第14話


秋の森は美しかった。

山深い道を数人の共が馬を引く。両脇に広がるくぬぎならといった木々が赤や黄に色づいている。馬が歩く度に落ち葉を踏みサクサクと小気味いい音を立てていた。小道を抜けると小さな湖に出た。波ひとつない水面みなもに緑、黄、赤。木々の葉が視界いっぱいに咲いている。


「ここで休憩するとしよう」


家人けにん床几しょうぎの支度をし、影英かげひでが腰掛けると目の前は静かな秋の気配だ。渡された竹筒に口を付けると澄んだ水が喉を潤した。この土地の秋は短いと聞いた。じきにここも雪で閉ざされてしまうだろう。


「影英様、さぞ退屈されておいででしょう。ここには一条いちじょうのような娯楽もありませぬゆえ」

「ふん、そうでもない。山城と言えど鍛錬は場所を選ばんし、このような美しい景色は一条でも拝めまい。そち、よくぞ案内してくれたな。礼を言う」

「恐れ多きこと。そのように楽しんでいただけるのでしたらむじな様もお連れすれば良かったですかなぁ」

「とんでもない。あやつは信用ならぬ」

「左様・・でございますか」

「ああ、兄の差配で力添えに来たことにはなっているが、なにか別の命を受けている風でもある。敵を寝返ったやつほど信用ならない者はない。敵の敵は味方とは限らん」

「ご兄弟同士で競わせる影虎かげとら様のお考えはたいへん恐ろしゅうございますな」

「減らず口はここだけにしておけよ。父上は国内の戦乱の中でお育ちになった。また国が荒れるのを恐れておいでだ。そのために強い、圧倒的に強い武士もののふが必要なのだ。そんな中、妾の子として生まれた私が、こうやって名を立てる機会をもらえただけありがたいと思わなければな」


影英は自分に言い聞かせるようにこぼした。そのときだった。来た道から複数の蹄の音がする。馬が駆けてくるその低い音は聞き間違いようが無い。


「俺の刀を持て!」

「ハッ!」


ここにいることは城の者しか知らない。であれば貉か。あるいは貉の放った子飼いか。事を荒立てたくはないが場合によっては甲冑のない状態で切り結ばなければならなくなるかもしれない。どうか勘違いであってくれよ。と、馬を木陰に寄せ配下に目配せする。予想外の事態に皆、目を白黒させている。


「影英ー!おるかー!?」


目に飛び込んできたのは、派手な模様の直垂ひたたれを着込み背には矢筒を携えた兄の影成かげなりだった。その後ろからは彼の手勢と思われる男達を引き連れている。


「兄上・・どうしてここに」

「一条からようやく山城に到着したと思ったら、お前はちょうど鷹狩りに出かけた所というではないか。慌てて追いかけてきたのだ。何を猟ったのだ?鹿か猪か?」

「いや、そうではなく。どうしてこちらに?」

「洲羽の姫をめとったと聞いてな。顔を拝みに来てやった」


面倒な事になった。冷たい汗が背を伝う。


「いえ、まだそのような報せは届いておりませぬが」

「なにぃ!? 何をまごまごやっているのだ影英。俺が行ってかっさらってきてやろうか」

「おやめください。洲羽から、自ら差し出させることが肝要なのです」

「そんなもの、どちらでもかまわんだろう。大義名分なら後でなんとでも作れる。女の決断を待っていたら冬を迎えてしまうぞ」

「・・・」

「そちは妾の子にしては奥手よの。母親から手練手管てれんてくだは教わらなかったのか?早々に洲羽を手中にし甲威国かいこくの北進に備えよ」

「兄上!此度こたびの件は父上からこの影英が直々に仰せつかったもの。手出し無用にて願いたい」


言い過ぎたか。冷たい目が合う。影成は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「我とて、そちの後見として父上から仰せつかっているのだ。邪魔立てはせぬ。せぬが、好きにはやらせてもらおう」

「・・・」

「さあ皆の者!今夜は山城で猪鍋ししなべだ!我より多く射とめたものには褒美をやろう」


男達は下卑げびた歓声を上げながら馬を駆る。遠ざかっていく喧騒を聞きながら影英は胸騒ぎを押さえられなかった。またよからぬ事にならなければいいが。鼻の奥にツンと焼けた人の匂いがしたような気がした。





