25.決戦前

 百那は血まみれの唯愛の指示に従い、ハルの遺体から衣服を剥ぎ取って唯愛の傷を止血した。


 腹に3発の銃弾を食らったにしてはその指示は嫌に的確だったが、それでも唯愛の顔色はどんどん悪くなっていって。


「……唯愛」


「……あはは、ごめんね、手間かけさせちゃって」


 木に背を預けて力なく笑う唯愛は、あまりにも弱々しく見えた。


「中島さんも殺しちゃったし、挙げ句こんなんになるし」


「……わたしのせいだ」


「はい?」


 思い詰めた様子で、百那が言う。


「唯愛はわたしが余計なことを言ったせいで中島さんを殺すのをためらって、こうなったんだ」


「……それは」


「唯愛はきっと助からない。今すぐ病院に連れていけるならともかく、こんな病院どころか救急キットさえない場所じゃ」


「いや、それは」


 全くもってその通りだったが、百那を安心させるためだけに唯愛は虚勢を張っていた。


「だから、こうしよう?」


 彼女はそう言うと、銃を逆手に持って唯愛に突き出した。


「……は?」


「わたしを殺して、このゲームをクリアすれば、唯愛は生き残れる」


 百那は相変わらずの真顔で。それこそ、二千花相手に自分の頭に銃を突きつけたときや、ハル相手に躊躇いなく突っ込んでいったときと同じ表情で。


「何いってんの、百那?」


「このゲームをクリアすれば、どこかに待機している医療チームが唯愛を助けてくれるかもしれない」


「そんな、確証もないのに」


「ないかもしれないけど、ここで何もしなかったら唯愛は失血死するか、そうじゃなくても三時間後には首の爆弾が爆発して死ぬんだよ」


「……」


 確かに百那の言い分はどこまでも正しかったけれど。


「……絶対嫌だ」


「はい?」


「私は、絶対に百那を殺したくない」


「なんで? わたしのカードは未だに真っ白なんだよ? 約束したじゃん、わたしが唯愛のことを好きになれなかったら、殺していいって」


「まだ3時間ある」


「3時間しかないよ。わたしは17年間生きてて一度も誰も好きになったことがない」


「……ないなら、私のこと好きじゃないなら、なんでそんな簡単に命を投げ捨てようとするの。好きでもない相手に命を捨てるなんて、おかしいよ」


「好きとか嫌いじゃない。誰かが死にかけてたら助けるよ」


「自分の命がかかってるんだよ!? じゃあ何、私じゃなくて佐々木さんが同じ目に合っててもそうするわけ!? ふざけるのも大概に――」


 言い終える前に、唯愛は激しくむせて血を吐いていた。


「――唯愛っ!」


 百那は彼女の肩に触れようとするが、その手は払われて。


「……答えてよ。百那は、佐々木二千花が相手でも同じように命を捨てるわけ?」


「そうだよ、わたしは誰が相手でも助ける――そう言えば、殺してくれる?」


 その表情はやっぱり真顔で、真偽は分からなくて。


「……殺すわけ、ないじゃん」


 それでも、殺せるはずがなかった。


「……意味分かんないよ、唯愛も、二千花も、こんなろくでなしの何がいいわけ? 百年の恋どころか一万年の恋だって醒めるでしょ、こんなの」


「恋したことないくせに」


「……たまに意地悪だよね、唯愛」


 ようやく、真顔から少しむっとした顔になる。……こっちのほうが可愛い。


 そんな顔を見ていると、自分の中にあった緊張が徐々にほぐれていって。


「……百那は自分のことをろくでなしとか言うけどさ、私なんか、もっとひどいやつなんだよ」


 微笑みながら、唯愛は余計なことを言っていた。


 それこそ、こんなことを言ったら余計に好きになってもらえないと考えながら、口は止まらなくて。


「私はね、百那。人殺しなんだよ」


「中島さんを殺したのは」


「そうじゃなくてさ、私は百那を騙すためのカードを手に入れるために、もうひとり殺してるんだ。……しかも、名前だって思い出せない」


 きっと、死期が近いから、だから懺悔がしたくなったのだろう。


 唯愛はさらに続けていく。


「今まで私は、数え切れないほどの人を殺してきたんだ。誰一人名前は覚えてない。だって、興味なかったし」


「……唯愛」


「その名前だって、偽名だよ。私に本当の名前なんかない。私はいろんな名前を使って、いろんな人達を殺してきたんだ。悪い人も、いい人も、どっちでもない人も、区別なく」


 百那の顔が、悲しそうに歪んでいる。ああ、せっかく可愛い顔が台無しだ。


「私はね、殺し屋だったんだ。……笑えるよね、殺し屋。馬鹿みたいだよね、殺し屋。嘘みたいだよね、殺し屋。でも本当なんだ、殺し屋。

 ……だけど、一回しくじって、こんな学校に飛ばされた。思えば、最初からこうやって殺し合いをさせるから私を呼んだんだろうけれど」


「唯愛は、なんでしくじったの」


 素朴な疑問。あるいは、こちらが聞いてほしそうな顔をしていたせいだろうか。

 どちらにせよ、答えないといけない質問だった。


