第12話
その昼下がり、
「その話は
「ああ。それもなんと
「にわかには信じ難いが」
「なぜだ? 噂ではかなり剣が使えるという話だったが」
「それは次男の
「あのぼんやりした小僧がか?」
「信じられん」
「だが
二部屋に連なって寿司詰めになった武士たち。その元へ、いまや守護人のまとめ役となっている長男、
「皆様方、参集ご足労でござった。お伝えしたいのは他でもない、この夏、盗みを再開した鼠小僧のことにござる」
ざわめきがさらに増す。
「昨夜、夜番で見回りに出ていた
男たちの息を飲む気配に導かれるように、
「たしかに奴の黒衣によく似ているようだが、本当にこれがそうなのですかい? 首はどうなすった」
怪訝そうに中年武士が問う。
「うむ、皆がそう疑うのは無理もない。それもあって本人を連れて参った次第。直に説明させましょう。灯火」
促されるままに灯火は前に進み出る。
「あれは昨晩、見回りをしていたときのこと・・・高島町のあたりでふと
ことの顛末を神妙に聞いていた武士たちの呼吸が戻ってくる。
「なんと壮絶な・・。しかし、それなら切り落とした腕の方はどうなりました」
「それが・・信じてもらえるかどうか。道を戻って腕を探すと、この黒衣の中に黒い棒のような腕が残っていました。見るとおよそ人の腕とは思えない奇妙で禍々しいかたち。気が動転した
「誠に残念至極。兄として、守護人を預かる者として情けないことこの上なし。どうか責めるならばこの
静まりかえった詰所に、様々な色が見え隠れする。疑わしい話だと首を捻る者、信じて晴れ晴れと安心するもの。そして晴はというと黒衣を睨み付けながら歯を食いしばっていた。
空気を入れ換えるように
「皆の者!よいではないか。首こそないが、灯火殿が大悪党を討ち果たしたのは間違いあるまい。腕を切られ胸を突かれ、生きながらえる者などおりますまいからな。これが下社の祝いの日でなければなんとしましょう!」
この一言で凍り付いた時間が動き出す。ワッと周囲が沸く。それは夜遅くまで続く祝宴のはじまりだった。各々が持ち込んだ酒壺、わずかな保存食を肴に飲めや唄え。灯火は多くのねぎらいの声、祝いの声に応えながら、「昨夜遅かったから」と中座をし篝屋を後にする。その傍らには晴の姿もあった。
晴は周囲に誰もいないことを確認し、灯火に詰め寄る。
「おい灯火、お前が刀を使えるわけがなかろう。俺にはちゃんと説明してもらうからな」
困り果てて見上げると、すっかり夜の帳を下ろした頭上には無数の星々が瞬いていた。
時間は昨日の晩に
昼間の熱が残った夜空に月が儚げに上がっていた。足元は午前まで続いた長雨でまだぬかるんでいる。
灯火はとある空き家の軒下に身を隠してそのときが来るのを待ち続けていた。仲間には「見回りにいく」としか告げてこなかったから、あまり遅くなりすぎると心配をして様子を見に来るかもしれない。もしそうなれば今夜は諦めざるをえないだろう。しかし、灯火は今夜、もう一度 "鼠小僧" に会えることを半ば確信していた。
夏虫の歌声で少しうとうとしていた所に、地を刻む音が微かに聞こえてきた。普通の人間の歩く音ではない。
チッ チッ チッ
どちらかというと野生の鹿のような、軽くて繊細な音だ。灯火は音が近づいてくるのを待って、ついに声を放つ。
「待たれよ」
視界の隅に入ったはずの影が忽然と消えた。灯火は慌てずに、ゆっくりと空き家の陰から細道に姿を現す。そこには月の光が射すだけで何の姿も、影も見えない。寝静まった民家が点々と草に埋もれているだけだ
「拙者は、守護人の灯火と申す。そなたと話しがしたいと思い、参った。だから他には誰も連れてきてはいないし、この通り脇差し1本挿しておらぬ」
腕を両脇に広げて見せる。
沈黙の向こうに虫の音が続いている。だめか。と諦めかけた。
「なぜ、だ」
暗闇が喋った。
「なぜとは?」
「なぜ、ここを通ることが、わかった」
「・・・そうだな、洗いざらいお話しする。だがその前に、そちらも姿を現してはもらえないか。独り言をいっているようで寂しい」
「さびしい・・?」
月影から黒の装束が延びてかたちを作った。真ん中の一つ目が冷徹に灯火を見ている。ぞっと鳥肌が立つのをこらえると同時に、安堵している自分も感じていた。
「ようやく会えた。これが二度目になるか、鼠小僧。いや、"より"さんの妹、"こや"と言ったか」
瞬間、空気が豹変し一つ目が急激に眼前に迫ると、その懐から出た刀光を灯火はすんでのところで
「ま、まて!」
「・・・」
無言で迫る刃をなるべく見ないようにしながら、延びた腕を取る。
「そなたに危害を加える気はないのだ」
「信じられるものか」
反対から飛んできた拳を避けながら小刀を奪い取ると、いったん距離を置く。周囲には民家もある。人目につかぬように川の土手に向かって走ると、影もすさまじい速度で追いかけてきた。振り向こうとした瞬間に後ろから首に腕を回され裸締めにあう。微かに梅の香りがした。
白く遠退いていく意識をたぐり寄せるように、灯火は奪った小刀を自分の太ももに突き刺した。燃えるような強烈な痛み。覚醒した瞬間、身体をねじらせ、影の足を跳ね上げた。重力を感じさせない身体は空中で一回転し、頭巾が剥がれた後頭部から地面に落下していく。
あっ――
