第15話

昼も過ぎた頃。

三条影成さんじょうかげなりの率いる五十騎の手勢は洲羽の街に悠々と入領した。脇に雪を残す大通りを三列で進む。その戦装束の騎馬や徒歩かちの姿はまるで凱旋するかのように堂々としている。事情のわからぬ民は手を止めて呆然とその一団を見ていた。


「りっぱなお侍さん!笹餅はいらねえか?」

 先頭を進む影成の馬に近づくわらべがいた。小さな飯屋を営む家の末っ子だった。


「ほう」

「うちのはうめえって評判なんだ。安くしとくぞ」

「それはいい」

「――あ。」

 影成は馬上より手を伸ばし笹ごと手に取ると、そのまま口へ運ぶ。

「んーん。・・まあ、旨くはないが、腹が減っては戦ができぬというからな。どれ、褒美をやろう。受け取るがいい」

 控えていた側付きから槍を受け取ると、躊躇することなくその矛先を童の腹に突き立てた。童は目を見開きながら仰向けに大地の一部になっていく。


「この影成に貫かれたのだ。末代まで誇ってよいぞ」

「ハハ!ちげぇねえ!若様は何れ天下一になるお人よ!」


それを見ていた周辺の住人はようやく事態を飲み込み、恐怖の声を上げながら逃げはじめた。その無防備な背中に、越州の兵が放った矢が次々と撃ち込まれる。


「あたりー!」

「皆の者!どれだけ人を狩れるか競争だ。ただし火は使うなよ! 接収した後、俺の国にするのだからな」



間もなくして佐補さふ邸では、下社しもしゃ武士から敵襲と陣触じんぶれを聞いた。

「お義母上ははうえ! 越州の輩が攻め入ったと。人々を殺してまわっていると。どうしましょう・・・兄上達は無事なのでしょうか」

 話を聞いたは当惑しつつ家人に指示を出す。

小夜こや、あなたはもうお帰りなさい。お母上を連れて下社に行くのです。"佐補の家の者"と言えば匿ってくれるはず。なに、あそこは石垣も高い。守護人も詰めています。そうそう手出しはできないでしょう。私たちも後から追いかけますから」

「・・はい、奥様。そのように」

 そういうと、小夜は疾風のように駆け出していく。

「たつさん、あなたは先に下社に行って、逃げてきた人々を、真静ましず様をお助けするのです。佐補の娘として」

「ですが、動けない父上を放ってはいけません」

「旦那様には私が付いています。近所の武家をまわって下社まで担いでくれる人を呼んできます。あなたはちゃんと下社に行くのですよ」

 そういうと、きぬは草履もちゃんと履かないままに櫓門やぐらもんを出て行った。

たつは、いつもは怖いほど冷静な義理の母が、平静を装いながらも狼狽えていたのを感じた。誰かが助けに来てくれる、きぬはそう信じているようだったが、たつにはそうは思えなかった。陣触れが出ている以上、武士達や家人は敵の討伐に出てしまっている。仮に戦を後回しにして手伝ってくれる人が見つかったとしても、厳格な父がそれを善しとするとは到底思えなかった。やしろに参じて武家の役割を全うしなければならないと思う反面、この家に父と義母だけを残していく不安。たつはその両天秤に引き裂かれていた。



それから数刻後。洲羽領主の館では治頼はるよりの長女、初瀬はつせが、庭にある小さなやしろに祈りを捧げているところだった。なにやらくりやのほうが騒がしいと見て、かじかんだ手を解き向き直る。ちょうど下女が駆けてくるのが見えた。その強ばった表情ただならぬ胸騒ぎがした。


「姫様! 大変にございます!越州が攻めてきたようでございます!」


耳を疑った。縁談を断りにいった父上はどうなったのか。まさか言い合いになり、そのまま斬り合いとなったのではないか。背筋が凍り付く。


「ここは危険にございます。守護人しゅごにんが迎えにきますので上社かみしゃにお逃げください」

「な、何を言いますか。私はここで父上の帰還を待たねば。領主の館を敵方に明け渡すことなどできましょうか」

「そう申されましても、この館の背後は洲羽湖。おもてを囲まれてしまったら逃げることなどできません。今のうちに、なんとか落ち延びくださいませ!」


鬼気迫る下女の目線。落ち延び・・。その言いよう、まるで物語に出てくるいくさではないか。いや、戦なのか。この洲羽の地が戦になる。私が嫁がなかったばかりに、無辜の民が犠牲になる。そんなこと・・。そんなことは。


