【KAC2023】ぬいぐるみ

だんぞう

ぬいぐるみ

 そこを見つけたのは空の端が暮れかけた頃、通り慣れた道のまだ入ったことのない脇道の先。

 看板も内装も全てが取り払われたコンクリート打ちっ放しの空間がまるでお洒落なギャラリーのように見えて、つい足を踏み入れた。

 入り口は開かれていたし、展示物も一つだけどあったし――レトロ感のたまらない手回し式のミシン。

 水色の塗装はあちこち剥げかけていたが、ちゃんと手入れされているように感じた。

 祖母の家の物置にあったのと似ている。

 懐かしさを覚えて思わず触れたハンドルは抵抗もなく回った。

 糸の付いていない針が上下に動き出す。

 耳触りの良い音をしばし楽しんでから外へと戻ったそのとき、私の左手の小指が何かに引っ張られた。


 誰も居なかったはず、と振り返るがやはり誰もいない。

 では何が――と開いてみた左手の小指の先から、赤い糸のようなものが出ていた。

 結んであるとかではなく傷口から滲み溢れる血のように。

 手触りはまるで糸。

 少し湿ってはいるけれど。

 赤黒いというよりは黒赤くなった夕闇の僅かに残る赤み色の糸は、ほのかな光を帯びて薄暗い室内へと伸びていた。

 糸の先にはあのミシン。

 逃げ出したかったが、離れようとすると指先から血の抜けていく感覚もあり、覚悟を決めてミシンへと近づいた。


 ミシンの横に、いつの間にかぬいぐるみが置いてあった。

 さっきは絶対になかった、あちこち破れたボロボロのぬいぐるみ。

 そのぬいぐるみが自ら動きだし、ミシンのハンドルを回し始めた。

 上下する針の下へ自身の体を押し込むぬいぐるみ。

 ほつれた場所に、私の指から出ている赤い糸が縫い込まれてゆく。

 やがて全身を独りで縫い直したぬいぐるみは赤い糸を切り、私に向かって小さくお辞儀した。

 何が起きているのか理解わからなくて、瞬きをしたら、ミシンもぬいぐるみもミシン台も全て消えていた。

 指先に赤く玉のように残った血を舐めると、不意に涙がこぼれた。




<終>

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【KAC2023】ぬいぐるみ だんぞう @panda_bancho

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