第5話


はじめに気を取られたのは、その匂いだった。村に近づくにつれ家々が焼ける匂いがツンと鼻を突く。次第に日が傾く山間の村は立ちこめる煙も相まって奇妙なほどに薄暗かった。

人が住まう集落の周りに田畑は無く景英かげひでの知るありふれた村とは様子が違う。

細い蛇のような道を下り村の入り口に差し掛かると、再び断末魔の声が聞こえた。今度は男の声だ。


躊躇ちゅうちょなく村の敷地内に入った景英に対して慌てて兵たちが追いついてくる。そこで彼らが見たものは地獄のような光景だった。


「おらぁあああ!!そこに直れ!」


赤く燃える家、逃げ惑う村人を赤の甲冑を着た武士が刀で切りつけながら追いかけている。泣き叫ぶ子供、かばいながら逃げる母親。小刀で立ち向かう村の男。穏便に済ませるはずだった景英はあっけに取られて呆然とその赤い惨状を見つめていた。


その中心に兄、三条景成さんじょうかげなりがいた。


景英かげひで遅かったな。こっちだ!」


刀を頭上に掲げながら馬上より声を張り上げている。ゆっくりと近寄ると馬たちは炎におびえてその小さな瞳を見開いている。


「これを見よ景英」


付近には甲冑を着たまま果てている数人の兵士と、裁付袴たっつけばかまを履いたたひとりの男が倒れている。男はめった刺しにされたのか身体の所々から血を流し、まるで襤褸雑巾ぼろぞうきんのようだ。手には死してなお小刀が握られたままだった。


死体を見たのは初めてでは無い。初めてでは無いが、その異様さに声が出ない。


「我の手勢が5人やられた。この男ひとりで、甲冑を着込んだ兵が5人もだぞ」

 それは信じがたい事実ではあるが、景英は本当に聞きたいことを先に問うた。

「その前に兄上、なぜこのような事態になっているのです。包囲した後使者を送ると申したではないですか」

「そんなことか。お前の動きが余りに遅いのでな。村の外に出ていた女子おなごを追いかけ回していたら中に入ってしまったのだ」

 景英は、兄・景成のあまりの愚行に言葉を失った。

「景英。これらは普通の民ではないぞ。まさに草の者(しのび)たちに違いない。とどのつまりは此度こたびの遠征は、親父殿おやじどの策謀さくぼうに他ならぬ。我々を試しているのだ。まったく忌々いまいましいことこの上ない」

 そこまで言われて景英はようやく得心した。父上は"村を懐柔せよ"とだけ仰せられ三百もの兵を私に貸し与えた。不思議に思ったものだが、それは紀野国きのこくの忍と上手く話をつけられればそれでも善し。こちらが隙を見せ討たれれば、という意味だったのだ。


「火を放って村の者をあぶりだせ!!広場に集めてくるのだ!」

「兄上、いかがなさるおつもりですか」

「決まっておろう。この越州国えっしゅうこくに刃向かうとどうなるか身をもって教えてやる」

「お待ちください!この一件、任されたのはこの三条景英でございます!」

「後見を任されたのは我だ!甘ったれな貴様にいくさのやり方というものを見せてやろう」


村の所々で戦闘が繰り広げられていた。村の民は身軽で、家屋の屋根に登り弓矢や暗器で応戦していたが、さすがに多勢に無勢。包囲されれば各個討ち果たされたり、拿捕だほされるのも時間の問題だった。正々堂々とした戦ではなく一方的な殺戮さつりくに手を貸したとあれば武士の名折れ。景英はあえて自らの手勢を村の中に入れず村の包囲を継続するよう暗に指示をした。


「景成様! 村のおさを召し捕りましてございます!」


一刻もたったろうか。大柄な兵がひとりの老人を縄に撒いて連れてきた。白髪白髭で後ろ手に縛られた様子は、長と呼ぶにはいささかの迫力もない。

「我は越州国国主えっしゅうこくこくしゅが次男、三条景成である! 貴様らに最後の慈悲を与えてやる。今すぐ武装を放棄し我が軍門に下れ!懇願こんがんせよ!さもなくば、一族皆殺しだ!!」


