26.元カノ・佐々木二千花③

『さっきぶりね、百那。……埋橋さんは元気かな?』


『うんうん、お見通しだよ、怪我してるんでしょ? だからさ、一対一でやろうよ。場所は……』


『もちろん、埋橋さんはついてきちゃ駄目だからね? ついてきても分かるから』


 ターゲットのスマホとだけ通話できる性格の悪いスマホで百那は呼び出されて、指定の座標へたどり着いていた。


 もちろんそこに、唯愛は居なくて。


 どころか、唯愛との距離は直線で3kmほどもあって。


 偶然にもそこは、最初に二人が対峙した草原であった。


「ちゃんと言うこと聞いたんだ、えらいえらい」


 そこにはただ、佐々木二千花が待ち受けるのみ。トレードマークの黒いツインテールが風に揺れて、笑顔の奥底にはどす黒いものを感じさせる。


「やっと二人きりになれたね、百那」


 二千花は拳銃を構えて、笑顔のまま言った。


「……二千花はさ、相変わらずわたしのことが好きなの」


 百那もデザートイーグルを構え、それに応じる。その細腕にひどく不釣り合いな巨大な拳銃は、油断なく二千花を狙いすましている。


「うん、殺したいくらい大好きだよ?」


「……わたしのカードが空白だって知っても?」


「当たり前じゃん。むしろどっかで気づいてたくらいだよ。……もしかして水庫百那は誰のことも好きになれない、欠陥人間なんじゃないかって」


「ひどいな」


「……ひどいのはアンタでしょうが」


 ああ、この口ぶりなら、すべてバレているのだろう。


「アンタは誰かを好きになるためにあたしと付き合った。それこそ、まるで実験でもするみたいに。……そして、あたしも駄目だと分かった途端に、切り捨てた」


 ああ、静かな口調に、確かな怒りがにじみ出ている。


「キスしたときも、一緒に寝たときも、あなたはあたしが感じているときめきを万分の一も感じていなくて、ただ冷めた頭で考えてたんでしょ?」


 百那のものまねでもするように、ふっと真顔になって、二千花は続けた。

 

「ああ、わたしは女の子“も”好きじゃなかったんだなあ――って」


「……だとしたら、どうする?」


「アンタには同性に告白する勇気がどれだけのものか分からないの?」


「分からないね」


「あたしはね、中学時代に好きな女の子がいて、でも結局最後まで告白できなかった。だから今回は、今回は後悔しないようにって――」


「――女子校だからイケると思っただけでしょ?」


「……アンタは本当に、人の気持ちがわからないのね」


「うん、わからないよ、ぜんぜん」


 そう言うと、百那はおもむろにデザートイーグルを自らの頭に押し付けた。


「……またそれ? 芸がないわね。今回は助けてくれる埋橋さんはいないけど」


 呆れ返った顔で二千花は言う。先ほどスマホの位置情報を確認したが、唯愛はここから3km先で微動だにしていなかった。


「いないからこうしてるんだよ。……もう何もかも面倒になったんだ」


 相変わらず、百那は真顔で。


「好きとか嫌いとか最初に言い出したやつをぶっ殺してやりたい気分だよ、今。別にいいじゃん、誰も好きになれなくたって。それで不都合あるの? そりゃ今不都合を全身で感じてるけどさ、でも違うじゃん。なんでみんなそんなに楽しそうにしてるの? わたしだけ置いてかれてるの? おかしいじゃん。好きってなんだよ、意味わかんねえよ」


「……百那」


 真顔のまま、だけどその言葉には鬼気迫るものがあって。


「わたしはわたしなりに頑張ったんだよ、好きになろうって。それでも無理だったから、好きでもないのに付き合い続けるのも悪いと思って二千花を振ったんだ。じゃあ二千花は好きでもないのに無理して好きだよって言い続けたほうが嬉しかったの? 違うでしょ? 二千花が飽きるまで頑張ればよかったのかな? でも辛いんだよ。わたしは全然楽しくないのに二千花は心底幸せそうでさ。自分は空っぽな人間だって無理やり教えられてるみたいでさ。なのになんで一方的に被害者面出来るの?」


