第7話

目を開けると真新しい白壁に薄く朝日が差し込んでいるのが見えた。一瞬それが首都"ヘラ"にある邸宅の風景と重なり混乱する。


だがそんなわけはない。7年ものあいだ一万を超える兵を率いて、海を越え、砂漠を超えてきた。我が王とともに彼の野望を満たすため途方もなく遠い土地に来てしまったのだから。

なんとか気だるい上身体を持ち上げると頭に鈍痛が走る。


痛つつー


ここ最近、晩酌をし過ぎると翌朝に酒が残るようになってしまった。とは言ってもけっして歳のせいではない。この地の酒の質が悪いからに決まっているのだ。

裸のまま廊下に出ると、ペルシア人の一番奴隷がいびきをかきながら足元に転がっている。奴よりも先に起きてしまうとなんとも居心地の悪い思いがするが、静かで良い。裏庭に足を運ぶと、急きょギリシア風に作り替えられたと思われる庭が出迎えてくれる。水の出ないかたちだけの噴水の回りに、この辺りで自生しているらしき名も知らぬ花木が植わっている。このくだらない庭は到底好きにはなれそうもないが、側面から昇った朝日が足元の砂をキラキラと輝かせる様子は気に入っていた。


「だんな様、起きていらしたのですね。すぐに他の者も起こします。朝食になさいますか」


物音に気づいたのか奴隷が目を覚ましたようだ。


「ああ、頼む」


こうして、マケドニア軍アイハヌム駐留隊指揮官の私の一日が始まる。


信頼のおける奴隷にひげを剃らせ、朝食の卓につく。なんとなくまだ胸焼けがしていたが、薄く焼かれたパンで焼いた山羊肉を挟んで頬張る。野営時でも手軽にとれるこの食べ方は気に入っている。味付けは実家と比較するとさすがに劣るが腹に入れば同じだ。服の上から簡易的なトガ(白の正装)を着付けてもらい家内の執務室につく頃には、門前に10人ほどの庇護人ひごにんが列を成していた。今となっては毎朝の光景だ。


「フレイトス閣下、本日もご機嫌麗しく・・・」

「うちの商会のシマを荒らす輩がおります。なんとか・・・」

「愛娘をそろそろ嫁に出したいのですが?」

「隣の家の肥だめが臭くて・・・」


うう~~ん。


政治家や有力者、実業家、ただ近所に住んでいる者。飽きもせず毎朝毎朝訪ねてきては自らの利権をねじ込んでくる。最初は鬱陶うっとうしくて仕方がなかったが、郷に入れば郷に従え。この地で地盤を固めるには我慢せねばならないと気づいた。ただでさえ我々駐留軍は街を乗っ取った悪魔呼ばわりされている。地元の有力者の協力なくして安寧の維持は困難だろう。


きりのない庇護人の訪問を強引に打ち切って、職場である訓練所に向かう。祖国であれば正装を身につけている間は輿こしに乗るのが一般的だが、いつ反乱分子に取り囲まれ襲われるかわかったものではない。街の中でも馬で移動することがほとんどだった。幸いこの地には従順で良質な馬が多く、今跨がっている栗毛の雌馬も足腰が強く一級の軍馬に劣るところが無い。これは嬉しい誤算だった。


砂埃を舞わせながら通りを進むと様々な様式の建物が目に入る。当然この地を征服してから増えたのはギリシア風ではあるが、それまで隆盛を誇ったペルシア風建築も数多く残っている。植民地化した後には自分たちが統治するのだから、無用な破壊はしないほうが良い。この7年に及ぶ遠征中に嫌と言うほど学んだ。


町並みの終着、低木に囲まれた郊外に真新しい訓練所(ギュムナシオン)があった。広場を取り囲むように配置された真っ白な列柱が駐留軍の権威を主張している。この広大な広場は本来競技場として使用するものだが、今現在は兵士たちの訓練に利用している。中に乗り入れると既に馬に跨がった50騎もの若者たちが隊列訓練を行っていた。


「フレイトス様!おはようございます」


手を上げて声に応じる。

木陰に馬を繋ぎ列柱が支える建物内に入ると、外の熱気とは一転しひんやりとした涼しさが肌を包んだ。空気が乾燥しているため屋内は思ったほど熱く苦しくはない。

直線の廊下、目線の先に文官が3人ばかり仁王立ちしていた。


「閣下。ごゆっくりな朝でしたな」

「ささ、中へどうぞ」

「決めてもらわねばならぬことが山のようにあります」


私は隠すことなく大きなため息をついた。


訓練所には小さな部屋がいくつもあり簡易的な会議や講義ができるようになっていた。ペルシア宮殿の他にも別途ギリシア風の総督府も建設中であったが、資材の調達が遅れ野ざらしになっている。そのため執務のほとんどをこの訓練所で行っているのだが・・・。


