刺激的な人生を君に

坂餅

刺激的な人生を君に


「いっけな~い☆遅刻遅刻」

 朝の住宅街によくありがちなセリフが響く。

 声の主、波野瀬溢翔なみのせいつかが目覚めたときには既に時計の針は八時を置き去りにしていた。

 焦りに焦った挙句、妙なテンションにスイッチが入ってしまった溢翔は、急いで支度をしてパンを咥えると一目散に家を飛び出し今に至る。

 住宅街を駆けて、やがて丁字路に差し掛かった時、溢翔の前を何かが横切り、ブロック塀に衝突した。

 急ブレーキを掛け、額に汗を浮かばせながらブロック塀に目を向けると、セーラー服の黒髪ショートヘアー少女が頭を押さえ、蹲っていた。

「あの、大丈夫ですか……?」

 蹲りながら震える少女に、誰かに会いたいのかな、と思いつつ、スマホで一一九を入力した溢翔は声を掛ける。

「ふっ……ふふ、ふふふ。あーはっはっはっはっ」

 突如笑い出した少女から後ずさりながら、七一一九に掛けようか、一一〇に掛けようかと考えていた溢翔は不意に足を掴まれる。

「ちょとまてちょっと」

「ひぇ!」

 情けない声を出しながらも必死に手を振りほどこうとするが、少女の力が思いのほか強く、手を振りほどけない。

 番号を一一〇に決めた溢翔は番号を入力して通報する覚悟を決めた直後に少女は笑い止むと手を離した。

「あーわりいわりい。驚かせたな」

 目尻に浮かぶ涙をぬぐいながら、少女は壁で身体を支えながら立ち上がるが溢翔の顔を見るとまたすぐにその場にへたり込む。笑いを堪えながら。

 少女が溢翔の顔をちらりと見た時、当然溢翔にも少女の顔が目に入る。その瞬間、警察に通報しようという思いが彼方へ飛んで行ってしまう程の衝撃を受けた。

 ほんの僅かな時間であったがそれでも十分に印象に残る程の綺麗な少女だった。僅かに吊り上がった大きな目にシュッとした鼻筋、桜色の薄い唇などの顔のパーツがおそらく黄金比で並んでいるのだろう、白く透き通るような雪景色を思わせる肌の少女だった。

「えっと……、いつまで笑っているんですか?」

「いや……ははっ、今時それはねえだろ」

 『それ』とはいったいなんのことだと、溢翔は怪訝な顔を浮かべるが、その顔はすぐに朱に染まってしまった。

「違うんです訳を聞いてください」

「よし、聞こう。あたしを楽しませてくれたお礼に。ぶふっ」

 羞恥に染まった溢翔の思いが通じたのか、少女は突如真剣な表情になり、真正面から溢翔を見る。

「笑わないでください!」


 

「んで、一人ヒロインかましていたと?」

 二人は人の気配のない住宅街を並んで歩く。

「……まさか見られていたとは」

「安心しろって! 今ここらにはあたしらしかいねえから」

 少女は溢翔の背中をバシバシと叩く。

 溢翔はたたらを踏みながら抗議の声を上げる。

「もうちょっと優しくしてくれませんかね?」

「あ? あたしみたいな超絶美人に叩かれるのってご褒美じゃねえの?」

「美人だからって暴力が許されると思うなよ」

「おー確かに」

 ポンと手を打つ少女をため息交じり横目で見ると溢翔は学校に向けて歩を進めた。

「ちょ待てよ」

 少女は溢翔を追い抜くと溢翔の顔を見ながら後ろ向きで歩き始める。オレンジのセーラースカーフが左右に振れている。

 それが数メートルも続くといくら美人と言っても気味が悪くなってしまう。

「君はいったいなんなんだ?」

望杉華羅美もちすぎからみ、よっろしくう」

「波野瀬溢翔」

「おー溢翔! そうかそうかよっろしくう!」

「よろし――じゃなくて! さっきから俺の顔をガン見してるけど、何かついてる?」

 危うく華羅美のペースに乗せられそうになったが、なんとか話をしようと声を張る。

 聞かれた華羅美は尚も溢翔の顔を見ながら、首を傾げる。

「あー、なんかしけたツラしてんなーって」

 遠慮ない物言いに溢翔は微苦笑しながら言い返す。

「さっきから思ってるんだけど初対面の人に対して言いすぎじゃない?」

「あっはっは、確かに。 じゃあよろしく溢翔」

「じゃあって何が⁉」

「今日は昼飯一緒に食おうぜ」

「食べないよ! そもそも学校違うでしょ」

「どうせ今から行っても遅刻だし、サボってピクニックでもやろうじゃねえの」

 その一言で溢翔は自分が遅刻寸前だったことを思い出した。

 一瞬の硬直、なんだか面白そうだしサボろうかなと思ったが、流石にピクニックに行くという理由でサボるというのはダメだと思ったので溢翔はしかたなく首を横に振る。

「……サボるのはよくないから学校に行くよ」

 溢翔は華羅美を追い抜く。

「ほーん、じゃあ仕方ねえな」

 口を尖らせた華羅美は、溢翔の一歩先へ駆けると振り向く。

 雲の隙間から覗く太陽のような笑顔を浮かべ、一言。

「楽しんできな」

 その言葉は溢翔の心に染み込む。それはすぐに乾くが、どうしても消えない痕になって心に残り続ける。

 華羅美は今まで歩いてきた方向とは逆方向に歩いて行く。

 溢翔は慌てて振り返ったが、華羅美の姿はどこにもなかった。

 


 結局、学校に着いたのは一限目の終了間際だった。

 教室の扉を引くと迎えるのは大量の視線、遅刻してきたのだから注目を集めるのは仕方ないが、どうしても居心地の悪い気分になる。

 職員室で貰った遅刻の証明書を渡して席に着く。

 そしていつも通り、学校に溶け込み、変哲もない一日を過ごしていく。



 瞬く間に時間は過ぎていき、時刻は一二時二十分。四限目終了のチャイムが鳴る。

 溢翔は教科書類を机に押し込むと鞄から昨日のうちに買っておいた菓子パンとパックのジュースを取出し、イヤホンを耳に突っ込む。人類拒絶モードを発動し、手早く食事を済ませると、机に伏せる。

 ――が、食後すぐに伏せたということもあり、少し苦しくなってきた溢翔は席を立つ。

 どこに行こうかと考えながら廊下で重い足を動かす、他の生徒はまだ昼食を食べているので廊下には生徒の姿はほとんどない。溢翔はなんとなくトイレに向かい用を足す。

 水道に立った溢翔は鏡を見る。映るのはもちろん自分の顔だけだ。どこからどう見ても日本人の顔立ち、特にセットされていないツーブロックの黒髪黒目。確か華羅美も黒髪黒目だなと思い鏡から目を離す。

 手を水で洗い、再び鏡を見ると――。

「よう」

「ふぇあ!」

 華羅美が溢翔の背後に立っていた。

「昼飯食おうぜ」

「ここ男子トイレ!」

 鏡越しにウインクをする華羅美を溢翔は慌てて廊下に引っ張りだそうとする。

「おおっと、あたしはこの学校の生徒じゃねえぞ」

 どこか勝ち誇った雰囲気を醸し出す華羅美をよそに溢翔はどうしようかと頭を回転させる。二階ということもあり、窓から外に出すことはできない。だからといって校舎内に入れると華羅美の言った通り、この学校の生徒ではない人間だとバレると問題になる。

