エッセイについて

■エッセイの種類


 エッセイとは、フィクションではなく、自分が体験したことなどを題材に、自分が考えたことを綴ったものをいう。

 似たものとして、作文がある。

 体験や感想を綴る点では同じなので、両者に明確な違いはない。

 あえて選別するのなら、出来事や思ったことを淡々と書き綴ったものが作文であり、読者が共感する事柄を織り交ぜたものがエッセイである。


 また、エッセイの種類は、作者の「私」の濃度と、論の度合いによって分類ができる。

 私の濃度が高く、論が立つものを、体験を踏まえ意見や提言。

 私の濃度が低く、論が立つものを、学術エッセイ。

 私の濃度が低く、理屈っぽくないものを、言葉遊びやギャグ。

 私の濃度が高く、理屈っぽくないものが、一般的にエッセイと呼ばれる。

 エッセイの基本は、「言いたいことのツカミ→言いたいことの内容と説明→言いたいことのまとめ」で書かれる。


 そもそも文章とは、ありのままに書くのではなく、自分の言いたいこと、主張を読み手に伝え、説得し、自分の主張を通すためのもの。「問題定義→意見提示→展開→結論」の順に書かれる。



■エッセイの目的


 エッセイを書く目的は、誰のために書くかによって異なる。

 誰にもみせないのであれば、思ったことを書き連ねるだけでいい。

 不特定多数の第三者に読まれるものならば、「共感と感銘」を与えることが求められる。

 身辺雑記のエッセイでは、『枕草子』のような新たな発見を書いたもの、『方丈記』のように世間や過去を観察し、回顧したものの二つに分けられる。

 枕草子タイプで気をつけたいのは、自慢話になること。気をつけなければ不愉快に思う人もいる。

 方丈記タイプで注意したいのは、誰かを批判したり糾弾したりすること。ときに、批判的な目でみられる場合がある。


 

■エッセイの文章表現

 

 エッセイも文章なので、一般的にいわれる文章指南書と同じ点を気をつける必要がある。


・インパクトある書き出しにする。

・無駄な一文を省く。

・段落と段落の関係を持たせる。

・具体的に書く。

・説明を的確にする。

・主題をはっきりさせる。

・論理的展開をする。

 などなど。

 

 作者自身の体験や知り得たことを書くのがエッセイなので、書きやすい反面、読者の反応を気にしすぎて書けないことがある。

 エッセイに限ったことではない。

 小説にしろ漫画にしろ、世に出して人の目に晒す以上、誰かの評価を必ず受ける。

 作品の評価は作者の評価となり、気に入れば褒められるが、読んだことで不愉快に思い、批判してくるかもしれない。

 もしも、登場する人物がみたらどう思うだろう。

 あれこれ考えてしまい、結果、何も書けなくなることもある。

 とにかく、書くと決めたのなら、心の壁を取り払うことが寛容だ。

 どんなに優れたものを作ったとしても、褒める人もいれば貶す人も必ず出てくる。なぜなら、世に出す権利を主張すれば、出されたものを見る者には評価する権利があるからだ。

 批判されるのが嫌ならば、出さなければいい。

 洞穴の中に引きこもり、誰とも関わりを持たずに一生を終える道もある。

 そんな一生を過ごしたくない、嫌だと思ったから、世に出そうと思ったはず。出すと決めたなら、ネガティブな考えは忘れ、迷わずに思いの丈を書き出そう。

 また、心から書いたものは、上手な文章でなくとも読み手の心に届くものである。



■伝わるエッセイ


 素人は「経験を」書いてしまうのに対し、プロは「経験で」書いているという。

 経験を書く人は、自慢できる話を探す。書く側はスッキリするが、読者は自慢されている気がするだけで感動もしない。

 衝撃を受けるのは、経験で書かれた場合である。

 明日死ぬのなら、どうしてもこれだけは後世に伝えたいことをひとつ書く。

 書籍を読みかじって仕入れた言葉や文章ではなく、実体験から血のにじむ思いをして出てきた経験から生み出された発露こそ、読み手に感動を与える。

 伝えたいこととは、伝えにくいことの側にある。

 自分が生きた証として伝えたいものは本来、宝物のように大切で、ときには失敗したことや傷心したことなど、墓場まで持っていくようなものが多い。

 たとえ辛くとも、経験を通して得たものを表現しようとすれば、伝わるエッセイとなるのだ。

 

 経験と向き合うのは、辛い作業である。

 過去を思い出す行為は、追体験となるから。

 辛いことや、恥ずかしいことを思い出すと、かつての気持ちまで蘇り、自分の愚かさ加減にイヤに思ったことはあるはず。

 人間は、嫌なことをくり返し思い出してしまうため、嫌な出来事ほどおぼえているものである。ただでさえ嫌なのに、書くために辛い経験と向き合うのは酷なことでもある。

 恥ずかしい、辛い、苦しい、と向き合うのを止めてしまうと、心に響くエッセイなど書けない。

 書くのには、勇気が必要なのだ。

 ただ、いきなり大きな勇気を出せる人はいない。指先ひとつ動かせる勇気も出せないかもしれない。でも一ミリくらいならだせるかもしれない。一ミリでもいいから、毎日出し続ける。するとある日、一気に勇気が出せて、心に届くエッセイが書けるようになるだろう。



 


 

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