ギフト
とろり。
ギフト
この病院には様々な患者が運ばれる。
錯乱した者
すべてを忘れてしまった者
死を希む者
心に傷を負った人々の叫び声が聞こえる。私自身も……
閉鎖された病室から見える澄みわたる空はとても自由で私を遠くまで連れていってくれる。そこで空に浮かぶ過去の私に出会う。
死んでしまった昔の私は今の私に問いかける。
「楽しい? こっちにおいでよ」
甘い誘惑。まどろむ思考。
ボロボロの古いぬいぐるみが隣で嗤っている。
その言葉にのって、この窓から飛んでしまいそうになる……が、足を止める。
母の言葉が蘇る。
「今を生きて」
グチャグチャになっていく頭の中にひとすじの光。再生された音声は頭蓋内に残る。
「そんなとこに居ないでさあ、こっちにおいでよ」
再び悪魔のささやき。めまい。揺らぐ視界。母の言葉が唯一の頼り。
「こっちの方が楽しいよ。こっちにおいでよ」
視界はテレビの砂嵐のような映像、そしてノイズ。色を失い、形を失った私はとぼとぼと窓に近付く。
ノイズは音を増す。
窓を開くと、屍の私の声がよりはっきりと耳に聞こえる。
「もう少し、こっちだよ」
片足をかけ、重心を前へ。そして――
落ちる。落ちていく。
ザザッ
重力がそのまま私を地獄へと誘う。痛みの中、視界が乱れる。
最後に映ったのは私の赤い血だった。
「ふふふ、馬鹿だよねえ、あんたって。いつまでたっても馬鹿のまま」
過去の私は、血を吐き地面に倒れる込む私を嗤う。
「今を生きて」
目を開くと、病院のベッドの上。医師や看護師が安堵の表情で私を見る。
「意識が戻った」
「良かった」
口々にそう言う。私は返事をすることもできず、ただ天井を見詰めていた。
となりには継ぎはぎされた古いぬいぐるみがイスに座っていた。
2カ月後。
ケガが治ってくると体調も良くなってきた。リハビリは大変だが、なんとか生きている。
季節はもう春。外の世界は色を取り戻し、形を変えていく。私の心も体も春の暖かさの中良い方向に向かっている。
ある日、私宛てに郵便が届いた。送り主不明で新しいぬいぐるみと手紙が添えられていた。
「今を生きて」
私には誰からの物だか分かった。もちろん母からだ。
こんなにもダメな私でも見はなさずに心配してくれる。涙がポロポロと手紙に落ちていく。ひとつぶ一粒が重みを増し、流れ落ちていく。
昔の私と同じ継ぎはぎだらけの古いぬいぐるみは供養して、新しいぬいぐるみを病室に置く。
過去と決別して今を生きる。母の教えを、母からのギフトを大切にすること。それが今の私にできること。
最近は「昔の私」に出会うことはない。前向きな気持ちになっている。
新しい季節、新しい私は、もう一度この人生を歩んでいく。
/
ギフト とろり。 @towanosakura
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