「……どうすればいい?」

「ははっ、あたしに聞くなよ」

 溢翔は頭を抱えるがその時、廊下から生徒達の足音が聞こえてきた。なにやら会話しているらしく、聞こえてくる声音は男子生徒のものだった。

 その瞬間、華羅美は無駄のない動きで溢翔を洋式の個室に押し込み座らせ、自身は座った溢翔の上に横向きで座る。

「お――」

「悪いけど黙って耐えろ」

 口を開きかけた溢翔を鋭く制した華羅美は足がドアの隙間から見えないように足を上げる。程なくして男子生徒数人が話しながらトイレに入って来た。

 やがて男子生徒の声がしなくなると華羅美は溢翔の足から下りる。

「あ。足が……」

 足をさすりながら華羅美を見上げる。

「大丈夫か?」

「大丈夫……それよりどうするの?」

「よし、脱げ」

「なんで⁉」

「トイレから出れねえじゃん。ほら、そのブレザーとっとと脱げ」

「カツアゲだ……」

 溢翔はブレザーを脱ぐと恐る恐る華羅美に差し出す。「ありがと」と小さくお礼を言った華羅美はセーラー服の上からブレザーを着てボタンを閉じた。

「やっぱちょっとでけえな」

「まさか変装?」

「そのまさか。パッと見はここの生徒っぽいだろ」

 そう言うと個室のドアを開け出ていく。

 ブレザーを脱ぎ、身軽になった溢翔が先に廊下へ頭を出し、他の生徒が見当たらない事を確認すると華羅美に手招きをする。

「んじゃ走るぞ」

「わかっ――ちょっ」

 華羅美は溢翔の手を掴みトイレを飛び出すとものすごいスピードで階段を目指して突っ走る。

 階段に来ると華羅美は溢翔をお姫様抱っこで持ち上げ、踊り場まで跳躍。心臓が浮く感覚に襲われた溢翔は思わず悲鳴を上げる。その悲鳴はサイレンの如くドップラー効果を起こす。数人の生徒がその光景を見て唖然とした顔をしていた。

 そしてもう一度跳躍。見事着地した華羅美は溢翔を抱えたまま外を目指す。

 その後、数人の生徒には見られてしまったが無事に外に出た二人は今、専門科目などにしか使用しないため、人気のない特別棟の下で向かい合い、座っている。

「生きてる……生きてるぞ!」

「楽しかったな」

「死ぬかと思った!」

 溢翔も少しだけ楽しいという気持ちもあったが、それを口に出すことはしなかった。

 華羅美はそんな溢翔を楽しそうに眺める。

「生きてんだからよかったじゃねえか」

「いったい誰のせいだと」

「それより昼飯食おうぜ」

「もう食べたよ」

「なんで! 約束したじゃん!」

「してないよ! あれはサボってピクニック行こうって意味でしょ⁉ それに、そもそも君はなにも持ってないよね」

「ここに来る時に食べちゃった☆」

「……じゃあ来た意味ないじゃん!」

 テヘッと頭をこつんとした華羅美に少し見惚れてしまったが溢翔は鋭くツッコむ。

「あっはっはっは」

「なんで来たの……?」

 訳が分からないと思った溢翔は微苦笑しながら尋ねる。華羅美の答えはシンプルなものだった。

「暇だったから」

「学校! あるでしょ!」

「今昼休みだろ」

「昼休み 出ちゃ ダメ」

「それは学校にもよるんじゃね?」

「……そうですか」

 溢翔は大きく息を吐く。

 さっき食べたばかりなのにエネルギーを使いすぎたせいか少し空腹感を感じてきた溢翔は校舎の壁に背を預ける。

 華羅美も溢翔の隣に移動し、校舎に背をつける。

 二人は並んで空を見上げる。校舎がにわかに騒がしくなる。

「帰るのだりいな」

 そのつぶやきはすぐに空気に溶ける。溢翔にはそれが、単なる独り言なのか、自分に向けられて発せられたのかが分からず、曖昧に空気を震わせることしかできなかった。

「部活かバイトしてんの?」

「え、急。バイトはしてるけど」

「今日はあんの?」

「休みだよ、基本土日しか入ってないから」

「んじゃ放課後飯食いに行こうぜ」

 仲の良い友達のように接してくるが華羅美とは今日初めて出会っただけなのだ。

 溢翔にはその距離感がいまいち理解できない。

「俺たち今日出会ったばっかりだよ?」

「別に今日出会ったから飯食いに行っちゃいけねえってルールはねえだろ。んなルールあったら合コンとかどうなんだよ」

「確かに……そうだけど」

「んじゃ決定な」

 断る隙もなく決定されてしまった、元より断る気などないが。

「迎えに来るから、正門で待っとけよ」

「分かったよ」

 溢翔が頷いたのを確認すると華羅美は立ち上がる。

「だりいけど学校に戻るわ」

 ブレザーを脱ぎ、溢翔に手渡す。軽く肩を回すと裏門まで駆けて行く。ちなみに門を通らず、横の塀を飛び越えて行った。

 たった数十分のはずなのに、とても長く感じた。

 溢翔は未だに大きく響く鼓動を感じながら軽い足で教室へ戻る。



 残り二つの授業を消化するとすぐに帰りのホームルームが始まる。

 ここらの地区で不審者がでた等、連絡事項を適当に聞きく。

 帰りの礼を済ますと溢翔は鞄を肩にかけて誰とも話さず、人が傾れ込む前の昇降口へ向かう。

 靴を履き替え、正門へ向かう。

「よう」

 声の主は正門で仁王立ちをしていた華羅美だった。

「ごめん、待った?」

「ちょっとだけな、けどまあ終わる時間って学校によってちげえからな、仕方ねえよ」

「君の学校は終わるの早いんだ?」

「溢翔の学校よりかわな」

 そうこうしているうちに昇降口から生徒が吐き出て来た。

 二人は邪魔にならないように門から離れる。出て来た生徒の多くは華羅美に見るたび目を瞠る。

 溢翔は若干の居心地の悪さを感じながら華羅美から一歩離れる。

 華羅美は僅かに困惑した表情を浮かべる。

「なにしてんだ?」

「いや、目立つなと……」

「まあ超絶美人だからな、それより早く行こいうぜ」

 平然と答える華羅美は人の流れに乗って行く。慌てて後った溢翔は華羅美の隣に並ぶ。周囲の視線が刺さる。

「小腹空いたよな?」

「え、あ、うん」

「うっし、まずハンバーガーでも食うか」

「うん」

 周りを気にしすぎるあまり、控えめな返事をしていると華羅美は絡んでくる不良のような顔をする。

「んだよさっきから」

 その迫力に気圧された溢翔はなんとか言葉を返す。

「……周りの人からめっちゃ見られてるなと」

「はあ、そんなことかよ」

 途端に華羅美は呆れ返った声を上げる。

「んなもん気にすんな、あたしだけ見とけ」

 勝気な笑みを浮かべた華羅美に目を奪われ、思わず足が止まる。

「早く行くぞ」

 止まった溢翔の手を引き、華羅美はどんどん進んで行く。

 人混みを縫うように進んで行き、着いたのは大手ハンバーガーチェーン店だ。

 レジ前には高校生達が列を作っている。二人は列に並ぶ。並んでいる高校生は溢翔と同じ制服姿をしている、その中にセーラー服は溶け込めておらず目立ってしまう。

 チラチラ向けられる視線を華羅美は気にすることなくレジ上のモニターに流れる映像を観ている。

「なあ、なにがあんの?」

 そう言って溢翔の方を見る。

 溢翔は店内を見渡し、立てられているメニュー表を指差す。

「あれ?」

「ほう、種類が多いな」

「まあ……」

 顎に手を当て、メニューを凝視する華羅美と一緒にメニューを眺める溢翔。程なくして順番が回って来て、二人は種類の違うハンバーガーセットを注文した。

 待つこと数分、二人はトレイを受け取ると席を探す。幸いにも二人掛けの席を確保できた二人は向かい合って座る。

 いただきます、と手を合わせ、ハンバーガーの包みを剥がして食べ始める。

 半分以上食べた時、華羅美が唐突に。

「ファストフードっつたか? あたし、こんな感じの店来るの初めてなんだよ」

「うっそ、日本人でしょ?」

「おいおい日本人何人いると思ってんだよ」

「……一億人ぐらい?」

「一億二千万ぐらいだな、んでその中の……まあわかりやすいから一億で考えるけど、一パーセントがこういう店に来たことがないとすんだろ? 計算すれば百万だ」

「おお?」

 溢翔は納得半分疑問半分で頷く。

「その百万の中にあたしが入ってたっつうだけだ」

 ファストフード店に来たことのない日本人は全体の一パーセントに満たないのではと溢翔は思ったが、小数点以下に減っても十万、一万になるだけ、個人から見た一万人という人数もかなり多い。