「……私たちが所属していた組織は、孤児の子供を引き取って殺し屋に仕立て上げていたんだ。上手くやれなかったらクスリで廃人にされて売春窟送り。だから必死で自分の技術を磨き上げる。感情を殺して、ターゲットを殺し続ける。……それでね、私は同い年くらいの女の子と一緒に仕事をやっていたんだよ。名前は、なんて言ったかな、ええっと――」


 駄目だ、大切なあの子の名前さえあやふやだった。あるいはそれは、目の前がひどく霞みはじめてるのと関係があるのだろうか。


「……そうだ、アオイだ。その子は東洋の血が入っていて、名前はアオイだった。それで、何の話をしてたんだっけ?」


「唯愛が実は元殺し屋で、何かをしくじってこの学校に飛ばされたって言うから、その理由を教えてもらってた」


「そうそう、それだ。……アオイと私はね、いわゆるバディってやつでさ、当時の組織でも特別殺しまくってたんだ。最強のふたりなんて言われたりしてね。……そう、最強のふたりだったんだ。なのに、なのにさあ」


「死んだの?」


「……ううん、もっと最悪。アオイはさ、組織を裏切ったんだ。それで私はアオイを処理することで組織に忠誠心を見せなきゃ駄目になった」


「でも、殺せなかったんだ?」


「うん、正解。よくわかったね」


「唯愛は優しいから」


「……優しかったら軽く三桁も殺ししてないよ」


 これは言うべきだろうか――そう思いながらも、唯愛は百那の優しさに甘えるようにこう続けていた。


「アオイはさ、すごく優しくて、いい子だった。見た目も、中身も、百那にそっくりだった。……無感情な殺人マシーンに、感情とか、好きとか、そういうのをくれた」


「違うよ、わたしがアオイに似てるんでしょ?」


 そう言う彼女の顔は、霞んだ目には掴みきれなくて。


「唯愛はアオイの代わりにわたしを好きになった。それだけなんだ。だから、そんな代用品なら、殺せるよね?」


 百那が銃を手渡そうとしてくる。もはや撃つ力も残っていなかったが、それでも断固として拒否して、銃は二人の間の地面に落ちる。


「……殺さない。私はアオイも殺せなかったし、百那のことだって」


 それに、代わりなんかじゃない――そう言いたかったけれど、もう眠くて眠くて仕方がなくて。


「ごめん、私はもう駄目みたい――」


「寝ないで!」


 言い終える前に、突然それはやってきた。


「――あ痛っ!」


 それは、渾身のビンタだった。とても死にかけてる人間にやるようなものじゃない、ガチのビンタ。


 そんなビンタが、何度も何度も続いて。


「ちょっ、痛い、痛い、痛いって、死んじゃうから!」


 痛みによって視界が晴れていく。


 そこには、憔悴しきった顔の百那がいて。


「はぁ、はぁ、……死なないでよ、唯愛。わたしが好きになる前にさ」


「……それは、ごめん。だけど、実際眠くて眠くて――」


「だったらわたしは、二千花に殺されるよ?」


「……は?」


 その一言で、唯愛の意識は完全に覚醒した。あんなに眠かったはずなのに、睡魔はすっかり吹き飛んでいて。


「言ったじゃん、二千花が相手でも助けるのかって! 唯愛がわたしを殺さないでここでくたばるなら、二千花に殺されるよ、わたし!」


 その言葉は、あまりにも鮮烈で。


「……死にたくない」


 気がつけば唯愛はそう漏らしていた。


「でも、殺したくないよ! 死にたくないし、殺したくない!」


 そのまま、子供みたいに泣き叫ぶ。


 とても、三桁の人数を殺してきた殺し屋のそれとは思えない、ひどく情けない叫び声。


「私は百那が好きなんだ! 振り向いてくれなくたって、好きになってくれなくたって、それでも!」


「……じゃあ、死なないでよ。約束したじゃん」


 そうだ、約束。


『私のこと好きになれたら、殺していいからさ』


『……じゃあさ、わたしが唯愛ちゃんのこと好きになれなかったら、そのときは殺していいよ』


『いいね、それ。じゃあ、このゲームが終わるギリギリまで近くにいないとね、百那?』


 そうやって、私たちは約束したのだから。


「うん、私は死なない! ……たかが銃弾で3発撃たれたくらいで死ぬわけないじゃん、こっちは最強の殺し屋だよ?」


「言ったね? ……わたしが好きになれるまで、ちゃんと生きててよね、唯愛?」


 だから唯愛は、百那は、3時間後には出る答えを棚上げする。


 百那のカードは未だに白紙で、唯愛は百那を殺す以外で生き残るすべなどないが、それでも。


 それでも二人は、たしかに今、笑い合っていた。


 ※


「……つまりあなたは、ボクみたいな白紙のカード持ちでも生き残れると、そう言いたいの?」


 突然現れた彼女は、テントで膝を抱えていた愛沢あいざわゆう――ゲーム未クリアで現在生き残っている6人のひとり――にそう告げた。


「うん。なんとかなると思う。というか、なんとかしないとだめなんだけど」


(……ええっと、この子、なんて名前だっけ)