「できません」


「・・は?」

「民を捨て置いて、自分だけ逃げおおせることなどできるわけがありません」

「しかし・・」

「ごめんなさい。あなたたちだけでも、逃げて」


住み込みの下女も含め何人かは後ろ髪を引かれるように館を後にした。門番や館の警護をしていた者、駆けつけた数人の守護人だけが館に残った。ちらちらと粉雪が風に乗って頭上を流れていった。風に混じってきな臭い匂いが届く。じっとしていられず、初瀬は再び社に向き直った。




佐補家の櫓門が、けたたましい音と共に蹴破られた。もちろんが帰ってきたわけではない。上半身だけ甲冑を付けた四人の男達が辺りを見回しながら敷地に入ってくる。越州の下級武士のようだった。


「こりゃあ名のある家だぜ、きっと」

「誰もいなさそうだな。めぼしい物が無いか漁っていくか」


うまやを過ぎ、中門を過ぎようとしたときだった。目の前に身体の大きさに似合わぬ槍を持った女が立っていた。それはこの家の長女、たつだった。


「ははは。なぁんだおめえ。震えてるじゃねえか」

「女が槍を持ってどうする。あぶねえから下ろせ」

 男の一人が槍を手で掴もうとしたそのときだった。一閃。鋭い刃先が煌めく。

「あぶね!」

 男の頬をかすめ、赤い血が首へと垂れていく。

「てんめぇ!」

「馬鹿にしないでください! 下社筆頭武士、佐補佳政さふよしまさが長女。越州国の盗賊風情を、この家には一歩たりとも上がらせはしません」

「くそが!やっちまえ!」

 激高した男達は槍の手元を斬り、たつを蹴り下ろす。そのまま取り囲み、羽交い締めにするとえんに続く小上がりに背を押し当てた。

「殺すなら殺せ! この外道め!」

「そのまま押さえてろ。大人しくさせてやる」

小刀を抜くと、押さえつけていたの白い手の平に勢いよく差し入れた。


 ぎゃっ


手を貫通した小刀はそのまま縁の側面に打ち付けられている。

「あんまし痛めつけるのはやめろよ、股が小便臭くなるだろ」

「回せ。順番だ」

 男達が乱暴に前合わせを解こうとしたとき、男の背後のふすまが音もなく開いた。暗闇から骸骨のようにくぼんだ目がぎょろりと覗いている。床に臥せているはずの佳政だった。寝間着なのか白い小袖を羽織っている。手は棒のように痩せ、大きかった背中も真っ直ぐにならにほどねじ曲がっている。

「さわがしいやつらだ」

 虚空を見つめていたくぼんだ目は、眼下のたつを捕らえた。その瞬間、真っ白な襖に赤い花が咲いた。襖の前に立っていた男は自らの腹から突き出た刀身を眺めながら膝をおり、崩れた。

「このジジイ!やりやがったな!!」

 残る三人が獲物を抜き、佳政に向き直る。佳政はだらりと下ろした手で刀を引きずっている。そして膝から転げるように縁から落ちると、その間にもうひとりの男が脇から血を流した。かばうように身体を折ると、今度は首から鮮血を吹き出している。


「あとふたり」


息を飲んだ男たちは佳政を取り囲んだ。


イェエエエアア!!


背後から斬りかかる。佳政はその大振りをふらりと躱すと、もう片手で小刀を抜き、相手の腹を突き刺した。のたうち回りながら振り回した男の刀は佳政の腕を切り裂きながら腰で止まった。こちらもまた致命傷に見えた。


「あと、ひとり」


 ヒィッ


この世の者とは思えないその尋常ならざる雰囲気に気圧されたのか、最期のひとりは背を向け走り去ろうとする。だがその行き先に前のめりに倒れる。身体から首が失われ、自分の頭を抱きかかえるように地面に沈んだ。


「父上!!」


たつは動かなくなった男達の合間を縫って、今にも崩れんばかりの佳政に駆け寄った。


「父上!父上!!死なないでください」

「・・・さわがしい。聞こえておる」

 たつの頬を撫でながら、佳政はゆっくりその場に崩れていった。白い着物が血に染まり、地面には黒い血だまりができている。粗い呼吸が段々と浅くなっていくのをたつは感じた。

