十一

「何か不思議な感じがするね」

 変わってしまった自分の姿を今一度確認しながら弓弦は何となく満足そうに微笑った。何度も鏡で見直したり、頭に現れた耳や腰の尻尾など動かしてみたりを繰り返していく。

 うん、確かに生えている。

 自分の思うとおりに動くそれらがうただのし。

「ああ、それにしてもなんと素敵なお姿! ずっとあなた様を見ておりましたが、やはり今のお姿は格別です。それこそ本来の若君様なりしと実感致します」

 猫姫は心から喜んでいるようで少し浮かれているように見える。

「そう? うん、そうだね、僕もしっくりくる」

 本来なら有り得ないだろうことなのだろうが、不思議なほどに彼は落ち着いていた。まるで違う自分になっているのに違和感がないままだ。

「あなた様は長き迷い子でございました故。如何なるものの力によって奪われたのかは分かりませぬが、あなた様がいなくなった際には皆悲しんだと聞き及んでおります」

「ん? それなら君は僕がいなくなったのはどうしてかは知らないの?」

「さてはて、相済みませぬが、妾も知りませぬ」

 困ったように言う姫に弓弦はそれ以上尋ねるのを止めることにした。そのことに関してはきっと間違いが起きただけなのだと理解しているせいもあるし、知ったところで事実は変わるまいと思ったからだ。

