13.元カノ・佐々木二千花②
普通に考えて、敵が中島ハルのような雑魚だったとしても、敵襲があったならばすぐさま別の場所に移動するべきだった。
だけど百那と唯愛は、今も件の見晴らしの良い草原にいた。
(……“唯愛ちゃん”、“唯愛ちゃん”、“唯愛ちゃん”)
かたや唯愛は、百那に名前で呼ばれたせいで色ぼけになっていて。
かたや百那は、そもそも何も考えてなかった。
「ねえ、も、百那ちゃん」
「……なあに」
草原に座った唯愛が、隣で寝転がったままの百那に話しかける。
「いやその、なんでもないっていうか」
言ってみたかっただけ、とはいえなかった。
とてもデスゲームをしているとは思えない、惚気けた雰囲気。
「……もっかい呼んでくれない?」
「なにを」
「……名前を」
「唯愛ちゃん」
「……もっかい」
「唯愛ちゃん」
「……ワンモア」
「唯愛ちゃん」
マジで馬鹿なんじゃないか。付き合い始めたカップルみたいだった。
見晴らしの良い草原を彼女たちが選んだ理由は、その見晴らしの良さゆえに敵の接近にすぐ気付けることと、相手が銃火器の素人であるため、射程の差で確実に倒せるというものだった。
だけどこう弛緩しきってたら敵の接近になんか気付けないし、射程の差などと言ったところで、不殺を建前にしてしまった今では大した意味もない。
さっきだって中島ハルの影を一瞬で撃つことも出来たが、結局しないで近づいていったのだ。
二人の間に、どうしようもなく牧歌的で、生温い雰囲気が漂っている。
それこそ、この状況ならばさっきの中島ハルだって暗殺に成功したんじゃないかと思えるほど、弛緩しきった雰囲気が。
※
そして今、そんなふうにいちゃつくふたりに近づく影がひとつあった。
百那の元カノ――
彼女は二人がいちゃつくのを無心で聞きながら、草原の中を匍匐前進で進んでいた。口に拳銃を咥えて、苛立ちが歯を砕きそうになりながら、それでも前へ、前へと。
(こいつらマジで頭おかしいんじゃないかしら)
泣きそうだ。
(……あんなふうに振っておいて、良くこんな事ができるわね)
だけど同時に、何の呵責も後腐れもなく殺せそうで、それはまあ良かったと思う。
それに何より、これくらいいちゃついてくれてなかったら、とてもここまでの接近など出来なかっただろうから。
(……そろそろ限界かな)
すでに二人の姿を明確に目視できていて、百那が呑気にも横になっているのがこちらからでも確認できた。
思った以上にこの姿勢はキツイし、相手がこっちを泳がせてる可能性を常時考えながらのそれは、いくらイカれてるとはいえども女子高生である彼女には過大な負担を与えていた。
あとは立ち上がって、今もいちゃついている百那のドタマに鉛玉をぶち込めば、それで終わり。
そう思ったら急に体が震えてきて。
(これは、武者震い)
そんなふうに、自分に言い聞かせる。
百那を殺して、ついでに百那を奪った唯愛のことも連鎖的に首元の爆弾を爆発させて殺す。
そうして、あの日の清算をさせてやる。
あの日の復讐を遂行してやる。
今の自分には、それ以上に大切なことなんてなかった。
なのに、二千花は動くことが出来なくて――
「……ねえ、唯愛ちゃん。キスして、いい?」
二千花はすぐさま立ち上がり、銃弾を放った。
※
言い訳しておこう。
唯愛は二千花が迫っていることに気づいていた。ただ、泳がせるだけ泳がしてから捕まえようと思っていたのだ。
『……ねえ、唯愛ちゃん。キスして、いい?』
なのに、百那の突然の言葉に反応しきれなかった。
いいや、いきなり好きな子にキスしていいかと言われたときにしては凄まじい速度で彼女は反応した。
だけど、それでも、だ。
(……ああ、クソ)
百那を抱きしめて、そのまま銃弾の雨を避けた。
だけど右肩からは血がぼたぼたとこぼれていて。
(掠っただけだけど、しくじった)
射線上で弾切れした拳銃のカートリッジを捨てて換装する二千花の動きは、素人とは思えない程に研ぎ澄まされていて。
負傷した右腕では反応しきれなくて。
その代わりに、百那が唯愛を守るように前に転がり出ていって。
「――百那ちゃん!?」
だけど二千花は、百那を撃てなかった。
「……何やってんの、百那」
二千花の声は、ひどく震えていて。
「何って、見れば分かると思うけど」
百那は微笑みさえ浮かべながら、自らの頭にデザートイーグルを突きつけていた。
※
「……は? 意味分かんないんだけど」
「本当に? 二千花ってそんな馬鹿だったっけ」
そうだ、意味はわかっていた。