老人は顔を上げ、景成・景英を順に見回してゆっくりと口を開いた。

「・・・語るに落ちる」


瞬間、目を見開いた老人の口が膨らみ、勢いよく"何か"が飛び出したと思えば景成の乗った馬が悲痛ないななきと共に突然立ち暴れた。見れば馬の目には釘のような棘が深く刺さっている。たまらず馬上から転げ落ち地を這う景成。


「おのえぇえ!! 許さぬ! 楽には殺さぬぞ!」


それ以降ことを思い出そうとすると景英はひどく頭にもやがかかったように記憶が定かではなくなる。将とは言え元服をすませたばかりの彼にとって、それらはひとときたりとも記憶に残したくはない光景だったのだ。景成かげなりやその手勢を村に残したまま早々に立ち去った。


村を出る際、周囲を取り囲んでいた兵から声がかかる。行ってみると森の中に黒焦げの身体を横において座り込んでいる少女がいた。どうやら母子のようだった。むごいことだ。見るに耐えぬ。


「いかがなさいます?」


大火傷を負った母の方はもう息をしていないように見えた。少女の方も肩は上下しているが髪や顔の右半分を焼き、片目は開いていない。このまま捨て置いても間もなく獣に食われるのが目に見えていた。いっそこの手で楽にしてやるべきか。刀に手を掛けた瞬間、少女の燃えるような瞳が景英を貫いた。見る者を捕らえて放さないような眼光。復讐心という生ける炎が身体をほとばしり、死に際の少女を生かしているようでもあった。


「行かせてやれ」

「し、しかし捕らえなくても・・?」

「よい」

 目で訴える兵を制する。


「・・よいのだ」


この先、身寄りのない少女が生き延びる可能性は極めて低い。しかしあの"生きたい"と訴える瞳を前にして、一刀に伏す覚悟は景英には無かった。右半身を引きずりながら徐々に遠ざかっていく小さな背中を見送りながら景英は少女の先行きを想った。





一週間後



下社しもしゃの境内に焚かれた篝火かがりびは時折小さくぜながら氏子たちを照らしていた。人いきれの中を盆に載せた餅が回り、とっくりを持った世話役が酒を注いで回っている。篝火の光と人々の影が目の前に迫り交差する様子は神代の再来を想像させた。年に一度の春祭り、人々の楽しそうな喧噪が熱となり辺りを包んでいた。


話のタネとなっていたのは上社かみしゃの剣客、曽我鷹山そがようざんの姿が数日前から見えなくなったという噂だった。


「元々、素性のわからんやつだったのだろう」とか「南の甲威かい国に渡ったのでは」、「上社はろくな奴を拾わん」というのが専らの意見だった。


灯火ほのかは剣術を教えていたひげ面の指南役について嫌な思い出と結びつけながらも身を案じた。同時に自分の出番である奉納の舞が終わった安堵感と、遅い時刻まで外出している非現実感に心を躍らせていた。


「おい灯火! 甘味噌の餅をいただいたぞ、食え」


せいがその手一杯に葉に載せた餅を持ってきた。後ろからは姉のと、初瀬はつせ姫も続いている。


「このお餅は初瀬ちゃんが作ったんですよ!」

「・・い、いえ、私はちぎっていただけで・・」


甘味は年に何度も口に入るものではないので、遠慮せず夢中で口に押し込む。赤味噌の奥に甘い味が広がって得も言われぬ幸福が押し寄せてくる。晴はというと初瀬の巫女装束に見とれながら心ここにあらずといった表情で餅を食べている。周囲を見ると皆思い思いに着飾ったり身なりを整えている者が多い。普段着飾らないたつですら家では見たことのないような柄の小袖を着て髪も丁寧に結わいてきている。祭りは氏族同士の出会いの場でもあったのだった。


