真実を見つめたその先で。 ――1――
事件が起こって、その日の朝。豪華なスイートルームにある時計の針は八時を指していた。大きな窓からカーテン越しに差し込む光が外の天気を物語る。昨晩の土砂降りが嘘のように明るい空模様、快晴だった。
雨が弱まったのは明け方の事だ。そこでようやく到着した警察は喜木先を緊急逮捕。また殺人事件の容疑者として銀花を逮捕し、猫魔さんも連れて行った。そのせいもあって、夢占いの館は朝から大勢の警察官や刑事が出入りする事態だ。三人もの人間が殺害される殺人事件が発生したともなれば、当然なのかもしれない。
だから、魔眼のことは公にされていない。今回のことは光り目事件としては扱われていないという話だ。夢占いはあくまでも占い。殺害された夢占い師も、詐欺グループ『夢喰』のボスとして、名が世に広まっただけだった。
魔眼のことは誰にも語られることがなく、あの夜のひと時が見せた
顛末を見守ってくれた正架さんは、駆けつけた警察官と一緒になって寝る間もなく走り回っていることだろう。現場につきっきり、犯人が自供した現場にも居合わせたわけで、言うなればお手柄というやつだったのかもしれない。
その罪と謎を解き明かした当のぼくらはと言えば、あの後、ぶっ倒れた。まあ、自然の現象とも言えるかもしれないけれど、張り詰めた緊張感にただでさえ少なかった睡眠時間。緊張の糸が切れた瞬間、意識が失われるようにして、力が抜けたのは言うまでもない。
凍にしたってそうだ。全てを語ってくれた彼女に一番負担があったのは誰の目から見ても明らかだった。魔眼を持つ彼女らは、ただものを視るだけで負担があるものだ。あのようにして力を発揮し続けていれば、それこそ倒れるのも当然だった。
目元からは赤い涙を流し続けて、意識を失った後も彼女は泣き続けていたらしい。そんなぼくらのことを介抱してくれたのは、正架さんと猫魔さんだったと後から聞いた。
そんなわけで、ぼくは二時間ほど眠って目を覚ましたところだ。
三人で予約を取っていたはずの部屋の中に今はふたりきり。そう考えると、自然と涙が溢れてくる。
顔を洗うために洗面台に向かえば、酷い顔をした自分のそれが目の前にある。なんだかそれがおかしくって、泣きながらひとり笑って顔を洗った。病院で生活している間は、あれほど自分のものとも思えなかった鏡に映った顔だけれど、やっと、ぼくはここにいるという実感がわいてきたところだ。
顔を洗って涙を拭って、向き合った部屋はカーテン越しとはいえ、明るい日差しに包まれる。そのスポットライトに当てられるようにして、ベッドの中では「すぅすぅ」と寝息を立てて凍が眠っていた。その目元にはしっかりと真新しい白い包帯が巻かれている。猫魔さんにいただいたものだ。
彼女の血が止まったところで、その眼をそのままにしておくわけにもいかず、いつも通りに巻いてやった。ぼくがやったのできれいに、とはいかず少し不格好なのは申し訳ないところだけれど。蝶々結びにしてやればリボンのように揺れて、それを凍はよく気に入ってくれていたな、などと懐かしくもなってひとり微笑んだ。
――コンッ。
と静かに部屋のドアが叩かれた。
「はい」と返事をして、ドアを開ける。
「よっ、少しは眠れた? 大丈夫?」
ドアの隙間からは、すっかり見慣れた顔となる正架さんが顔を出した。眠る暇などなかったはずなのに、疲れた様子も見せずに明るい調子で笑う。
「はい、ちょっと寝たから、まあ大丈夫」
酷い顔をしているのは鏡で確認済み。正架さんにだって伝わってしまうだろうけれど。
「そっちは、もう?」
聞き返したところで、正架さんは「うん」と頷いた。
「まあ、彼女は自供もしてるし」
罪を認めた彼女は警察でも全ての罪をあっさりと認めて、夢目沢 志士郎に関わった詐欺事件などのことも全て話したらしい。
「そうそう。ふたりには言いづらいけどさ。御石さんの車は、運ばせることにしたよ」
ぼくらを運んでくれた保護者、運転手はいなくなってしまったから。向き合いたくはないけれど、目をそらしてはいけないことではあった。
「……ありがとう」
ぼくがこたえると、正架さんは苦しそうに笑って続ける。
「彼女もまた、使命を全うしたのかな」
御石の使命――魔眼を見守るという使命。