荒廃した地に山々が連なり、遠く山脈の頂には白く雪が積もっていた。川沿いの隘路をマケドニア兵の行軍は続く。敵対する遊牧民族を討ち滅ぼすためアイハヌムの街を立って3日になる。隊列は斥候騎兵を先頭に、銀盾歩兵はわずかで、多くが投げ槍や短剣のみを備えた軽装歩兵だ。マケドニアの象徴とも言える重装騎兵はわずか80騎にも満たない。道行きの悪さから数が多く合っても強みを活かせないと判断したのだ。さらに荷益の多くを現地雇いのロバに頼っているため、その速度に歩調を合わせなければならなかった。


「こんなところを襲われたらひとたまりもなかろうな」


近くに控えていた百人長が独り言つ。無理はなかった。しかし、我々は行かねばならない。勝って王の信用を取り戻さなければ明日はないだろう。

幸い川の両脇に切り立った褐色の崖は敵が潜むような隙すら与えない。と思われていた。そんな昼過ぎ、小休憩をすませて動き始めた我々の耳に敵襲を知らせる叫び声が届いた。


私は隊列の後方にいたため前方の様子を確認することもできなかった。


「こんなに手前でか?急ぎ状況を知らせよ!」


言ってはみたものの、兵の隙間を縫って急行出来る者もいない。川の上流からはロバや糧秣に混じって兵士達の死骸も次々と流れてくる。全貌を得てはじめて、敵襲ではなく落石事故だとわかった。敵が石を落としたのだと主張する者もいたが真偽はわからないままだった。その翌日、山に登り始めたところでめずらしく雨が降った。崖から足を滑らせて馬や荷益が落ちた。私は仕方がなく騎兵にも馬を下りて徒歩で進むように指示した。なんの成果もなく損害を増す部隊の士気は一段と落ち、食料の配給を巡って仲違なかたがいを起こす者も現れた。


「フレイトス様、怪しげな子供がおりましたので捕らえてきました」


顔を真っ黒に日焼けした少年は後ろ手を縛られておりこちらを睨み付けている。私はカタコトで会話を試みる。すると警戒しながらもいくつか言葉を交わすことができた。


「ハハ。こいつはただの山羊飼いだ。兵士たちを恐れて山羊が何匹か逃げてしまったので抗議に来たのだ」

「こいつの言葉がわかるのですか?」

「少しな」


ミシャから教わった遊牧民の言葉がこんなところで役に立つとはな。帰ったら自慢してやる。


そう思った矢先だった。少年の背からズブリと太い短剣が腹を貫く。何が起きたのかわからないといった少年の顔はすぐに苦悶に歪み、嗚咽とともに真っ赤な血を吐いて伏した。


「何をする!どうして殺したのだ」

「山羊を失った腹いせに我々の情報を敵の部族に売るかもしれません」

「そんなことで・・」

「? 蛮族の命などなぜ惜しむことがありましょう。フレイトス様とて、その昔おっしゃっていたことではないですか」


私は瞠目した。そして気づいてしまった。いつのまにか私は変わってしまっていた。弱くなってしまった。周囲とは異質の存在になってしまった。人を殺す歯車として精巧に作られていた私は、今やギシギシと不快な音をたてて木くずをまき散らしている。


うまく考えもまとまらないまま、翌朝、我々は目的の谷へ近づいた。夜を徹して近づいたお陰で、谷に住む部族にはまだ気づかれていないようだった。私が機械的に指示をすると兵達がやれやれといった具合で楔陣形を作る。


「前進!」


7列で近づいていくと、間もなく谷の奥から警戒の鐘が鳴る。


「突撃!」


重装騎兵が埃を巻き上げながら敵にくさびを打つ。嬌声を上げながら散り散りになった敵の男達に投げ槍が降り注ぐ。抵抗勢力となっていた部族の最期はあっけないものだった。狭い谷で逃げ場を失った男達はろくに武器を振るう暇も無く、群がる兵達に飲まれていく。岩壁の側面には横穴が掘られていて、そこを住居代わりにしていたようだ。穴からは女達の悲鳴が聞こえ始めた。


「無抵抗の者を殺すな!捕虜にするのだ!」


制止する私の声も届かない。これまで不満や苛立ちを抱えきた兵士達は次々と穴ぐらに飛び込んでいく。


「早い者勝ちだ!」

「外れくじを引いてやったんだ!これぐらいのご褒美はないとな!」

「女は犯せ!子供は殺せ!」


やめろ・・・  やめてくれ


兵を束ねる百人長さえも、「我が王からは略奪を禁止されていない」と止めることもしない。私の目の前で、男達が焼かれていた。子供は親の前で串刺しになった。女達は手足を失い穢されていった。


