19.夜明け前

 真夜中、リリィと杏里たちが激闘を繰り広げる中で、水庫百那と埋橋唯愛は一体何をしていたのか?

 彼女たちはただ、そこいらに打ち捨てられていたテントで眠っていた。


「……」


『……じゃあさ、わたしが唯愛ちゃんのこと好きになれなかったら、そのときは殺していいよ』


 テントで横になった唯愛の脳裏に、そんな百那との約束が過る。


 百那は唯愛を好きになろうとしている。


 だからこちらを愛称で呼んだり、キスをしようとしたりした。


 卵が先か鶏が先かみたいな話だが、理屈としては通ってると思う。


 そうやっていちゃついてたら、いつか好きになるかも知れないではないか。


 なのに、どういうわけだろう。


(……びっくりするくらい、何も起きない)


 こうして二人で背を向けあって横になっているのに、どうして一向に何も起きないのだろうか。


 唯愛は緊張して、眠ることが出来ない。


 別に寝たところで素人相手ならば足音で一瞬で目を覚まして臨戦態勢に移行できるのだが、心臓がうるさくて眠れなかったのだ。


 どこででも眠れる訓練を積んだくせに、なんという体たらくだろう。どんなときでも平常心であるべしと言われ続けたにも関わらず、今の自分はこんなふうに翻弄されている――そう思うと、悔しい反面、なんだか楽しかった。


 そうだ、楽しい。


 誰かを好きになるのは楽しくて。


「ねえ、唯愛」


「ひ、ひいいっ」


 突然百那に声をかけられて、素っ頓狂な声が出た。


「……誰かを好きになるってどんな感じ?」


「それは、ええっと」


 思わず口ごもるのは、百那がそれを知らないと知っているからで。


「楽しいとか、苦しいとか、胸がきゅーっとなるとか、よく言うじゃん? わたしはそれを聞いて、こう思うわけ。自慢かよって」


「……自慢じゃないと思うけど。百那も言ったけどさ、好きになるって楽しいことばっかりじゃないわけだし」


「それは知ってるよ。小説も漫画も歌もみんな言ってるよね」


「じゃあ、私に聞いても意味ないじゃん」


「そうなんだよね。結局のところ、誰かの経験を聞いたってぜんぜん参考にならないんだ。人を好きになるってわかんねーってなるよ」


「……別にラブじゃなくてライクでも良いわけでしょ、これ?」


 言って後悔した。


「多分そうだろうね。じゃなかったらうちのクラス全員恋愛脳になっちゃうし、カードも白紙だらけになって実用性がないと思う」


 このカードが示す“一番好きな子”は、ラブでもライクでも良いのだろう。

 にも関わらず、彼女のカードが真っ白なのはそういうことで。


(……これ、何回やってんの)


 今こうして話している相手が、実際は自分に微塵の好意もない――その事実が、唯愛の胸を締め付けた。


 普段の百那はそれをかなり上手にカモフラージュしているから気にもならないが、しかし。


「せめてライクでもいいから、好きっていうやつが分かりたいよ」


「好きな食べ物とか、好きなものとか、そういうのはあるんでしょ?」


「うん。そりゃそうだよ。わたしは半熟の目玉焼きが好き。可愛い文房具が好きで、それを集めるのが好き。でもそれって人間に対するやつとはぜんぜん違うんでしょ? みんな好きに色んな意味を持たせすぎ。わけわかんないよ」


 唯愛からすれば百那のほうがよっぽど意味不明だったが、そんなことを言うほど無神経でもなくて。


「……だから、ごめんね、唯愛」


「何が?」


「好きになってあげられなくて」


「めちゃくちゃ惨めなこと言われてる気がするんだけど」


「……明日の十時には全部終わるんだ。だからわたしは好きになる価値もないクズだって分かって幻滅してくれたら、それが一番いいんじゃないかなって」


「そんな簡単に好きになったり嫌いになったり出来たら、苦労しないよ」


「……それも、そうだね」


 それきり、テントの中を沈黙が支配して、彼女たちはつかの間の眠りについた。


 ※


 豪快なくしゃみが、夜闇に響き渡る。


「……クソ寒い」


 二人がテントの中で寝ている間、佐々木ささき二千花にちかは手足を縛られて、芋虫めいたナリで10月の夜の外気に放置されていた。


 そして今、白み始める空を見つめながら悪態をついていた。


 一体どんな拘束術を使ったのか、何時間身を捩っても彼女の手足のヒモは取れる様子が微塵もなくて、おかげで全身がバキバキに痛くて仕方がなくて、だけど二千花は抵抗を諦めるわけにもいかなかった。