灯火が指についたタレまで惜しんでしゃぶっていると後ろからワッと声が上がる。恒例の相撲が始まったようだ。

四つ角に篝火を置いてその中で男たちがぶつかり合うのだ。体格をも競うように上半身を露わにして取り組む様子に皆の視線が集まる。特に例年盛り上がるのが大工と漁師の取り組みだった。活きのいい若者同士が青筋を立てながら押し合う姿に、男衆からは野次が、女衆からは黄色い声が上がった。


「俺も身体を鍛えてはやく相撲とってみたいぜ」

「晴さんは来年には元服げんぷくでしたね。でも、もう少し身体が大きくならないと危ないですよ。相撲で怪我をすることもあるのですから」


たつの心配は晴にはらしく頭を掻いている。


佳直よしなお様はお取りにならないのですか、相撲。さぞお強いのでしょう?」

「初瀬ちゃん、うちの兄は今夜も篝屋かがりや(警護の詰め所)番だそうです。これで3日連続です。人がいないから仕方が無いと言うのですがお人好しもほどほどにしませんと」

「まあ。佳直様らしいですね」


口元を隠して初瀬が微笑む。

そんな明るい空気を切り裂くように風が吹いた。


「神前失礼つかまつる!押し通る!!」


境内に早馬で駆けつけたのは、噂をされていた当人であり、灯火、晴、たつの兄に当たる"佐補佳直さふよしなお"だった。篝屋かがりや(詰所)で市中の警護に当たっていたはずだが・・。


真静ましず様は何処いずこか!」


馬に乗ったまま境内に立ち入ることは御法度とされていたため、辺りは騒然となる。その騒ぎを聞きつけた神主、守矢真静もりやましずは慌てて駆けつけた。


佳直よしなお殿、どうしました」

「おお、真静様。申し上げます!越州国が兵を率いて国境くにざかいを越え、洲羽すわに向かっているとの報あり! 皆をいったん家に帰してください! 以降、領主の命あるまで家からは出てはなりませぬ」


突然の報に、熱に浮かされた空気が急速に冷えていくのを灯火ほのかは感じていた。なにがどうなっているのかわからないまま、とにかく大変なことが起きているのだということだけが腹の底を揺らした。





翌朝、紀野国きのこくにほど近い洲羽東部、渋依川しぶよりがわ北の田園地帯に、突如として越州国えっしゅうこくの兵たちが姿を現した。対峙した上社かみしゃ陣営の情報によると。その数、"千"。対して、洲羽領主並びに侍所さむらいどころの命で集められた防衛隊は四百に満たなかった。


越州国の若き将は口上で以下のように言い放ったという。


「越州国の治めるところとなった紀野の山間の村、"衣隠村いがくしむら"が、洲羽の残虐非道な襲撃によって滅ぼされた。治める者の務めとして紀野国に成り代わり洲羽の領地をもらい受けにきた」


身に覚えのない洲羽領主や上社陣営は幾度となく使者を送るが、事態はついに好転することはなかった。


「貴殿らの罪状はくつがえり難し。こちらに捕らえし首謀者は洲羽の"曽我鷹山そがようざん"と申す者。もはや知らぬ存ぜぬでは通らぬ。覚悟なされよ!」


昼過ぎに開始された越州国の突撃は守勢に徹した洲羽軍を確実に削り続け、渋依川しぶよりがわ対岸まで引かせると二度と元の陣地を踏ませることなく勝敗を決した。


後に「渋依川の合戦」と呼ばれるこのいくさは、川より北の領地を奪われた屈辱的な大敗として語られることになる。洲羽より越州討伐を懇願された信尾国主は、それに応えるどころか時の洲羽領主に責があるとし切腹を命じたのであった。


神々に守られてきた豊かな洲羽の地は、これにて混迷の時代に足を踏み入れる。

人々の欲や恐れに対して神々は答えなかった。鳥にまれた虫に答えないように。弓矢に討たれた鹿や、網にかかった魚に答えないのと同じように。ただ静かに見下ろしていた。しかしその手は、時空を越えたえにし手繰たぐり、洲羽の地につむぎ落とそうとはしていた。

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