う・・・う・・


  う・・・


誰のうめき声なのかはわからない。私の口から漏れ出ていたのかもしれない。そのうめき声すらも、ついには聞こえなくなった。


我々は、渇望していた勝利を得たのだ。


帰途、兵士達は隊列を乱し三々五々、戦利品を携えながら意気揚々と川沿いを進んでいた。浮足立った兵士達の背中を、その夜、巨大な鉄砲水が襲った。


「荷を捨てて崖によじ登れ!」


川の上流からあふれ出した大量の水。いち早く察知して崖を登った者以外は巨大な濁流に取り込まれて流れていった。一瞬の事だった。全体の何割が生き残ったのかもわからない。闇夜に松明の炎をかざし、声を掛け合い、助けられる者だけ助けた。

数日前の雨が土砂崩れを起こし、いくつかの支流をせき止めていたのを見ていた。それがなにかの拍子に解放され大きな流れになったのかもしれない。ただそんな理屈は抜きに、これは天罰なのだと思った。寒空の下、水に濡れた身体を引きずって進む。


寒い。

痛い。

ひもじい。

悲しい。


寂しい。


暗闇で仰ぎ見たそらに、柄杓ひしゃくのかたちを探す。今夜も変わらず同じ場所に強く光り続ける星はあった。


「ミシャ」


私は、その名を呼んだ。





時は無常にも流れた。

洲羽すわの地に短い秋が通り過ぎ、今年も厳しい冬がやってくる。雪こそ積もらないが底冷えの乾いた風は家々を揺らす。家族が身体を寄せ合って過ごしても毎年きまって何人かは餓死者や凍死者が出た。まして、領地を削られたここ数年は冬を越す食べ物に事欠くことが増えていた。


領主"洲羽治頼すわはるより"率いる武士の一団と、家人たちが担いだ輿こしが一列になって渋依川しぶよりかわを北に越える。その姿は皆、戦支度をしておらず、直垂ひたたれはかま姿に留まっている。

太い道から渋依川に連なる橋は越州との戦で焼け落ちてしまっていた。そのため一行は東の山沿い、小道へと迂回した。川幅が狭くなった場所にかかる小さな橋を渡るより他にない。少し積もった雪にも馬たちは嫌がらず進んでいく。そうやって半日ほど進み、ようやく渋依川以北の元領地"河田こうだ"に差し掛かった。


「これはなんと・・」


一行の目に飛び込んできたのは耕作されず荒れ果てた田畑だった。神の恵みを受けて稲を育み、人々の糊口を支えるはずだった貴重な田は、使われること無く放置されていた。無残にも名も無い草が繁り横たわっている。次に見えてきたのは取り壊された民家だった。


「木材として使ったのだろう。ひどいものだ」


通りがかった民家を見る度に皆が口を揃える。およそ人の住めなくなった領地を再確認するたびにふつふつと怒りが沸いてくる。ただ、領主はじめ武士達は決して戦いを仕掛けに来たわけでは無かった。


北の山沿い、河田の地を一望できる位置に山城が建っていた。手前には小川を利用した堀が、奥手には不揃いの石で垣を造られ、侵入を防ぐ柵が巡らされている。狩人からは聞いていたがこんな城を短期間で建ててしまうとは。一行は手前で陣を敷きゆっくりと輿こしを下ろした。