 僕はあの世界にとって異物だったわけだ。そりゃあ、馴染めもしない。

 寧ろそれが分かって良かったとすら思っている。

「ふうん、でも兎に角僕は此処にいたんだね。成る程、僕が此処にいてほっとするのはそう言うことなのかな」

「相違ございません」

 猫姫はにこやかに微笑う。とても嬉しそうであり、その笑顔は弓弦に安心感を与えた。

「妾はあなた様をずっとお慕いしておりました」

「そうなの? 君ほど綺麗な人にそう言われるなんて光栄だね」

 弓弦自身も彼女に出逢ってとてもしっくりくると感じていたし、考えてみればあの声を追って交通事故に遭ったことだってあるくらいだから彼の初恋はきっと彼女に違いない。

「僕もね、ずっとずっと聞こえていた歌の主が気になってたんだ」

「妾の歌をお聴きに?」

 それは意外だったのか猫姫は本当に驚いたような表情を見せた。

「うん、歌はずっと聞こえていたんだ」

「あな嬉し。妾が若君様を想って歌いました故、届いたのであれば甲斐もありました」

 ほんにどれほど想っていたことでしょうと続ける彼女は長年逢いたかった相手の手を取り、熱を込めて見つめる。

「気が付けば聞こえていたから。鈴のような愛らしい声で。そうだ、あれは確かに君の声だった!」

 彼にしては珍しく、いや初めてかもしれない高揚感を抱いていた。胸のときめきというのだろうか? 彼女とこうして話すだけでも途轍もなく楽しい。

「猫姫様はどうして僕を探していたの?」

「妾の許婚でございました」

 何を今更というような素振りで猫姫は言い、一つの鈴を見せる。

「あなた様が残されていったものでございまする」

「鈴? 僕が残した?」

「左様にございます。若君様はこれだけは残していってくださいました」

 鈴に頬ずりをし、弓弦に渡した。彼の掌に載せられたそれは不思議と懐かしい気がした。

「何となく懐かしいね」

「そうでございましょうとも。我らは生まれ出でれば鈴を持ちまする」

「そうなの?」

「はい、魔除けにと」

「ふうん」

「それと同時に鈴が重なったもの同士は結ばれるのございます」

「鈴が重なる?」

「はい、音が重なると言えばお分かりになりますでしょうか」

「音が。つまり互いの鈴の音が共鳴するってことかな」

「流石我が君、よくお分かりですこと」

「でもそれだけで? 僕はいないのに」

「あなた様が何処いずこかにいる、それだけで十分な理由にございます」

「そうなんだ、それだけでずっと呼んでくれていたんだね」

「左様にございます」

 小さい頃は確かにあの声も幼かったし、確かに長じてからは少女のものに変わっていたことを今更気が付く。

「そうか、君は僕と一緒にいたんだね」

「心はいつも。そう思っておりました。通じていたのであればなんと嬉しゅうことでございましょうか!」

 猫姫は舞い上がったように立ち上がった。

「どうしたの?」

「我が君、舞ってもよろしいか?」

「舞い?」

「若君様と再会出来た記念に是非」

「うん、見せてくれる?」

「嘗て別たれたあなたに逢いとうて、逢いとうて」

 そう唄う姫は切なそうに、そして嬉しそうに微笑みかけてくる。舞う姿は艶やかで、優美だった。シャランシャランと髪飾りが鳴り響き、同時に彼女の持つ鈴の音も響く。

 ああ、確かに僕と彼女は繋がっていたのだ。家族なんて何もなかったのに。

 無くて当たり前だった。全ては此処にあったのだから。

「皆もきっと喜びましょう」

「皆が喜ぶ、か。ねえ、ところで僕の親っているのかな?」

 ふと気になり、そう尋ねてみた。もしかしたらこの世界に親というものもいるのではないかと思ったので。

「今はおりませぬが、お会い出来ます」

 それはいるという意味で間違いないらしい。

「へえ、会ってみたいな」

 親なんて興味も無かったのに今はとてもある。現金なものだ。

「ええ、ええ、それは是非に。必ずや若君様はお喜びになりますとも」

「きっと温かい?」

「勿論! 何しろ若君様のお帰りをを待っておりましたから」

「それは嬉しいね」

 今まで感じたことの無い家族の温かみを教えてくれるような気がしたので弓弦としてはとても有り難いと思った。

「もうじき祭りの時期も来ましょう。さすれば皆に会えまする」

「祭り? なんか面白そうだね」

「大変楽しゅうございます。若君様もきっとお気に召しまする」

「へえ、祭りって何するの?」

 改めて尋ねられたので猫姫は少し考える仕草をしてから弓弦に答えた。

「そうでございますな、まずは皆で踊ります。各々唄を唄いながら。それこそ好き勝手にでございます。そう、人で言う童歌のようなものです」

「それって僕もやるの?」

「ええ、勿論ですとも」

「ふうん、上手く踊れるかな? 唄えるかな?」

「心のままに踊り、唄えば良いだけです」

「へえ」

 そう言われれば成る程出来そうな気がする。何しろ今の姿は猫なのだし、お気楽なものだ。

「君が教えてくれる?」

「喜んで」

 恐らくこれから沢山学ぶ必要があるのだろうけれど、それを苦に感じることもない。もう馴染めもしない学校で鬱陶しい教師やクラスメイトたちを相手にすることもなくてもいいのもいい。

 要はいる場所を間違えていた、それだけのこと。

「その後、皆一緒に鞠で遊ぶのも楽しゅうございますし」

「鞠? 鞠ってけったりする鞠?」

「左様です。鞠を取り合うのですが、妾はいつも一番に鞠を手に入れておりまする」

 えらく自慢げに猫姫はそう言い、軽く胸を張った。彼女にとってそれはとても自慢な出来事らしい。

「それはきっと凄いことなんだろうね。早く見たいな」

「ええ、ええ、若君様に是非とも見ていただきとうございます」

「凄く楽しみだな」

 少し想像してみるだけでも楽しい。この目の前の愛くるしい少女と自分が鞠を追って遊ぶのだ。

「さぁさ、若君様、お腹が空いてお出ででしょう? 美味しい菓子がたんとございまする。召しませ」

 弓弦の前にはいつの間にか膳に載せられた菓子たちが現れていた。

「わあ、見たことのないお菓子も沢山あるんだね」

「それは妾の料理人によるものでございます故。世界でただ一つの菓子となります」

「へえ」

 勧められるままに適当に選んだ一口菓子を口に運ぶ。甘くて蕩けるような味をしている。こんなに美味しいものは食べたことはない。そう思った。

「お気に召しましたでしょうか?」

「うん、とっても美味しいね。もっと食べてもいいかな?」

「どうぞどうぞ、お好きなだけお召し上がりを」

 弓弦は食事を美味しいと感じたことはあまりなかったが、この菓子は違うと直ぐに理解する。彼の好みにとても合致していたのだ。

 その他の菓子にも手を伸ばし、再度口に運ぶがどれもこれもやはり美味しい。

「食べることは幸せなんだね」

「ええ、まっことその通りでございます」

 弓弦は菓子を食べながら猫姫と他愛のない会話を続けていく。

 それがどうにも得難い時間だと感じながら。

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