第8話
若き
「盗みが入った場所になにか共通点はないのかな・・」
バツ印は鼠小僧が盗みに入った場所を示していた。と言っても、中には奴の特徴である”盗品のばらまき ”が無いこともあったから只の盗人の被害も含まれているかもしれないが。
よく見るとバツ印は
そもそも不思議なのは、鼠小僧はなぜ盗品を我が物とせず市中にばらまくのか。私腹を肥やすのが目的では無いか、売却の手段を持っていない可能性もある。またはその両方? 人となりや動機を思い探ろうとすると、必ず大きな暗いモヤに突き当たる。
私怨
ただし、恨みを抱いた相手を直接殺めようという意図は感じない。まるで誰に気持ちをぶつけたらいいかわからないような子供じみた感情を強く感じる。灯火はもはや癖のように首筋を撫でた。今では完治したが鼠小僧に付けられた切っ先の痕が残っている。あのとき俺を殺そうと思えば殺せたはず。丸腰だったが故に斬らずに居てくれたのか。晴に対してもそうだ。気絶させるだけで
どんな奴なのだろう。今、どうしているのか。
深く潜り考えようとしたとき、脳裏を梅の香りがよぎった。恐怖の余り思い出せずにいたが、鼠小僧に動きを封じられたあのとき、鮮やかな梅の香を嗅いだ気がした。
「おい
土蔵の分厚い扉が開けられる。
「朝からなに辛気くさいことやってんだ!上社の出稽古の日だったろ。はやく支度していくぞ!」
「ああ、ごめん兄者。いま行くよ」
明かりを吹き消して、卓上の紙を急いでつづら折りにし懐にしまい込む。土蔵から出た瞬間、冷たい空気と共に鼻腔に梅の香が飛び込んできた。脇を見やると屋敷の端に植えられた梅の木が白く可憐な花を結んでいる。
ああ、あれか。
灯火は記憶の中の梅の香に蓋をして、
※
エエイ!!
セアア!
まだ肌寒い春先にあって、
「だいぶ気合いが入っているじゃないか、
「真剣を持ったらこんなもんじゃねえよ?」
木刀を握って晴と対峙しているのは上社の"
「下社は鼠一匹捕まえられないと噂だからな。焦っているのだろう?」
「ぬかせ! 大逆人にまんまと騙されたうつけどもはどっちだ!」
「ぬぅ!」
「腕を上げた・・じゃねえか、晴」
「まだまだ・・・こんなもんじゃねえぞ。俺はもっと強くなる」
叫びながら打ち合ったものだから二人は肩で息をしている。鼠小僧に手も足も出なかった晴は、あれ以来がむしゃらに剣の鍛錬に打ち込んだ。それは傍から見ても鬼気迫るほどに。こうやって上社の稽古にも自ら出向くようになったのはそのためだ。今では刺激を受けた歳の近い下社武士も参加するようになっている。
「今日も精が出るな若い衆。良きかな、良きかな。今こそ上社、下社がひとつに纏まる時。
「
本殿から続く石階段を降りてきたのは、上社の神主である
上社の武士たちは一様にその場で
「炎と戦の神、タケミナカタ様の治める上社の地に、逆賊をのさばらせたままでは我ら氏族の名折れ。なんとしてでも此の地から越州を追い出してくれ」
「はは!」
「下社の若武者たちよ。そなたらも、頼んだぞ」
「はい!!」
帰り際、灯火と晴がふたり並んで上社を後にしようとしたところ、後ろからは上社の連中が何人か付いてきた。
「晴、灯火、どうせ水茶屋に寄るんだろ。俺たちも混ぜろ」
「なんでだよ。しっし!」
「晴は茶屋の"より"にお熱だもんなー!」
「ち、ちがうわ! 灯火があそこの団子好きだって言うからよ! っていうかお前"およりちゃん"を呼び捨てにすんな!」
急に名前を出された灯火はジト目で晴を見る。相変わらず調子のいい性格をしている。まあ、それが兄のいいところでもあるのだが。
上社の門前通りには参拝者向けの水茶屋があった。険しい山の斜面に食い込むように建てられた茶屋は周囲にはめずらしく二階建てで、表には飲み食いのできる長椅子と、奥には団子を調理する焼き場。二階は小さな休憩所となっている。通いの看板娘である"より"は晴たちより少し年上だが華やかで気立ての良い娘だった。
「まあまあ、皆さんおそろいで。晴さまは醤油で良かったよね、お団子。すぐ準備するね」
「・・ああ」
噂の"より"が奥へ消えると、皆一斉にはやし立てる。
「せいさま~~」
「うるせ!静かにしてろ」
「晴、ちょっと耳を貸せ。たしかに"より"は可愛い。だがよ、俺たち上社の連中は誰も手を出そうとはしていない。なぜだかわかるか?」
「あ? およりちゃんがお前らみたいな唐変木の相手にするわけないだろ」
「は~。晴、よく考えろ。この茶屋には二階があるんだぞ」
