第2話 あの男
異変が生じ始めたのは6月の終わりのことだった。
何気ない週末の夜、部屋でごろごろしていた私は何気なくテレビをつけながらぼーっとしていた。ふと、開けっぱなしのクローゼットが視界に入った時、私はゾッとした。人の顔があったように思えたのだ。しかし、あらためて確認してみても中には誰もいない。中には脱ぎ散らかされた服と、手提げの紙袋が無造作に転がっているばかりだった。
(なんだか懐かしいな。自分の部屋ができたばっかりの時は一人で寝るのが怖くてよく親に泣きついたっけ)
そんな子供時代の微笑ましい記憶を思い出しながらベッドに寝転がるが、おかしい。何をしていてもクローゼットに意識が向いてしまう。ずっと何者かに視線を向けられているような気味の悪さがあった。たびたび確認してみてもクローゼットの中には誰もいない。こういうこともあるだろうとクローゼットの扉をきちんと閉めて眠りについた。
夢を見た。
咲と駅前のショッピングモールをぶらぶらしている夢だ。すると咲が急になにかに怯えたように走り出した。夢中で追いかけるがまるで追いつかない。気づくと咲の姿はなく、一階の食品売り場の前に来ていた。周りを見渡しても咲の姿はなく、それどころか客の姿ひとり見えない。
「いろは!いろは!」
咲の声が聞こえる。
「咲!どこにいるの!?」
声が聞こえた方向へと歩みを進めると売り場に併設されているケーキ屋の前に来ていた。
「いろは!」
声の出どころへ顔を向けると咲の姿があった。ショーケースの上段に咲が詰まっていた。顔がガラスに押し付けられ、手足はあらゆる方向へ捻じ曲げられている。こんな体勢で人は生きていられるものなのか。いや、そんなはずはない。胴体が捻れて背中の下半分が体の正面にきている。明らかに・・・。
「いろは・・・助けて・・・」
気丈な咲の懇願に近い声に、私は何を思ったのか。いつの間にか手に包丁を握り締めていた。早く楽にしてあげたほうがいい。こんな姿じゃ長くは生きられない。ショーケースに向かって包丁を振り下ろすとガラスをすり抜けて、咲の胴体へと包丁がズプりと突き刺さった。切っ先が柔らかに沈み込んでいくかと思うと、プチプチプチと繊維を断ち切るような感触がした。とたんに恐ろしくなり、包丁から手を離すと、まるで宙を見ているかのような無表情の咲の顔が目に入った。
「やっぱりダメだったじゃん」
咲はつぶやくようにそういった。
すきま女がはっきりと見えるようになったのはその後からだった。
クローゼットの中、冷蔵庫と壁のすきま、ベットの下、タンスの中。ありとあらゆるすきまにその女は現れた。まるで初めからそこに収まっていることが自然であるかのように、奇妙にひしゃげたその体を額縁として女の顔はただ私を睨んでいた。それを見つけては、幾度となく悲鳴をあげる私を家族は気遣ってくれたが、私以外にすきま女を見ることは叶わなかった。
すぐ近くの神社へお祓いをうけにいくも、すきま女は消えなかった。両親は苦渋の決断で精神科へと診察に連れて行ってくれたが、状況は変わらなかった。
「そこにいるじゃないですか!」
泣きながら医者の背後にある薬品棚のすきまを指差す私を見て、とうとう両親まで泣き出してしまった。
すきま女。それ以外にあの女を表現する言葉が見つからなかった。部屋に閉じこもった私はあらゆる家具を部屋の外へ投げ出した。物と物のすきまにあの女は現れる。本と本のわずかなすきま、布団と布団がよじれてできるすきま、大きさに関係はない。私がすきまと認知すればそこにたびたび女は現れるのだ。忌々しい。気づけば私の部屋は引っ越したばかりの新居のように何もない空間になった。カーペットすらない。カーペットをめくってできたすきまにあの女が現れるかもしれないからだ。クローゼットは開かずの扉になった。
いっときの平穏が訪れた。何もない部屋ならばすきま女が出て来られる余地はない。落ち着いた頭でよく考えるとある種の諦めに近い考えが浮かんだ。すきま女がなんだっていうのだろう?あれは私に危害を加える訳でもなく、ただすきまに存在するだけだ。こちらを睨んでいる気味の悪さに慣れればなんということもないのではないか?世の中には霊が見える人間がいるというし、そういうものだと思って付き合えば案外生活に支障はないのかもしれない。ははははっ。すきま女、恐るるに足らず。数時間後、食べ終えたカップラーメンの容器に中にすきま女を見つけ、私は嘔吐とともに考えを改めた。
すきま女の出現頻度は予想がつかない。すきまが目に入っていても、現れる時もあれば現れない時もある。その具合が実に心臓に悪い。常に現れるのであればこちらも構えようがあるというものを。私はわずかな可能性を求め、スマホですきま女の情報収集を始めた。私が名付けたとはいえ、やはりあの女は印象通り、すきま女というらしい。しかし都市伝説程度の書き込みや古い文献の記述を示唆する情報が見つかるだけで一向に解決の目処が立たない。私は古くから存在する怪異に呪われたということか。一体、どういう理由で。
しかしあの女が前例のある、私特有の現象ではないことは確かだ。私は僅かな希望を求め、普段使っているSNSにすきま女を撮った写真をメッセージ付きで投稿した。その画像はクローゼットの中を写しており、すきま女が恨めしげにこちらを睨んでいた。すきま女は写真に映る。しかし私以外の人間にはただのとっ散らかったクローゼットにしか見えない。家族で実証済みだ。すきま女を見ることができる人間が世界にいるかもしれない。助けてください、というメッセージと共にその写真は投稿された。見える人にはわかる、見えない人には散らかったクローゼットに対する悲観としか捉えられないだろう。この状況でまだ他人の目を気にする余裕があることに私自身驚いた。
あの男から連絡があったのはその投稿から一時間後のことだった。
目を覚ますと、見知らぬ天井があった。そこが保健室だと気づくのにしばらく時間がかかったのは、自分に何があったのかを思い出せなかったからだ。そうだ、私は昇降口ですきま女を目にし——気を失ったのだろう。倒れた際にどこかにぶつけたのかもしれない。右肩あたりが痛む。
「無理やり起き上がらないほうがいいよ。だいぶ派手に倒れたみたいだからね」
いつの間にか仕切りのカーテンが開けられ一人に男子学生が横に立っていた。
「起き上がるなら手を貸そう。さあ」
男は手を私の背中に回し、私の右手を取りながらゆっくりとベッドから起こしてくれた。180を超える長身、がっしりとした肩と対照的に、顔はアイドル顔負けに小さい。かき上げられた黒髪がサイドに垂れて、切れ長の二重にかかっている。この男を俗に言う「イケメン」という言葉でくくるには、あまりにも他の人がかわいそうだ。そんなことをボーッと考えながらハッとした。
「
気づいた瞬間男の手を振り解いた。
「おっと、群青さん。元気そうで何よりだ。ところでさあ・・・」
最悪だ!この男と面と向かっていること自体私にとっては不幸以外の何者でもないのだが、何よりの不幸は連絡をよこしてきたのがよりによってこいつだったということだ!
「すきま女って結構可愛くない?」
言葉を選んでいうならば、私はこの男——天貝晶がとっても、非常に、大変、おおいに、極めて、すこぶる——
生理的に大っ嫌いなのだ!!!
すきま女 @mikmik33
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。すきま女の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます