くまさんのぬいぐるみの話。

眞壁 暁大

第1話

    *   *

 本邦におけるぬいぐるみの歴史は浅い。

 子の玩具としてぬいぐるみを買い与える余裕のない家庭のほうが圧倒的に多かったというのもあるし、そもそも人形遊びというのを頻繁にやるような風土がなかった。

 ごっこ遊びの道具としてなら使える素朴な木彫りの人形などは、それこそ親やきょうだいの手で作られて幼児に与えられたりはしていたものの、大人の目から見ても鑑賞に耐えるほどの再現性を持ちながら、子供も自由に扱えるような玩具はほとんど存在していない。

 しかしながら明治の御代から大正へと時代が移りつつあるこの現代。

 ある画期的なぬいぐるみが誕生する。

 ヒトを模した人形ではないものの、その後の人形玩具の発展の嚆矢となったぬいぐるみである。

 これは、そのぬいぐるみがいかにして誕生したかのお話。

     *   *


 セオドア・ルーズベルトは激怒した。

 かの風刺画を描いた男をなんとしても成敗せねばならぬと心に決めた。


 今この時、1902年のセオドアはただの男である。


 ちょっとした行き違いから、合衆国に素晴らしく小さな輝ける勝利をもたらした米西戦争に参戦することが叶わず、副大統領の任を抛って参戦した米比戦争では思ったようには活躍できなかった。

 もっともこれは、「セオドア自身が望んだようには活躍できなかった」だけに過ぎない。緒戦の大損害で後退していたサマール島でのラフ・ライダースの活躍により、セオドアは米比戦争の指揮官であるマッカーサーをも上回る名声を得ていた。

 しかしそれでも、凱旋将軍としての充足感はセオドアには微塵もなかった。

 アギナルドの秘密軍団、いわゆる「火縄銃の狙撃隊」によってラフ・ライダースは完膚なきまでに叩きのめされ、一敗地に塗れた。先頭で突破を仕掛けたセオドアはその時に左足を狙撃され、膝から下半分を喪っている。

 狙撃に倒れたことそれ自体が腹立たしかったものの、のちに狙撃隊の狙いはセオドアではなく、そのウマを斃すことにあったことが判明して彼の怒りは頂点に達した。

「火縄銃の狙撃隊」……その後特徴的な銃弾が回収されて、使用している銃がブランズウィック銃と推定されてからは黒色火薬の狙撃隊ブラックパウダー・スナイパーズと呼ばれていた……の銃撃はいずれもウマの心臓を貫いていた。

 ウマの心臓を狙う時に「たまたま」その的の前にあった騎手の脚がついでに削られていただけに過ぎなかったのである。

 狙撃帯が乗馬している指揮官・兵を狙わずにウマだけを倒したのは憎らしいほど正解で、これで突破の衝撃力を喪失したラフ・ライダースはただの軽歩兵に過ぎない。突撃力を削がれたセオドアの部隊は蹂躙するはずだったフィリピン人ゲリラによって散々に打ちのめされてほうほうの体で逃げ出し、そしてサマール島で再起の時を待つことになったのだが。

(そのことを知っている人間はこの国には居ない)

 セオドアは今でもその時のことを思い出すと目眩がするほどの恥辱に襲われる。

 負傷から目覚めた時に部隊の敗走を知り、己の無力に怒りを覚えたときよりも強い衝動を抑えられない。

 サマール島での遭遇戦での大勝により、セオドアとラフ・ライダースは英雄となった。

 当初は軽く片付くはずだった米比戦争はどこの戦線でもぱっとしない小競り合いが続いていた。マッカーサーの戦争指導の拙さというよりも、正規軍とゲリラとの戦争にまだ定石がない時代ゆえの混沌であったのだが、米西戦争時のようなスッキリとする戦勝が報じられないことは国民の不満となっていた。

 そんな時にラフ・ライダースがパトロール中に襲撃してきたフィリピンでは珍しい正規兵部隊を撃退し、逆襲して殲滅したというニュースは計り知れない価値をもっていた。

 小競り合いはしても、全ての戦線で順調に攻勢を進めていたアメリカ軍がフィリピンを制圧するのは時間の問題であったし、その点でラフ・ライダースの勝利がとりわけ大きな意味を持つわけではない。

 しかし、国民に向けて勝利を喧伝するには唯一格好の材料ではあった。

 戦地で応急の義足をつけてライフルを高く掲げるセオドアは勝利のシンボルとして広く新聞で報じられた。緒戦の敗北はサマール島での勝利によってかき消され、セオドアは無敵の英雄として合衆国の国民に認知されることになる。

 そのことがセオドアには我慢がならなかった。


 帰国後に熊狩りにでかけたセオドアは、英雄の一挙手一投足を一つも見逃すまいとついて回る記者・ジャーナリスト連を引き連れて森を駆け回り、そしてただの一頭も仕留められぬまま狩りを終えた。新調した義足で記者たちを置いてきぼりにして山を駆ける自由さに、セオドアは獲物を得られずとも久しぶりの爽快感を覚えていたのだが。


 熊を一頭も仕留められなかったセオドアは、記者たちの手によって親とはぐれた子熊を保護する優しい男に仕立てられていた。


 セオドアが激怒した風刺画は子熊とともに歩き、時に子熊を抱いて寒さから保護してやるセオドアの姿の描かれたものだった。マッチョを自認するセオドアのセルフイメージからは程遠い姿だ。セオドアの名声にすり寄ってきた有象無象が勧める「優しく強い男」そのままの姿。あまりにも戯画的なそれを、それでも合衆国の国民たちは疑問ももたずに受け止めた。

 その風刺画を否定するためにセオドアがグリズリー狩りに出かけて仕留めてみせても、今度はそれが強さの発露として誇張して伝えられ、さらに人気を高める結果となった。

 セオドアとて副大統領にまでなった男であり、野心はもっている。

 その野心の達成にはこうしたイメージが有利にはたらくというのは承知していたが、それでもセオドアはあまりにも作られすぎているのに反発を抑えきれない。


 そんなセオドアのもとに、クマのぬいぐるみが届けられたのは翌年のことである。四肢が可動する長いモヘアで覆われたそれは、素人のセオドアから見ればかなりクマに似ている、今まで見たどのぬいぐるみよりもクマにそっくりなぬいぐるみに見えた。

 「そのぬいぐるみとともに写真を撮りたい」

 とセオドアは彼の選挙幹部に提案した。

 さすがに大の男がぬいぐるみを抱えている写真を撮られれば今のバカげた虚像での人気も砕け散るだろうと思った。

 (それでもかまわない。おれはおれのままで勝負できる)

 セオドアはそのように自負していたが、世に出た写真に対する大衆の反応は違っていた。

 そのぬいぐるみを抱える柔和な笑みを浮かべた男、本人は皮肉と侮蔑を込めた笑顔を作ったつもりだったその笑みを浮かべた男を、大衆は熱狂的に支持した。

 抱えたぬいぐるみは即座に評判となり、あちこちで飛ぶように売れていった。


 もはや呆れ返ったセオドアは両手を上げて降参のポーズを取ると、手元においていた件のクマのぬいぐるみ――世間では”テディ・ベア”と呼ばれ始めているそのぬいぐるみにも同じ格好をさせて彼の選挙幹部に言った。


「ずいぶんと人気なことだ。これがセオドア・ルーズベルトか。

 この調子なら州知事と言わず、大統領も狙えそうだな、ええ?

 そうなったあかつきには、そうだな、前の風刺画を描いた男とこのカメラマンは二度と仕事ができないようにしてやる」


 選挙幹部はセオドアのジョークに笑わなかった。

 彼にとって、セオドアの軽口は成就の約束された予言に過ぎなかったからだ。

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くまさんのぬいぐるみの話。 眞壁 暁大 @afumai

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