エピローグ 密室は終わらない





 あれから数日が経過した。色々あったが、俺は相変わらず迦十先生のフィットネスジムに居候していた。


 いざジムへと戻ってみると、不思議なことに、「黒い天井」によって荒らされたところはおろか、奴の死体に至るまで完全にきれいさっぱり消えていた。誰が片付けてくれたのだろう。こんなに手早く済ませるとは、よほど給金が良いに違いない。


「組合の人たちよ。あの人たち、助け合いとなると腰が重いけど、隠し事にはすごく躍起になるから」


 ジムを出てすぐの所。ポツリと配置されたベンチの上に、俺と宮之城は座っていた。二人仲良くって距離感ではないけれど、別に嫌われてもいない。そんな程度の空間が二人間に腰を下ろしていた。当たり前だ。内容こそ濃かったものの、まだ出会って数日しか経っていないのだ。宮之城の方は。


 だけど、俺の方は違う。俺には、彼女とクラスメイトとして暮らしていた記憶があり、また色々話すようになってから一か月以上の記憶もある。ただのクラスメイトよりは親しみがあった。


 あの世界は、俺が魔術で作り出した幻想だったのだろう。


 まだ、元の記憶は戻らない。もし戻ってしまったら、ただの学生である俺の記憶はどこへ行くのだろうか。


 奇妙な感覚だった。あの世界が、すべて偽物だったなんて。


「改めて聞いても、規格外の魔術ね。記憶を失くしてしまったとはいえ、あの密室魔術を打ち破ったただ一人の魔術師でしょうね」


 宮之城からは、そんなお褒めの言葉を戴いた。


「打ち破ったっていうよりは、相手の密室魔術の作用を、さらなる密室魔術の作用で無効化している、って感じかしら」


 よーするに、解錠できてるわけではないものの、実質的に効果が発揮されなくなっている、って状態なわけなんだな。俺の脳裏に、互いに尾を飲み込むウロボロスのイメージが湧いた。或いは黄金の無限回転の逆回転による相殺か。


「記憶が戻らないのはどうしてだろうな」


「これは予想でしかないけれど、それこそがあなたの構築した密室魔術の作用なんじゃない?元の記憶を新たなる記憶で上書きすれば、自身の身に作用するあらゆる魔術は無効化されるはず」


 そういうものなのだろうか。


 そうかもしれない。魔術ってのは結局のところ、催眠術でしかない。だからこそ催眠を掛けられたという認知そのものを書き換えることができるならば、理論上はあらゆる魔術の作用を無効化できるのだろうか。


「まさか魔術の作用を完全に消し去るのに、全く別の世界の認知がまるごと必要になるなんてね。或いは、ゴルゴ―マの魔術と作用が複合的に影響し合った結果として、偶然そうなったのかもしれないけれど」


 俺はあの日の、魔術結社との戦いに思いを馳せた。思えばあの時、俺は自分の身に魔術を受けるたびに、向こうの世界に帰還した。そうすることで魔術の作用を無効化する、というのが俺の密室魔術の作用だということだろうか?


「じゃあ、トラックが落ちてくるたびにこっちに戻ってくるのは、何だったんだ」


「知らないわよ。あなたが作った魔術でしょ」


 まあ、トラックのことと言い、まだいろいろと謎は尽きないものの大方は片付いたといったところか。今はそれで納得することにしよう。


 気にせずとも、いずれこの謎も自然に解ける日がくるさ。


「もう、あの世界には戻れないのかね」


 俺は元の世界の家族や、友人たちを思い浮かべる。さすがに、二度と会えないというのは受け入れがたいものがある。


「さあ?でも、二回目にゴルゴ―マの密室魔術を無効化して以降、今の今まで一度も戻ってないんでしょ?じゃあ、一回目で不安定だった魔術が二回目で作用が安定した……てことじゃないかしら。無効化が完全ならば、どちらの作用も効果として現れないはずだから。もう二度とないって、考えていいんじゃない?」