「要するに、深く考えんなってことだよ」

「そういう話だった⁉」

「冷めんぞ」

 華羅美は綺麗に折られたハンバーガーの包み紙を端っこに置き、ポテトを食べている。

 溢翔も急いでハンバーガーを食べきり、華羅美に倣って包み紙を綺麗に折りたたむ。

 熱を失いかけているポテトはしんなりとしていた。

 


 食事を終えた二人は店を出る。下校時刻からしばらく経っていたため、高校生の姿は少ない。

「次はアエオン行こうぜ」

 華羅美はショッピングモールに行こうと提案する。

「え、遠くない?」

「三十分もかかんねえだろ」

 まだ少しだけ周りの視線が気になる溢翔は人が多い場所に行くことを躊躇ったが、華羅美といる楽しさがそれを上回っていた。

「まあ、いいけど」

 二人はショッピングモールに続く道を並んで歩く。

 ちょうどいい機会だと、溢翔は疑問をぶつける。

「そういえばさ、なんで荷物持ってないの?」

「……逆になんで持ってんの?」

「え?」

「あ?」

 二人は互いの顔を見合わせたまま立ち止まる。

「教科書」

「学校」

「飲み物」

「適当に買う」

「財布」

「スマホ決済」

「後は?」

「学生証?」

「あ、それは?」

「生徒手帳に挟んでポッケ」

「その他もろもろ」

「なんとかなる」

 溢翔の頭に華羅美の言葉が蘇る。

 頷いた溢翔は昼休みに華羅美がどこから侵入したのか聞こうと思ったが、深いことは考えないようにした。

 二人は何事もなかったかのように歩き出す。

「そういやさ、アエオンでなにすんの?」

「君が行こうって提案したんだろ⁉」

「提案はした、でも行った事はねえ」

「あー、そうなの」

 胸を張って答える華羅美に対して、一億分の何パーセントの人間なんだろうな、と溢翔は思った。

「だから教えてくれよ」

「えー、買い物するとか?」

「なんで疑問形」

「他のだれかとアエオンに行ったことないし」

「一人で行ったときはなにすんの?」

「映画見るか、ゲームセンターで遊ぶとかかな」

「ならそれ以外の事するか」

「なんでそうなるの⁉」

 なにかおかしなこと言いましたか? という顔を浮かべた華羅美は人差し指を立て、それを軽く振る。

「せっかくなら一人じゃできねえ事してえじゃん」

「例えば……?」

 溢翔はショッピングモールで一人じゃできない事を考えるが、これといったものは思い浮かばない。

 華羅美も腕を組んで考えており、やがてなにか思いついたのか、笑みを浮かべ、溢翔に顔を向ける。

「服選んでくれよ」

「なんで⁉」

 と声を上げたが、確かに二人でしかできないことのような気がする。むしろそれ以外ショッピングモールで二人ならではのことはないと思う。それは華羅美も同じ事を思っていたらしく。

「それ以外の事はねえと思うんだよ」

「まあ確かに」

 しかし、そうなれば他の問題が出てくる。

「でも女の子の服の事とかよく分からないんだけど」

「心配すんなって、美人にはなんでも似合うから」

 それに、と華羅美は続ける。いたずらな笑みを浮かべて。

「溢翔の女に対する服装の趣味が分かるからな」

「なんかやだ!」

 溢翔の叫びが、側を通る車の走行音をかき消した。


 