灯火は無意識に小刀を放り捨てた右手で影の頭を受け取る。気づけば、地に二人、重なるように倒れていた。地に伏しながらごうごうと水の流れが聞こえる。
「なぜ、わたしを守った」
耳元でか細い声が震えた。
「聞いてくれ。俺は、そなたも、そなたの家族も害するつもりはないのだ」
「・・・」
「話しを、するだけだ」
「・・わかった。お前は、わたしを刺すこともできたはずだから」
「わ、わかってくれたか!」
「わかったからそこをどけ!・・重たい」
「あっ、、すまん」
川沿いの草むらにふたり並び腰掛ける。灯火が、なにから話したものかと逡巡しているうちに、となりの短髪が揺れる。背丈は灯火より少し低いくらいだ。
「いつから知っていた?」
「確信を得たのはつい最近だ。でももしかしたらと気づいたのは、そなたと橋の上ですれ違ったときだった」
「・・・」
「目だ」
「目?」
「長い前髪から覗く目。ただの
「たったそんなことで」
「気になって聞けいてみれば、そなたはよりさんの妹で、それも拾い子だという。よりさんは洲羽の武家事情に詳しい茶屋の看板娘だから、情報が伝え漏れていてもおかしくはない。そしてよりさんに直接聞いてみれば、" 灯火くんには残念だけど妹には良い人がいて、夜な夜なに会いに行って薬をもらってくるほどの仲 "なのだという」
「・・・あの おしゃべり
「昼間に見回りと称して
隣にいる少女は観念したのか手で髪をときながらため息をついている。
「
垂れる漆黒の髪が月の光に照らされて、微かに虹色に見えた。灯火は少しのあいだ見とれていたが、我に返ると本当に聞きたかったこと訪ねることにした。
「それより教えてほしいんだが、商いをしている金持ちではなく武家ばかりを狙ったのはなぜだ?そのくせ奪った金品もほとんどは貧しい長屋にばらまいていただろう?」
「
「・・?」
「わたしの本当の名は、小さい夜と書いて"
「なんと・・。 では、大通りの武家屋敷を狙ったのは・・?」
「たまたまだ。繕いものを差配に届ける道すがらよく通る道で、それ意外には土地勘がなかったから」
「なぜ?」
彼女はため息をついた後、前髪を片手で上げる。ただれた皮膚が片目を塞ぎ、もう片方の目だけが灯火を遠慮がちに見ている。
「この目だ。気味悪く見られるからあまり出歩かない。醜く歪んだ、
「そんなことはない」
「えっ・・?」
灯火は小夜をまっすぐに見つめていた。
「そんなことは、絶対にない」
耐えきれず目を逸らした小夜の視線の先に、灯火の血に濡れた足が映ったのだろう。
「お前、怪我をしているのか?」
「そういえば、さきほど自分で突いたのだった」
灯火自身も夢中で忘れていたが、意識するほどに鋭い痛みが襲ってくる。
「バカなことを・・! 見せてみろ。」
小夜は自ら黒衣の袖を器用に切り裂いて布状にし、太ももの傷口に葉を当て、平らな石と共にきつく縛る。
あ痛たたた
「我慢しろ。これで血は止まっただろうから」
「手慣れているのだな」
「大体の傷の手当は里で教わった。結局、誰も手当できることなく死んでいったけど・・」
「その、小夜。そなた、行くあてがなければうちに来ぬか」
なにげなく口から出た灯火の一言に、小夜は怪訝な瞳を向ける。
「あっいや、そうではない!そういう意味ではないのだ。ちょうどいま長く勤めてくれた奉公人が故郷に帰ってしまったところで・・」
「今の
「それなら、薬なら心配いらぬのだ。肺の病に効く、漢方に詳しい老師がいる。山で採れる材料と、少しの道具があれば作ることができる、と思う」
「お前、怪しいな。すべて先回りしていて、怪しいぞ。」
「ハハ・・」
この日から、洲羽を悩ませていた盗人 "鼠小僧" は姿を消した。噂では下社の若武者に討ち取られたのだという。領主、
領地を奪われ、屈辱と貧困に喘いでいた洲羽。
※
元服から間もなく向かわされた紀野の山深い里。そこで繰り広げられた
「村を襲撃した洲羽武者に天誅を下した名将」として担ぎ上げられた今でも、思い出す度に胃液がこみ上げてくるのがわかる。
あの片目の少女はどうなっただろうか。草むらに目を移すとそこに亡骸が転がっていて、暗く空洞となった瞳と目が合うのではないか。馬鹿げたことにおびえながらここまで来た。
「影英様、見えてきましたぞ。あれが
森が開けて、夕日がさす茜色の荒れ地が眼下に見えてきた。山の中腹に土塁で作った急ごしらえの
「さほど大きな城とは言えませぬが川と崖を利用した天然の要害です。洲羽の武者はもちろん、
「よう間に合わせてくれた。礼をいうぞ」
城の普請を担った部下を労っていると、遠くから馬が一頭駆けてくるのが見えた。深紅の甲冑を纏い、長い顎髭を蓄えている。その者の名に思いが至ると影英は全身の筋肉がこわばるのを感じた。
「やあやあ、影英様。お待ちしておりましたぞ」
「ひさしいな、
「それは死んだ者の名。今は
「・・そうだったな」
「洲羽はまだ沈黙を保っていますが、
「減らない口だ。人質とは言え、かたちの上では我の妻となるのだからな」
馬上より見下ろした平野の向こう、渋依川を挟んで田園が広がっている。気持ちの良い風が稲穂の匂いを運んできて、馬が鼻先を鳴らした。
口に出すのを
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