第4話
五分ほど、歩いて、着いた先は商店街の小さな本屋、そこの二階の漫画売り場だった。
「急にこんなとこきて、どういうつもりなんだ?」
「まぁ、見ててよ」
首を傾げる僕に、藤野はニッと笑って、僕から、腕を離す。
そして、漫画の新刊コーナーへと歩き出す。
新刊コーナーには大きなテーブルに漫画がずらりと並んでる。
そこで、彼女は漫画を手に取るわけでもなく、コーナーにいる人達を眺めてる。
まるで、何かを待つように眺めている。
十分ほどたったころ。高校生ぐらいの女子が新刊コーナーの漫画を手に取ると、藤野が彼女に近づいて、嬉しそうに声をかける。
「その漫画、好きなんですか?」
なぜ、急に声をかけたという疑問と共に、女子が持ってる漫画に目をやる。
よく見ると、表紙のタイトルにはこうかかれてる。
『不道徳恋愛シチュエーションズ』と……。
あっ、僕たちが描いた漫画だ。
「えっ、あはい……」
女子は明らかに戸惑ってる。
まぁ、当然の反応だろう。相手は知らない人なんだし。
「突然、すみません。あなたがその漫画を手にとった時、すごく幸せそうな顔をしてたから、同士だって思って、嬉しくなって話かけちゃいました」
「そ、そうなんですか……」
でも、藤野のニコニコした笑顔と、物腰柔らかな対応に、女子はすぐに落ち着きを取り戻す。自然と笑みを作る。
我が妻ながら、さすがというべきか。
「あの、どのキャラが推しですか……」
女子がおそるおそる聞くと、藤野は嬉しそうに答える。
「ヒロインの柊推しです。好きな人に一途なところが、すごく好きで……」
「あーわかります。私は可憐推しで、いつも子供っぽいのに、ここぞって時に頼りになるところが……」
そこから彼女達は、夢中になったように話をする。
このキャラのこのセリフが好きだとか、漫画のこのシーンが好きだとか。
話をしてる時の、女子の表情はすごく幸せそうだった。
こんなに楽しそうに読んでくれているんだな、僕の作品を……。
なんというか、感慨深いものがある。
胸に熱いものがこみあげてくる。
ファンレターで、自分の作品の感想はたくさんもいらっていた。
それももちろん嬉しかったけど、読者の生の感情を実際に、まのあたりにすると、格別の喜びがあった。ひどく心を揺さぶられた。
ああ、そうか、藤野は僕のために……。
彼女の意図に気づくと、彼女の優しさが深く心の奥にしみこんでくる。
ありがとう……ありがとう……藤野。大事なことに気づかせてくれて……。
女子と話を終えると、藤野が僕の元に戻ってくる。
そこで、僕は言った。
「お前はこれを見せたかったのか。僕の漫画をどれほど、楽しみにしている人がいるか、教えてあげたかったんだな……」
「そういうこと。そして、私もその楽しみにしてる一人。子供の頃から、あなたの作る物語が大好きな、ファンなんだよ。だから十年以上、一緒に描いてきた。そして、これからもずっと、描き続けたいと思ってる」
しみじみとした表情で、藤野が自分の手を見つめる。
「作画担当にそこまで言ってもらえるなんて、すごく嬉しいよ。じゃあ、期待に応えるために、今まで以上にいいものを作らないとな……」
「おっ、その様子だと、すっかり自信もついて、立ち直ったみたいだね」
「ああ、おかげで、もう、大丈夫そうだ。悩みもどこかへ吹っ飛んだよ」
心の中にあったもやもやは、気づくと、もうどこかへ消えてしまった。
気分は快晴、望むなら、なんだってできそうな気がした。
「よし! これにて、一軒落着だね」
「あのさぁ、藤野……」
「うん?」
「お前がいてくれて、本当に良かったよ。助かった。ありがとう……」
「あはは、大げさだなー。当然のことをしたまでだよ。だって、私とあなたは……」
ふと、彼女が優しげに、愛おしそうに、僕を見る。
「一緒に漫画を描くパートナー同士で、一緒に人生を歩いていく、夫婦同士なんだから……」
そのことを嬉しそうに言う僕の妻は、とてもきれいだった。
思わず、みとれてしまう。
ああ、僕は本当に良い奥さんを持ったな。
「なんていうか、もう一度、お前と結婚したい気分だ」
「おっ、嬉しいこと、いってくれるね。なんなら、今から離婚して、また結婚する?」
「魅力的な提案だけど、周りがびっくりするから、やめとこう」
「はは、それもそうだね」
彼女とこれからも生きていきたい。
幸せを紡いでいきたい。
その思いを改めて、強くする一日だった。
僕と妻の漫画家夫婦生活-最高にかわいくて、愛おしい妻は仕事仲間としても頼りになる- 田中京 @kirokei
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