第11話


せいさんから聞いたのだけど、恋煩こいわずらいなんですって?」


満を持したという雰囲気で義姉あねが聞いてきた。灯火ほのかとたつ、並んで歩いている二人の行く先には曲がりくねった道が続いている。両脇には見上げるほど立派な竹林が整列し、気持ちのいい風が吹くたびにさわさわと囁いている。辺りには、歩いている二人の他には誰もいない。


「そんなんじゃ、ないです」


思ったより歯切れの悪い音が出て、どうにも自信がないように聞こえた。かもしれない。


「そう?でも、ここ数日ずっと元気がないみたいだったから。ため息ばかりついていたし、そうなんだろう、って晴さんとふたりで」


灯火はもう一度、そういうのじゃ。と固持した。ただ、悩んでいないと言えば嘘になる。鼠小僧が盗みを再開させたからだ。守護人のひとりとして正しくあらねばと思う一方で、その意思に徹しきれない自分も同時に抱えていたから。どこまでが現実で、どこまでが幻なのか。自分は、誰なのか。


「私は素直に嬉しいけどな。あの泣いてばかりだった"ほのちゃん"がいつの間にか大きくなって、好いた人ができるなんて」

「・・・・」

「ねえ。せっかくここには私たちふたりしかいないのだから、このお義姉さんに相談してみたらいいのではないからしら」


しおらしい言葉とは裏腹にたつの瞳はらんらんと輝いており、興味本位で聞いてきているのは明白だった。兄の晴が詰所つめしょに出ていったから、たつはその代わりに灯火を伴ったのだと思っていたが、狙いは最初からこちらだったのかも知れない。


「そんなことより。我々はどこに向かっているのです?だいぶ山の方に来てしまいましたが。義姉上あねうえ穂高山ほだかやまに土地勘があるのでしょうか」

話しを逸らした灯火に、たつは口を尖らせながら。

「実を言うと私も来たことがないのです。だから心配で灯火さんに一緒に来てもらったということもあって。さっき麓で道を訪ねたからこっちで間違いないとは思うけど」



出立前、てっきり荷物持ちに付き合わされるのだと思い気軽に返事をしてしまった灯火だったが、支度を終えたたつはよそ行きの小袖に市女笠いちめがさを被っており、遠出をするのだと一目でわかった。出立してから一時いっときほど西に向かって歩いたからずいぶんと街の外れまで来てしまったことだろう。太陽はてっぺんに近づいている。

  上社の連中とは違い灯火たちは山中に狩りに入ることも少なかったから、ここが何処だか検討もつかなかった。延々とつづく坂道は周囲が小ぎれいに整えられており、ただの獣道や山道でないことはすぐにわかる。


「ああ、きっとあれね」


たつの指さす先に真新しい山門が見えてきた。門は開いており、ひと抱えもありそうな柱には『大臨寺たいりんじ』と名が刻んである。やしろにしか出入りしない灯火たちはどこか居心地の悪い思いで山門をくぐった。


視界に入ってきた寺院は小さな屋敷ほどの大きさで、社とは造りが違い裾広がりの佇まいを見せている。その開けた敷地の一角に一本の銀杏イチョウの木がそびえ立っていた。樹齢数十年と思われる立派な幹と枝振りは、空を覆うように緑の葉を伸ばしている。

 その大樹の陰で、ひとりの老僧が微動だにせず対峙していた。近づいてみると、それまで止まっているように見えたちいさな身体は、双眸を閉じたまま実にゆっくりと身体を動かし続けていることがわかった。その姿は今にも飛びかからんとする獣のようにも、上昇する鳥のようにも見えた。


灯火とたつが声を掛けたものかと思案していると、老僧はゆっくり

二人に向き直る。


「おいデなさいましたか。私は樂心がくしんといいます」


黒く日焼けした小柄な老僧はようやく目を開いた。そこでようやく七日市なのかいちで男たちに囲まれていた僧であると灯火は気づく。そういえば、あのときは笠を被っていたか。