 もう、あの学生の俺には戻れないか。こっちでも制服着たままだけど。


 少し、かなり寂しい気もするが、いや、後悔はするまい。芭芭を下した時、そう誓ったはずだ。


「ゴルゴ―マは、これからどうなるんだ?」


「魔術師組合に引き渡されると思う。密室魔術の使い手だし、色々重宝されるんじゃないかしら」


 引き渡しか……無事に過ごせるといいけど。


 いやいや、感傷に浸るのはやめだ。もう過ぎたことなのだ。芭芭のことを考えるのはやめにしよう。もう二度と会わないかもしれないしな。


「……」


 俺は、特に特に話すことが無くなってしまったために、空を見上げた。空は青いぜ。


 宮之城も無言。


 暫くの間、沈黙が二人の間を走り回る。


「……それで?話ってなんだよ?」


 俺はようやくそのことに踏み込んだ。このベンチに俺を誘ったのは、他でもない宮之城本人であった。


「蓋を開けてみれば私たち、あなたに助けられた、ってことになるでしょ」


「えっ、うんまあ。自覚はないけど」


「でも、そのことは抜きにして、あなたには個人的に感謝してるの」


 感謝されるようなこと、したっけ?


「結果論ではあるけれど、私とお母さんをもう一度引き合わせてくれたでしょ」


 本当に結果論であるな。それ、自分の命が助かりたいがための行動の延長での出来事でしかないからな。どちらにせよ、魔人であるあの人を倒すには、変身を解くしかなかったわけだし。


「それでもよ」


「でも、母親のことは嫌ってたんじゃなかったのか?それなのに、感謝って?」


「そうね。もう二度と会わなくていい、って思ってた。でも、魔術師になって、何の目標も目的もなくただ漠然と過ぎていく日々の中で、何度もお母さんのことを思い出した。忘れようと、思い返さないようにと努力したけど、結局写真も捨てられなかったし。


 お母さんに会って、やっと気が付いたの。私は、本当はお母さんのことをそれほど憎からず思ってなんかいなかったんだって。そのことから無理やり目をそらそうとして、いつも心のどこかでそれが引っかかって憂鬱だった。


 ずっと自分の心に嘘をついていた。本当の、あの人が「好きだ」って気持ちから逃げてた。


 その気持ちを再確認することができて、よかったと思う。だから、あなたには感謝してる」


 俺は宮之城の母親を助けたわけじゃないだろ?それに、せっかく本当の気持ちに気が付いても、救えなかったら無駄に悲しみが増すだけだ。それでも感謝しているっていうのか?自分の本当の気持ちに気が付かなければ、母が死んでも悲しまないどころかむしろせいせいしたかもしれないぜ。


「そうかもしれないけど、それでも私は今の私の方が満足してる。


 嘘をついたままの生活に不満はなかったけれど、


 満足もなかったから」


 そうかもしれない。なにより自分自身に嘘をつき続ける生活てのは辛いかも。


 俺も、自分の心に嘘をつき続けるのはもう御免こうむりたいな。


「うん。だから、色々お門違いかもしれないけれど、内藤くんには感謝してるの






――ありがとう










 この世に完璧な密室など存在しない。何故なら、ヒトの悪意や虚栄心こそが、それらのカギ穴を塞いで塗り固めているだけに過ぎないのだから。


 ヒトは秘密を守ろうとしたり、他者を陥れようとしたり、嘘をつこうとしたりするときにこそ、信じられない程の力を発揮する。そして、それを解き明かそうとする力もまた凄まじい。そうした互いの綱引きこそが、その力の奔流こそが、ミステリの醍醐味と言えるのではないだろうか。


 特に密室はいい。密室はヒトの生み出した究極に芸術的な嘘である、と俺は思っている。たとえそれがどんなに下らない小学生が考えたかのような稚拙なトリックによって成り立っているとしても、だ。