「後方マラカンダからの商隊が蛮族に襲われる事態が頻発しております。このままでは占領地からの物資も届かず糧秣りょうまつ逼迫ひっぱくするでしょう。至急、討伐隊を」

「一昨日街の南で起こった不審火はどうやら反体制派どものしわざのようです。あまり過剰反応するのもどうかと思いますが、なめられるとさらに過激になる恐れも。犯人を探し出して締め上げねば」

「タクシラに出立されたアレクサンドロス陛下の軍団に想定以上の損耗があったとの由。兵千人の増援を送られたし、とのことで・・・」


( ああああああああ!!)


話を聞くほどに二日酔いがぶり返してきそうだ。このアイハヌムの街ですら治安が安定しているとは到底言いがたい。そのため周辺の小さな街も含めて六千もの兵を常駐させている。ならばその兵が飢えずに食わせる責任は私にあるのだ。だというのに、朝から晩まで面倒事の洪水、雨あられ。加えて当の兵たちも「故郷に帰りたい」とか「こんなはずじゃなかった」などと口を揃えている。俺だってそう思うわ。


「どうなさいました閣下?」

「あ、いや、なんでもない。とにかく陛下の御身になにかあってからでは遅い。倉の中の食料を袋に詰め込んでとにかく足の速い軽装兵千人を前線へ送れ。俺は残った兵で蛮族討伐隊を編成しつつ、ついでに後方へ糧秣を取りに戻らせる。放火犯は・・そうだな、お前らが捕らえろ。それくらいできるだろ」


なにか言いたそうな顔をしていたが、無視して部屋を出る。文官といえど怠惰な宴会ばかり開かずたまには額に汗をするがいい。


「じゃ、頼んだぞ俺はこれから工廠こうしょうの様子を見てくる。お前らが行きたがらんから忙しくてかなわん」


文官が慢性的に不足する遠征地では軍属と言えども司政のまねごとまでやらなければならない。



街の外れに漆喰で塗り固められた正方形の建物がいくつも並んでいた。それらは一様に煙突を空に突き出し、黒煙を吐いている。周囲には大量の枯れ枝と石が積み上がっている。剣ややじりを鍛えるために必要な燃料と鉄鉱石だ。防具は最悪揃わなくとも武器がなければ兵とは呼べない。剣や鏃といった消耗品は遠征中に都度、調達せねばならなかった。


建物に扉はなく中からけたたましい金属打音が飛び出しては風にさらわれていく。


「邪魔するぞ!」


腹から声を出したつもりだが、繰り返されるつちの音にかき消され誰も振り向こうともしない。壁際に控える手伝いらしき小僧だけが浅黒い顔に白い目だけをこちらに向けていた。


「ぅおい!! じじい!!」


「聞こえとるわい!!」


真っ赤に熱された鍛冶鋏かじばさみを持ち上げながら上半身裸の老人が背中で応える。老人は先週隣国から連れてきた鍛冶師だった。彼は鍛えていた短剣を黒い液体に沈めてから振り返る。


「その黒いのはなんだ」

「あ?これか? 油だよ。熱してある。水で冷やすと割れやすくなるからな」

「そうなのか?」

「そうだ」

「不思議なこともあるもんだな」

「常識だ」

「なぜそうなる?」

「知らん。そう決まっとる。で何の用だ?」

「様子を見に来た。発注した仕事は進んでいるか。困っていることはないか」

「困っていることだらけだ。こいつらは従順だが仕事を覚えようとはしない」


回りの助手たちを指さす。


「言葉も半分以上わからん。というか何だ。毎日いろんなやつが訪ねてきて火床ひどこにむかって礼拝をし始める。なんなんだこいつは」

「あー、それは悪かったな。彼らの宗教では炎がご神体なのだ。元々街の中央に礼拝所があったのだが、占領の折に壊してしまった」

「・・・」

「なので、今はここが礼拝所ということにしてある」


!!