「めっちゃ店あるな」

「モールだしね」

 ショッピングモールに着いた二人は店内地図の前に立っている。

 学校から少し距離があるせいか、溢翔と同じ制服姿の高校生はほとんどなく。代わりに違う制服の高校生達の姿がちらほらとある。

「適当に端から端まで歩くか」

「そうだね」

 モールは端から端まで約五百メートルあるらしく、それが二階建てになっている。

 二人はまず、一階の店を見ながら端から端まで移動し、二階へ上がり端から端まで移動する。

 そして二人は初めにいた、一階のフロアマップ前に戻って来た。

「帰るか」

「まだなにもしてないよ!」

「冗談だって」

 軽く笑ったあと、華羅美は腕を組み、首をひねる。

「それにしても、いまいちピンと来ねえな」

「そうなの?」

「おん。んで、溢翔は?」

「分からない……」

「あたしなんでも似合うから大丈夫だっていったろ?」

「いや、そうなんだけど」

 さっきまで乗り気だったがいざ選ぶとなると、今日初めて出会った女の子の服を選ぶのは、溢翔にはハードルが高かった。

「んじゃあ、あの店で選んでくれよ」

 そう言って華羅美が指さすのは、着物を取り扱っている店だった。

「まさかの和服⁉」

「ぜってー似合うぜ」

「だとしても柄しか違わないよ!」

「……それもそうだな」

 今のやり取りでいくらかリラックスした溢翔は色んなジャンルが売ってそうな広い服屋へ華羅美を連れていく。

「ほう、考えたな」

 華羅美は店内に入ると溢翔を置いて店の奥へ入って行った。

 やがて戻って来た華羅美は両手にズボンとスカートを持っていた。

「ズボンとスカート、どっちがいい?」

「……スカート」

「溢翔はスカートが好きなんだな」

「好きというか、通気性?」

「よし、来い」

 そう言うと華羅美は溢翔を連れて再び店の奥に向かう。

「長めのスカートか短めのスカート」

 溢翔は華羅美の服装を見る。膝丈のスカートからストッキングを履いた足が見える。

「長め」

「いいねえ、隠しやすい」

「なにを?」

「さあな」

 そう言うと華羅美はスカートを取らずに移動する。

 次に向かったのは上の服を置いている場所だ。

「よし、選べ」

「ええ」

 華羅美に送り出された溢翔は女性用服売り場で挙動不審に徘徊する。そしてワイシャツを置いてある場所で足を止める。

「ワイシャツの由来は知ってるか」

 後ろから華羅美が覗き込んでくる。

「……広げたらアルファベットのワイの形になるから?」

「ホワイトのワイらしいぞ」

「ええ……カラフルなんだけど」

 溢翔の前には戦隊ヒーローより種類の多いワイシャツが並んでいる。

「なに、色で迷ってんの?」

 溢翔は小さく唸ると華羅美とワイシャツを交互に見る。

 やがて手に取ったのは真っ赤なワイシャツだった。

「血が目立たなそうな色だな」

「怖いよ! 君のイメージだよ!」

「誰が血の気の多いだって?」

「言ってないし思ってないよ!」

「うっし、次はスカートの色だな」

「緩急……」

 再びスカートを置いている場所へ戻って来た二人。華羅美は勢い良く振り返る。

「最後はスカートの色だ!」

「無難に黒?」

「はいよ」

 華羅美は黒の長いスカートを取る。そしてシャツとスカートを見比べて首を傾げる。

「制服……?」

「いまいち女の子の服装が分からないんだよ」

「ほーん。んじゃ着てくるわ」

 試着室に入った華羅美を待つ。

 そしてすぐに出てきた。

「どーよ」

 試薬室のカーテンを引き、華羅美がドンと立つ。

「え、いやまあ。似合ってるなと」

「だろ」

 そう言った華羅美はカーテンを閉める。そしてすぐに開くと元のセーラー服に着替えた華羅美が立っていた。

「はっや」

「すげえだろ」

 試着室から出た華羅美は服を持ったままレジへ向かう。

「えっ、その服買うの⁉」

「当然じゃん、せっかく溢翔が選んでくれたんだし」

 会計を済ませ、服屋から出ると二人はあてもなくモール内をぶらぶらする。

 華羅美が持っている袋をグルグルと手首を回しながら呟く。

「晩飯には早えよな」

「さっき食べたばかりだもんね」

 暫く歩いた二人はモール内に設置されているベンチに腰を掛ける。

「次は溢翔の服を選んでやろうか?」

 笑みを浮かべた華羅美が提案するが、溢翔は気恥ずかしさと、男の服って女の子の服程種類無い気がするという思考が邪魔をする。

「あー遠慮しておくよ」

「そうかあ」

 深く息を吐いた華羅美が吹き抜けの天井を見上げる。

 天窓から見える空はすっかり暗くなっており、館内の硬い光だけが目に突き刺さる。

「家に連絡したか? 晩飯いらねえって」

「したよ、君は?」

「さっきから思ってたんだけどさあ」

 身体を起こした華羅美は足に肘をつき、頬杖をつく。

「あたしの名前なんで読んでくんねえの」

 ジト目を向けられた溢翔は僅かに目をそらす。

「……人の名前……呼び慣れてない」

 ちらりと華羅美の顔を見る。

 華羅美はポカンとした表情から段々目に涙を滲ませる。

「マジ?」

「マジです……」

「あーっはっはっはっ、おもしれえ!」

「笑いすぎだろ!」

 ショッピングモールのど真ん中で大声で笑っているため、周囲の視線が気になった溢翔だったが、平日ということもあり、人がそれほど多くなく、僅かに安堵する。

 ひとしきり笑った後、華羅美は涙をぬぐいながら、深呼吸をする。

「いや、わりい。その段階だったんだなって」

「その段階ってなに?」

「美人の名前を呼ぶのを躊躇っているじゃねえかって」

 当たり前のように自分の事を美人と言っているが、溢翔には確かにな、という考えしか浮かばない。

「あー」

「まさかそれ以前とは。ぶっ」

「自分でもそう思うよ」

「うっし、あたしで練習すんぞ」

 そう言うと華羅美は立ち上がり溢翔の前で仁王立ち。

 溢翔は華羅美を見上げながら眉根を寄せる。

「えー、呼ぶの?」

「んだよ、嫌か?」

「嫌じゃないけど……望「華羅美」

「も「華羅美」

「華羅美さ「華羅美」

「華羅美」

「言えたじゃねえか」

「言わせたよね⁉」

「ったりめえじゃねえか、苗字とかさん付けとかなんか距離感じるし」

「だって今日初めて会ったんだよ⁉」

「んなこと関係ねえっつたよな⁉ もう友達じゃんあたしら」

 溢翔の肩を掴んで激しくシェイクする。

 こんな細い体のどこにそんな力があるのか、溢翔は疑問に思ったが、今は言葉を発すことができない。

「あっわりい」

「大丈……夫」

 慌てて手を引っ込めた華羅美だが、時すでに遅し。溢翔はベンチにぐったり、身体を預けてしてしまった。

「はっ、俺はなにを⁉」

「あ、起きた」

 溢翔は軽く首をさする。

「身体が軽い……⁉」

「マッサーーージ」

 華羅美が手をワキワキしながらいたずらな笑みを浮かべる。

「ブルブルマシーン……? それより、華羅美ってなんでそんなに力が強いの?」

「あ? そりゃああたしだからな」

「理由になってない⁉」

「立派な理由だろ」

 したり顔で言うと溢翔に立つように促す。

「そろそろ飯行こうぜ」



 夕食のため、二人がやって来たのはフードコートだった。

「なに食う?」

「なんでフードコート……?」

「ほら、色んな店あんじゃん?」

「でもなんか、フードコートはお昼ご飯ってイメージなんだよな」

「まあ細けえ事はいいじゃねえか」

「嫌いじゃないからいいんだけどね」

 と言いながら、なにを食べようかと溢翔は店を見ていく。鉄板焼き、ラーメン、ハンバーガー、海鮮などの店がある。

 さっきハンバーガーとポテトを食べたから揚げ物とハンバーガーは無しだな、と溢翔は見ていくが。

「おい、溢翔見ろよ!」

 なにやら弾んだ声で溢翔を呼ぶ華羅美を見ると、華羅美は定食屋のメニュー看板を指差し、キラキラと目を輝かせている。

「どうしたの?」

「ほらここ! ご飯、お味噌汁おかわり無料だぞ!」

 ちなみにご飯大盛りも無料だった。

 溢翔はたっぷり時間をかけて返答する。

「そうだね」

 華羅美は目を見開き、指を震えさせる。

「なんだよそのリアクション……」

「いや、別に……うん」

 どういうリアクションを取ればいいのかわからない溢翔だった。

 そんな溢翔をおいて、華羅美はレジへ向かう。

「よし、あたし焼き魚定食ー」

「……俺もここにしよ」

 注文した二人は呼び出しベルを貰い、席を探す。

 夜ということと、平日が合わさってほとんどの席が空いている。二人は定食屋から離れすぎない適当な席につく。

「夜のフードコートは人がいないんだよなあ」

 周囲を見渡した溢翔が呟く。

「なんで? こんなにいろんな店があって楽しいのに」

 華羅美は頬杖をつきながら、チラリと周囲に目を向ける。

「俺も知らないよ。ただ、一階のレストラン街は夕食時に人は多いけど」

