、いや、戦の常識がひっくり返るかも知れねえぜ」


"書物に書いてあった" 灯火の、お決まりの言い訳に晴は苦笑した。確かに書物で得た知識も多少はあるだろうが、それだけではないということを彼と母のきぬだけは薄々勘付いているから。ただ、その灯火の機転のおかげで初瀬様をこの手でお救いすることができた。あとはこの身を一振りの刀に転じて戦うのみ。泣き虫で荒事あらごと嫌いの灯火が洲羽のために必死に為そうとしていることを、晴は全力で守ろうと心に誓った。





山城に再び秋が届いた。

唯一石で組まれた天守の二階、突き上げ戸の向こうから一筋の光が暗闇に差し込んでいる。


「遅い」


板の間に座した青年城主、三条影英さんじょうかげひでは配下の伝達役から越州本国の様子を聞き苛立ちを隠さなかった。


「あの兄はまだ一条を立っていないと申すか」

「は。影虎様から兵八百を預かり、戦支度を始めたのが夏のはじめのこと。それから一向に出立の気配がございません」

「遅きに失するとはこのこと。洲羽とてこの間にも力を蓄えよう」

「なーに、影英様。影成様は乾坤一擲の備えで、洲羽討伐に留まらず果ては甲威国まで攻め入るおつもりなのでしょう」

 控えていたむじなが長髭を整えながらそううそぶく。影英はまんじりと貉を睨みながら、かつて兄が洲羽より逃げ帰ってきたときのことを思い出していた。



「兄上、洲羽側の意思を無視し大義無く攻め入った落ち度、今度ばかりはご覚悟召されよ」

「何を言うか。我は洲羽の圧政に苦しむ民草からの嘆願を得てに向かったのだぞ?そして見事領主の館を焼き払ってきたのだ」

「詭弁をおっしゃる。このことが親父殿の耳に入れば、ただではすまないはず」

「影英、お前は親父殿のことを何もわかっておらぬな。見ておれ、いったん一条に戻り、今度は千の兵を得てこの地に舞い戻ろうぞ。そのとき、この山城の城主は誰になっているか見物だな」



強大な国を束ねる強大な国主にして父・影虎の出した答えはそのどちらでもなかった。影成の所業を不問として、さらに八百の兵を与えた。しかし、洲羽を防波堤として甲威国の北進を牽制けんせいする役目は、依然として影英に任せたままだ。影英はその真意が掴めずにいた。加えて、この城に居座り続ける貉の存在が目障りで仕方なかった。


「貉、そなたも一条に戻り、あるじの元で私欲を肥やしてもよいのだぞ」

「ご冗談を召されますな。拙者は影英様をそばでお支えするのみにござる」

 交わした視線の先に考えの読めない漆黒が覗く。


こうして影英率いる百名の山城常駐隊は大した戦果も、甲威国の情報もなく四度目の冬に向かおうとしていた。そのいただきからは秋のいわし雲が消え、霞とともに重たく低い雲が立ち込めるばかりだった。


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