じじいが顔を真っ赤にして怒りはじめたものだから、その後するつもりだった追加注文の話ができなかった。仕方がない。また後日改めよう。次は水汲み場の建築現場だ。


そうやって軍属には縁遠い仕事で街を走り回っているうちに、日が暮れていく。


慣れない土地での武具の調達、材料の調達、燃料の調達、農地の開墾、灌漑設備。建設現場。人、人、人。怒りや恨みの視線を浴びながら日々をどうにかやりくりをする。そうまでしてこの地に留まるのは、乾ききった山々から鉄鉱石などの豊富な鉱物資源、ラピスラズリ、スピネルなどの宝石が採れるからだ。

故郷の繁栄のために領土を広げ、略奪し続けなければ成り立たない生活とは一体なんなのか。貴族として生まれ落ちたそのときから何一つ選ぶことを許されずに手を血に染めてきた。指揮官となった今では自ら人を斬る場面こそほとんど無いが、自らの決断で人を殺し・人が死んでいく感触はいつも手の中にある。目をえぐられ、はらわたを足元にこぼしながら絶叫する兵たちの声が耳から離れない。斬って、突いて、射る。虐殺し、虐殺し、虐殺される。その繰り返し。まるで旋回するつるぎの輪からは逃れられないように。


気休めに妻と赤ん坊の顔を思い出そうとしても、かすみが覆いはっきりと思い出せなくなってきた。


正直もう、疲れた。


我が王はこの先どこまで駆けていこうというのだろう。兄弟のように育ち、幼少より追いかけ続けた唯一の背中。「どこまでも付いて参ります」と神前で誓った。だが、彼を守る兵、利用しようと取り巻く輩が増える度に、その後ろ姿が徐々に見えなくなってきている。


赤く焼けた地平が今日の終わりを告げていた。私は長い影を引きながら単騎で帰路につく。ちょうどペルシア式の公衆便所の横を通り過ぎようとしたときだ。


「おいこら待て!」


ペルシア語で呼び止められたと思い馬の手綱を引く。


「こーんなにこぼしてるじゃねえか汚えな!いますぐ掃除しろ!」


見ると、私に話しかけているわけではなく、黒髪の幼女が男のペルシア人奴隷に叱責されている場面だった。幼女は便所からくみ取った糞尿を身体の丈ほどもある素焼きのかめに移して農家に売りに行く所のようだ。


幼女も奴隷だと思われるが顔つきからするとペルシア人ではなく遊牧民系のサカ人であると思われる。通常奴隷同士であれば大きな格差は無いはずだが、かつて遊牧民を制圧し隷属させたペルシア人には同列に扱われるのをひどく嫌う者が多い。


「そうだそうだ、綺麗に床を拭けよ」


日干しレンガが整然と並ぶ便所の床を幼女は手持ちの襤褸ぼろで舐めるように拭いていく。男の奴隷は何を思ったか瓶の中から糞尿をすくい幼女の頭の上に垂らしはじめた。


・・・!!


「おっとお、ここも汚くなったぞ。拭け拭け、綺麗にしろ」


幼女の黒髪はみるみる黄土色の糞尿に汚れ滴って、その桃色の頬に垂れ下がった。


「オラ!なにしてるはやく拭けよ」


そのとき、幼女の真っ赤に燃える瞳に私は射抜かれた。眼差しは決して男を見据えなかった。臥して地平を睨みつけ己の運命に怒り狂っているようだった。少なくとも私はそう確信した。


「なんだその反抗的な目はよぉおおお!!」


男は激昂し、幼女の肩を思い切り蹴飛ばしたあげくその足で幼女を転がし始めた。2回、3回、4回。幼女の顔は苦痛にゆがみ、その燃える瞳が閉じようとしたとき、私は無意識に馬を降りてゆっくりと近づいていた。私の気配に意識が向いた男奴隷は後ずさりする。


私はしゃがみ込んで、ぐったりした幼女に慣れないペルシア語で語りかける。


「お前、ウチにくるか?」


薄く開けた目蓋は私を通り越して、沈み行く夕日をぼんやり眺めているようだった。少しの間をあけて微かにうなづいたのを確認し、幼女を抱き上げる。想像以上に軽いその体重に背筋が逆立つ。7年前、遠征に立つ前に我が子を抱き上げた。壊れ物を恐る恐る抱くように。その瞬間を思い出した。


男奴隷に所有者を訪ね、その足で彼女を買い取りにいく。糞尿まみれ、ぐったりした幼女と私とを交互に見て、所有者は大層驚いた表情で出迎えた。所有者はなんと私の庇護人のひとりでもあるペルシア人の商人だった。事情を話すと彼は嬉々として買い取りを承諾した。「さすがお目が高い」だの「フレイトス様だけのお値打ち価格」だの言いながら。その時、そばに控えていた男奴隷の据えた眼差しは筆舌しがたく、私の瞼に刻まれてしばらく離れようとしなかった。


結局のところ、私が支払った代金はドラクマ銀貨3枚。

山羊2頭よりも安い値段だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る