「ふーん、まあいいか」

「いいんだ……」

「人少なくて楽だしな」

 呼び出しベルを指でクルクル回しながら、華羅美は背もたれにもたれかかる。

 そして暫く無言の時が過ぎる。

 華羅美は無言のまま溢翔を見続ける。

「……どうしたの?」

 少し居心地の悪くなった溢翔は眉根を寄せて尋ねる。

 華羅美は僅かに首を傾げる。

「んや、相変わらずしけたツラしてんなーって」

「ええ……、顔の事は仕方ないよ」

「そうじゃなくてな」

 そこで一度言葉を区切ると華羅美は居住まいを正す。

「楽しくねえか?」

 華羅美は微苦笑を浮かべ、問いかける。溢翔の心に浸透するような声音で。

 その言葉に溢翔は少し戸惑う。

 自身の思いを吐露してもいいのか、朝の光景を思い浮かべる。

 華羅美は気にするなと言うが、今朝であったばかりの人間に自分の胸の内をさらけ出せるほど溢翔は人間に慣れていない。

 だから答えるのは、本心には違いないが、面白くない答え。

「楽しいよ」

「……なら良かった」

 華羅美は困ったように笑う。

 そして続けて口を開きかけた時、呼び出しベルが鳴る。

「うお、音でけえ」

 二人は呼び出しベルの『消』のボタンを押し、定食屋へ向かう。

 定食を受け取った二人は席に戻る。

「あ、水がねえ」

「俺が取りに行くよ」

 立ち上がろうとした溢翔を手で制して華羅美は立ち上がると目を輝かせる。

「あたしが行く、あれやってみたかったんだよ」

「あ、そう? ありがとう、お願いします」

 ぎこちない答えになってしまったが、華羅美がそれを気にするそぶりがないことに安堵しつつ溢翔は腰を下ろす。

 華羅美が水を汲みに行って柱の陰に隠れると溢翔は深く息を吐く。

「こういうのも悪くないんだけどな……」

 心を満たせない、物足りなさを自覚しながら一人呟く。

「待たせたな!」

 どこか満足したような表情で華羅美が紙コップをテーブルに置く。

「ありがとう」

「それにしてもすげえよな、ボタンをしたら紙コップが出てくるなんてよ」

「ないところもあるしね」

「マジか」

「マジだよ。それより早く食べよう」

「そうだな」

 二人はいただきます、と手を合わせ食べ始める。

「ご飯大盛にしたんだ……」

 溢翔はとんかつ定食のカツにソースをかけながら尋ねる。

「エネルギーは取っとかねえといけねえからな」

 華羅美は鯖の塩焼きをほぐしながら答える。

「なあ溢翔」

「なに?」

「友達いねえの?」

「いない、というかいらない」

「そういうことは人に慣れてから言うことだぞ」

「……」

「……」

 味噌汁をすする音が流れる。

「……わりい」

「華羅美の方こそどうなの、友達いないの?」

「いねえな! 溢翔以外は」

「そんな自信満々に……え?」

「美少女の友達だぜ、いらねえのか?」

 華羅美はドヤ顔で親指を立てる。

 とんかつを一切れ齧りながら、溢翔は首をひねる。とんかつを飲み込むと、慎重に言葉を選ぶ。

「別に、友達に美少女とかは、求めてないけど」

「じゃ、なに求めてんの?」

 そう言われると、溢翔は眉根を寄せる。

 その様子を見て、華羅美は納得したような表情を浮かべる。

「あたしが友達に求めてるもんは日常だな」

「日常?」

「そ、日常」

 溢翔は怪訝な表情を浮かべるが、華羅美はそれを手で制して漬物を食べる。

「あれだ、あたし結構特殊なんだよ。あ、漬物うめえ」

「ごめん全く分からない……こともないな」

 反射的に答えようとしたが、今日起きたことを思い出して口を噤む。

 男子トイレから外へ出ようと、物凄いスピードで移動した記憶がある。

「な?」

 華羅美が確認すると溢翔は無言でうなずく。

「あたしからすればあれが日常なんだけどさ、どうも世間一般は違うみてえでな」

「それが、嫌なの?」

「んや、別に嫌ってわけじゃねえよ。ただ、一人じゃつまんねえ。あたしの日常を誰かと過ごす、今日みたいに普通、一般的に、多くの人間が過ごす日常を誰かと過ごす。そのどっちも過ごせるってのがあたしが友達に求めているもんだ」

「……そうなんだ」

「次は溢翔の番だぜ」

 華羅美がウインクを決める。こうなるのが薄々分かっていた溢翔は深呼吸して、噛みそうになりながらも言葉を紡ぐ。

「俺は……俺が友達に求めてるのはあれだ……非日常だ」

「ほう、非日常ねえ」

 頬を人差し指で軽く叩きながら、華羅美はなにかを思い出すように上を向いている。

「あーだからあれか。遅刻遅刻~ってやってたんだな」

「うっ、あれは謎のハイテンションで」

「あっはっは。別にいいじゃねえかよ、面白かったし」

 溢翔は赤くなった顔を隠しながら呻く。

「普通は引くでしょ……」

 ぬるくなった味噌汁に口をつけ、心を落ち着かせる。

 一息ついてリラックスすると、胸の内を明かすのを躊躇う気持ちが小さくなっていた。

「心当たりがあるぜ。非日常に」

「え?」

「とりあえず飯食おうぜ」

 急かされた溢翔は残りを食べようと箸を伸ばす。

 ふと華羅美を見ると、すでに完食していて水を飲んでいた。

 溢翔は急いで残りを食べきると、手を合わす。

「食べるの早くない?」

「そうか? そんなつもりはねえんだけどな」

 溢翔が食べ終えたのを確認した華羅美は席を立つ。

 二人はお盆を返却口へ持って行く。

「外出るか」

 他に行きたい所も無いので溢翔も同意する。

「これから向かうのはあたしの日常だ、夢じゃねえし、細かいことはまだ気にすんな」

 華羅美はエスカレーターの手すりにもたれかかる。

「分かった」

 溢翔は自身の鼓動が大きく響くのを感じる。

 ショッピングモールを出た二人は人気のない道へ向かう。

 溢翔の頭にある可能性が浮かぶ。返り血、世間一般とは違う、夜の人気のない道。

「もしかしてだけど……」

「ヤクザじゃねえぞ!」

 溢翔が言うより早く華羅美が力強く言う。

「あたしもそう思ったよ、でもちげえから!」

「そうなんだ……じゃあどこに向かってるの?」

「港」

「ドラム缶に詰める気じゃん!」

「冗談だって」

 笑いながら話していた華羅美が不意に真剣な表情になる。

「なあ溢翔、周りを見てどう思う?」

 華羅美の真剣な声音に思わず足を止めた溢翔は言われた通りに周囲を見渡す。

 ショッピングモールからまだそこまで離れていないため、家は少なく、公園や草の生い茂った空き地が目立つ。そして街灯が少なく、死角が多いため夜中に歩くのは危険な場所だ。

「……暗い?」

 華羅美はバツが悪そうな顔をする。

「わりい、楽した」

「楽?」

「人払いする手間を楽したんだよ」

「人払い……?」

 いまいちピンとこない溢翔は首を傾げ答えを求める。

「今朝あたしが言った言葉覚えてるか? 今ここらにはあたしらしかいねえんだ」

「あ――」

 言われた時は意味がよく理解できなかったが、今は言葉の理解できた。ただ、それでも人払いをする理由を溢翔には思い浮かばない。

「まあなんで人払いしたはずなのに溢翔がいたのかは知らねえけど、基本的にあたしが外に出るときって人払いしてんだよ」

「そんなこと……どうして?」

「都合がいいからだな。ああ、なんの都合がいいのかはもう少しで分かるから、予想しときな」

 そう言うと華羅美は再び歩き出す。

 その後姿を見失わないように、溢翔は水玉模様の道を進んでいく。

 足音が反響して、後ろから誰かが付いてきているように感じる。溢翔は早足になり、華羅美に並ぶ。ちょうど住宅街に入ったところだ。

 それを見計らったように、華羅美は足を止め、溢翔を正面から見据える。

「なあ溢翔。最後に聞くが、マジであたしの日常に巻き込んでいいんだよな?」

 真剣な表情と声音だが、どこか遠慮するように、申し訳ないという思いを含んだ目を向ける。

「そのつもりで俺も来てるんだし、大丈夫だよ」

「んじゃ、あたしの関係者になるっつうことでいいんだな?」

 華羅美の妙な言い方になにも違和感を覚えず、ただ『友達』を『関係者』と華羅美は呼ぶんだな、溢翔は思った。

 お互い友達に求めることという話をした仲で、華羅美が自分の求める非日常に心当たりがあるというのだ、それがどんなものであれ、非日常には代わりないのだ。

「うん」

 力強く溢翔が頷くと、華羅美は快晴の笑みを浮かべて、溢翔に足払いを掛ける。

「ふぇあ!」

 溢翔の浮いた身体を華羅美が掬い取り、その場から大きく飛び下がる。溢翔をお姫様抱っこしたまま、今まで歩いてきた方を向く。

「いきなり攻撃してくるたあ、社内教育はどうなってんだ」

 華羅美が声を向けた方を溢翔も見る。そこには夜道に溶け込むように黒い外套で頭から全身を隠した人物が街灯の光に照らされていた。そしてその先、先程まで二人が立っていた場所には曲がった棒が突き刺さっていた。

