第3話


ト ま ・・トスさま


「フレイトス様!」

「ここは・・?」

「何をおっしゃっているのです将軍!至急ご命令を!野蛮な敵兵が右陣を押していますぞ!」


どうやらしばらく眠ってしまっていたようだ。昨夜の深酒のせいか頭がガンガンする。


私は慌てて天幕を出る。直上には燃えたぎる大きな太陽、目の前には大きく開けた草木ひとつない褐色の渓谷。直下には千二百もの兵士たち。叫び声のする方へ目を向ける。右翼では乗馬した敵兵たちが丘を下りながら次々と矢を放ち、槍兵を恐怖と混乱に陥れていた。

開戦の準備をしていたつもりが、いつのまにか敵の奇襲を受けていたのだ。


「投げ槍隊を側面に回せ!敵の馬を射止めよ!」

「ハッ!」


丘の影に守られる右陣は最低限とし、マケドニア自慢の重装騎兵は開けた左翼に集めてしまっている。攻撃的な布陣が裏目に出てしまった。

隊列の側壁を猛烈なスピードで駆け抜ける敵の騎馬部隊に我が兵士たちは全く対応出来ていない。武装しているとは言え歩兵のほとんどは徴兵した農民であり、突発的な状況に対応できるような訓練をしていない。一度瓦解がかいしてしまうと伝令すら行き渡らなくなる。


「なんという速さだ」


誰かが呟いた。砂埃と奇声を上げながら近づきつつある敵兵を見ると、革鎧どころか麻布すら身につけてはいなかった。ほぼ裸に戦化粧をしただけの男すらいる。蛮族め・・!

左側面から回り込んで来た敵を排除するよう伝令兵に伝える。


近衛の弓兵が何頭かの敵騎馬を撃ち倒したそのときだった。側に控えた伝令兵の口から壊れた笛のような空気が漏れる。


コヒュ ヒュ


私が振り向くと兵の喉に矢が貫通していた。目を見開き苦痛に顔を歪ませている。彼はゴボゴボと喉から赤い泡を吹き出しながら音も無く膝から崩れた。瞬間、私は物見櫓から飛び降りる。数本の矢が周辺の空気を切り裂いたのを感じた。


急ぎ腕に覚えのある兵を数騎集める。たが機を見計らったのか、敵兵たちは器用にこちらの反撃を避けながら逃げ去っていくのが見えた。敵ながら見事な引き際だ。


幸いにも第二波の攻撃はないようだった。この間に現状を確認しなければ。自らも控えさせていた馬に飛び乗った。


私は百人隊長に体制維持を伝えながら右翼の状況を検分する。急襲を受けた槍兵たちは満足な防具をしておらず被害は甚大だった。敵の弓矢に撃たれ即死できたものはまだましで、死にきれない者が苦悶の叫びを上げ憎悪と恐怖を周囲にまき散らしている。


「おい!こんなところでくたばるな!故郷で嫁さんが待っているんだろ!!」

「あああ死にたくねえ・・・」


乾いた大地は赤い血を飲み尽くし不吉なまだら模様を作っていた。私は平静を装いつつ淡々と補給の指示を出す。生まれ育った土地を離れ言葉も通じない国で戦う。兵たちのうっ憤は溜まる一方で部隊内でのいさかいも増えつつあった。思わず荒地の終わりに漂う陽炎を睨みつける。

確かに今回の失態は完全に私の油断が招いたものであった。しかし、我が王はどこまで領土を拡大するつもりなのか。果ての無いその疑念については私も兵も変わるところがないように感じられた。





下社しもしゃ筆頭の氏族 佐補佳政さふよしまさは、信じられないものを目撃した。谷間の田畑に、向かい合った黒と赤二つの軍勢。その衝突が予想外の展開をもたらしていた。


通常、双方の矢合わせによって整然と始まるはずの開戦はすでに混乱に満ちている。騎馬とを2分割した赤軍・越州国えっしゅうこくは騎馬をさらに左右に分け、雷のような速度で黒軍・紀野国きのこくの両脇に侵入。すり抜けながら弓矢を放つ。紀野国の騎兵が追いかけるも赤軍の騎馬速度に追いつけず槍の射程に捉えることはできない。弓兵は同士討ちを避けたいがために狙いが定まらない様子だ。

