第15話
昼も過ぎた頃。
「りっぱなお侍さん!笹餅はいらねえか?」
先頭を進む影成の馬に近づく
「ほう」
「うちのはうめえって評判なんだ。安くしとくぞ」
「それはいい」
「――あ。」
影成は馬上より手を伸ばし笹ごと手に取ると、そのまま口へ運ぶ。
「んーん。・・まあ、旨くはないが、腹が減っては戦ができぬというからな。どれ、褒美をやろう。受け取るがいい」
控えていた側付きから槍を受け取ると、躊躇することなくその矛先を童の腹に突き立てた。童は目を見開きながら仰向けに大地の一部になっていく。
「この影成に貫かれたのだ。末代まで誇ってよいぞ」
「ハハ!ちげぇねえ!若様は何れ天下一になるお人よ!」
それを見ていた周辺の住人はようやく事態を飲み込み、恐怖の声を上げながら逃げはじめた。その無防備な背中に、越州の兵が放った矢が次々と撃ち込まれる。
「あたりー!」
「皆の者!どれだけ人を狩れるか競争だ。ただし火は使うなよ! 接収した後、俺の国にするのだからな」
間もなくして
「お
話を聞いたきぬは当惑しつつ家人に指示を出す。
「
「・・はい、奥様。そのように」
そういうと、小夜は疾風のように駆け出していく。
「たつさん、あなたは先に下社に行って、逃げてきた人々を、
「ですが、動けない父上を放ってはいけません」
「旦那様には私が付いています。近所の武家をまわって下社まで担いでくれる人を呼んできます。あなたはちゃんと下社に行くのですよ」
そういうと、きぬは草履もちゃんと履かないままに
たつは、いつもは怖いほど冷静な義理の母が、平静を装いながらも狼狽えていたのを感じた。誰かが助けに来てくれる、きぬはそう信じているようだったが、たつにはそうは思えなかった。陣触れが出ている以上、武士達や家人は敵の討伐に出てしまっている。仮に戦を後回しにして手伝ってくれる人が見つかったとしても、厳格な父がそれを善しとするとは到底思えなかった。
それから数刻後。洲羽領主の館では
「姫様! 大変にございます!越州が攻めてきたようでございます!」
耳を疑った。縁談を断りにいった父上はどうなったのか。まさか言い合いになり、そのまま斬り合いとなったのではないか。背筋が凍り付く。
「ここは危険にございます。
「な、何を言いますか。私はここで父上の帰還を待たねば。領主の館を敵方に明け渡すことなどできましょうか」
「そう申されましても、この館の背後は洲羽湖。
鬼気迫る下女の目線。落ち延び・・。その言いよう、まるで物語に出てくる
「できません」
「・・は?」
「民を捨て置いて、自分だけ逃げおおせることなどできるわけがありません」
「しかし・・」
「ごめんなさい。あなたたちだけでも、逃げて」
住み込みの下女も含め何人かは後ろ髪を引かれるように館を後にした。門番や館の警護をしていた者、駆けつけた数人の守護人だけが館に残った。ちらちらと粉雪が風に乗って頭上を流れていった。風に混じってきな臭い匂いが届く。じっとしていられず、初瀬は再び社に向き直った。
佐補家の櫓門が、けたたましい音と共に蹴破られた。もちろんきぬが帰ってきたわけではない。上半身だけ甲冑を付けた四人の男達が辺りを見回しながら敷地に入ってくる。越州の下級武士のようだった。
「こりゃあ名のある家だぜ、きっと」
「誰もいなさそうだな。めぼしい物が無いか漁っていくか」
「ははは。なぁんだおめえ。震えてるじゃねえか」
「女が槍を持ってどうする。あぶねえから下ろせ」
男の一人が槍を手で掴もうとしたそのときだった。一閃。鋭い刃先が煌めく。
「あぶね!」
男の頬をかすめ、赤い血が首へと垂れていく。
「てんめぇ!」
「馬鹿にしないでください! 下社筆頭武士、
「くそが!やっちまえ!」
激高した男達は槍の手元を斬り、たつを蹴り下ろす。そのまま取り囲み、羽交い締めにすると
「殺すなら殺せ! この外道め!」
「そのまま押さえてろ。大人しくさせてやる」
小刀を抜くと、押さえつけていたたつの白い手の平に勢いよく差し入れた。
ぎゃっ
手を貫通した小刀はそのまま縁の側面に打ち付けられている。
「あんまし痛めつけるのはやめろよ、股が小便臭くなるだろ」
「回せ。順番だ」
男達が乱暴に前合わせを解こうとしたとき、男の背後の
「さわがしいやつらだ」
虚空を見つめていたくぼんだ目は、眼下のたつを捕らえた。その瞬間、真っ白な襖に赤い花が咲いた。襖の前に立っていた男は自らの腹から突き出た刀身を眺めながら膝をおり、崩れた。
「このジジイ!やりやがったな!!」
残る三人が獲物を抜き、佳政に向き直る。佳政はだらりと下ろした手で刀を引きずっている。そして膝から転げるように縁から落ちると、その間にもうひとりの男が脇から血を流した。かばうように身体を折ると、今度は首から鮮血を吹き出している。
「あとふたり」
息を飲んだ男たちは佳政を取り囲んだ。
イェエエエアア!!
