第8話

若き守護人しゅごにんたちが鼠小僧ねずみこぞうを取り逃がしてから二月ふたつきが経とうとしていた。その間、盗みの被害についてはぴたりと音沙汰が無い。守護人の中には、「観念して川に飛び込み自害したのではないか」と言い出す者、「生き延びたものの寒さで肺病を患い療養しているのでは」「我ら守護人の気迫に恐れを抱いて身を潜めているのでは」などの噂が立ち議論百出している。


灯火ほのかはというと、朝もまだ早いというのに土蔵に籠もり、肩幅もある紙と睨み合っていた。深いため息で灯台の明かりが微かに震える。机の上には墨で書かれた洲羽の略図と小さなバツ印が書かれていた。


「盗みが入った場所になにか共通点はないのかな・・」


バツ印は鼠小僧が盗みに入った場所を示していた。と言っても、中には奴の特徴である”盗品のばらまき ”が無いこともあったから只の盗人の被害も含まれているかもしれないが。

よく見るとバツ印は上社かみしゃ側の大通り沿いの屋敷に集中していた。一本奥まった細道にはもっと大きな屋敷や倉もあるのに、なぜこんなにも人目に付きやすい場所を狙うのだろうか。

そもそも不思議なのは、鼠小僧はなぜ盗品を我が物とせず市中にばらまくのか。私腹を肥やすのが目的では無いか、売却の手段を持っていない可能性もある。またはその両方? 人となりや動機を思い探ろうとすると、必ず大きな暗いモヤに突き当たる。


私怨


ただし、恨みを抱いた相手を直接殺めようという意図は感じない。まるで誰に気持ちをぶつけたらいいかわからないような子供じみた感情を強く感じる。灯火はもはや癖のように首筋を撫でた。今では完治したが鼠小僧に付けられた切っ先の痕が残っている。あのとき俺を殺そうと思えば殺せたはず。丸腰だったが故に斬らずに居てくれたのか。晴に対してもそうだ。気絶させるだけでやいばを向けてはいなかった。


どんな奴なのだろう。今、どうしているのか。


深く潜り考えようとしたとき、脳裏を梅の香りがよぎった。恐怖の余り思い出せずにいたが、鼠小僧に動きを封じられたあのとき、鮮やかな梅の香を嗅いだ気がした。


「おい灯火ほのか!入るぞ!」


土蔵の分厚い扉が開けられる。


「朝からなに辛気くさいことやってんだ!上社の出稽古の日だったろ。はやく支度していくぞ!」

「ああ、ごめん兄者。いま行くよ」


明かりを吹き消して、卓上の紙を急いでつづら折りにし懐にしまい込む。土蔵から出た瞬間、冷たい空気と共に鼻腔に梅の香が飛び込んできた。脇を見やると屋敷の端に植えられた梅の木が白く可憐な花を結んでいる。


ああ、あれか。


灯火は記憶の中の梅の香に蓋をして、せいの背中を急いで追いかけた。





エエイ!!


セアア!


まだ肌寒い春先にあって、上社かみしゃの境内は男たちの熱気に満ちていた。腰から上をはだけさせ締まった筋肉の上に汗が滲んでいる。


「だいぶ気合いが入っているじゃないか、せい

「真剣を持ったらこんなもんじゃねえよ?」


木刀を握って晴と対峙しているのは上社の"小丸三郎こまるさぶろう"だった。

渋依川しぶよりかわの戦いで、当時筆頭だった"金刺かなさし"の当主が討ち死にしたことで、上社に寄進きしんを続けていた鍛冶師の"小丸"がその存在感を揺るぎないものとした。長男、次男は家業を継ぐようだが、この三郎は洲羽すわの侍としての道を選んでいた。恵まれた上背に長い手足。晴も筋肉質ではあるが三郎のそれは太い幹のようだ。


「下社は一匹捕まえられないと噂だからな。焦っているのだろう?」

「ぬかせ! 大逆人にまんまと騙されたどもはどっちだ!」

「ぬぅ!」


けやきの大樹が乱立し緑に囲まれる上社の境内に、鍔競つばぜり合いと罵り合いの声が響く。上社、下社の会い稽古では恒例の光景となっていた。晴の言う「大逆人に騙された」とは、かつての上社の剣客であった曽我鷹山そがようざんが単独、紀野国きのこくの"衣隠村いがくしむら"を襲撃し戦のきっかけを作った(ことになっている)ことを指す。しかし、それが周到に練られた越州国えっしゅうこくの策略だったことは、この場にいる武士たちは誰も疑ってはいない。すべては後の祭りだ。