(このままじゃ、首の爆弾が爆発して死ぬし)


 こんなふうに延命されたところで、微塵も百那を許す気にはならなかった。


 むしろその半端な優しさが一体どれだけの人間を傷つけてきたのか――考えるだけで胸がムカムカしてくる。


 そしていくらムカムカしても、現状は全く動かない。


 この状況を打開するには、他人の助けを借りる他なくて。


 だけど、そう都合よく誰かが通りかかるわけもなくて。


 ざっ、ざっ、草むらを、誰かが歩む音がした。


(……幻聴?)


 いやまて、仮に誰かがこっちに向かって歩いて来てるとして、それはそれで危ないのではないか。


 例えば自暴自棄になってる狂人だったり、あるいはこっちは全く身に覚えがないが一方的に片思いされてる相手だったり。


 だから二千花は叫んで助けを呼んだりしようとはしなかったし、今もとても叫ぶ気にはならなかった。


 なのに、その足音は着実にこちらまで近づいてきて。


(……くしゃみのせい!?)


 ついに二人は、遭遇した。


「……!」


 二千花を見下ろすのは、血まみれの少女で。


「……佐々木さん」


「ええっと、そういうあなたは」


神代かみしろ結衣ゆいです」


 一応、交友のある相手だった。


(いやでも、本当に神代さん?)


 その返り血の付いた顔は幽鬼のように真っ白で。

 結衣は聞いてもいないのに、こう続けた。


「さっき、鴫原しぎはらさんを殺しちゃいました」


「……そ、そうなんだ」


「二人で時間が来るまで一緒にいようって約束したけど、やっぱり死ぬのは怖くて、それで寝込みを襲いました」


「……そうなんだ」


「佐々木さんは、どう思いますか?」


 彼女は屈んで、二千花に問いかけた。


「……どうも何も、終わったことだし」


 凄まじい威圧感に脂汗を額に浮かべながらも、何とか答える。


(……あたしも人殺しだけど、こいつはどうでもいい相手じゃなくて、一番好きな相手を殺したんだ)


「そう、終わったことなんです。奪われた命は戻ってこないし、いくら謝ってもいくら後悔しても、意味がない。私は、こうしてゲームを鴫原さんの命を使ってクリアしたのだから、その生命をまっとうする以外ないんですよ」


 その目は据わっていて、二千花を見ているようで、どこかの虚空を見つめていて。


「私は鴫原さんの分まで生きます」


「……そうなんだ。ところでさ――」


 もうそれはどうでもいいから、早く助けてほしい。


「鴫原さんが普通なら80年生きたとして、私は160年生きないといけないわけですが、そんなに生きれるわけ無いですよね」


「あ、うん、そうだね」


「だから私は、あなたを助けることで帳尻を合わせようと思います」


 結衣はそう言うと、血の付いたナイフで二千花の手足を拘束していたヒモを切った。


「それと、これはプレゼントです。私はもう使わないので」


 そう言うと、彼女はナイフを地面に突き刺した。


「あ、ありがとう」


「いえ、こちらこそ、帳尻を合わせさせてくれてありがとうございます」


(……いや、このナイフであたしが誰か殺したらプラマイゼロじゃない?)


 そんなことを思いながらも、二千花は決して口に出さなかった。


「それじゃあ、ご達者で」


「う、うん。本当にありがとうね」


 こうはなりたくないな――そう思いながら二千花は彼女の後ろ姿に手を振って。


(そういえば、神代さんはどこに向かうんだろう?)


 その後姿が消えてもなお、放心したように彼方を見つめていると、時刻は午前6時を示し、スマートフォンが激しく振動した。


『残り時間も4時間となりましたので、ここでちょっとした情報を開示させてもらおうと思います!

 公開する情報は、そう――誰が生き残っていて、どんなカードを持っていて、現在どこにいるかです!』


 それはまさしく渡りに船であり、しかし何より、二千花にとって衝撃的な情報だった。


 死亡者名簿

 25.鴫原まりあ


 ……残り13名

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