「……そういうつもりじゃ」


「じゃあどういうつもりだったの? そりゃ悪かったと思うよ。普通なら振ればそれで良かったんだと思う。でもさ、みんな楽しそうだからさ、わたしもやってみたかったんだよ。そう思うのはおかしいかな? 好きじゃないけど好きになれるかもしれないから付き合うって、ぜんぜん普通でぜんぜんみんなやってることなんだよね? ただわたしは壊れてるから好きになれなかった。

 ……二千花が怒る気持ちもわかるよ。だから、これはお詫びのつもりなんだ」


「待って、百那っ!」


 言いながらも、二千花は百那に近寄ることさえ出来なくて。


「そして復讐でもある。わたしに一方的に好意をぶつけて、わたしの空虚を無理やり浮き彫りにさせた、唯愛と、二千花への!」


「待ちなさい、待って、待ってってば――」


 ようやっと、二千花が銃を構えるのも忘れてこちらに駆け寄ってくる。


「――だからさようなら、二千花」


 だけどその動きは、引き金を引く速度と比べれば、あまりにも遅くて。


 カチャリ――引き金を引く音が、いやに大きく聞こえて。


 ついに銃声が、鳴り響いた。


 ※


『百那、デザートイーグルで自殺するならちゃんと口で咥えなきゃ駄目だよ』


『……いきなり何?』


 それは、昨日の夜、テントの中での出来事だった。

 唯愛はデザートイーグルの手入れをしながら――思えばそんなふうに当たり前のように銃を整備している時点で色々おかしかった――、突然言ったのだ。


『コメディアンが映画監督したヤクザ映画の有名なポスターあるじゃん? 笑顔で頭にピストル突きつけて自殺してるやつ』


『いや知らないけど』


『え、マジで? 日本人なのに? 世界のキタノだよ?』


『……唯愛、本当に17歳?』


『失礼な、17歳だよ。……そうじゃなくてさ、そうやって頭に銃を突きつけて自殺しようとすると、失敗する可能性があるんだよね。そりゃ普通の拳銃ならしっかり突きつけてやれば失敗しないと思うけど、ちょっとでも手元がズレたら銃弾は頭蓋を貫通しないで、頭の表面を滑っていくんだよ』


『つまり、どういうこと?』


『デザートイーグルはあれだけデカくて高威力だから、普通片手で撃てないよね? しかも、百那はこの細腕と来たもんだ。だから頭に突きつけた状態で撃ったら、反動に加えて長い分バランスが悪いから簡単に手元が狂って、頭をちゃんと撃ち抜けないかもしれないってこと』


