23.神長琴子と姉岸深百合②

 姉岸深百合は琴子と条件を合わせるためだけに、自らの土手っ腹に銃弾を撃ち込んだ。気の狂った所業だ。

 この狂気を生み出した源泉が自分であると思うと、琴子は改めて二年前の自分の行いに怖気を感じる。

 そして今も、深百合は腹から血を溢しながら一分の隙もなく構えていて。


(……普通に考えれば、こっちは深百合の攻撃をいなすだけで勝てると思うけれど)


 今の深百合はガソリンタンクに穴の開いた自動車も同然。時間を掛けさせれば掛けさせるほどに、深百合は勝手に消耗していき、いずれ自滅するだろう。


(でもそれじゃあ、面白くない)


「――あがあああああああッ」


 だから琴子は、せっかく塞がった自分の傷口に指を突っ込んで。


「馬鹿!?」


「人のこと言えねえでしょっ!」


 指先についた血を目潰しに撒き散らし、そのまま殴りかかった。


 その正拳は確かに深百合の傷口を捉えたが。


「「……!」」


 深百合の貫手もまた、琴子の傷を抉っていた。


 そのまま二人は同磁極の磁石めいて反発し、にらみ合う。


「……こんな血まみれ血みどろなの、空手じゃないでしょ」


「師範代が見たら卒倒するだろうね」


 だが、本来の空手道など二年前にとっくに辞めてやったのだから。


 いくらでも暴力的にやってやろうじゃないか。


 琴子が廻し蹴りを放つ――それは深百合の傷へ向かって放たれて、深百合はそれを手のひらで防ごうとする。


 だが、それはブラフで。


 廻し蹴りは途中で軌道を変えて、深百合の頭を捉えた。


 先ほどの腹を狙うと見せかけての下段に対するお返し――とは言っても、深百合にこれを上段蹴りで再現するセンスなどないが――だった。


 もろに食らって引き倒された深百合に琴子はそのままマウントを取ろうとして――


「――ぎっ」


 琴子の右目に、深百合の人差し指が突き刺さった。


 目潰し。あらゆる格闘技で禁止された、反則中の反則。


 やはり深百合は、空手はともかくとして暴力は自分よりずっと上手い――激痛に苛まれながらも琴子はそんなことを考えていて。


 マウント返し。


 琴子はのしかかられて、深百合の拳の雨に晒された。


 ※


 うれしかった。心の底から、うれしかった。


 琴子が自らの腹の傷に指を突っ込んだ瞬間、絶頂するかと思った。


 あまりのよろこびに、深百合もまた琴子の穴に指を突っ込んでしまった。


 琴子の穴は熱くて柔らかくて、手がぬちゃにちゃと粘液まみれになってしまって。


(でも、琴子はわたしの穴には指を入れてくれないんだ)


 挙げ句頭を蹴るなんて言う淡白でごく普通な攻撃なんて、萎えるではないか。


 こんなの、普通の空手じゃん――だから綺麗な、だけど鋭い瞳に指を突っ込んでやった。


 そして今、琴子の体を組み敷いてやって、その筋肉質なようで柔らかいところはちゃんと柔らかい体を味わいながら、殴る、殴る、殴り続けていた。


 女子校の王子様は伊達ではない、そんな綺麗な顔をひたすらに殴る、殴る、殴る。


 あの神長琴子が、この姉岸深百合にいいようにボコボコにされている。


 楽しかった。震えるほどに楽しかった。


 もはや感覚さえあやふやなくらい拳はボロボロで、白いものが顔をのぞかせていて、どちらがどちらの血かも分からなかったが、それでも止められないくらい、楽しかった。


(こんなにボコボコにされてお岩さんみたいになってもあのにわかファンたちは推し続けるのかな?)


 ああ、もちろん最古参の自分は彼女が死んでも推し続ける予定だ。この子の魅力は見てくれなんかじゃないんだから。


 このまま動かなくなるまで殴ったら、あとは首を絞めて終わり――


「――ごあっ」


 そう思った瞬間、腹部に激痛が走った。


 親指だ、親指が腹に、穴に、突き刺さっている。


 他の四指が腹を鷲掴みして、ぐちゃりぐちゃりと親指が穴をいじり動き続ける。


 びくりびくり、体が痙攣するのは痛みか、それとも快感がゆえか。


(ああ、やっと、琴子も――)


「死ね、クソボケ!」


 そのまま、琴子の頭突きが命中した。


「……やっと、琴子も穴に指を入れてくれたね」


「何いってんの、気持ち悪い」


「恋する女の子はみんな気持ち悪いんだよ」


「……それは、そうかもね」


 二人は息も絶え絶えで、どちらも立っているのさえ奇跡的に見えて。


「私もこんだけボコボコにされても、深百合のこと嫌いになれないもん」


「それはわたしもだよ、琴子。琴子にボコボコにされるたびに、もっと好きになっちゃう」


「……きも」


「琴子こそ、こんなんじゃ将来悪い相手に引っかかりそうだし、良かったね。ここで死ねば、将来もクソもないもん」


「それはアンタの方でしょ」


「眼帯系女子とか痛いからここで死んどいたほうが良いって」


 そういえばクラスメイトにそんな奴がいた気がするなあ。


「失血死コースのやつが何いってんの? もう顔真っ青だけど?」


「そう言う琴子は赤紫だね」


 顔が倍くらいに腫れて、右目も見えてない。


 おそらく、ろくに何も見えてないのだろう。さっきから視線がまるで合っていない。


 それに真っ青なんて大嘘だ。今の自分はとてつもなく元気だった。


 呼吸を整える。深呼吸する。腹に激痛が走るが、気にしない。


(……最後は、これで決めてやる)


 上段廻し蹴り。


 激痛を感じながら、地面を蹴り左足をあげる。痛いくらいでどうしたのか。

 何度も練習したのだから、それぐらいどうってことないはずだ。


 今でも鮮明に覚えている。


 中3の県大会、自分を瞬殺した一撃を――


 だから、これで決めてやる。


 右側の死角。深百合は上段廻し蹴りを琴子の頭に向かって放ち、


「……来ると思ってた」


 琴子はそれをものの見事に防いだ。


「なんで」


「だって、深百合は結局空手家だし」


 片手で蹴りがいなされて、深百合の頭に、それは鋭く突き刺さった。


 とても美しい、無駄のない、洗練され尽くした、上段廻し蹴りが。


 かくして深百合の意識は、そこで断絶した。

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