サポ限に書いていたこと79 親近性と新規性について・2
◆ジャンルごとの親近性と新規性の割合
小説における親近性と新規性の具体的な割合については、一般的な決まりはありません。作品のジャンルや目的によって、適切な割合は変わるでしょう。
・ミステリー・サスペンス(親近性三割、新規性七割)
このジャンルでは、新規性が重要な役割を果たします。読者は未知の犯罪や謎を解き明かすことを期待しています。しかし、登場人物や設定に共感し、物語に引き込まれるためには、一定の親近性が必要です。
・ロマンス(親近性七割、新規性三割)
親近性がより重要な役割を果たします。読者は恋愛の喜びと苦しみを共有することを求めています。しかし、新規性も必要で、予測可能な物語は退屈に感じられることがあります。
ちなみに恋愛小説において、恋愛とその他の比重は九対一が理想とされるため、作品によっては親近性が高くなるかもしれません。
・ファンタジー・SF(親近性二割、新規性八割)
これらのジャンルでは、新規性が非常に重要です。読者は新しい世界、異なる生物、未知の技術を探求することを期待しています。それでも読者が物語の世界に没入し、登場人物に共感するためには一定の親近性が必要です。
・リアリズム(親近性六割、新規性四割)
親近性が重視されます。読者は現実世界の反映を求め、自分自身や他人の経験と共感することを期待しています。ですが、新規性も一定の役割を果たしており、物語が予測可能であると感じられないようにするためには、新しい視点や意外な展開が必要です。
◆親近性と新規性のバランスの重要性
割合はあくまで一例であり、ジャンルや作品、作者や読者の感じ方によっても大きく変わることがあります。おおよその目安として、次のようなバランスが一般的に望ましいと考えられます。
親近性は、六〇~八〇パーセント
新規性は、二〇~四〇パーセント
親近性が八割を超えると、あまりにも親しみやすく新鮮味に欠ける作品になる可能性があります。親近性の割合を高めるほど、どこかでみたことがある作品に見えてきます。真似やパクリといわれ、飽きられてしまいかねません。
一方、新規性が四割を超えると、読者が共感しづらく受け入れがたい作品になるリスクがあります。
作者の独自性やエゴが強すぎるあまり、万人に受け入れられず、マニア向けとなるか、マニアからも読まれなくなってしまうかもしれません。
つまり、親近性の要素を六~八割程度確保しつつ、二~四割程度の新規性を取り入れるのが理想的だと考えます。
ただし、統計学的なデータに基づいているわけではありません。
動画配信サイトの『謎解き統計学サトマイ』で独自に生み出した「親近性7:新規性3の法則」で語られていたり、『二十歳の自分に受けさせたい文章講義』著者・古賀史健の中でも、「すでにわかっていることは七割、目からウロコは全体の三割でいい」とあります。
世間に受ける部分と、自分が作りたい部分の割合は、七対三ぐらいが、ちょうどいいバランスだと思います。
あくまで目安です。
◆余談とあれこれ
また、読者の年齢によっても変わってくると思われます。
一般的に、高齢層やストレスを抱えている人は、「物語が予想どおり展開されたほうが安心して読めるから好き」なので、親近性の高いものを求めます。
最近ではコスパやタイパからか、ネタバレされて内容を先に知ってからみる若年層もいます。この行動も、親近性を高めようとする現れに感じられます。
かつて、時代劇や「〇〇殺人事件」といった二時間サスペンスが流行っていました。同じパターンのくり返しがよく視聴されていたのも、見る側が親近性を求めていた現れかもしれません。
ですが、どちらも衰退しました。
時代劇は、江戸時代など昔の日本を舞台とした作品が多く、古くさいイメージもあります。でも実は、新しい表現として誕生したものでした。
日本で初めて映画が撮影されたのは一八九九年(明治三十二年)。 初期の日本映画は、舞台演劇をそのまま撮影したものでした。
明治時代当時、日本映画は二つに分けられていました。
一つは、歌舞伎や講談などの物語を扱う「旧劇映画」。
もう一つは、海外作品や当時の現代劇、人気文学作品などを扱う「新劇映画」。
その後、新劇映画は欧米映画の影響を受けて、カメラワークやカット割りなど映画ならではの撮影方法を取り入れて進化します。