 少なくとも位置情報に彼女の名前はなくて、ただ教室の隅でよく机に突っ伏してたくらいの思い出しかなくて。……あとなんかすごい変な名前だった気がする。


「ところで、ええっと、その、君はなんで位置情報に名前がないの?」


「……すでにゲームをクリアしてるから」


 思わず息を呑む。だって、ゲームをクリアしてるって言うことは――


「殺したよ。殺さないと駄目だったから」


 その目は、とても悲しい目をしていて。


「でも、だからこそ、私は案内できるんだ。……人殺しは嫌だと思うけどさ、でも、一緒に来てくれないかな?」


 だから夕は、彼女の――針井はりい舞々まいまいの手を取っていた。


「……ていうかずっと気になってたんだけど」


 舞々はテントの片隅に立てかけられたそれを指さして、夕に問いかける。


「それ、アサルトライフル?」


「……M4カービンとか言って、30発を数秒で一気に撃てるって。アメリカ軍でも使われてるとか、何とか」


 夕は同梱されていた説明書を読みながら、露骨に驚いた様子の舞々を怪訝そうに見つめる。


「いやいや、おかしいでしょ。今まで私たち、良くて拳銃でドンパチしてたわけでしょ? なのに、なにこれ、パワーバランスがおかしいじゃん? ドラゴンボール並みにインフレしてない? こんなの対人戦で使ったら一瞬で終わりじゃん」


 とか何とかしばらくブツブツ言ったあと、急に笑顔になって。


「まあでも良いか! これがあれば心強いもんね! さあ、行こう行こう!」


 件の黒光りする物騒極まりないゴツい銃と予備の弾倉を持つと、舞々は歩き出した。


(……本当に大丈夫かなあ)


 そう思いながらも、夕は仕方なしに彼女の後をついていく。


 どのみち、誰かを殺す以前に白紙のカードの自分には選択肢がないのだから――そんな後ろ向きな思いとともに。


 ※


「やっと、やっと見つけた!」


 舞々がM4カービンにドン引きしている一方、二千花はやっと拳銃を見つけて大はしゃぎしていた。


 その大はしゃぎにはずっと探していたものが見つかった以上の理由が隠されていて。


(……たぶんこの戦い、あたしに分がある)


 二千花は時間をかけて見つけたがゆえに、却って百那たちの状況を断片的ながら掴んでいたのだ。


 位置情報――未だに中島ハルの反応が消えた場所から動いていない。普通、死体の近くに居続けるだろうか? つまり、動きたくても動けない事情がある。

 さらにこうして位置情報丸出しの二千花のところにやってこないのは、中島ハルを殺害して不殺という建前を捨てた今では不自然である。


 つまりそこから導き出されるのは、埋橋唯愛が大怪我をしている可能性だ。例えばこれが百那が怪我をしているならば、唯愛は彼女を背負って行動できるが、実際はこうして止まっている。


(……つまり埋橋さんの援護はない、純粋な一対一で戦えるわけだ)


 仮に怪我をしているとしたら――そこから敷衍してさらに考える。


(動けなくても銃があるのだから、何をされるか分かったものではない。戦ってる間に銃で撃ち抜かれるなんてこともあり得るわ)


 そこで二千花は、ひとつの妙案を思いついた。


「そういえば、このスマホ一応通話できるんだった」


 自分が殺さないといけない相手限定で、通話が可能なスマートフォン。

 二千花はそれの存在を思い出し、百那に電話をかける。


「さっきぶりね、百那。……埋橋さんは元気かな?」


 声を作る。余裕たっぷりの声を。 


「うんうん、お見通しだよ、怪我してるんでしょ? だからさ、一対一でやろうよ。場所は……」


 座標を適当に指定する。


「もちろん、埋橋さんはついてきちゃ駄目だからね? ついてきても分かるから」


 そうやって釘を刺して、彼女は指定した座標まで動き出す。


 胸がどうしようもなく高鳴っていた。


 やっと、やっと、誰も好きじゃない、人の好意に絶対応えない、あのろくでなしの鈍感馬鹿を殺せる――そう考えるだけで、心臓が今にも破裂してしまいそうだった。


 かくして、二千花の最終決戦が幕を開けようとしていた。

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