「だからなんだ?」
上社連中は「やれやれ」といった顔でそれ以上の詮索はしなかった。かわりに灯火は面白がって話題を変える。
「兄者は
晴は露骨に嫌な顔をしてみせた。
「バカお前。今となっちゃ向こうは本物のお姫様だ。口が裂けてもそんな
「兄者がそんな難しいことばを知ってるとは思わなかったな」
「おいこら!」
渋依川の合戦で責を問われた当時の領主様は切腹し、その実弟である"
「大祝家は洲羽から出られないしきたりだから他家に嫁ぐことはないが、それなりに名の通った婿を他領から取らにゃならん。俺なんて問題外だ。あ~~、たつ姉の言ってたとおり生半可な相手じゃなかったな~」
「あら、誰かのお見合いのお話? そんなことより私、きょうも晴さまのお役目の話、聞きたいな」
よりが串団子の乗った皿とお茶をもって奥から姿を現す。後ろで結った髪にはいくつもの飾りが乗り、肌には薄化粧。茶屋の娘にしては上等の小袖が胸元で大きく波打っている。
灯火の隣で、晴が生唾をゴクリと飲み込んだのを、その場の全員が見逃さなかった。
※
昼の忙しい時間帯も過ぎ、水茶屋でお茶出しをしているよりは、住まいの貧乏長屋に戻ってきていた。上社からも下社からも離れた小川沿いの集落。寄り集まった長屋はちょっとした村の体を成している。中心には汲み井戸がひとつ。山が近いため鬱蒼としたコナラの木が長屋の板屋根に葉を落としている。
よりは建て付けの悪い引き戸を器用に片手で引くと、ちょうど上半身を起こした母の"いね"と目が合った。今日はからだの調子がいいのかもしれない。傍らでは"こや"が縫い終わった繕いものを風呂敷に包んでいるところだった。
「おっかぁ。起きていていいの?」
「ああ、きょうはなんだか気分が良くってね。こやがもらってきてくれている薬のおかげだよ」
母は肺の病にかかって長患いをしていた。ひどいときには咳がとまらず、衰えた体力では仕事どころか家事すらままならない。よりが水茶屋に働きに出ている間はこやが母の面倒を見ながら繕い物の仕事をして家計を支えてくれている。
「こや、いつもありがとうね」
慎ましく彼女がはにかむ。前髪を下ろしているせいで幼く見えるが今年で十六になったらしい。らしい、というのも彼女は実のところ血の繋がった家族ではなかった。
二年前、まだ母が元気であったころ。繕い物の手仕事を持って帰る際、近くの川岸に倒れているこやを見つけて家に連れ帰った。顔の半分には大きな火傷を負い、意識を失っていたから私と母のふたりで担いで帰るしかなかった。身寄りを聞いてもうまく答えず、ははあ、これは親に捨てられたのだ、不憫なことだ、などと母とふたり覚悟を決めた。以来、そのまま住まわせることにして今では妹のような存在になっている。
「街に出るのでしょう?なら、お化粧をしてあげる」
こやはコクンと頷くとよりの前に正座した。彼女の左目は火傷の影響で目蓋と共に皮膚とが一体化しており開けることができない。よりはそのただれた肌に
「ほい、できた。うん、可愛い可愛い。いっておいで」
「・・・はい」
大きな風呂敷を背負って出て行くこやの小さな背中を見て、よりはあることを思いついて一緒に外に出る。気配を察したのか庭先で振り返るこやの耳元に小声で訪ねてみた。
「こや、しばらく寝込んでいた風邪も治ったことだし、また夜に会いにいくんでしょう?」
悪ふざけのよりに対して、ハッとして身を固くしたこや。いけないことを聞いてしまったのだろうか。
「どうして、知って・・いるんですか」
「そりゃあ隣に寝ていれば気づくこともあるわ。ねえねえ。夜中に抜け出して殿方に会いに行ってるんでしょう?おっかあのお薬もその方から頂いたの?お相手はお医者様・・じゃないよね、お侍様かしら。ねえ、最近よく
「ひ、ひみつ・・ですっ!」
興味本位でまくし立てたよりとは反対に、奥歯を強く噛みしめたこやは足早に家を離れていった。
「照れちゃってかわいい~~。もっとお侍様たちの情報仕入れてくるからね!」
見送ったこやの背中。細かな絞りの入った藍色の小袖は、ちいさな夜を背負っているみたいだ。そこに黒髪の帳が降りている。着飾ればそれなりに可憐な娘になったかもしれない。よりは彼女を捨てた親や世間の理不尽さに憤りながらも、いつかきっと満面の笑顔を引き出して見せると心に誓ったのだった。
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