十三

 いつもの日常、いつも通りの朝。

 目が醒めれば当たり前の朝がそこにある。

 でももうあいつはいない。

 そこに途轍もない絶望感を味わう。結局あの後は自分の部屋へと飛ばされていた。現実味のない、自分の部屋なのに違和感を抱くという恐ろしさ。

 だから昨晩は夕飯も食べずに己のベッドに閉じこもった。それ以外に選択が浮かばなかったのだ。

 気が付けばいつの間にか眠りに落ちていたらしく、朝の光が彼を起こした。

「朝か……」

 ゆっくりと起き上がり、カーテンを開けた。そこにあるのはいつもの日常だ。

「稔~、起きたなら早く御飯食べちゃいなさいよ」

 いつも通りの母の催促、面倒だと思いながら答える。

「今行く」

 食欲湧かないなと思いつつも用意された食事は食べねば母は五月蠅い。そう思い、口に運んでいく。

「ほら、ちゃっちゃとしないとゆづるちゃんが迎えに来ちゃうでしょ」

「弓弦? だってあいつは……」

 もういないと言おうとして言葉を止まる。迎えに来る? あいつが俺を迎えに来るなんてあり得ない。

 ピンポーン。

 我が家の呼び鈴が鳴らされた。

「ほらほら、来ちゃったわよ」

「え、うん」

 母親の言っていることが今ひとつ理解出来ず、何となく行動に移せない。

「早くしなさい。いつまで待たせるの!」

 あまりに母が急かすので仕方なく急ぎ玄関へと向かった。そこには一人の少女が立っていた。着ているのは彼の学校のものだ。

「あ、おはよう、稔ちゃん」

 見覚えのない少女は明るく微笑ってそう稔に話しかけてきた。栗色の髪、明るい茶色い瞳、瞳も髪も真っ黒だった弓弦とは正反対の姿だった。

「やだなあ、また寝坊したの?」

 稔が覚えている限りは寝坊したことなどないはずなのに此処ではそうなっているらしい。

「……」

 不意に走馬燈のように幼馴染みの少女の記憶が稔の中に雪崩れ込んでくる。

 そう、この世界ではこれが正しい。

 弓弦という少年はもういない。彼はあるべき世界に戻ったのだから。

 そうして此処にいるのはゆづるという少女。

 そう、彼女の名前は辻郷ゆづる。

 ゆづるはちゃんと親にも妹にも愛されている。素直で優しい性格だ。友人も沢山いる。

 此処にはあの陰鬱な家族もいない、存在すらしていない。

 ただ稔だけが取り残されるだけで、幸せな世界が広がっているのだ。


 ふと、呆然としている彼の耳に唄が聞こえた。何処かで聞いたような聞いたことのないような唄が。


 ちりん、ちりん。

 唄え、踊れよ。

 ちりん、ちりん。

 全て忘れて。

 我は謳う、玉響の唄。

 我らは謳う、玉響の唄。

 一時の夢をみる、一時の夢で踊る。

 祭り、祭りて、我らを褒め称えよ。


 それは聞いたことのない、弓弦の楽しげな声だった。見えはしないが、恐らく仲間たちと踊っているのだろう。

 ああ、かつて何処にも居場所のなかった少年は居場所を見付けたのだ。

 はたして本当の独りぼっちはどっちだったのだろうか。

 これから稔はありもしなかった記憶と共に生きていくことになる。どんなに受け入れたくなくても受け入れるしかないのだ。


 さてもさて、本当に居場所を失ったのは――いったい誰?


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猫が謳う玉響の唄 飛牙マサラ @masara_higa

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