サポ限に書いていたこと40 上手く書く方法・3

 誰かが簡単にこなしていることを真似するのは難しいです。

 たとえば学校で、勉強も運動も絵画も作文も習字も、何もかも簡単にできてしまい、数々の賞を受賞している子がいませんでしたか。

 これだけはと思うものがあっても、どうしてかその子には勝てない。

 でも、先生たちが評価して推薦するのは、多くの人が感動して称賛するような出来を求めているのであって、万人受けしないけれども面白かったり変わっていたり尖っていたりするものでも優れているものがあるかもしれません。

 多くの人は、負けず嫌いだと思います。

 負けず嫌いだから、できる子を見ては、自分もできると思う気持ちが強まりながら真似をして、結局うまくいかずに終わってしまう。

 負けず嫌いが問題なのだと、思います。

 真似をする必要はないけれども、真似をするのが一番の近道です。

 真似をしてうまくいかなければ、自分にあったやり方を探せばいいだけです。

 なにも、無理に競う必要はありません。

 わたしが忘れたとき、負けず嫌いも忘れました。

 だから、はじめは真似をして学びますが、上手く行かないときはさっさと真似を辞めて、自分にあったやり方を探します。



 まず初めに、自己カウンセリングをしました。

 自分が好きなものはなにか。

 どんな話が好きなのか。

 嫌いなものはなんなのか。

 自分の中にある言葉にならない考えを、できるかぎり言語化していきます。

 聞いてくれる相手がいればいいのですが、自分と対話しながらノートに書き出すことにしました。

 当時の私は、小学高学年のころが一番楽しかった思いがあり、特撮のスーパー戦隊の勧善懲悪のわかりやすい話が好きでした。

 ドラえもんのアニメは視聴を許されていたこともあって、それらを混ぜ合わせ、小学生が巨大ロボにのって地球や宇宙の平和を守るお話を考えました。

 簡単に例えるなら、エルドランシリーズや勇者シリーズみたいなものでしょうか。

 はじめに登場人物四十人くらいのキャラクターデザインをし、登場するメカとやロボ、敵などをデザインし、学校や街の地図、見取り図など、とにかくたくさん描きました。

 いわゆる設定資料集作りです。

 デザインをしながら、どんな作品になるのかのイメージボード、イラストをいくつか描きました。

 作品のタイトルはロボットの名前にして、全四十八話のサブタイトルとあらすじを書いていきます。

 一クール十三話なら、四クールだと全五十二話になる計算です。が、一年放送するアニメは年末年始などがあって、四十八話か五十一話の放送が多かったことから、四十八話にしました。

 物語のはじめ、一クールは登場人物たちの紹介をしながら巻き込まれるように戦いに参加し、二クール前のタイミングでピンチとなって二号ロボ登場、二クール後半以降に合体してさらにパワーアップ、三クール目に最大の試練と直面しながら、謎や登場人物たちの心情が明かされていき、四クール目で戦いには因縁めいたものがあったことが明かされる展開からのクライマックスの流れを組み立てました。

 それから、大学ノートに漫画を描きました。



 事故後のわたしは、真似をすることに長けていたせいか、見たままを描くことが得意でした。

 私からすれば、わからないまま、ただただ必死になって真似をしているだけでしたが、よく入賞してました。

 でも、絵では食べていけないというもっともらしい理由を言われて、絵を描くことを禁止されました。

 親はただ、勉強させたかっただけでした。

 そんな私がもう一度絵を描こうとしたのは、『ジ・アート・オブ・ラピュタ』を買ってキャラクターやイメージボードを作るというのを読んで、真似をしたからでした。

 漫画の書き方については、藤子不二雄大全からまんが道を知り、図書館で借りて読みました。図書館には手塚治虫物語、石ノ森章太郎の漫画の描き方も読んだ気がします。とにかく「漫画の描き方」の本を図書館で見つけては、読みあさっていったおぼえがあります。



 漫画を書き終えた後、その後のスピンオフな小説を作りました。

 散々キャラクターの絵を描いて、お話を作ってきたので、キャラクターの性格や気持ちが考えなくてもわかるほど、体に染み付いていました。

 この二作品を作ったおかげで、自分の中のお話の作り方ができた気がしました。

 その後は見つけたやり方を真似するだけなので、、子供が世界や宇宙の命運をなんとかする話を大量生産し、全部で十二作品作りました。

 でもそのうち、毎回キャラデザをして設定を作るのが面倒くさくなっていったのです。

 少しでも楽をしようと、シリーズ化し、時代が違うだけで地球を中心に起きる出来事にする発想に切り替えました。

 よく年をとった作家が、自作品のすべてを一つの世界につなぎ合わせるのを見かけると思います。それと同じことを、十代のころにやってました。



 途中、幼馴染がなくなります。

 幼馴染が元気でいる姿を作品内で書こうとしました。

 その結果、シリーズ物を辞めることになりました。

 悲しみが、作品を暗くするのです。

 作品だけでなく、何もかもが、暗くなりました。

 その後、ファンタジーが書けなくなりましたし、しばらく創作活動ができなくなりました。

 それでも、お話を書こうと高校生の現代ドラマをキャラデザして世界設定もイラストで書き起こし、小説にします。

 けれど、とにかく暗くて重くて。

 なんとかして明るい方向へ持っていこうとまとめても、作品に作者の気持ちが乗ってしまい、暗くて重い話になりました。

 救いのない話なら、いくらでも大量生産できましたね。

 自粛のコロナ禍でのカクヨム甲子園に応募された高校生の作品は負の話がよく目に付きました。

 それらの作品以上に、私の話は暗くて救いがなかったです。

 私生活もおかしくなっていたらしく、もっと楽しい話がしたいのに、死とか暗い話ばかりするのはやめてと、友人に泣いて懇願されたことがありました。

 その反省を活かしつつ、恋愛を中心にした話をその後作りました。

 でも、ラストが悪い、ハッピエンドにしろと後輩に突っ込まれて不評を買いました。

 現実なんてこんなもんだよと言い返してましたけど、当時の私はやさぐれてるどころではなかったですね。

 作品には、作家の気持ちが意識無意識関係なく、必ず現れることを身をもって体験しました。

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