背後から斬りかかる。佳政はその大振りをふらりと躱すと、もう片手で小刀を抜き、相手の腹を突き刺した。のたうち回りながら振り回した男の刀は佳政の腕を切り裂きながら腰で止まった。こちらもまた致命傷に見えた。
「あと、ひとり」
ヒィッ
この世の者とは思えないその尋常ならざる雰囲気に気圧されたのか、最期のひとりは背を向け走り去ろうとする。だがその行き先に前のめりに倒れる。身体から首が失われ、自分の頭を抱きかかえるように地面に沈んだ。
「父上!!」
たつは動かなくなった男達の合間を縫って、今にも崩れんばかりの佳政に駆け寄った。
「父上!父上!!死なないでください」
「・・・さわがしい。聞こえておる」
たつの頬を撫でながら、佳政はゆっくりその場に崩れていった。白い着物が血に染まり、地面には黒い血だまりができている。粗い呼吸が段々と浅くなっていくのをたつは感じた。
「・・たつ、そこにいるのか」
「なんですか父上!たつはここにおりまする!」
「ハハ、お前また、行き遅れてしまったなあ」
たつの頬を撫でていた薄い手は、花弁が閉じるようにしぼみ、やがて地に落ちた。たつは喉が枯れんばかりに理不尽を呪った。そして涙が涸れんばかりに父の頬を濡らした。屋敷を囲む板塀に小さな太陽がかかり、滑るように落ちていった。
※
夕暮れが迫っていた。
細い道を進む馬たちの、吐く白い息が一列に線を描いている。気ばかりが急いて肩に力が入るが早く進むわけでもない。
森を抜けて一望できる場所までくると、遠く臨む洲羽湖の対岸にゆらゆらと小さな光が揺らいでいるのが見えた。火の手だ。
遅かったか。
なぜこんな目に遭わなくてはならないのだろう。
なにか悪いことをしただろうか。
気高く、穏やかに生きているだけの洲羽の民に。
なぜ。
灯火は初めて直面する戦にまず憤りを覚えた。と同時に、この場でのうのうとしている自分が申し訳なくてたまらなかった。なにか、なにかできることはないのか。
「
声のする方へ振り向くと、女物の小袖をたすき掛けに縛ってこちらに駆けてくる影を見つけた。
「・・
ここにいるはずの無い少女の名を呼ぶ。
「どうしてここへ?」
「越州の奴らが攻め入ってきた。私は母を下社へ連れて行っていた。社の守りは厚い。奥様達も旦那様を連れて後から下社へ向かうとおっしゃっていた」
「それで」
「越州の寝首をかいてやろうかと様子を窺ってきたんだ。でも奴らは領主様の屋敷の前に陣を敷いていて、忍び込めるような隙間がない。だから、なんとか主様に合流できてよかった」
「それは、まずいな」
灯火は瞬時にそう判断した。先の「
「
「灯火、領主様との話に割って入るでない」
「よい、申してみよ。」
「逃げてきた家人の言によれば、奴らはおよそ四十人。領主様の屋敷の前で陣を敷いているとのこと」
「なんと・・! はやく助けに行かねば初瀬が!」
「それが狙いかと。細道を大勢で駆けていっては弓矢でただ討ち果たされるだけです」
「・・しかし!」
まずは佳直が少数の武士を率いて斥候に出ることになった。傍らには晴の姿もある。どうしても行くとごねて付いてきたのだった。
走り続けて疲れ切っていた馬は街の外に置き、
湖の対岸。佳直は領主の元へと戻った。
「灯火の言う通りでした。街は荒らされ、館の前には弓持ちが待ち構えております。ここは慎重に策を――」
「何を言うのですか
その横で領主の
「館を焼き払う」
「は?」
「館が背後にあればこちらは弓を使うことができぬ。そなたらが気に病んでいるのはその一点だろう。上社から弓と火矢を持て」
「しかし、館の中には初瀬姫が!」