『……なるほど。まあ死ぬつもり無かったし、別にいいんだけど』


『いやいや、それでもだよ、もし相手が銃に詳しかったら自分のやろうとしてることが狂言だってバレるかもしれないじゃん』


 変に細かいことを急に言い出す百那はちょっと面白くなって、その後は件の映画の話をして、生きて帰れたら見るという約束をしたのだが、それは今関係なくて。


 つまり何が言いたいのかというと。


 デザートイーグルを頭に突きつけて自殺しようとするやつは、普通いないということだった。


 だけどそれでも、銃声は鳴って。


 だけどこうして、百那は生きていて。


 二千花はデザートイーグルの銃身で殴られて、そのまま馬乗りにされていた。


 ガチャリ、そこでようやくデザートイーグルに銃弾が装填される。


「……なんで、どうして、音が聞こえたのに」


 呆然と、こちらにデザートイーグルを突きつけた百那を見上げる。


「……スマホだよ」


 その一言で、二千花はすぐに種に気づいた。


 自分たちに配られた、ターゲットのスマホとだけ通話できる性格の悪いスマホ。

 それで百那と唯愛は通話状態のままここまでやってきて、あとはタイミングを合わせて、向こうの唯愛が拳銃を撃ち、銃声をスピーカー越しに響かせたのだ。


 とっさのことで音の違和感になど二千花が気づくはずもなく、見事にはめられた、そういうわけだった。


「二千花が電話をかけてくれるまでぶっちゃけ忘れてたからさ、こんな機能。……ありがとうね」


 油断なくデザートイーグルを構えたまま、百那は言った。


「……あははは、そうか、そうなるか」


 笑ってしまうほど、あっけない幕切れだった。


「なら、早く、ひと思いに撃ちなさいよ」


 いくら睨みつけても、巨大な銀の拳銃はその50口径を放とうとしない。


「……わたしは、殺したくない」


 代わりに、震える声で百那は応えて。


「“殺したくない”? 好きでもないくせにっ!?」


「……そうだよ、わたしは別に二千花のこと好きじゃないよ。でも、だからこそ、わたしは誰かを殺しちゃ駄目だと思うんだ」


「面と向かって言われると結構傷つくわね」


「……わたしみたいな壊れたやつが誰かを殺したら、きっと歯止めが効かなくなる。だって誰も好きじゃないんだもん。そんなわたしを繋ぎ止めてくれてるのは一般的な常識や倫理観で、それがあっけないものだと分かったら、どうなるか」


「……結局、自分が大事なだけ?」


「そうだよ、それだけ」


「――いいかげんにしなさいよ、このドクズッ!」


 百那が頷いた瞬間には、天地が逆転していた。


 気が付いたら、真上に二千花が馬乗りになっていて。


「なんでアンタは、いつもいつも、そんなに無神経でっ――」


 そのまま、百那にキスをしていた。


 舌を絡ませ、歯茎をねぶり、小さな口の中を蹂躙する、どうしようもないキス。


 付き合ってるときより、ずっとずっと激しいキス。


 銃弾の代わりにやってきたそれに百那は目を白黒させて手足をジタバタさせるが、二千花は彼女の細い体を抱きしめて逃さない。


 そうしてどれだけ経っただろうか? 長い長い、窒息してしまうそうなくらい長いキスはようやく終わって。


「……好きになった?」


 口と口に銀の橋をかけながら、少しとろりとした目で二千花は問いかける。


「……ごめん、ぜんぜん」


「最ッ低」


 こちらを睨みつけると、二千花は拳銃を額に突きつけて。


「……撃たないの?」


 だけど、その引き金はいくら待っても引かれなくて。


「……撃てない」


「なんで」


「聞かなくても、分かるでしょ」


 熱いものが、頬に落ちるのを感じる。


「……好きな子を、殺せるわけないじゃん」


「そっか、大変だね」


「……大変だよ、恋する乙女は」


 熱いものは、その量をどんどん増していって。


「でも撃たなかったら、あと2時間くらいで死んじゃうじゃん、二千花」


「……そういうアンタは、撃っても撃たなくても、誰も好きじゃないから、絶対死ぬわね」


「二千花はさ、誰かを好きになれるじゃん、わたしと違って」


「……黙ってて、どうせろくなこと言わないでしょ、アンタ」


「わたしを殺しても、また新しい好きな人を見つければ――」


「死ね」


「じゃあ殺せばいい」


「……アンタが最後よ。最後なんだ。アンタを殺して、あたしの恋は終わり。あたしはアンタを殺したときの感触と添い遂げる。たとえ他の誰かと結ばれても、頭の片隅ではアンタを撃ち殺した記憶がずっとリフレインされ続ける」


 自らに言い聞かせるように二千花は言って、銃口を額に力強く押し付ける。


 だけど、その手はどうしようもなく震えていて。

 その息はすでに絶え絶えで。


「殺す、殺す、殺す、殺す、殺さないと――」


 対する百那は、どこまでも平静で、落ち着いて目を瞑っていて。


「殺さないと、駄目なんだ!」


 やっと引き金に指がかかる、その瞬間だった。


『私のこと好きになれたら、殺していいからさ』


『……じゃあさ、わたしが唯愛ちゃんのこと好きになれなかったら、そのときは殺していいよ』


『いいね、それ。じゃあ、このゲームが終わるギリギリまで近くにいないとね、百那?』


 脳裏に約束が蘇って。


(……ああ、そういえば、そうだった)


「ごめんね、二千花」


 百那はその腕をつかむと銃を射線から外し、そのままデザートイーグルを、世界でいちばん威力の高い拳銃を、二千花の腹めがけて発射した。

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