20.神長琴子と姉岸深百合①
『残り時間も4時間となりましたので、ここでちょっとした情報を開示させてもらおうと思います!
公開する情報は、そう――誰が生き残っていて、どんなカードを持っていて、現在どこにいるかです!』
二日目の午前6時――残り時間が4時間に迫る中、初日に教室で出会った仮面の怪人物が、スマートフォン越しに告げた。
杏里たちから逃げた先、朝日が差し込む洞窟にて。彷徨いに彷徨って見つけた先さえ安息の地ではないのかと、琴子は思った。
(……クソ、とうとうバレるか)
生き残った面々を仮面が読み上げるのを尻目に、琴子はこれからのことを考える。
深百合に自分のカードに書いてある名前を知られる――一番好きな相手が、殺さないといけない相手が、他ならぬ深百合だと知られてしまう。
これからどうするべきだろう――そんな彼女の思考は、仮面の言葉に遮られた。
『姉岸深百合さんの想い人は、神長琴子さん! なんとなんと、両思いです! 今も一緒にいますが、このまま終了時間までいちゃついて過ごすつもりでしょうか! 未来は爆死しかないというのに何と呑気で情けないことでしょう――』
「……あは、バレちゃったか」
絶句する琴子に、深百合はこの島で初めての笑顔を見せて、懐から先ほど杏里から渡された一発だけ弾を込められた拳銃を取り出すと、
「じゃあ、殺し合おっか」
自分の腹に突きつけて、発砲した。
※
神長琴子は、自分が姉岸深百合に心の底から嫌われていると信じてやまなかった。
(いやいや、あんなことしたんだから、当たり前でしょ)
神長琴子と姉岸深百合は、どこで出会ったのか。
それは中学1年生のとき、学校の空手部であった。
空手部は弱小で、部員も少なければ練習量も少なく、小学生の頃から空手を続けている深百合にとっては非常に温いものだった。
しかし深百合はそこで、確かな才能を感じさせる同級生の少女――神長琴子に出会う。
深百合は琴子の才能が弱小空手部に絡め取られるのが我慢ならずに、自らが通う道場に誘いをかけ、その三ヶ月後、彼女に敗北した。
その後も琴子はメキメキと成長を続けていき、しまいには道場の同年代女子で最強である白鷺まほろさえも下すに至った。
白鷺まほろはその才能に当てられていつしか空手を引退してしまったが、しかし深百合は違った。
諦めずに何度も何度も挑み、そのたびに負けた。畳の上に転がされた。それはまほろも同じだったが、深百合はさらに諦めなかった。
単純な才能ではまほろのほうが圧倒的に上ではあったはずなのに、諦めないという一点においてだけは、深百合はまほろに勝っていた。
そんな、ある日である。
中学3年生になり、高校受験を控えていた深百合は、母にこう言われた。
『今までわがままを聞いてあげてたけど、3年生の最後の大会で全国まで行かなかったら、もう空手は引退ね。深百合ちゃんは女の子なんだし』
それは、実質的な引退の強制だった。
2年生のとき、深百合は県大会止まりだった。それはなぜか?