「腕を上げた・・じゃねえか、晴」

「まだまだ・・・こんなもんじゃねえぞ。俺はもっと強くなる」


叫びながら打ち合ったものだから二人は肩で息をしている。鼠小僧に手も足も出なかった晴は、あれ以来がむしゃらに剣の鍛錬に打ち込んだ。それは傍から見ても鬼気迫るほどに。こうやって上社の稽古にも自ら出向くようになったのはそのためだ。今では刺激を受けた歳の近い下社武士も参加するようになっている。


「今日も精が出るな若い衆。良きかな、良きかな。今こそ上社、下社がひとつに纏まる時。大祝おおほおり様(領主様)も、そう申しておられる」

頼彦よるひこ様」


本殿から続く石階段を降りてきたのは、上社の神主である守屋頼彦もりやよるひこだった。下社の真静様と比べかなりの高齢であり、その長い白髪を後ろに縛っている。細い面に白髭。揺るがぬ眼力はいわおのごとし。

上社の武士たちは一様にその場でひざまづいた。建前上は領主が大祝として上社・下社の両方を束ねてはいるが、氏族への影響力は比較にならない。


「炎と戦の神、タケミナカタ様の治める上社の地に、逆賊をのさばらせたままでは我ら氏族の名折れ。なんとしてでも此の地から越州を追い出してくれ」


「はは!」


「下社の若武者たちよ。そなたらも、頼んだぞ」


「はい!!」




帰り際、灯火と晴がふたり並んで上社を後にしようとしたところ、後ろからは上社の連中が何人か付いてきた。


「晴、灯火、どうせ水茶屋に寄るんだろ。俺たちも混ぜろ」

「なんでだよ。しっし!」

「晴は茶屋の"より"にお熱だもんなー!」

「ち、ちがうわ! 灯火があそこの団子好きだって言うからよ! っていうかお前"およりちゃん"を呼び捨てにすんな!」


急に名前を出された灯火はジト目で晴を見る。相変わらず調子のいい性格をしている。まあ、それが兄のいいところでもあるのだが。


上社の門前通りには参拝者向けの水茶屋があった。険しい山の斜面に食い込むように建てられた茶屋は周囲にはめずらしく二階建てで、表には飲み食いのできる長椅子と、奥には団子を調理する焼き場。二階は小さな休憩所となっている。通いの看板娘である"より"は晴たちより少し年上だが華やかで気立ての良い娘だった。


「まあまあ、皆さんおそろいで。晴さまは醤油で良かったよね、お団子。すぐ準備するね」

「・・ああ」


噂の"より"が奥へ消えると、皆一斉にはやし立てる。


「せいさま~~」

「うるせ!静かにしてろ」


「晴、ちょっと耳を貸せ。たしかに"より"は可愛い。だがよ、俺たち上社の連中は誰も手を出そうとはしていない。なぜだかわかるか?」

「あ? およりちゃんがお前らみたいな唐変木の相手にするわけないだろ」

「は~。晴、よく考えろ。この茶屋には二階があるんだぞ」

「だからなんだ?」


上社連中は「やれやれ」といった顔でそれ以上の詮索はしなかった。かわりに灯火は面白がって話題を変える。


「兄者は初瀬はつせさま一筋じゃなかったのか?」


晴は露骨に嫌な顔をしてみせた。


「バカお前。今となっちゃ向こうは本物のお姫様だ。口が裂けてもそんな不遜ふそんなこと言うんじゃないぞ」

「兄者がそんな難しいことばを知ってるとは思わなかったな」

「おいこら!」


渋依川の合戦で責を問われた当時の領主様は切腹し、その実弟である"洲羽治頼すわはるより"様が家督を継いでいた。従ってそのひとり娘である初瀬姫(実際にはその未来の婿)は次期領主の最有力候補でもある。


「大祝家は洲羽から出られないしきたりだから他家に嫁ぐことはないが、それなりに名の通った婿を他領から取らにゃならん。俺なんて問題外だ。あ~~、たつ姉の言ってたとおり生半可な相手じゃなかったな~」