別れ際、最期にぼくへと笑いかけてくれた御石さんの笑顔を、ぼくは一生忘れることはないのだろう。
「きっと、守ってくれたんだと思います」
銀花の凶行を考えれば、殺意が凍へ向いていてもおかしくはなかった。だけれど、御石である彼女がいたからこそ、銀花は自分の身を守るために犯行計画を立てたはずだ。
「あはは……きみがそう思うならきっとそうだなぁ……」
正架さんはやはり苦しそうに笑っていた。
「凍ちゃんは? 眠ってる?」
話を切り替えるようにして、部屋の中のベッドを覗くようにそう言った。
「はい、よく眠ってます。あれだったから……」
「彼女の覚悟、わたしもとくと見せてもらった……その力も」
秘見弥のことを知っていると言った正架さんではあったけれど、感心したようにして力強く頷いた。
「わたしはなにかできたかな……」
そう正架さんは小さく呟いて、己の手を見つめていた。ぼくは聞き逃さなかったけれど、あえてこたえはしなかった。
「なにはともあれ、きみらが真実を見定めてくれて、よかった。本当に、八重霧警部から聞いていた通りだったよ」
その言われ方がぼくの思考の巡りには引っかかって。
「なんて、聞いてたんですか? ぼくらのこと」
最初に会ったときは、『面白いふたりがいる』と聞いた、と言っていたけれど。
「『手を取り合うふたりは、明るい未来を見ているようだった』って言ってたよ。わたしにはあの人の感性がわからないけどね」
ぼくにも八重霧の感性はわからないけれど。未来――真実を――。そんなふうに言われて、ぼくも思わず己の右手を見つめてしまった。
「あ、そうそう。その八重霧警部が足桐医院まで送ってくれるって。凍ちゃんの調子見て声かけて上げて」
思い出したように顔を上げた正架さんは優しく笑う。
どうやら彼も駆けつけてくれたらしい。そういえば、忘れてはいけないことだけれど、彼には聞いておかなければいけないことがまだある。
「わたしはもう少し現場で仕事。ここでお別れかな。ちょっと寂しいけど、また会えるよね?」
そう言って最後にもう一度笑った正架さんは、やっぱり明るい人だった。ぼくと凍のことを守ってくれた正しき正義はそこに在る。
ぼくもそうだといいと思った。
「はい、そうだといいなと思います」
だからそう笑い返したところで、正架さんはカーディガンの裾を翻して去って行った。
特殊な力を巡って触れ合った袖だ。そう途切れる縁ではないのだろう――なんてことを考えた。
◇◇◇
グレーのセダンはサイレンを鳴らすこともなく、山間の高速道路を走っていた。
運転席に座るワインレッド色のスーツを着た男は調子がよさそうに、車内に流れる音楽のリズムを口笛で刻みながらハンドルを握る。ぼくは助手席に座って、後部座席では凍が横になって眠っている。
起きる様子がなかった彼女のことは彼が抱えて運んでくれた。まあ、寝かせ続けたほうがいいのだろう。だからそうやって運んだところで目覚める気配もないのだし、事情が事情なだけに救急車を呼ぶわけにもいかなかった。
そんなわけで正架さんから言われた通り、八重霧はぼくらのことを足桐医院まで送るために駆けつけてくれたらしい。
三時間超のドライブとなる距離。全く眠くもならず、車酔いする気配もなく、ぼくは万全の体調で(顔色は酷かったけれど)八重霧に問うことにした。
「八重霧は、どこまで知ってたんだよ」
運転をする八重霧は今日も
「ん? なんですか? 急に」
とぼけたように笑って、相変わらずなにを考えているのかはわからない。だけれど、それでも聞こえた上で、意味もわかった上でとぼけていることくらい、ぼくの目にだってわかる。
「剣野義さんのこと。この前の夜中のあの呼び出し……あのときには、もうわかってたんだろ?」
剣野義 鶏冠というレストランオーナーシェフの正体を彼は知っていたはずだ。詐欺グループ『夢喰』のことは警察がずっと追っていた、と正架さんが言っていた。そして、凍の推理によれば、彼がその一員だからこそぼくらは誘われた。
「あぁ、そのことですか」
八重霧はなんでもないといった調子で返事をして、ハンドルを切って、追い越し車線から走行車線へ。若干スピードを落とした。
「彼にはずっと警察も目をつけていましたからね。案の定といったところですが」
「あのときは、そんなことひと言も言わなかったよな? 凍にたしかめさせでもしたらよかったのに」