同じ大会に他ならぬ神長琴子がいたからだ。
県大会の優勝者と準優勝者が全国大会に行けるシステムの中、琴子は準決勝戦で深百合を下し、そのまま決勝戦でも勝利し、全国大会でも5位の成績を収めた。
深百合は県大会当日、情けなくも琴子と決勝まで当たらないように願い、その夢は破れた。
くじ引きで決められたそれは、2回戦で神長琴子と当たることを示していて。
そうして来る2回戦、深百合は琴子に勝った。
勝ってしまった。
『ふざけんじゃ、ないわよ!』
試合後、深百合は体育館裏に琴子を呼び出し、その胸ぐらをつかんでいた。
『……何が?』
目をそらして、琴子が言う。
『なに、さっきの無様な試合』
『……』
『琴子があんなに弱いわけ、ないよね?』
『……』
『わたしの知ってる琴子は、もっとめちゃくちゃに強くて、わたしがあんな簡単に倒せるわけ、ないもん』
『……』
『……答えてよ。聞いてたんでしょ、わたしが空手を続けるためには、全国大会に出なきゃいけないって』
『……』
『ねえっ! 答えてよ、琴子っ!』
『……香子ちゃんに聞いたんだ、深百合が空手を続けるために、全国大会に出なきゃいけないって。だから、だから私は』
この日のために、いくら努力を重ねたと思うのだ。たとえ琴子と当たったとしても、全力を尽くして、決して負けぬようにと。
そうやって努力してきたのに。
『……深百合はさ、私なんかよりずっと、空手が好きだから。だから、続けさせてあげないとって、そう思ったんだ』
こいつは、何を言っているんだ。
自分が空手を続けてきたのは、好き以上に、琴子に勝つためだったのに、なのに、こいつは。
『そんなこと、頼んでない!』
胸ぐらから手を離して、琴子を突き飛ばす。だけど彼女の体幹はびくともしなくて。
『……だったら、やり直ししましょう』
そして深百合は、腰を低く落として構えた。
『何を言ってるの、深百合。ここは畳の上じゃないから危ないし、そもそも大会の途中で――』
言い終える前に、廻し蹴りを頭に向かって放つ。
だけどそれは、いともたやすく片手でガードされて。
(そうだ、これが本当の神長琴子だ。あんな虚弱で、適当で、鋭くないのは、偽物だったんだ)
『――御託はいいから本気でかかって来なさいよ、琴子!』
再び構え直して、叫ぶ。
殺してやる。畳の上じゃない、このアスファルトの上なら、殺せる。
姿勢を崩させて、そのまま頭を踏み砕いてやる。殺してやる。
『……深百合』
彼女が仕方なさそうに構えたところで、それはやってきた。
『――先生、こっちです!』
『こら、何をやってる!』
こんなところで怒鳴ってたら誰か来るのは当たり前で。
『離してください、わたしはこいつを殺さないとだめなんです!』
『何があったか知らないがやめろ!』
『うるせえ、黙れ、ジジイ!』
深百合は自らを羽交い締めした男性教諭の手に噛みつき、そのまま琴子に襲いかかって――
『――黙るのは、深百合だよ』
鋭い上段廻し蹴りが、格の違う廻し蹴りが、琴子を一撃でのした。
深百合が最後に見た景色は、前のめりに倒れていく自分を優しく受け止める琴子で。
次に医務室で目が覚めたときには、何もかも終わっていた。
そうして姉岸深百合は、神永琴子と絶交して、母親の母校でもある鍛冶屋女子高等学校に進学して。
神長琴子もまた、何もかも面倒になって空手を引退し、適当に選んだ近所の学校――空手部がない上に、女子校というのがお淑やかそうで良いと思った――、鍛冶屋女子高等学校に進学して。
偶然にも2年生で同じクラスとなり、こうして殺し合いに巻き込まれていた。
※
そして今、深百合は自分の左の横腹に銃弾を放っていた。それはものの見事に彼女の腹を貫通し、鮮血を吹き出させる。
「ちょっ、何をやって……!?」
「ごほっ、げほっ、……いや、こうじゃないと対等じゃないでしょ? 琴子だって土手っ腹に一撃もらってるわけだしさ」
血を吐きながら深百合は笑って。
「このあと傷を焼かなきゃだけど、まあ、面倒だし、時間もないし、2年現役から離れてる琴子にはいいハンデだよね」
「……頭おかしいんじゃないの」
「琴子はその頭のおかしい女に今から殺されるんだよ」
そう言って彼女は腰を落として、構える。ボタボタと、血を腹から流しながら。
「あの日の続きをしようよ? じゃないとほら、わたし、失血死しちゃうよ?」
「……あのときは私が勝ったと思うんだけど」
言いながらも、琴子は構えていて。
「あのときは本気出してなかった、し!」
言い終えるよりも先に、手のひらを真っ直ぐ水平にして貫手が襲いかかる。それは容赦なく琴子の腹の傷を狙って、
(こいつ、マジで殺る気!?)
琴子はそれをバックステップで回避――しかし間髪入れずに血しぶきがこちらに向かって吹きかかった。
(――目潰し!)