「お坊様その節は。それより、本当なのでしょうか。その・・ここにくればお会いできるというのは」


たつが訪ねると老師はしばらく思案して、「会えるかもしれないし、会えないかもしれない」という曖昧な返答をした。


「それより、どうです? そこのお若い方」

「・・?」

「わたシと闘い、ませんか?」


真意が読めぬ老師の言に、たつの草履が半歩下がったのが見えた。代わりに灯火が一歩前に進み出る。


「なぜです・・?」

「あナたたち少し時間があります、そうでしょう?それとも、このまま帰りますか」


老師は片足を引き、肘を上げて徒手空拳の構えを見せる。灯火よりも背が低く痩せた老師がいやに大きく見えた。そこまで煽られて黙っていられるほど灯火も日和ひよってはいない。ちかごろ相手の動きを読むことに自信が付いてきていたから、刀や槍を扱うよりもずっと気楽だった。ただし、相手を痛めつけぬよう手加減はしなければ。


灯火は脇差しをたつに預け動きやすいように半身を露わにする。晴ほどではないものの、その肢体は以前より締まってきた。はずだ。


老師と目を合わせると、彼はニコリと笑い手招きをする。仕方がなく灯火は動いた。まずは懐に入り老師の腕を取りに行く。老師は手のひらで軽く灯火の肘をいなす。


・・来る


予測通り老師の拳が灯火の顔面を目がけてまっすぐに飛んできた。灯火は左手で老師の突きを絡め取り、そのまま背後から羽交い締めにした。


した、つもりだった。


世界が回転し、地面に仰向けになっていたのは灯火だった。

何が起きた? 青い空を見上げながら足がわずかに痛む。芯を崩されたのか?あの一瞬で。


「あナたは今、死にました」


何が起きたかわからないまま老師を見上げる。灯火の顔にはみるみる血が上り、ほてり始めた。老人だと侮りすぎていた自分を恥じる。

「もう一回、手合わせを願います」


灯火の声に老師が頷く。

刹那、今度は老師の素早い横蹴りが灯火を襲った。灯火は脇腹でその足を抱え動きを封じようとすると、老師は足を引き灯火に体重を預けた。


・・来る!


老師は身体を回転させながらもう片方の足で灯火の顔面を蹴り上げようとする。それを見越していた灯火は奪った足を手放し老師の懐に潜り込む。


・・・!!


しかし、踏み込んだ灯火の足が地面に着地することはなかった。前のめりにしたたかに倒れ込んで背後をとられる。


「あなた。マた死にました」


呆然と上半身を起こすと、老師は満面の笑みでそれを迎えた。


「あナた。とても目がいい。それにカンがいいです。まるで歴戦の兵士のよう、ね。でも、素直すぎる。見えているものが全て、限りませんよ」

「老師、教えてください。あなたは一体何者なのでしょうか」

老師は白い歯を見せ破顔する。

「わたしは樂心和尚がくしんわじょうと呼ばれています。遠い西の国。大陸からやってキました。今お見せしたのは大陸の体術、功夫クンフーね。片方で騙し、片方で討つ。良い汗をかきましたね。さ、中へ、どうぞ」


樂心は本堂へふたりを案内する。

そのあいだもずっと灯火の心臓は高鳴っていた。和尚というからきっと仏教の偉い人なのだと思う。しかしあの身のこなし、動きの冴え。日ごろ接している神職とはまるで違っていた。もっと知りたい。もっと強くなれるかもしれない。灯火は汚れた小袖で上がり込もうとしていたことに気づかないくらいには興奮していて、たつにたしなめられた。


案内された本堂にはちょうど大人の背丈ほどの木像が鎮座し、上から見下ろしていた。身近に目に触れる機会は今まで無かったが、これが仏教の信仰する神なのだと悟った。


「これは釈迦如来しゃかにょらいさま。うん・・どこから話シましょうか」

崩れた袈裟を整えながら和尚は思いあぐねたあと、昔話のように語り始めた。


彼の産まれた国は様々な文化が交わる大きな街だった。そこへ、さらに西、印度いんどという国から仏の教えを解くボーディダルマという老師が流れ着いたところから物語は始まる。