一方、旧劇映画は昔ながらの撮影方法のままであり、時代遅れで古くさいと批判され始めていた。その古い手法から脱却しようとする動きが起こります。
旧劇映画の慣例を打ち破り、撮影方法を工夫し、細かいカット割り、弁士に依存しない字幕の利用、女形ではなく女優を採用するなど新しい旧劇映画の製作を行った新しい旧劇映画は、新しい時代を切り開くという意味で「新時代劇」と名付けられたのが、時代劇のはじまりです。
江戸時代は演技の仕方、衣装、セット、原作本などのノウハウが他の時代に比べて圧倒的に蓄積されているため作りやすいものの、作り手が慢心し、 時代劇の看板をはれる役者、魅力的な脇役、悪役、役者を育てる監督、面白い話を書く脚本家、束ねる辣腕のプロデューサーも不在となったことが衰退の原因です。
二時間サスペンスドラマがなくなったのは、制作側の問題とシリーズものの多さによるマンネリ化が挙げられます。
先が読める展開、どこかで観たような話では、二時間はもたない。様式美と定番を愛でるほど、若い視聴者は寛容ではない。盆暮れ正月のスペシャルならまだしも、一度きりの放送で、二時間モノの宣伝にテレビ局は力を入れない。DVD化もほとんどされず、したとしてもどれだけ元がとれるのか。制作予算が足りないのも一員に挙げられます。
海外ドラマが面白いと感じるのは、批評性と多様性があるからです。世の中の動きに敏感で、ムーブメントや差別問題、政治思想もどんどん取り入れています。
日本のドラマにはそれがありません。
流行はとりあえず追い、時事ネタとおぼしきものは入っていても主語がなく、人物に語らせません。表面的な善人ばかりの、浅い正義の味方だけを描くので、推しの俳優やアイドルだけを愛でるバラエティ番組のようになり、作品が豊かにならないのです。
脚本家が原作より優先させるのは、制作側の意見です。脚本家のほとんどが、当て書きをして書いています。
当て書きとは、登場人物に実在の俳優が演じることを想定して脚本を書くこと。特定の俳優のためにキャラクターが書かれ、その俳優の特性や演技スタイルに合わせて調整されることを指します。また、視聴者がストーリーを理解しやすくするためにも使われます。
一方、新人俳優を売り出すために、その俳優が引き立つようにストーリーやキャラクターを書くことは、その俳優のために特別に脚本を書くという意味では「当て書き」に近く、広範な意味での「キャスティングを考慮した脚本作成」とも言えます。
原作を無視して脚本家の当て書きが優先されると、ドラマが原作の魅力を失う可能性があります。
原作者や原作ファンから見れば、物語のエッセンスやキャラクターの性格が変わってしまうと感じるかもしれません。
ドラマがつまらないかどうかは視聴者の主観に大きく依存しますが、脚本家や制作陣は原作者と原作ファンである視聴者のフィードバックを真剣に受け止め、より良い作品作りを目指すべきです。無視することは、作品の質を下げる可能性があります。
放送されているアニメに目を向けると、異世界転生ものや続編、過去作品のリメイクや原作ものが多く制作されています。
過去の人気作品や原作コンテンツには、既に一定の知名度と固定ファンベースがあるため、新作よりも注目を集めやすく、リスクが低い。リメイク作品は固定ファンをベースに新規ファンを獲得できる。原作ファンの期待にも応えられると考えているからです。
また、現在のアニメ業界は過当競争状態にあり、新規タイトルが注目を集めるのは非常に難しいため、知名度のある既存コンテンツをリメイクすることで有利に立てる。また、原作の映像化は確実な需要が見込めるため、リスクが低いです。
さらに補足すると、アニメ映像技術の進化により、過去の名作を現代の高クオリティで描き直せることも一因となっています。そのおかげで、新たな解釈で蘇った作品を楽しめます。
異世界転生モノは、「リセットして、より良い条件で人生をやり直したい」「手軽にストーリーを楽しみたい」といった現代を生きる人々の願望や需要に応えていると考えられます。
視聴する側の読解力の低下も一員と考えられます。そのため、オリジナルのストーリーや設定より、既存設定やストーリーを用いた作品が受け入れられやすい傾向にあります。