反射的に腹の傷をガードするが、実際に襲いかかるのは下段回し蹴りで。
「んな細い脚じゃあ、受けきれないよ!」
何度も何度も、太ももに裏に蹴りが襲いかかる。
その硬い足の甲は、間違いなく鍛え続けたもののそれで。
(そうか、そうだよね、深百合はちゃんと鍛えてたんだ、私と違って!)
だが、才能とは残酷なもので、琴子の体幹はそれでもなお揺らがず。
状況に拘泥した片足が掴まれ、深百合は引き倒された。
そのまま深百合の傷口に正拳を叩き込もうとして、
(……本当に、やるの?)
「――甘いよ、馬鹿!」
一瞬の躊躇を突かれて、深百合は脱出する。
「……はぁ、はぁ」
「……なんで腹に穴空いてそれだけ動けるわけ」
睨み合い、洞窟のあちこちを汚す血を一瞥する。その量はかなりのもので、とてもまともに戦えるようには見えなかった。
「努力は裏切らないってこと」
(……アドレナリンかな)
彼女が動けるのはおそらく、傷を受けたばかり故に脳内麻薬がドバドバと発生し、痛みを感じさせていない為だろう。
一方の琴子と言えば、傷を受けてから半端に時間が経っているゆえに、少し動くだけで激痛が走る始末で。
(むしろ傷がない方が弱かったかもな、深百合)
脳内麻薬に加え、大怪我――しかもその痛みを、自分はあまりに明瞭に想像できてしまう――をしている相手というだけで琴子のようなまともな手合は、倫理的なロックがかかってしまう。その結果がさっきの体たらくだ。
白鷺まほろ戦で戦えたのだって、相手が自分よりずっと強い武器を持っていて、やらないとやられるというのがあまりに明確化されていたからだ。
それになにより、他ならぬ相手が深百合だから。
(……好きな子を本気で殴れるやつ、いる?)
いるわけないだろ、そんなの。
「くだらないこと考えてるでしょ、琴子。殺さないと、殺されるん、だよっ!」
上段後ろ廻し蹴りが放たれる。腹から血を溢しながら。
(頭がおかしいでしょ、こいつ!)
しかしながらそれは、あまりに鮮やかで。
(まともにもらったら、意識が飛ぶ!)
頭に向かって飛んできたそれを、すんでのところでガード。
防がれたところから、一回転。後ろ廻し蹴りの回転力を味方につけた中段突きが琴子の横っ腹――当然、傷口のある方――に突き刺さった。
「……がっ」
そのまま膝をついてしまいそうになるのを必死で我慢して、追撃の廻し蹴りをバックステップで回避する。
「……はぁ、はぁ」
腹を抑え息切れしている深百合の視線はしかし、殺気に満ち満ちていて。
(……ああクソ、マジで殺すつもりだ、こいつ)
『あ、姉岸さんはどこの部活入るつもりなの?』
中学時代、一目惚れしたあの子に胸をドキドキさせながら訊ねて、
『わたしは空手部! 神長さんは?』
興味なんか無かったし、もっと可愛いやつが良かったけど、でも深百合が入るって言うから入って。
なのに意味分かんないくらい強くなっちゃって、挙げ句の果てにそれが原因で好きな子と絶交する羽目になって、もう二度と空手なんかするかって誓ったのに。
(……なんで私は、今死にかけてるんだ)
負けても悔しいとは思わなかったけど、でも深百合にいいところが見せたくて、それで頑張ったのに。
なんでそのせいで、深百合に嫌われてるんだ。
(わけわかんねえ、マジでわかんねえ)
わからないと言えば、こっちのことが好きだって言ってるのに殺しにかかってくる深百合のこともそうだ。
世の中はわからないことで満ち満ちていた。
(……ああもう、クソ)
深百合のこともわからないが、それ以上にわからないのは自分のことで。
(なんでこの状況で、なんかテンション上がってんだろう、私)
これも脳内麻薬のせいなのだろうか。
分からない、分からないが――
「……じゃあ、ぶっ殺してあげるよ」
神長琴子は、殺意に満ちた微笑を浮かべ、改めて構えていた。
それこそ、自分でもわけが分からないままに。
「それはこっちの台詞だよ、琴子」
二人の空手家が、殺し合いを始めた。
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