「かまわぬ!! このままみすみす討たれに行き、洲羽の民を守れなくなるくらいならばいっそ。初瀬もきっとわかってくれるだろう」
「いやしかし!」
「領主様」
静かに灯火が口をひらいた。
「拙者にひとつ考えがございます」
※
夜。日中の喧騒を闇の帳が静かに包んでいた。
「初瀬姫が山城に行かずこんなところにいるということは、
「父上は、そんな卑怯なことはいたしませぬ」
アッハハハハ
影成の笑い声が館の中に響く。
「これは傑作だ。天は
「そうはなりませぬ」
「ん?」
「この洲羽は太古より神々が治めし土地。これまでも幾度となく外敵を阻んで来ました」
「神たちが俺たちを殺しに来るとでも?笑わせるな。今このときも、お前を蹂躙しようとするときですら姿を見せんではないか」
「くっ――」
迫る影英に、初瀬は知らぬ間に後ずさりしていた。その小さな背中に襖が触れる。
グ ゴ ググゴ グ
そのとき、下っ腹を突き上げるような振動と音が辺りに響いた。
「――なんだ?これは」
「神渡りです」
「・・・」
「神が湖を渡り、あなたを殺しに来る音ですよ」
「戯れ言を。お前には少々教育が必要なようだな」
「若様!! 洲羽の野郎たちが徒党を組んで姿を現しました!」
土足で走り込んできた越州の兵が告げる。
「ようやく来たかあの腰抜けども!すり潰してやれ!俺もすぐに行く」
「父上たちが・・!?」
「初瀬、そこで大人しく待っているがいい。明日の朝には、お前の眼前に父の首を並べて見せよう。誰が天に選ばれたのかを教えてやる」
そう言い放つと影成は慌ただしく部屋を出て行った。
「そんな・・」
初瀬はズルズルと姿勢を崩した。膝を抱え襖にもたれかかり、周りの音を聞いた。遠くでは男達が戦う声が聞こえはじめる。室内は暗く目の届く範囲には家人たちの骸が横たわっていた。もう、終わりだ。初瀬は懐に隠し持っていた小刀を取り出す。襲われそうになったら突き立ててやろうと思っていたものだが、いっそこの手で自害を。
そう思ったとき、背後で人の気配がした。瞬時に身を固くする。
「初瀬姫、ですか?」
女の声だった。ただし姿は見えない。
「――だれ?」
「助けにきました。
開かれた縁側から見知った顔が覗く。その瞬間、初瀬の双眸からはぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
「晴さん! どうしてここに・・・」
「凍った湖を歩いて渡ってきました。さすがに馬は無理でしたが。立てますか」
抱きかかえられるように起こされた初瀬は、晴に顔を埋める。
「みんな・・・みんな死んでしまいました。わたしのせいです!わたしが館に残ると言ったから」
「それは違います!よくぞ、生きていてくれました。後は我らにお任せください」
「晴、誰か来るぞ。急げ」
「言われなくても!」
敵兵の気配を感じて影が動く。
「初瀬様、館にはじきに火矢が降ってきます。領主様の命で」
「なんと、 きゃっ」
初瀬は抱えられ、縁側から湖へ。背後では、迫る敵兵を影が俊敏な刀裁きで翻弄し凌いでいる。湖の真ん中まで歩いてきたとき、館にはいくつもの火柱が立ち、軋み、崩れる様子が見て取れた。
初瀬は住み慣れた館が赤い炎に包まれているのを呆然と見つめた。
手を引かれるままに進んだ暗闇の中で悪夢のような一日を終え、そして洲羽は仮初めの勝利を得た。多くの武士や民を理不尽に失い、少なくない家々が焼かれた。そうまでしても、ついに首謀者たる三条影成の亡骸は見つからなかったという。
洲羽の夜が明ける。
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