小説投稿サイトから多くの異世界転生作品が生まれ、それがアニメ化されるケースが増えています²。ウェブ小説の場合、人気作品はまずライトノベルなどで書籍出版、コミカライズやアニメ展開されていくのが基本の流れだからです。
異世界転生モノやリメイク作品は、作者にとって創作の負担が比較的小さいとされています¹⁴。異世界転生モノの設定は、読者側の負担を大幅に軽減でき、また、リメイク作品は既存の設定やストーリーを用いることができるため、新たな設定やストーリーを考える必要がありません。
これらの理由から現在のアニメには、親近性を保持しつつ新規性を加味した異世界転生モノや続編もの、過去作品のリメイク、原作物が多く見られるようになっていると考えられます。
ですが、時代劇や二時間サスペンスのように、親近性の強さによるマンネリ化により、いずれ衰退していくかもしれません。
ちなみに、政治における親近性と新規性について考えてみると、次のような見方ができます。
国民にとっての政治の親近性とは、政策や政治家が自分たちの生活、価値観、地域性などにどれだけ近いか、ということです。
政策や政治家が国民の日常生活、経験、価値観に対して親近性を持つと、国民はその政策や政治家を理解しやすく、また支持しやすくなります。さらに、政治の親近性は、国民が政策や政治家を理解しやすくするため、政治参加を促進する効果もあります。
一方、新規性とは、政策や政治家が既存とは異なる新しい要素を持っていることを指します。新規性が高い政策や政治家は、国民の関心を引きつけ、議論を生み出す可能性があります。
特に、社会が大きな変化を経験している時期や、既存の政策や政治体制に対する不満が高まっている時には、新規性が高い政策や政治家が支持を集めやすい傾向があります。
日本の政治家にとっての親近性と新規性について、現実的な観点から考えると、一般論とは異なる面があります。
政治家にとっての親近性とは、自分の政策や行動が有権者の価値観やニーズにどれだけ近いか、ということです。しかし、現実には、政治家が有権者の親近性を持つとは限りません。政治家はしばしば自身の政治生命や権力の維持を優先しすることがあります。
政治家にとっての新規性とは、自分の政策や行動が既存のものとは異なる新しい要素を持っていることを指します。ですが、新規性が高い政策や行動は、有権者に理解されにくく、しばしばリスクが伴います。そのため政治家は既存の政策や行動を続けることを選び、新規性を追求することを先送りすることがあります。
つまり日本の政治家は、しばしば自身の政治生命や権力の維持を優先するあまり、有権者のニーズや価値観に対する親近性と新規性のバランスを崩す傾向があります。
しかし、すべての政治家が同じ傾向を示すわけではない、と考えたいです。
◆まとめ
応募作品の選考の際、作者のエゴが強すぎる作品は通過できないと言われます。でも、最終で選ばれるには作者のエゴが重要になるといいます。
作者のエゴが強すぎると、独自視点や斬新な発想や表現、目新しさから作品の新規性は高まりますが、読者の親近性が損なわれ、親しみがもてず、伝わりにくくなります。
小説では、新規性と親近性のバランスが重要視されるため、エゴのコントロールが必要不可欠です。
作者のエゴが強すぎず、親近性と新規性が適切に組み合わさった作品は読者に深い印象を与え、長く記憶に残るでしょう。
とはいえ、創作する最初から、強く意識するほどではないと考えます。
親近性や新規性の文章は、一部は作者の意図によるものです。
でも大部分は、読者の主観によるからです。
作者は、読者を想定し、共感しやすいジャンルやテーマを選び、具体的でリアリティーのある描写を用いて親近性を高めます。また、新規性を高めるには、独自の視点や斬新なアイデアを取り入れます。
でも、最終的には読者の主観によって決まります。
同じ文章でも、読者の背景や経験、価値観によって、親近性や新規性の感じ方は大きく変わります。
ある読者にとって親近感のある文章は、別の読者にとってはそう感じないかもしれません。同様に、ある読者にとって新鮮なアイデアは、別の読者にとっては既知ということもありえます。
なので、出来上がった作品をみて、「今回はこれくらいの割合だった」と確認する程度でいいのかもしれません。
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