「わたしたちは苦しい輪廻りんねの中にあります。一生の中で宿業しゅくごうを克服できなければ何度でも人間に生まれ変わり、また苦しみます。ずっと苦しみ続きます。厳しい修行をすることでその苦難から解放されると彼は人々にいいました」

「人は死んだら自然に還るものと聞きました。それに、苦しい修行をして苦しみがなくせるのですか?」

「・・うーん。あなたたちには難しい、かもしれませんね」

人生が何度でも繰り返す? 幼少より社で学んだにはどうも得心がいかないように見えた。灯火もそうだ。なにも疑わないままでいたらきっと理解ができなかったはずだ。ただ・・。

「・・わかる、ような気がします」

 ふいに垣間見える自分じゃない生涯の欠片。それが他人事のようでどこか他人じゃないような気もしていたから。あれは過去の、前世の自分なのだろうか。もし、そうであれば・・。

「ほのちゃん・・?」

 悪戯に義姉を不安がらせることもないだろうと、話題を変える。

「樂心和尚はどうしてこの洲羽すわに来られたのですか?」

「あるとき国のみかどが変わって、私の説いていた仏教が禁じられました。それどころかキリスト教、ゾロアスター教、他の教え全て禁じました。私たちは殺されるところでした。だから海を越え、この蓬莱に逃げてきました。でも、しばらくして朝廷にも嫌われて、京の都いられなくなりました。そのとき、助けてくれたのが・・・」


「わたしの父上です」


澄んだ声色が背後に響き、灯火とたつは振り返った。


初瀬はつせちゃ・・初瀬様!」


薄い桃色の壺装束に身を包んだ初瀬は下女を二人伴っただけでそこにあった。ひれ伏そうとする二人を手で制する。


「ふたりとも、よく来てくれました。たっちゃん、久しいですね」

「本当にお会いできるなんて・・」

「樂心和尚にお願いしてふたりに取り次いでもらいました。もう、表だって会うことはできないと思ったから」


・・・え?


「たっちゃん、よく聞いて。わたし、越州に嫁がなければならなくなったの」


竹林がにわかにざわつき、初瀬の美しい黒髪のあいだから長い睫毛がこぼれる。


「どうして・・」

「越州の三条景虎さんじょうかげとら殿から密かに文が届いたって。父上はまだ迷っておられるみたいだけれど。あんなに苦しんでいる姿をずっと見ていることはできないわ。嫁ぎ先は景虎の四男坊で、景英かげひでというお方。といっても、取って食われるわけではないだろうし、何れは洲羽のために誰かと結ばれなければならないわけだから、遅かれ早かれよね。ただ・・」

「そんな、あんまりです」

「ただ、ね。誰かに、ううん、たっちゃんには知っておいてほしくて。”仕方ない”じゃなくて、”嫌々”でもなくて、わたしが、わたし自身で選択する道を。わたし哀れなんかじゃないよね? 惨めなんかじゃ、ないよね?」


大きな目一杯に涙を溜めた初瀬を、たつはその大きな肩で抱き込んだ。


「初瀬ちゃん、あんまりです。そんなのあんまりです・・」


幼少から病気がちで、細くささやかに生きていくはずだった初瀬は、突如として領主の娘として担ぎ上げられ、まもなく人質として他国に引き渡されようとしている。晴の、初瀬に対する慕情も思い出されて、灯火の胸の裡に義憤の炎が沸き起こった。

「なんとかならないのですか!」

「ううん。越州からは三月みつきのあいだに返事をせよ、とだけ。おそらく断れば越州国は再び洲羽を攻めてくるつもりなのだと思います」

「そんな・・」


悲しみに暮れるのすすり泣きが本堂を包んでいた。

それを見た灯火は強く拳を握りしめる。


「初瀬様。越州などに嫁ぐ必要はありませぬ。我ら下社が、いや洲羽の武者たちが、あなた様を守ってみせまする」

「そうは言っても ほのちゃん、どうするつもりなの?」


一時いっときも無駄にしている暇は無いように感じられた。


迷っている場合じゃない。躊躇している場合じゃない。今の自分にできることを、後悔のないように。は。

まるで見えない糸をたぐり寄せるように、灯火は暗闇を歩き始める決心をしたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る