「わたしと二千花、どっちのほうが早く撃てるかな?」
つまりは、そういうことである。
・カードに書かれた相手を殺せば、脱出できる。
・カードに書かれた相手は、自分がクラスで一番好きな相手である。
・もしその相手が別の誰かに殺されたら、自分の首輪に付けられた小型爆弾が爆発する。
その“別の誰か”が他人である必要は、存在しない。
「二千花はさ、相変わらずわたしのことが好きなんだよね? じゃあ、わたしに先を越されたら困るよね?」
ああ、困る。とても困る。
「……百那、アンタ」
ひたすらに戦慄した声が、まるで自分じゃないような情けない声が、二千花の耳朶を震わせた。
「二千花は知ってるよね? わたしがこれくらいやりかねない、頭のヤバいやつだって」
「待ちなさい、ここでアンタが頭を撃ったらそこで倒れてる、ええっと、埋橋さんだって無事で済まないんじゃないかしら!?」
「埋橋さんの一番はわたしじゃないから、大丈夫だよ」
「嘘でしょそんなの! さっきだってずっといちゃついてたでしょうが!」
すっかり忘れ去られた話だが、唯愛は自分のカードの内容を百那に偽っていた。
「いちゃついてるだけで好き同士なら、わたしと二千花はこうならなかったでしょ」
「……百那ッ!」
平然と、地雷を踏んでくる。
「このまま素直に引っ込んでくれるなら、死なないであげても良いんだけど、あなたはどうしたい? やっぱりわたしを殺したい?」
「……ええ、殺したいわよ」
だが、現実問題として百那の銃弾は自分のそれより早く放たれるだろう。
二千花はまだ、自分が死ぬ覚悟を決められずにいる。
それに何より、自分の手でトドメを刺さないと、納得出来ないに違いない。
「じゃあ、ここは退いてくれるかな? 怪我人もいることだし」
百那がニッコリと笑って言う。それは、突きつけられたデザートイーグルとはひどく不釣り合いで。
「――ッ、怪我人!?」
その言葉で、はじめて視界から唯愛が消失していることに気づいた。
「もう遅いよ」
気がつけば真後ろに唯愛が回り込んでいて、
「まったく、怪我人に匍匐前進なんかさせないでよ」
二千花は為す術もなく絞め落とされた。
※
「さっきから気になってたんだけど、唯愛ちゃん異常に強くない?」
「あははは、パパが軍人で色々仕込まれてるんだ」
色々仕込まれてるだけじゃ説明がつかないだろう、どう考えても。
「そういう百那ちゃんも色々すごいと思う。本当に撃ちそうだったし」
「まあ、状況次第では撃ってたかも。……なんて、嘘嘘。そんなわけないじゃん。だって死にたくないし」
「そうだよね、うん、そりゃそうだ」
なんて、自分に言い聞かせるように唯愛は言って。
「……それよりさ、さっきの話なんだけど」
「さっき?」
「いやだから、その、佐々木さんに襲われる寸前にさ、ききき――」
顔を赤らめて言う唯愛に、彼女は割り込んだ。
「――この女だけはやめといたほうが良いよ、埋橋さん」
「……あなたには聞いてないんだけど、佐々木さん」
唯愛が睨みつける先には、手足を縛られて芋虫めいて地面に横倒しにされている二千花がいた。
「そもそもこいつ、女の子好きじゃないし」
唯愛の言葉を無視して、二千花が続ける。
「は?」
意味が分からなかった。
「いやいや、佐々木さん元カノなんでしょ?」
「うん、そうだけど?」
「じゃあ百那ちゃんは女の子が好きなわけじゃないですか」
「だーから、レズビアンじゃねーのよ、百那は。あたしと付き合って分かったって言ってた」
「……は?」
ぎぎぎ、と思わず百那の方を見る。彼女は彼女で、こちらから目をそらしていた。
「ねえそれで別れてるって」
「……その同情するような目、マジでやめて」
「いやね、あれはね、でもほら、好きじゃないって分かっても付き合い続けるのも良くないかなって思って」
「……言い訳も聞きたくない」
最悪だった。
何が最悪って、きっと二千花と百那の間で、今暴力的なまでのすれ違いが起きているのが最悪で。
「じゃあ、行こっか、百那ちゃん」
居たたまれなくなった唯愛は、百那の手を引いて歩き出そうとする。
「ちょっ、これ解いてから行きなさいよ!」
「どこの誰が解くと思いますか。殺されないだけ感謝してもらいたいんですけど」
「このままじゃどうせあと十数時間で首輪爆発して死ぬわよ、偽善者!」
「じゃあ殺せば良いんですか、馬鹿馬鹿しい」
言いながらもこれ以上の問答は面倒で、唯愛は百那の手を引いて彼女の元を去っていった。
※
例えば、二千花は百那のカードが白紙なことを――誰も好きでないことを知ったら、どんな顔をするだろうか。