そうしているうちに太鼓の音と共に赤軍の弓兵が前進、灰色の空に矢の雨を降らせ始めた。黒軍は進むことも引くこともできずに被害を拡大させている。焦った黒の騎馬たちは矛先を赤の弓兵に向けるも、入れ替わりで前にでた槍兵に次々と討ち果たされていく。混戦に至っても赤軍・越州国の優位は変わらないどころか差が開いていくようにも見えた。


この展開、すべて見切っていたのか。


佳政は、戦場の中心に堂々と在り続ける越州国の虎、三条景虎さんじょうかげとら瞠目どうもくした。と同時に、もうひとりの存在をと思い出す。


「・・・灯火ほのか。そち、なぜ越州が勝つと言ったのだ」


灯火は瞳を揺らし戸惑いの表情を見せた。しばらく押し黙っていたが、逃げられぬと悟ったのか重い口を開く。


「馬です。赤軍の馬は背が高く足が長いです。乗っている武士も軽装で弓しか持っていませんでした」


佳政は得心がいかぬ表情で先を促した。

「黒軍の馬のほうは足が短く、武士の甲冑も立派で長い槍をもっています。だから走り比べたら追いつけないと思いました。」


ふむ。 しかしそれだけでは・・


「足元の田は水入り前でまだ乾いています。あぜの高さも低く赤の馬ならば乗り越えられます」

「それで挟撃を予想した・・と」

灯火はぎこちなく頷いた。

「赤の歩兵ははじめ後ろに引いていて標的にはできないから、黒は赤の馬に釣られることしか出来なくて。だから赤は最初、行くも引くも、相手の出方に合わせて自在に選ぶことができます」

いくさを見たことのないわらべが、あの一瞬でそこまで戦局を予想し、判断ができるだろうか。佳政はその可能性を到底受け入れることが出来なかった。しかし、普段物申さない灯火が、どこか確信を持って予言した結末を見事に的中させた。まぐれ、か。それとも天佑てんゆうを持つのか。ふとせいを見やるとこちらも信じられないという顔で、目を丸くしている。


灯火ほのか・・。お前、いったい――」


晴が何かを言いかけたその時、わずかな距離に確かな兵気を感じた。佳政はすぐさまつばに手をかける。


何奴なにやつ!」


高い草をかき分け、赤い甲冑がひとり姿を現しゆっくりと口を開く。


「その旗印、紀野の者ではないな?ここで何をしている。言いようによってはただでは帰さんぞ」


男は越州国の伏兵のようだった。であれば。


「越州の虎は戦を始める前から追撃を企てているのか。大した自信家よの」

「名を名乗れい!!」

信尾国しなのこく洲羽すわ佐補佳政さふよしまさなり」

「ほう。田舎侍いなかざむらい同士、加勢でもする気だったのか。我がぬしに良い土産ができそうだ」


男は刀を抜き正面に構える。

灯火が小刻みに震えているのを感じた。晴はすっ転びそうになりながらも佳政の影に入る。この場で斬り合うわけにはいかぬ。佳政はすぅっと肺を膨らませ、気を吐いた。


「そこを動くな!!」


細身の佳政から出たとは到底思えない剛健な声が辺りに響く。


「貴様の脇にある白樺の木は紀野国きのこく信尾国しなのこくを分かつ国境くにざかいしるし。一歩でも前に出るならば、その首、信尾国主しなのこくしゅ御前ごぜんに並ぶことになるが、その覚悟があるのだろうな!」


無限のようなひとときのあいだに、谷を駆け上がった風が喧噪けんそうと血の匂いを届けた。男は一瞬迷ったのち、また草藪へと消えていく。


引いてくれたか。

緊張から解き放たれた灯火と晴はぐったりとその場に座り込んでしまった。


谷間に意識を戻すと越州国の勝ちどきが聞こえる。紀野の将が討たれたのだ。散り散りになった敗残兵はやがて野山に逃れ、先ほどの伏兵に遭遇するのだろう。その先は子らにみせるべきものでもない。潮時だ。