「貴様なら避けるだろう。それに、こちらも確認のためこうして姿を現したまでだ」

 見た目での判別はできないが、声からして相手は男ということだけは分かる。

 だが、突然の展開に溢翔口をポカンと開いて顔を華羅美と男を行ったり来たりさせている。

「あー、ちょっと待て!」

 華羅美は男に言葉を投げかけると溢翔を下ろす。

「これがあたしの日常だ、見ての通り命がかかっている」

「え、あ、え?」

「溢翔、深呼吸だ」

 華羅美に促された溢翔は深呼吸を二、三回する。

「待ってなにこれなに!」

「落ち着け落ち着け」

 華羅美の腕を掴んで激しく振る溢翔は今日一番楽しそうな顔をしている。

 なんとか宥めると、華羅美は溢翔に持っていた紙袋を手渡す。

「ちょっと持っていてくれ。んで、念のため聞くけど、いいんだな?」

「え⁉ まだよくわからない」

「んじゃそこで見とけ」

 華羅美は再び男へ向かって言葉を投げかける。

「保留!」

「なにを言っている、その男は関係者だろう?」

「まだ違う」

 不機嫌さを隠そうとせず、男は唸るように声をだす。

「なんだと?」

「つーわけだから、てめえが狙えるのはあたしだけだ」

 そんな男をものともせず言い切る華羅美に溢翔は遠慮がちに声を掛ける。

「ねえ、華羅美。どういう事?」

「あたしの関係者じゃねえと連中は手出せねえんだよ」

「なるほど?」

「とりあえず黙って見とけってことだ、わかったか?」

 いまいち理解できていない様子の溢翔に念を押すように言う。

 溢翔はとりあえず言う通りに黙っていようと頷くと、控えめに手を挙げる。

「なんだ?」

「頑張るけど、ずっと黙っておくのは……」

「あー、あれだ、リアクションぐらいなら大丈夫だぞ」

 そう言われてほっと胸を撫で下ろす溢翔だったが。

「ただし」

 その目の前に華羅美が人差し指を立てる。

「あの野郎になに言われても、ぜってえ答えんなよ」

「……わかった」

 溢翔がゆっくりと頷くと、華羅美は満足そうな顔をすると、男の方へ向き直る。

「待たせた――なっ」

 今まで律儀に待っていた男は、華羅美が向いた途端に曲がった棒を投擲する。

 それを寸前で避けた華羅美は抗議の声を上げる。

「おいおいおい、危ねえだろうがよ。いきなり攻撃してくんなよ」

「貴様らの話は全て聞いていた、その男には手を出さない。故に攻撃をしたまでだ」

「理由になってねえだろ。まあ、話が分かるようでよかったけど」

「言うとおりにしなければこちらが不利になるだけだ」

 そう言うと男は数歩下がり、街灯の届かない場所へ移動した。

 暗闇が男の姿を隠す。華羅美も男が下がった分だけ歩を進め、オレンジ色のセーラースカーフをほどく。スカーフを勢い良く振ると、スカーフが固まり長い棒状になる。

 華羅美は悠然と構える。

 溢翔は電柱の陰に隠れながら、頭だけを覗かせる。

 そして、曲がった棒が華羅美を突き刺そうと、斜め上から囲うように飛来する。

 華羅美はスカーフを逆手で持ち、その場で回転、軽い音が鳴る。

 風圧に驚いた溢翔が頭を引っ込める。

 ――カラン。

 溢翔の耳に軽い音が届いた。

 辺りを見ると華羅美に弾かれた曲がった棒が、溢翔の近くまで転がっていたのだった。

 溢翔は曲がった棒を足を伸ばして引き寄せると、スマホのライトで照らす。

「なんだこれ?」

 溢翔は恐る恐る曲がった棒を手に取る。

 軽くて黒い、まるで眼鏡のテンプルのような曲がった棒。

「悪い、弾くのミスった。大丈夫だったか?」

 絶え間なく襲い掛かる棒を弾いていた華羅美が溢翔の側へ下がってくる。

 溢翔が棒を華羅美に突き出すように見せる。

「すっごい軽いんだけど、多分プラスチック?」

 眉根を寄せた華羅美が溢翔の持つ棒を睨むように見る。

 華羅美が溢翔の近くに来たことにより、攻撃が止んでいる。

「マジ? てかなんで曲がってんだろうな」

「そもそもなんだろうね、この曲がった棒」

「それは眼鏡のテンプルだ」

 闇夜から男の声が聞こえる。

「テンプルゥ?」

 男の声に華羅美が返す。

 溢翔はテンプルの意味を理解していないらしく、華羅美に遠慮がちに尋ねる。

「テンプルってなに?」

「眼鏡の掛けるとこだな」

「眼鏡に恨みでもあるのかな……」

「さあな」

 そう言うと華羅美は近くの家の屋根に飛び上がる。

 屋根の上は街灯の光が届かず闇に包まれている。

 テンプルが真横から飛んでくるため、高さは間違いないだろうが、男のいる方向は分からない。

「ったく、見えねえな」

 だからといってその場に留まるわけにはいかず、テンプルを弾く華羅美は悪態をつきつつも屋根の上を走る。

 やがて、屋根を駆ける華羅美の目に黒い外套を纏った男の姿が見えてくる。男は右手を華羅美の方へ突き出している。右手から射出されたテンプルが華羅美の眉間を穿とうと飛来する。正面からのテンプルをリボンを振って弾き、足を止めた華羅美はその勢いのまま真後ろから飛来するテンプルを弾く。それを見計らったかのように、他の方向からもテンプルが飛来する。

「なんで他のとこからも飛んでくんだよっ」

 その隙を逃さず、正面にいた男は屋根を降りて華羅美から離れようとする。

「っ――逃がさねえよ」

 男が着地して駆けだす寸前、スカートの中から分銅鎖を取り出した華羅美は、男の足に向かってそれを投擲する。

 足を絡め取られた男は顔を地面にぶつけてピクリとも動かなくなってしまった。

 傍らに降り立った華羅美は、手早くスカートの中から手錠を二つ取り出し、男の手と足にかけていく。そして男をそのままにして再び屋根に飛び上がる。

「順番にとっ捕まえていくか……」



 華羅美が屋根に飛び上がった後、一人取り残された溢翔は拾ったテンプルを見ている。

「なんで眼鏡の掛けるところ使ってるんだろ」

 華羅美は命がかかっていると言っていたが、どうも緊張感が薄い気がする。

「投げるんだったらナイフとか毒針とかさ……」

 呟きながらテンプルでアスファルトをガリガリと擦る。削れていくのはテンプルだ。次に溢翔はテンプルをアスファルトに突き刺そうとするが、当然突き刺さる事はない。

「……勢いか?」

 立ち上がった溢翔はテンプルをフルスイングで地面に向かって投げるが、突き刺さる事はなく、弾かれて地面に転がる。

「訳が分からない……」

 テンプルを拾った溢翔は周囲を見回す。驚くほどに静寂に満ちた夜道、家の中では人が生活を営んでいるはずなのだが、不自然なほどに人の気配が感じられない。唯一人の気配を感じるのは、時折聞こえてくるのは頭上から降ってくる足音だけだ。

 溢翔は警戒しながら、地面に突き刺さったテンプルを探す。

「確か……ここら辺に」

 スマホのライトで照らしながら探すが刺さったテンプルはおろか、なにかが刺さった跡なども見当たらない。

「あれ? 見間違いだったのかな……?」

 暗いから見間違えたのか、と思ったが、あの時避けるため華羅美に抱えられたのだ、刺さっていたのが見間違いだとしても、投げられたであろうテンプルが転がっていないのはおかしい。

(もしかして未知のテクノロジーが関係しているとか⁉︎)