きっとあの子は、自分が唯愛に負けて二番手に落ちた程度にしか考えてないし、恋愛対象としてはともかくとして、友達としてはそれなりに好かれているとか思っているに違いない。
だが、実際は彼女のカードは空白なのだ。
「ねえ、百那ちゃん。カード見せて」
「うん、いいよ」
百那は何のためらいもなく白紙のそれを見せた。
これはあくまで唯愛の推察でしかないが、おそらくこのカードは持ち主が持った時点で内容が決まるようなものだと、彼女は考えていた。
運営側は殺し合いがさせたいわけだから、白紙カードを置くメリットはない。だから実務的な下調べの末に白紙カードを置くのはおかしい。誰かしら、表面的に仲良くしている相手を書いておくはずである。
だったら自分たちが眠らされている間に頭の中をスキャンされたのだろうか――少し前までは唯愛はそう考えていたが、それでもおかしなところは残るのだ。
そうやってスキャンしていたら、白紙であることを最初から把握しているわけで、となれば何らかの救済措置が設けられたり、無理矢理にでも誰かの名前を記入したりするのではないだろうか。
だから運営は、カードに参加者が触れるまで、誰が誰を殺すか把握していないのではないか――それが唯愛の考えだった。
その考えを補強するように、カードの表面は有機ELになっていて、楷書体で名前を表記している。……そんな超技術は寡聞にして聞いたことがないが、デスゲームを主催するような連中にそんな常識を求めるほうが非常識だろう。
つまりこの考えに則れば、百那は相変わらず誰も好きじゃないわけで。
なのにもかかわらず、唯愛にキスをしようとしたのは。
どころか、名前で呼ぶとか急に言い出したのだって。
「百那ちゃん、死にたくなくて私のこと好きになろうとしてる?」
そんなシビアな答えが、自ずと浮き上がった。
「……半分正解、かも」
気まずそうに、百那が言った。
「でも半分は、このカードの機能を調べるためかな。好きになったら、ちゃんと記入されるか確かめたくて」
「そんな簡単に誰かを好きになれるなら苦労してないんじゃないの?」
「まあね。男の子とは三回くらい付き合ったことあるけど全然好きになれなかったし、じゃあ女の子ならって試してみたんだけど」
「わあ最低」
「そう思う?」
「うん、最低だと思う」
「……わたしは誰かを好きになる機能が欠落してるみたい。恋愛感情がないのがアロマンティックで、性欲がないのがアセクシャルとか言うらしいけど、それとも違うね。わたしは好意そのものが欠落してるからさ。友愛も、恋愛も、ないんだ」
どこまでも、最低だった。
好きな子に直々に、あなたのことは好きでも嫌いでもありませんと言われている。
(……佐々木さんがこれ知ったら、どんな顔するかな)
やはり早めに引き離してよかったと、そう思う。殺意が引き返せないほど本物になってしまったら、対処しきれない。
「……そっか、じゃあ私が惚れさせてあげるよ」
「よく言うよ、わたしなんか二番のくせに」
やはり鈍感だ。誰も好きになったことがないって、こんなレベルなのか。
自分の中にない感情を、想像することさえも難しいのだろうか。
「私のこと好きになれたら、殺していいからさ」
言いながら、唯愛は本当のカードを見せる。
当然、そこには水庫百那の名前があって。
「え?」
本気で目を丸くする百那に、ちょっと笑いそうになる。
「花水さんじゃなかったの?」
「まさか。百那ちゃんに近づくために、拾ったカードを見せてただけだよ」
嘘だった。本当は殺して奪っただけだ。
だけど、それでは嫌われてしまうかも知れないから。
だから、嘘をつく。
水庫百那が少しでも生き残れるように、嘘をつく――これは二重の嘘?
百那は唯愛を見つめて、こう言った。
「……じゃあさ、わたしが唯愛ちゃんのこと好きになれなかったら、そのときは殺していいよ」
「いいね、それ。じゃあ、このゲームが終わるギリギリまで近くにいないとね、百那?」
「呼び捨て?」
「そっちのほうが好きになれるかもしれないし」
「えー、でも二千花のときは全然そんな事なかったしなあ」
素でどぎついことを抜かす百那に、唯愛は頭痛がしてくるけれど。
「まあでも、それもいいかもね、唯愛」
※
スキンシップをしたら好きになれるかもしれない――そんな思いとともに、百那は唯愛の手を握った。
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