十二
「
ふと猫姫がそう告げた。
「お客人?」
「ええ、残念ながら若君様へのでございまする」
「ふうん?」
不機嫌を隠さず言う猫姫を可愛いと思いながら何故かその相手は直ぐに
「稔かあ。こんなところまでご苦労さんだね」
「弓弦? その声は弓弦だよな?」
どうやら襖の前にいたらしい。
「そうだよ。入って来ると良い」
弓弦がそう言うとそれを合図に恭しく頭を下げながら襖を開けた案内の少女と共に稔は入ってきた。その様子はどうにも荒々しい。きっと今の稔は機嫌が悪い。
長い付き合いの弓弦としては分かり易いヤツだと思うだけだ。
「なんだよ、その姿は?!」
が、目前の幼馴染みの姿に驚いたのだろう。何度か目を擦り、目の前の事実を否定しようと躍起になったが、どうやらそれは徒労に終わったらしい。
「ああ、これ? 僕の本当の姿さ」
「本当の姿? 何を馬鹿なことを言ってんだよ。遊んでないで早く元に戻れよ!」
稔としては仮想でもしているとでも考えたようだ。しかしそんなことは無いのであっさりそれを否定した。
「馬鹿なことも何も事実だよ。これが本来の僕の姿なだけだ。言うなれば今までは人間の皮を被っていただけってことかな」
「寝ぼけたことを言ってるんじゃねえよ! 弓弦、こんな可笑しい場所から早く帰ろう」
稔は可笑しなことが起きる場所から早く帰りたかった。勿論彼の幼馴染みを連れて、である
しかし彼の目論見は直ぐに崩れる。他でもない弓弦からの言葉によって。
「僕が戻ることはないよ、僕の居場所は此処以外にないから」
それは断固たる否定だった。揺るぐことがない。こうなったときの弓弦はいつもそうだ。稔がどんなに言葉を尽くしても届かないのだ。
「弓弦!」
それでも彼は諦めたくなかった。稔が諦めればそこで全部終わってしまうからだ。たとえそれが相手に通じてくれないとしても必死に訴え続ける。
「お前は人間だよ。普通の人間。偶々こんな訳の分からないところに来たから可笑しくなってるだけで!」
「ねえ、稔、お前がしてくれたことには感謝するよ。人間であれば正しいから」
熱くなっている稔に対して弓弦はとても静かに告げた。それは冷淡ではない、彼なりに幼馴染みへの経緯ある言葉だった。
「違う、お前は人間だろう」
「多分、僕にそんな風に言うのはお前だけだろうね」
「お前、何言って……」
何故こんなことを言うんだろうと本気で稔は思う。どうして人間じゃないなんてそんなことを認めるんだと。
「稔、取り替えっ
「え、ああ、確かあれは妖精と人間の子どもが悪戯で入れ替わって……」
それは稔が好きだった絵本の話だった。それに限っては珍しく何度も読み返している。ある意味今でもだ。何故なら弓弦と良く読んでいたから懐かしさも手伝ってのことである。
いつでも絆を求めていたのかもしれないと稔は今更気が付いた。そうしてこの話が彼にとって望まないものだというのも感付く。しかし問い返さずにはいられない。
「それがどうしたってんだ」
「そうだね、うん、要は僕がそれだとしたら?」
「まさか本気で言ってるのか?」
「そうだよ、僕は元々此処の住人だったんだよ。こうなって初めて分かったけれどね」
「弓弦、頭可笑しくなったのか?」
「いいや、正気も正気。恐らく今までで一番」
こうして稔と話していても自分が稔の世界の住人ではないとひしひしと感じる。僕があろうとした世界は此処。それを否定するのは認めない。たとえそれが彼が大切と思っていた長馴染みだとしても、だ。
「だから稔、お前はお帰りよ、此処はお前のいる世界じゃない」
「弓弦、お前も帰るんだ!」
「いいや、僕は此処にいるよ。大丈夫、ゆづるは消えないし、安心するといい」
「意味が分からない?」
「今は分かる必要がないよ。帰れば分かるさ。今まで有り難う。お前だけは僕を見ていてくれたからね」
稔がいたからこそあの世界で存在出来たのだろう。猫姫から言わせれば弓弦に干渉した不埒ものらしいが。
けれど彼にとっては稔と会えたのは悪いことじゃなかった。ただ弓弦は人ではなかっただけのこと。
だから此処でお別れにはなるけれど、出来れば忘れないでほしいとは思う。
「これ以上は話しても無駄だろうからお話はこれで終わりだ」
「弓弦! 待て!」
「稔、じゃあね、いつかまた会えたらいいね」
とびきりの笑顔を向け、弓弦は稔を見送る。
稔はまだ何かを言おうとしたのだが、それ以上は言えなかった。
ただ一度しゃんっと鈴が鳴る音が聞こえ、稔の姿は
静かに幼馴染みがいた場所を見つめながら弓弦はぽつりと呟く。
「ちゃんとあいつは帰れるかな?」
「ご心配めさりますな、若君様の願いはきちんと叶えまする」
「それならいいや。有り難う、猫姫」
彼女は嘘など決してつかないので本当なのだろう。
僕はこの世界で生きていく。自分で選んで決めた。それに後悔はない。
そしてあいつはあいつの世界で生きていく。
遠くて近い距離――決して埋められないものだ。
「流石に少し寂しいね」
猫という妖に戻ったことに後悔はない。これほどしっくり来るものもないからだ。ただ稔との関係が終わってしまうことだけは少し悲しかった。
「若君様、我らが此処におりまする」
猫姫が彼に寄り添い、悪戯っぽく彼の頬を舐めた。ざらざらの舌が心地好い。
「擽ったいね」
その温かみが弓弦を包んでくれる。
だから彼は言葉にしてこう言った――さよならと。それは弓弦が嘗ての世界と決別した証……
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