しばらくすると、十頭ばかりの馬が城の後方より駆けてくるのが見えた。馬には甲冑を着込んだ武者が跨がっている。


「洲羽が領主、洲羽治頼すわはるよりでござる! 越州国国主えっしゅうこくこくしゅ三条影虎さんじょうかげとら殿が四男、影英かげひで殿とお見受けした!」


「いかにも!我が三条影英である。わざわざ話し合いたいこととは如何なることか」

「そりゃあもう影英様、初瀬はつせ姫の輿入れに決まっているでしょうよ」

脇から口を挟んだのは越州側の武士だった。蓄えた長い髭を手で触りながら舌なめずりをしている。それを見た洲羽の武士たちは目を見開いた。


「貴様は・・!曽我鷹山そがようざん!死んだはずでは無かったのかこの裏切り者め!!」


上社かみしゃの武士たちが吠える。


「はて。そんな名は知りませんな。私はむじなと申す者」

無自名むじなとはよく言った。そこに直れ!切り捨てて名も無きむくろにしてやろうぞ!」

「待て!」


領主は必死に制止する。


「頼む、耐えてくれ。我々はいくさをしに来たのではないのだ」

「治頼様!!すべては此奴のせいなのですぞ!」

「ははは!傑作だ。ひとひとりの力でいくさなど起こせるものかよ。より大きな流れに乗るのは武士のさがでござろう・・どれ、おびえた姫の顔でも拝んでやろうか」


貉はゆっくりと輿こしに近づき、刀の鞘で御簾みすを跳ね上げた。貉は息を飲む。


「なんだこれは!ふざけているのか!」


輿に詰んであったのは米俵が一俵と魚の干物だった。貉が刀を抜こうとし、その場にいた全員が刀の鍔に手を掛けた。それを今度は影英が制止する。


「待て!」

「しかし・・!」

「治頼殿、これはどういうことか説明していただこうか」


参列に加わっていた武士のひとり、灯火の喉がゴクリと鳴った。



物語は半月前に遡る。


領主の館に呼び集められた武士達は領主から信じられない言を聞いた。


「我がひとり娘たる初瀬はつせ姫を、三条影英さんじょうかげひでに嫁がせることを決した」


開戦を信じていた武士達は騒然とし、目を見開き、今にも立ち上がらんばかりだ。それも無理は無い。今の洲羽領主には初瀬姫以外の子はいない。他家に嫁がせることはつまり洲羽家が断絶することを意味した。


  お待ちくだされ!


ふたりが同時に声を上げる。上社の神主である守屋頼彦もりやよるひこと、なんと下社の青年、せいであった。


治頼はるより様!大祝家おおほうりけが絶えればやしろはどうなりましょう!まして洲羽の地から洲羽家の人間が離れてしまうとあってはどんな災いが降り注ぐかわかりませんぞ!」


「しかし・・。そなたらも含め民の命には代えられぬ・・!」


「領主様!初瀬姫だって民の一人です。それに男子たるもの、たとえ敵わぬ相手であっても立ち向かわねばならない時があるのです! どうせ人生長く生きても五十年、夢や幻のようなもの。ならばせめて一太刀、真実の刃を残して死にとうございます!」


この若人の言葉に、その場にいた臣民すべてが奮い、頷いた。ひとり、またひとりとその場に立ち上がり、領主への請願が続いた。


「・・・わ、わかった。そなたらの気持ちはよくわかった。ならばせめて、山城に入ったという三条影英さんじょうかげひでと直に話しをさせてくれ」



そして今、白く薄化粧をした荒れ地の真ん中で、二つの陣営が向かい合っている。


影英かげひで殿、此度の縁談まことに心苦しいが断らせていただきたい。輿こしに詰んで参った米俵と贈答品はせめてもの償いの証でござる」


洲羽領主、治頼はるよりがそう告げると、影英はしばらく考え込んだ後、瞳を曇らせて言った。


「それが洲羽すわの、強いては信尾国しなのこくの返答ということでよいのだな?」

信濃国主しなのこくしゅは預かり知らぬ事。全てはこの洲羽治頼すわはるよりの一存にて」

「――残念だ。できるだけ穏便に済ませたかったのだが。であれば、すぐに引き返した方がいい」

「・・?」

「そなたらが川を渡った頃、早合点した兄上が手勢を率いて洲羽に向かっていった。"姫はお前にやるが街の方は俺の物だ"とな。我と違い、兄は何をするかわからぬお人ゆえ」

「なんだと!? 貴様ら、最初からそのつもりで・・許さぬ!」

「民草を放っておいてこのまま戦うつもりなら付き合うが?中途半端なことをすると何もかもを失うことになるぞ」

「・・・」

「恐れながら領主様、今すぐ引き返しましょう!姫が危ないかもしれませぬ」

下社の若者、灯火ほのかが進言すると、治頼はすぐさま全軍でとって返すことを決意した。残してきた武士は少なく、持ち応えられないかもしれないからだ。日は傾き始めていた。治頼は薄曇りの中、無理を通してして馬を早める。


「どうか間に合ってくれ。そうでないと私は何を守りたかったのか判らなくなるではないか!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る