馬で引き返すと、帰路で上社かみしゃの武士と合流した。彼らもまた言葉を持たず無言で引き返していく。どの顔にも一様に「まずいことになった」と書いてある。越州の強さは噂以上だ。信尾との関係はそれほど悪いわけではないだろうが、ひとたびこじれれば洲羽も巻き込まれる可能性は十分にある。侍所である上社にとっては頭の痛い問題ともなろう。

その中にあって、ひとりだけ様子の異なる者に気づいた。上社の剣客、名を"曽我鷹山そがようざん"と言ったか。長い顎髭あごひげを何度も手で撫でながら、その双眸は自信に満ちていて妖しく光っているようにも見えた。


この合戦より三月みつきの間、越州が紀野を丸飲みにしていくことは、まだ誰も知る由もないことだった。





月が綺麗だった。薄雲を透かす三日月は障子を包みぼんやりと輝かせていた。屋敷の縁側に座っていても風一つ、音一つ聞こえない。穏やかな闇だった。


「また眠れないのか」


せいが障子を少しだけ開けて寝所から顔を覗かせる。

「うん。眠りたくない」

後ろからおおきなため息が聞こえた気がした。

前合わせを整えながら、晴は灯火ほのかの横に腰掛ける。

「おまえさ。真静ましずさまから預かった石、ちゃんと持っているんだろうな?」

灯火は懐から卵のような石を取り出して見せた。これは下社しもしゃのご神木しんぼくに抱えられていた石で、石神じゃくしんさまと呼ばれている。丸い石の真ん中に一つ目のような窪みがついている。いくさの物見に行った日から調子の優れない灯火に、真静が貸し与えたものだった。


「眠れないというか。眠りたくないんだ。だから効かないよ」

「どうして」

「寝ると、二度と起きられないんじゃないかって思う」

「どういうことだ?」

「その・・、寝ると、自分じゃない誰かになってしまうんじゃないかって怖い」

「誰かって、誰だよ」


「わからない」

「わからんじゃわからんだろう」

「だって、わからないんだ・・!」

灯火は視線を足元に落とした。自分でもなにがどうなっているかなんてわからない。ただ昼夜を問わず激流のごとく流れ込んでくる景色がある。きっと頭がどうにかなってしまったんだ。きっともうすぐ、ここじゃないどこかに行くことになる。自分じゃない”なにか”になってしまう。何の役にも立たないまま。母上を悲しませたまま。

すると、目尻からは涙が、鼻からは鼻水が落ちようとして、灯火はとっさに袖で乱暴に覆う。


「わかった。俺が悪かったから。男が簡単に泣くなって。な?」

晴は灯火の肩をわしづかみにし、ゆっくりと話はじめた。


「これは父上がまだ生きてた頃の話だ。灯火はまだ小さかったから覚えていないと思うけど、ある夜、母上と父上が言い争いしていたのを聞いてしまったんだ。なんでも母上が言うには、灯火がなにか異国の言葉らしき戯言ざれごとを言うときがあって怖い、というんだ。聞いたことも、もちろん教えたこともない言葉を口にする。だから灯火は悪霊憑きなんじゃないかって。もしそうなら世間に殺される前に私が灯火を殺して自分も死ぬ。母上はそう言って泣いてた。そのとき父上は、もしそうだったなら一家で逃げてどこぞの隠者にでもなろう。だから心配いらぬ。そう言って母上をなだめていたよ。そのとき俺には正直なんのことだかわからなかったし、お前にもおかしなところはなかったからすっかり忘れていた」


「とにかくお前が何者になろうと、母上と俺にとって灯火は、灯火だ」


晴は腰を上げ、寝所に戻っていく。側に彼の熱だけが溶けずに残っていた。

灯火は丸い石神じゃくしんさまを指先でゆっくりと撫でては再び懐に戻す。頬を優しく夜風が撫でて、月明かりをそのぼやけた目で見上げた。庭の桜がチラチラと舞い白い残像がくっきりと視界に残る。灯火はしっかりとした足取りで踵を返し、寝所の闇に溶け込んでいく。


明日の朝起きたら、いつもどおりが作った朝ご飯を食べる。空はきっと晴れていて、洲羽湖には綿毛みたいな白い雲が浮かぶのだろう。


きっと、きっとそうなのだと思う。

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