「あら、誰かのお見合いのお話? そんなことより私、きょうも晴さまのお役目の話、聞きたいな」


が串団子の乗った皿とお茶をもって奥から姿を現す。後ろで結った髪にはいくつもの飾りが乗り、肌には薄化粧。茶屋の娘にしては上等の小袖が胸元で大きく波打っている。

灯火の隣で、晴が生唾をゴクリと飲み込んだのを、その場の全員が見逃さなかった。





昼の忙しい時間帯も過ぎ、水茶屋でお茶出しをしているは、住まいの貧乏長屋に戻ってきていた。上社からも下社からも離れた小川沿いの集落。寄り集まった長屋はちょっとした村の体を成している。中心には汲み井戸がひとつ。山が近いため鬱蒼としたコナラの木が長屋の板屋根に葉を落としている。


は建て付けの悪い引き戸を器用に片手で引くと、ちょうど上半身を起こした母の"いね"と目が合った。今日はからだの調子がいいのかもしれない。傍らでは"こや"が縫い終わった繕いものを風呂敷に包んでいるところだった。


「おっかぁ。起きていていいの?」

「ああ、きょうはなんだか気分が良くってね。がもらってきてくれている薬のおかげだよ」


母は肺の病にかかって長患いをしていた。ひどいときには咳がとまらず、衰えた体力では仕事どころか家事すらままならない。が水茶屋に働きに出ている間はが母の面倒を見ながら繕い物の仕事をして家計を支えてくれている。


「こや、いつもありがとうね」


慎ましく彼女がはにかむ。前髪を下ろしているせいで幼く見えるが今年で十六になったらしい。らしい、というのも彼女は実のところ血の繋がった家族ではなかった。


二年前、まだ母が元気であったころ。繕い物の手仕事を持って帰る際、近くの川岸に倒れているを見つけて家に連れ帰った。顔の半分には大きな火傷を負い、意識を失っていたから私と母のふたりで担いで帰るしかなかった。身寄りを聞いてもうまく答えず、ははあ、これは親に捨てられたのだ、不憫なことだ、などと母とふたり覚悟を決めた。以来、そのまま住まわせることにして今では妹のような存在になっている。


「街に出るのでしょう?なら、お化粧をしてあげる」


はコクンと頷くとの前に正座した。彼女の左目は火傷の影響で目蓋と共に皮膚とが一体化しており開けることができない。はそのただれた肌に白粉おしろいを薄く塗って境界が目立たないようにした。白粉といっても高貴な方々が使うような上等のものではなく、貝殻を粉にして少量の油で溶いたものだったが、少し麻黒いの肌にはよく馴染んだ。その上から長い前髪をたらして覆い隠してやれば、いっぱしの町娘に見えないこともない。今ではが外出する際の日課になっていた。


「ほい、できた。うん、可愛い可愛い。いっておいで」

「・・・はい」


大きな風呂敷を背負って出て行くの小さな背中を見て、はあることを思いついて一緒に外に出る。気配を察したのか庭先で振り返るの耳元に小声で訪ねてみた。


「こや、しばらく寝込んでいた風邪も治ったことだし、また夜に会いにいくんでしょう?」


悪ふざけのに対して、ハッとして身を固くした。いけないことを聞いてしまったのだろうか。


「どうして、知って・・いるんですか」

「そりゃあ隣に寝ていれば気づくこともあるわ。ねえねえ。夜中に抜け出して殿方に会いに行ってるんでしょう?おっかあのお薬もその方から頂いたの?お相手はお医者様・・じゃないよね、お侍様かしら。ねえ、最近よく守護人しゅごにん様たちのことを聞きたがるじゃない?下社のどのお方なのかしら?」


「ひ、ひみつ・・ですっ!」


興味本位でまくし立てたとは反対に、奥歯を強く噛みしめたは足早に家を離れていった。


「照れちゃってかわいい~~。もっとお侍様たちの情報仕入れてくるからね!」


見送ったの背中。細かな絞りの入った藍色の小袖は、ちいさな夜を背負っているみたいだ。そこに黒髪の帳が降りている。着飾ればそれなりに可憐な娘になったかもしれない。は彼女を捨てた親や世間の理不尽さに憤りながらも、いつかきっと満面の笑顔を引き出して見せると心に誓ったのだった。

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