「・・たつ、そこにいるのか」

「なんですか父上!たつはここにおりまする!」

「ハハ、お前また、行き遅れてしまったなあ」


たつの頬を撫でていた薄い手は、花弁が閉じるようにしぼみ、やがて地に落ちた。たつは喉が枯れんばかりに理不尽を呪った。そして涙が涸れんばかりに父の頬を濡らした。屋敷を囲む板塀に小さな太陽がかかり、滑るように落ちていった。





夕暮れが迫っていた。

細い道を進む馬たちの、吐く白い息が一列に線を描いている。気ばかりが急いて肩に力が入るが早く進むわけでもない。

森を抜けて一望できる場所までくると、遠く臨む洲羽湖の対岸にゆらゆらと小さな光が揺らいでいるのが見えた。火の手だ。


遅かったか。


灯火ほのかは心臓を直に握られるような不安に駆られた。同じ思いなのか、せいは今にも飛び出していきそうな形相で、必死に自分を抑えているようにも見えた。吹き付ける冷たい風も、足元を凍らせる底冷えの寒さもこのときばかりは一切が感じられなかった。一団は馬を止め街のほうを見ている。義兄あに佳直よしなおと領主は物見を出すかどうか相談しているようだった。


なぜこんな目に遭わなくてはならないのだろう。

なにか悪いことをしただろうか。

気高く、穏やかに生きているだけの洲羽の民に。


なぜ。


灯火は初めて直面する戦にまず憤りを覚えた。と同時に、この場でのうのうとしている自分が申し訳なくてたまらなかった。なにか、なにかできることはないのか。


主様ぬしさま!」


声のする方へ振り向くと、女物の小袖をたすき掛けに縛ってこちらに駆けてくる影を見つけた。

「・・小夜こや!」

 ここにいるはずの無い少女の名を呼ぶ。

「どうしてここへ?」

「越州の奴らが攻め入ってきた。私は母を下社へ連れて行っていた。社の守りは厚い。奥様達も旦那様を連れて後から下社へ向かうとおっしゃっていた」

「それで」

「越州の寝首をかいてやろうかと様子を窺ってきたんだ。でも奴らは領主様の屋敷の前に陣を敷いていて、忍び込めるような隙間がない。だから、なんとか主様に合流できてよかった」


「それは、まずいな」


灯火は瞬時にそう判断した。先の「渋依川しぶよりかわの戦」で上社が大敗を喫したように、洲羽の武士達には敵陣に攻めていく経験値が足りていない。しかも今は甲冑も着込んでいなければ武器も刀を差しているだけだ。そんな中、怒りにまかせて駆けていけば相手の思うつぼだ。ならばどうするか。自分なら、あの異国の武人ならばどうするか。躊躇している猶予などなかった。


義兄上あにうえ、進言申し上げます」

「灯火、領主様との話に割って入るでない」

「よい、申してみよ。」


「逃げてきた家人の言によれば、奴らはおよそ四十人。領主様の屋敷の前で陣を敷いているとのこと」

「なんと・・! はやく助けに行かねば初瀬が!」

「それが狙いかと。細道を大勢で駆けていっては弓矢でただ討ち果たされるだけです」

「・・しかし!」


まずは佳直が少数の武士を率いて斥候に出ることになった。傍らには晴の姿もある。どうしても行くとごねて付いてきたのだった。

走り続けて疲れ切っていた馬は街の外に置き、歩行かちで屋敷を目指す。敵方は分散しているのか誰にも出会わずに近づくことができた。領主の館の前を盗み見ると二十ほどの馬が寄せてあった。その手前には家屋から剥ぎ取ったのだろう材木や塀板がばらまかれており、容易には近づけなくなっている。その向こうには弓矢を持った武士達が雑談をしながら控えていた。佳直はその一角に目を留めた。木材にもたれかかるように女が仰向けになっている。はだけた肌に血が流れ、まるで捨てられた物のように放置されている。佳直は飛び出そうとするせいを必死に抱き止めると引き剥がすように現場を離れた。


