すきま女

@mikmik33

第1話 すきま女

 私の顔面が逃げ出したことはさておき、話は数日前へと遡る。


 暖かな日差しが差し込んでいることに心から安堵した。

 ひび割れた舗装の駅前を足早に人々が通っていく。スーツ姿のサラリーマンや私服姿のOLと思わしき女性。そして、私と同じ青葉西高の女子生徒が待ち合わせの友人を見つけたのであろう——スマホから頭を上げ、友人とともに改札の中へと吸い込まれていった。

「ついに麗しい百合の素晴らしさに目覚めたか・・・」

 後ろから急に声をかけられたので、私は反射的に体を縮こまらせた。

「・・・そんなに驚かなくても・・・」

「ご、ごめんごめん。急だったから」

 私は答えた。

 ワンピース姿の制服に、肩まで伸びた栗色の髪が涼やかに揺れている。制服の青緑色も相まって清涼感のある爽やかな印象を醸し出していた。

 千ヶ崎咲ちがさきさき

 親友との出会いに少なからず私は胸を撫で下ろした。

「心配してたんだから。3日も学校休んで。私がどれだけ寂しかったかおわかり?」

 改札を抜けエスカレーターに乗りながら咲は小言を述べた。

「どれくらい寂しかったのさ」

「青のりのないお好み焼きくらい」

 全然寂しがってねえじゃん。

 ——というツッコミはさておき親友に連絡もせずに休んでしまったことを素直に謝罪した。冗談めかしてはいるがそれなりに心配してくれたのだろう。だからこそ咲への連絡を忘れてしまうほど私は追い込まれていたのかと、自分が置かれた状況の異常さをようやく自覚した。


 私、群青ぐんじょういろはは呪われているのだ。


 自らに起こった奇怪な状況を解明し、脱却するためにもあの男に会いに行かなければならない。そう思うと気が遠くなるばかりだった。

「私すっかり体操着盗まれたことがショックだったのかと思って。男なんてバカばっかりなんだから気にしなくていいよ、なあんて的外れなアドバイスしちゃった」

 電車を待つ人混みの中で咲がスマホをいじりながらそう聞いた。すぐさまけたたましい電車のブレーキ音が響き、私たちは中に乗り込む。

「ああ、そんなこともあったね。うん・・・まあそれはそれで気味が悪いんだけど。そういえばあの犯人捕まったの?」

「まだ。警察呼ぶかどうか先生たちも揉めてるみたい。犯人も盗みなんてしないでさあ、私に言ってくれればお古の服、いくらでも売りつけてやるのに」

「趣味じゃなかったんじゃない?」

「そんな見る目がない男は早く捕まれ」

 実際のところ咲は学校でもトップを争うレベルの美少女だろう。二人で街を歩いていてもよくナンパされるし、芸能事務所の人間に声をかけられたことも一度や二度のことではない。学校の男子生徒に告白されたことなど数えればキリがないのだという。しかし彼女の答えはいつもノー。いわゆる彼女はレズビアンで男には興味がないらしい。いつだったか興味本意で私のことをどう思うか真剣に聞いてみたことがあるが、彼女曰く「好みじゃない」とのこと。それはそれで女の私としては複雑な心境なのだが・・・。まあ彼女と親友でいられる理由がそこにあるのなら納得するとしよう。私も結構可愛いほうだと思うんだけどなあ・・・。

「でもたかが体操着って言ってももう何人も被害に遭ってるんでしょ?私の時もクラスの数人がやられてたみたいだし。さっさと警察呼んで指紋でもなんでも取って調べてもらえばいいのに」

 私は素直な疑問を口にした。

「そう。だからさ、実は犯人はもう特定できてるんじゃないかって」

「特定できてる?」

「実は隣のクラスの人から聞いたんだけど放課後の空き教室から生活指導の田村の怒鳴り声が聞こえてきたんだって。そんで教室の中を覗いてみたら一人の男子生徒が田村と言い争ってるみたいに見えたって言ってて」

「つまりその男子生徒が犯人なんじゃないかってこと?顔は見えなかったの?」

「逆光でそこまでは確認できなかったみたい」

「う〜ん・・・なんだかなあ・・・」

 その話だけで男子生徒を犯人とするにはいささか乱暴すぎる気はするが、学校の噂なんてこんなものだろう。数百人を超える人間が校舎という大して広くもない建物に押し込められ、毎日のように顔を合わせていれば、よほど話が達者な人間以外すぐに話のネタに飢えてくる。そこに体操服盗難事件ときたものだ。合理性が薄くとも、点と点が無理やり繋ぎ合わさり、話題に尾ひれはひれがついていくのは必然のようにも思える。そんな学校だからこそ私の状況打破にも光明が見えたとも言えるのだが。


 休んでいる間の学校の様子など、他愛もない会話をしているうちにいつの間にか学校の校門をくぐっていた。昇降口に続く曲がりくねった道の両脇には緑が生い茂っており、夏の到来を感じさせる。こんなに爽やかな気持ちになれたのは何日ぶりだろう。咲とのひさしぶりの会話、眩しい陽光に安心していた上、昇降口で靴を履き替えるという何気ない動作にすっかり気が緩んでいたのかもしれない。うちばきを取り出そうと下駄箱の扉を開けた瞬間——私は目の前の光景に震え上がり叫び声を上げていた。

 女。

 女が詰まっている。

 下駄箱の下段。靴一足が入る長方形の隙間に女が詰まっていた。赤子ほどの大きさしかないその女の頭部は横向きで収まっており、その周囲の隙間を埋めるように胴体や手足が奇妙に捻じ曲げられ収まっていた。黒い髪は無造作に伸び散らかしその隙間からはまんまるな二つの双眸が覗いていた。飛び出るのではないかと思うほどその両目は見開かれ、中央の真っ黒な瞳がこちらを睨んでいる。目は充血し、それらを納めている顔面や剥き出しの肌は暗闇の中で不気味なほど白く、対照的に真っ赤な唇がそれらを際立たせる。

 まるでトランクに無理やり詰め込まれたバラバラ死体——否、そのほうがいくらかマシだった。手のひらほどの大きさしかない頭部は明らかに大人の女の顔をしているにも関わらず手足や胴体は頭部に比べて明らかに小さい。チグハグなのだ。まるで靴一足分のわずかな空間に収まるようデザインされているかのごとく。


 ——すきま女。


 この数日間の恐怖、そのすべての元凶。

 記憶がひきずり出される前に、私は意識を手放していた。

 そう。この私、群青いろはは呪われている。


 あとはあの男に縋るしかないのだ。

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