 密室は素晴らしい。


 もし、完全なる密室が存在するというのなら、俺はそれを解き明かしてやりたいと思う。解き明かした後はどうするか?いいや、「解き明かした後」などはありえない。何故なら、嘘を吐き続ける者と、それを解き明かす者、ヒトがこの世に存在し続ける限り――密室は終わらないのだから。


 何の話をしてるんだろうな。

 

 また、下らないモノローグに突入してしまった。


 つまり、何が言いたいのかというと、俺はこれから、未知の密室の謎へと挑むこととなる。


 そしてこれは、そのほんの序章に過ぎない物語なのだろう。


 なんつって。


 未来のことなんてわからないが、もし本当にそうなるのだとしたら、良いと思う。


 俺は、ミステリ紛いの冒険が、大好きなんだからな。














「私が言いたかったの、それだけ。一応お礼言っておく」


 宮之城は、意外なほど可愛らしい、控えめに照れたような顔を見せた。おお。


「何?」


「いや、なんも」


 あまり不機嫌にさせたくはなかったので、突っ込まずにおいた。もう少しだけ、その顔を見ていたい気もしたからな。


「言っておくけど、感謝とは別にあなたの立場はまだなんだから。素性も知れないし。正直な話、今後の身の保証は全くできないわよ」


 そうっすか……。朝起きたら牢屋の中、なんてものあり得るのかしらね。


「まあでも、今の所はとりあえず、保留よ」


 そう言って、宮之城は手をひらひらとふって、


「じゃ、また後で。先に戻ってるわ」


 彼女は少しだけ笑みを浮かべてから、ジムへと戻っていく。


 俺は、これからどうなるのだろう。そう遠くない内に身の振り方を考えなくてはならないのだろう。まあ、でも彼女の言うとおり、今がその時ではないのか。


 去り際の宮之城の背に向かって、俺も手を振って見送りの言葉の一つでもかけてやろうと腕を上げかけた、その時だ。


 違和感に気が付いた。


 宮之城が、いつの間にか制服を着ている。先ほどの私服とはまるで違う。いつの間に着替えたのだろう、なんてレベルの早着替えではない。


 というか、あの制服は俺の……。


 俺が思わず宮之城を引き留めようと、そう思った次の瞬間だった。




 大きなクラクションが派手に鳴って、閑散としたジム前の路地裏に轟いた。

 



 普通の乗用車が慣らすような音じゃない。もっと大きな車が慣らすクラクションだ。


 周囲をぐるりと見回すが、車の通りは一台も見当たらない。と、そこまで考えて俺はようやく、目の前の地面に少しずつ浮かび上がってくる大きな影が見えた。


 そして、反射的に空を見上げたその先にそれはあった。


 数トンはありそうな、巨大な黒塗りのトラック。


 まるで中空に突如出現して、そのままピタリと張り付けられているかのような奇妙な錯覚を覚えたが、違う、そうじゃない。


 あのトラックは空から降ってきて、今まさに頭上へと高速で落ちてきているのだ。静止しているように見えたのは、おそらく脳の錯覚か何かに違いない。


 大きな風切り音を縦ながら、大きなトラックが落下してくる。……宮之城の真上へと。


 その事実に思い至ったのはコンマ数秒だったのか或いはもっと長かったのか短かったのか。


 俺はとっさにベンチから飛び上がって、立ち去ろうとしていた彼女を突き飛ばした。


 異変に気が付いていたらしい、遅れて空を見上げていた宮之城は、背中を突き飛ばした俺を驚いたような、茫然としたような顔で返り見た。



 いつか見たことのある彼女の表情を目撃したのを最後に、








 空から落ちてきた大型トラックが、俺の身体を地面に思いっきり叩きつけられたトマトのようにぺしゃんこに押し潰して、








 


 そうやって俺は虫みたいにあっけなく








 死んでゆく――







 おわり





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 最後までご愛読、本当にありがとうございました。




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パラレル・マジシャン 洞廻里 眞眩 @Dogramagra

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