「そういうことですか……彼は用心深かった。悟られたら面倒だと思いましてね。指令書なんてアナログな手段を使って繋がっている組織でしたから、強固なものでつけ入る隙もなかったものです。だから、ようやく出した尻尾だったというわけなんですよ」
泳がせていたということだろうか。八重霧に言わせれば、案の定、餌に食いついてくれたってことだろう。なんだかその笑顔の裏でうまいこと使われたような気がして、無性に腹が立つ。
「そういうところは、しっかり考えてるんだな」
ちょっとした嫌味を含めた小言だったのだけれど。
「なにか言いましたか?」
聞こえないふりをされてしまった。
「いや、凍も怒ってたぞ。『面白いふたり』扱いされてたこと」
「ははは、彼女がそんなことを言ったんですか?」
八重霧は笑って言う。正架さんから聞いたことくらい想像がついたのだろう。
「まあ、そうですね。剣野義が『夢喰』の一員だったことは、あの時点でわかっていましたよ」
話を戻すようにして八重霧はハンドルを切り、再び追い越し車線へ。車が風に乗るようにして速くなった。
「どうして彼が凍を『夢占いの館』へ誘ったのか。凍はわかってたようだけれど……八重霧にもわかってたのか?」
ぼくにははっきりとした理由がわからない。『保険』『交渉材料』――彼女は推理の中で、自分のことを道具と思われているかのように語ったけれど。
「そうでしたか。さすがだ……えぇ、なんとなくは」
八重霧はバックミラーで後続車の確認をしてから、こちらをちらりと見て頷いた。
「彼にとってはお守りだったんでしょうね。武器というか」
八重霧もやはり『利用するもの』のような言い方をする。
「魔眼の力を目の当たりにして、きっと彼女を連れていけばボスにも対抗できる――そんなふうに考えたんじゃないでしょうか?」
八重霧は剣野義さんの気持ちを想像するように語った。
「ただ、どんな弱みを握られていたのかは、知りませんけどね」と笑って続ける。
弱み――か。ボスの弱点を握っていたのは剣野義さんのほうだった気もするけれど。そこにどんな力関係があったのかは、まあ、言ってしまえば他人事で考えても仕方がなかった。
「剣野義さんは向かう前から消されるって思ってたってことだよな……」
ぼくが独り言を呟いたとでも思ったのだろう。八重霧はこたえてくれなかったけれど。
「そういえば、自殺したウェイトレスが元は一緒に行くはずだったんだろ?」
そう聞いたところで、八重霧は笑顔のまま頷いた。
「はい。そうだったみたいですね。元々の予定では」
ということは、その女性も『夢喰』のことは知っていたというわけか――いや、一員だったと考えるほうが自然か。剣野義さんが誘ったのか、ボスが誘ったのか。今となってはもうわからないだろうけれど。
「そうですよ。蒼起くんの考えている通りだと思います」
となると、あの遺書の意味が変わってくるような気もした。
「剣野義さんは組織を裏切っていた。だから、なにかあると踏んだってことか?」
ぼくが聞いたところで、八重霧は「ふふっ」と静かに微笑んだ。それは肯定の意味だったのだろう。そして、いつもの調子でにこにこしたまま言ったのだ。
「きっと、わたしにはこれ以上、踏み込めないところです。後はあなたたちが解き明かしてください」
意味が捉え切れなくて、その言葉がぼくの思考の巡りの中で回りだす。
八重霧は全てわかって、それでも凍を送り出した。そのリスクもわかった上で一手を投じた――否、違う。彼にもわからないことはあった。この盤上で見えていないところがあったのだ。
詐欺グループの一員として剣野義さんのことを警察が追っていたのは真実なのだろう。そんな中で、夢占いの館へとぼくや凍を送り込むことになったのも単なるきっかけに過ぎない。なにかが引っかかる。八重霧は部下の正架さんも送り込んでくれた。おかげでぼくらは大いに助けられたのだけれど、どうして、そんな都合よく話が進んだ――?
なにかピースが足りない。そんな違和感がぼくを支配した。
ぐるぐると巡って、疲れていたはずの頭はフル回転。高速道路を走った車に揺られて、車窓を流れる景色にぼくの思考も流れてゆく。
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