 心を踊らせた溢翔だが、すぐにそんなわけないだろと言い聞かせるように頭を振る。

「でも……」



「なんつ子なんだよ……」

 男に手錠をかけた華羅美が呆れを滲ませて唸る。今拘束した男で四人目だが華羅美を囲むように飛来するテンプルの数はまだ多い。

「だいぶ減って――あ?」

 違和感を感じた華羅美は、拘束した男を担ぎ、飛来するテンプルを男を盾にして防いでみる。

 カンッと人体からはおおよそ聞こるはずの無い音が響く。

「そりゃ動きが単調だよな……ロボットだし」

 ため息をついた華羅美はロボットをテンプルが飛んできた方向へ向かってぶん投げる。

 ガシャンッと音が響いたのを確認すると、次の目標へ向かって駆けていく。

 走りながらスカーフを結びなおし、両手が自由になった華羅美はロボットの姿が見えると一度地面に下り、男の立つ家までアスファルを割らぬよう駆け、そして飛び上がる。

 ――刹那、華羅美のしなる脚がロボットの胴を切断する。

 両断されたロボットを更に華羅美は蹴り飛ばす、テンプルを弾きながら他のロボットへと襲いかかる。

「上にいるのは全部ロボットっぽいな……」



「うわっ」

 突如頭上で響いたガシャンッという音に思わず溢翔は首を竦める。そして再びガシャンッという音が今度は背後から響く。

「え……なに?」

 恐る恐る振り向いた溢翔の目に入るのは街灯に照らされた黒い布に覆われた塊だった。

「――ひぇ⁉︎」

 後ずさった溢翔は電柱の陰に隠れ様子を窺う。

 ピクリとも動かないその物体に近づきたい好奇心と離れたい警戒心がせめぎ合い、睨めっこすること数分、好奇心に負けた溢翔は頭上に注意しながらゆっくりと近づく。

 近づいた溢翔は思わず息を呑む。黒い布に覆われた塊は、人がうずくまっているように見えたのだった。

 急いで離れようとした溢翔だが、よく考えれば男は溢翔に危害を加えないと言っていたのだ、おまけにこの様子だと華羅美が近くにいるのだろう。そう思っていた溢翔だが男の様子がおかしなことに気づく。男は全く動かないのだ、まるで石になったかのように、一ミリたりとも動かない。不審に思った溢翔は思いきって持っていたテンプルで男を突いてみる。

 カン、と空き缶を突いたような軽い音が鳴る。

「お?」

 わくわくが溢れてくるのを感じながら、溢翔は外套の頭の部分をめくる。現れたのは凹凸の無い黒の球体、フルフェイスのヘルメットを被っているような、しかしサイズは人間の頭とほぼ変わらない。

 溢翔は男の頭に手を伸ばす。僅かに熱を持っているが、明らかに人間の頭の感触ではない。軽く指で叩いてみると、カン、と軽い音が鳴る。

 笑みを浮かべながら溢翔は男を横たわらせる。

「うひぇあ!」

 横たわった男が真っ黒な腕を抱えていたのだった。

 心を落ち着けた溢翔は、男が抱えていた腕を取り出して観察する。

 肩から下だけの左腕、重さはそこまで重たくなく、肩の断面にはいくつかの配線が飛び出している。

「線……ということはロボット……かな?」

 腕を傍らに置いた溢翔は横たわらせた男の外套を剥ぎ取る。

 露わになった男は、全身が黒く、右腕だけが異様に太いことを除けば一般的な人間と比べても違和感は無い。

「これ、絶対ロボットだ……!」


 

「これで――最後っ」

 ロボットの頭を蹴り切った華羅美は満足そうに息を吐く。

「よし、帰るか」

 額の汗を拭った華羅美は溢翔の元へ戻るべく屋根の上を移動し始める。

 そして、屋根から屋根へと飛び移る最中、下から三本のテンプルが飛来する。

 とっさに身を捻った華羅美だったが、一本だけ華羅美の右肩に掠ってしまった。

「いっってえなあ!」

 体制を崩しながらも無事に着地できた華羅美は、今しがた攻撃を仕掛けてきた男を見ると、一年前に賞味期限が切れていた缶詰を見つけたような顔を浮かべた。

「完っ全に忘れてた」

 右肩を押さえながら男の様子を窺う。

「てめえは人間でいいんだな?」

「貴様に比べれば人間だ」

「微妙に答えがずれてる気がすんだけどな……」

 そう言って華羅美はスカーフをほどくと勢いよく振り、棒状にする。

「まあ――さっさと終わらせるか」

 血の止まった右肩を回すと、腰を落とし、男へ向かって最短で距離を詰める。

 華羅美が腰を下ろした瞬間、男は二歩後ろに飛び下がり、両手で無造作に持った大量のテンプルを地面に投げつける。投げつけられたテンプルは、地面に当たると同時にその形を崩し、まるで液体のようにアスファルトを覆いつくしてしまった。

 そして、テンプルがアスファルトを覆うのと、華羅美が飛び出したのは同時だった。

 スライムを踏んだような、柔らく、沈み込むテンプル。

 その奇妙な感覚に咄嗟に足を上げようとした華羅美だが、テンプルが固まり、地面と足がくっついて上げることがでいない。

「うお⁉︎ まじか!」

 男はその隙を逃さず、テンプルを投げると塀を蹴って華羅美の背後へと周り、背に向かって再びテンプルを投擲。

 正面から飛来するテンプルをスカーフで弾いた華羅美は、その場でしゃがみ、スカーフを広げ、首と頭を守る。

「――っ」

 背中にテンプルが突き刺さった華羅美は跳躍。ボコボコッと捲れたアスファルトを足に着けたまま宙に躍り出る。

 男は剥き出しの地面にテンプルを投げつける。テンプルが地面に広がり剥き出しの地面を覆い尽くす。そして華羅美に向かってテンプルを投擲しながら屋根へと駆け上がる。

スノーボードの様に足につけたアスファルトでテンプルを弾いた華羅美は頭から落下。アスファルトの真ん中をスカーフで叩き割って、腕から着地した華羅美は体を捻り、腕力で屋根に飛び上がる。

「クソッ」

 男が華羅美に飛びかかる。

 男は華羅美の脚を掴み地面に叩きつけようとするが、華羅美は背中に刺さったテンプルを引き抜き、脚を掴む男の腕に突き刺す。

 「ぐ――ッ」

 腕に走る鋭い痛みに耐えながらも、男は華羅美の脚を掴んだ腕を振り下ろす。

 ――が、華羅美は再び腕から着地。反動を利用して回転。

 振り飛ばされた男は塀と地面に弄ばれるように跳ねる。

「もうやめた方がいいんじゃねえの? てめえじゃあたしに勝てねえぞ」

「……化け物め」

 ゆらり、と立ち上がる男。外套の頭を覆う部分が捲れ、男の頭が露わになっていた。

 フルフェイスのメカメカしいヘッドギアの、目を覆うレンズ部分が僅かに割れており隙間から男の鋭い目が覗く。

「おいおい、まだやる気かよ」

 呆れる華羅美をよそに、男は腕に刺さったテンプルを引き抜く。甲冑の様な物が腕全体を覆っているのが見える。

 男は数本のテンプルを取り出し両手包む、右手を握り締め、刀みたく引き抜く。

「どういう原理だよ」

 棒状に変化したテンプルを男は構える。

 靴にくっついたアスファルトをある程度砕いた華羅美も棒状のスカーフを構える。



「うわっ」

 右手に妙な感覚が走り驚いた溢翔は、持っていたテンプルを放り出す。

 慌てて右手を確認すると、僅かにだが、黒いスライムの様なものが人差し指に付着していた。

「なんだこれ……」

 とりあえず臭いを嗅いでみる。

「うん、無臭」

 次に溢翔は放り出したテンプルを拾う。

 テンプルを観察すると持っていた部分が少し溶けていた。

「溶けたの……か? なんで?」

 首を捻る溢翔は指に付着したテンプルを親指で触る。スライムのような感触がしていたがほとんど固まっており、朝一番の練り消しのような硬さになっている。そのまま親指でこねるように擦ると再び柔らかくなっていく。