湖の対岸。佳直は領主の元へと戻った。


「灯火の言う通りでした。街は荒らされ、館の前には弓持ちが待ち構えております。ここは慎重に策を――」

「何を言うのですか義兄上あにうえ! あの状況をご覧になったでしょう。今すぐ突貫して民を救うべきです!」


その横で領主の州羽治頼すわはるよりはじっと兄弟の会話を聞きながら思案していた。そして、耳を疑うような決断を下す。


「館を焼き払う」

「は?」

「館が背後にあればこちらは弓を使うことができぬ。そなたらが気に病んでいるのはその一点だろう。上社から弓と火矢を持て」

「しかし、館の中には初瀬姫が!」

「かまわぬ!! このままみすみす討たれに行き、洲羽の民を守れなくなるくらいならばいっそ。初瀬もきっとわかってくれるだろう」

「いやしかし!」


「領主様」


静かに灯火が口をひらいた。


「拙者にひとつ考えがございます」





夜。日中の喧騒を闇の帳が静かに包んでいた。

洲羽湖すわこに面する領主の館は守護人たちの血に染まっていた。最期まで抵抗し長時間持ちこたえていた下社の武士たちは矢も尽きついに討ち果たされてしまった。家の者は一カ所に集められ殺されるか、見つかり次第その場で殺されていた。暖を保つ者もいなくなり凍えるように冷え切った最奥の座敷。湖を望むその部屋に凜と佇む初瀬はつせと、立ちはだかる影成かげなりがいる。


「初瀬姫が山城に行かずこんなところにいるということは、影英かげひではそなたらにはかられたということになる。もはやこの世にはおらぬかもしれんな」

「父上は、そんな卑怯なことはいたしませぬ」


アッハハハハ


影成の笑い声が館の中に響く。


「これは傑作だ。天は影英かげひでではなく、俺を選んだ! この洲羽は俺の物だ。さすがの親父殿も止めはすまい」

「そうはなりませぬ」

「ん?」

「この洲羽は太古より神々が治めし土地。これまでも幾度となく外敵を阻んで来ました」

「神たちが俺たちを殺しに来るとでも?笑わせるな。今このときも、お前を蹂躙しようとするときですら姿を見せんではないか」

「くっ――」

迫る影英に、初瀬は知らぬ間に後ずさりしていた。その小さな背中に襖が触れる。


グ ゴ  ググゴ グ


そのとき、下っ腹を突き上げるような振動と音が辺りに響いた。


「――なんだ?これは」

「神渡りです」

「・・・」

「神が湖を渡り、あなたを殺しに来る音ですよ」

「戯れ言を。お前には少々教育が必要なようだな」


「若様!! 洲羽の野郎たちが徒党を組んで姿を現しました!」

 土足で走り込んできた越州の兵が告げる。


「ようやく来たかあの腰抜けども!すり潰してやれ!俺もすぐに行く」

「父上たちが・・!?」

「初瀬、そこで大人しく待っているがいい。明日の朝には、お前の眼前に父の首を並べて見せよう。誰が天に選ばれたのかを教えてやる」


そう言い放つと影成は慌ただしく部屋を出て行った。



「そんな・・」


初瀬はズルズルと姿勢を崩した。膝を抱え襖にもたれかかり、周りの音を聞いた。遠くでは男達が戦う声が聞こえはじめる。室内は暗く目の届く範囲には家人たちの骸が横たわっていた。もう、終わりだ。初瀬は懐に隠し持っていた小刀を取り出す。襲われそうになったら突き立ててやろうと思っていたものだが、いっそこの手で自害を。


そう思ったとき、背後で人の気配がした。瞬時に身を固くする。


「初瀬姫、ですか?」


女の声だった。ただし姿は見えない。


「――だれ?」

「助けにきました。せい、ここにいた」


開かれた縁側から見知った顔が覗く。その瞬間、初瀬の双眸からはぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「晴さん! どうしてここに・・・」

「凍った湖を歩いて渡ってきました。さすがに馬は無理でしたが。立てますか」


抱きかかえられるように起こされた初瀬は、晴に顔を埋める。


「みんな・・・みんな死んでしまいました。わたしのせいです!わたしが館に残ると言ったから」

「それは違います!よくぞ、生きていてくれました。後は我らにお任せください」


「晴、誰か来るぞ。急げ」

「言われなくても!」

敵兵の気配を感じて影が動く。


「初瀬様、館にはじきに火矢が降ってきます。領主様の命で」

「なんと、  きゃっ」


初瀬は抱えられ、縁側から湖へ。背後では、迫る敵兵を影が俊敏な刀裁きで翻弄し凌いでいる。湖の真ん中まで歩いてきたとき、館にはいくつもの火柱が立ち、軋み、崩れる様子が見て取れた。

初瀬は住み慣れた館が赤い炎に包まれているのを呆然と見つめた。


手を引かれるままに進んだ暗闇の中で悪夢のような一日を終え、そして洲羽は仮初めの勝利を得た。多くの武士や民を理不尽に失い、少なくない家々が焼かれた。そうまでしても、ついに首謀者たる三条影成の亡骸は見つからなかったという。


洲羽の夜が明ける。

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