 柔くなったテンプルを元のテンプルにくっつけ、形を整え少し待つ。

「固まった、という事は熱で溶けるってことかな」

 続いてテンプルを両手で包むと凄い速さで擦り始める。

 溢翔は暇だった。



 男の振るうテンプルが華羅美を叩き割ろうと襲いかかる。

 それを距離をとって避けた華羅美だが、棒から溶けたテンプルが飛沫となり華羅美に襲い掛かる。

「うお!」

 スカーフで弾こうとするが、溶けたテンプルは弾かれずに、スカーフに付着する。

 男は更に棒を振るいテンプルを飛ばす。今度はスカーフで弾こうとせず避けながら華羅美は男へ近づく。

 華羅美が男の間合いに入ると、男は棒を片手で振るう。華羅美が棒を飛んで避けると男はもう片手で取り出したテンプルを投擲。飛来するテンプルを弾こうとスカーフを振るうが、スカーフに当たったテンプルが溶ける。

 顔を顰めた華羅美だが、そのまま、テンプルが固まり、強度が上がったスカーフを振り下ろす。

 男は棒を短く折り畳み、強度を上げたテンプルで受けると瞬時に身体を返し華羅美を背負い投げの要領で叩きつける。

 その瞬間華羅美はスカーフを引こうとするが、スカーフが男の持つテンプルとくっついて離れない。華羅美はスカーフを手放し、地面に叩きつけれるのを避ける。

 投げ飛ばされた華羅美は体制を立て直すとスカートの中から有刺鉄線を取り出すと鞭の様に男へ向かって放つ。

 辛うじて避けた男は違う道へ走り出す。

「あたしのスカーフ返せよ!」

 華羅美は男の消えた道へ向かう。

 その道は特に街灯が少なく、抜けた先が見えないほど見通しが悪い。

「おいおい、見えねえぞ」

 華羅美は塀に身を隠しながらスカートの中から分銅鎖を取り出す。

 分銅鎖りを振って靴の裏に残るアスファルトを砕く。

 ヘッドギアには暗視機能が付いているため先手を取れるだろうと、男は、見通しの悪い道の先で華羅美を待ち構える。

 できたアスファルトの破片を手に持った華羅美は見通しの悪い道へ飛び出す。その瞬間、男は鋭い槍状に変形させたテンプルを華羅美の心臓目掛け投擲。

 一方の華羅美も道の先へ向かってフルスイング。銃弾の速度でアスファルトの破片が男へ襲いかかる。

 男の放った槍に、華羅美の投げた破片が衝突するが、両者とも僅かに逸れただけで相手へ襲いかかる。

「ぐぅっ――」

 槍が華羅美の右肩を抉り飛ばす。

「ッ――」

 破片が男の全身に襲いかかる。

「はぁ……はぁ……くそっ、痛えじゃねえか」

 右肩を抑えながら、一歩一歩。足の擦れる音が闇の中で反響する。

 先を睨みながら道を抜けると、男が身体から火花を散らして、仰向けに倒れていた。

「まさか、機械でしたっつうオチじゃねえだろうな」

 身体から血を流しながらも僅かに胸は上下している。それを確認すると華羅美は軽く息をつく。

 男の持っていた華羅美のスカーフにはテンプルだったものが付着していたが洗濯すればなんとかなるだろう、などと考えながら華羅美はオレンジ色のセーラースカーフを取り戻す。

 そして華羅美は男に手錠をかけるとポケットからスマホを取り出し電話をかける。

「終わった、後はよっろしくう」

 それだけ言うと電話を切りスマホをポケットへ戻す。

「うっし、戻るか」

 治りつつある右肩をさすりながら華羅美は溢翔のいる場所へ戻るのだった。

 


「固まってしまったー!」

 夜の住宅街に合掌した溢翔の声が寂しく転がる。

 摩擦熱で柔らかくなったテンプルが固まってしまったのだ。

 溢翔はその場に腰を下ろし空を見上げる。

「華羅美は大丈夫かな……」

「大丈夫だぞ」

 溢翔は声のした方に目を向ける。

「おうぇえあ!」

「おお……急にでけえ声出すなよ。びっくりすんだろ」

 声を上げた溢翔は現れた華羅美を見て腰を抜かす。

 白かったセーラー服は所々破れて右肩を中心に赤黒く変色しており、華羅美の整った顔には不釣り合いな赤がこびりついている。

 どう見ても満身創痍という見た目だが。

「終わったぜ」

 片目を閉じた華羅美は親指を立て、どこか嬉しそうな雰囲気を醸し出している。

「ど、どうしたの⁉ その赤いの……」

「あん? ああ、これ? 血だな」

「こっ殺したの……?」

「あっはっは、殺さねえよ。これはあたしの血だよ」

「失血死……」

「生きてんだろ」

 よっこらせと、溢翔の隣に腰を下ろす。夜の住宅街の道路の真ん中に並んで腰を下ろすという、夜であっても迷惑極まりないが、今は人払いがされているので問題ない。

「んで、溢翔はなにしてんだ? 手ぇ合わせて」

 胡坐をかいて、頬杖をついた華羅美が不思議そうに問う。

「固まった」

「なにが?」

「眼鏡の棒」

「あー、テンプルか。そういやなんかスライムみてえだったな」

「そうそれ、熱を加えると柔らかくなったんだ」

「熱、ねえ……」

 言われてみれば、なるほど、と思う。男は手でテンプルを握り込んで形を変えていたのだ、甲冑のような物に熱を発生させる機能でもあったのだろう。

「摩擦熱でテンプル溶かして、んでそのまま固まったと?」

「そういうこと」

「固まる前に手を離せただろ」

「つい好奇心で……」

 照れくさそうに笑う溢翔を半目で、だがどこか期待を含んだ目で華羅美は見る。

「どんな好奇心だよ」

「未知に対する好奇心」

 そう言うと溢翔はゆっくりと、身体をアスファルトに預ける。

「それ関係あんのかよ」

 華羅美も大きく伸びると、溢翔に倣ってアスファルトに身体を預ける。

 二人はまばらに光る星を見る。

「迎えが来るまでゆっくり待とうぜ」

「迎えって……。俺も迎えられるの?」

「まあな、今日のこれはテストみてえなもんだからな」

「華羅美の関係者云々の?」

「そう。んで、どうだった?」

 少しの間が空き、溢翔はゆっくりと、迷いながら話し出す。

「楽しかった……でいいのかな? 華羅美になにがあって血まみれになっているのかは分からないけど、なんだろう、普通? 一般的? 多くの人……かな、が知らない世界を見れたなって。ロボットみたいなのも降ってきたし。俺の欲しい非日常、刺激的な人生になるかなって。まあこんな事を言うとアニメや漫画の見過ぎ、だとか変わった子だね、って言われるんだけどね」

 隣に寝そべる血まみれの少女、漂う血の臭い、それらが身体の熱を奪い去ってしまいそうになるが、それを超える非日常の興奮が溢翔を満たす。

「そうか……それならよかった、よかった……」

 華羅美は安堵を噛みしめる。

「変人だけど、よろしく」

「変じゃない人間なんていねえよ、よろしく。これで色々話せるな」

 華羅美は起き上がる、それを見計らったかのように一台の車が走ってくる。

「迎えがきた、行こうぜ。その手も剥がさねえとだし」

 近くに止まった車に華羅美は向かう。

 腹筋を使って起き上がった溢翔は苦戦しながらも立ち上がると溢翔は目を細める。

 車のヘッドライトが二人を照らす。しばらく立ち尽くしていた溢翔を不思議に思った華羅美は、溢翔を見る。

 溢翔には華羅美の表情は見えないけれど。

「どうしたんだ溢翔?」

 それでも華羅美の表情が見えた気がした。

「楽しみだなって」

 今まで内に秘めていた思いを素直に伝える。

 そうか、と笑って華羅美は溢翔へ手を差し出す。

「溢翔の人生、あたしが刺激的にしてやんよ」

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