秘見弥 凍の魔眼推理 ――4――

 ぼくの脳裏に流れ込んできた映像としての心の情景は、そこで途絶えた。


「はぁ、はぁ、はぁ――」


 息は切れ、脂汗が滲んでいるのも自覚する。だけれど、酷い頭痛は段々と治まってきた。時間にして数分。その時間で脳の中に直接見せつけられた感情の波。『思考へ潜る』と凍は言っていたけれど、もしこれが彼女の左眼の見せる世界なのだとしたら、それはやはり――残酷だ。


「大丈夫かい……?」


 目を見開いたまま訊ねてくれたのは正架さんだった。気を失い倒れた凍を抱えたまま驚いたようにはしているけれど、それはあの眩しい光と突如倒れたぼくら三人に対して、なのだろう。あのイメージが見えたのは、ぼくと凍と、多分、銀花の三人だけだ。


 返事をする余裕がなくて、「はぁ、はぁ、はぁ」と切れる息の合間に頷いて見せた。膝をつきなんとか立ち上がり、ずきりと痛む頭を押さえる。

 息はまだ整わない。

 こんなの、瀬月の魔眼にやられる比ではない。

 直接的に流れ込んできた他人の感情。それに刺激されたぼく自身の感情。とても抱えきれないほどの感情の揺れ動き、情報量を、無理矢理瞬時に叩き込まれたような衝撃だ。


 凍がしようとしていたことがこれだったのか――。否、違う。その当の本人はまだ目を覚まさない。不可抗力。魔眼同士の衝突による予想外の反応か。

 状況は理解できた。凍の魔眼の力が、どういったわけか猫魔さんの眼に反応して、ぼくや銀花にまで広がってあの情景を見せたのだ。どうしてそんなことが起こったのかはわからないけれど、魔眼に関して説明しろ、というほうが無理な話だ。


「うぅ……」

「くぅっ」


 と、ようやくぼくの息が落ち着いてきたところで、ふたりは目を覚ました。

 正架さんの腕の中から立ち上がった凍に、猫魔さんの腕の中から立ち上がった銀花。それぞれがそれぞれに顔を合わせて、なんともいえない表情を浮かべた。

 ぼくらは理解していた。三人の間に流れる空気感にある共通の意識。ぼくら三人は銀花の心の情景を同時に目にすることになったのだ。

 そんなぼくらの間に流れた妙な空気感にも正架さんは気づいたようで、黙ったまま見守ってくれている。


「許さない……それが、おまえらのやり方だ……」


 最初に口を開いたのは銀花だった。凍に向けられた敵意の真意。なにを指しているのかはすぐにわかる。それもぼくらは目にすることになったのだから。


「そうやって、事実を歪めて……なかったことにする……」


 息も落ち着かないのに、彼女は敵意を剥き出しにしたまま凍のことを睨みつけていた。


「……いいえ、わたしは……そんなこと、決してしない、から」


 こたえた凍も肩を揺らして息を落ち着かせることはできていない。顔の左半分を左手で抑えたまま、紅い瞳を向けながらこたえた。


「秘見弥の言うそんなセリフ、耳にも入らないわ……」


 銀花もふらふらとしてはいたけれど、真っすぐとした目で凍のことを見据えている。


「……わたしは、もうあの家とは関係ない」

「なら、なぜ、御石本家の……御石 志摩がそこにいた!」


 あんなものを見せられてしまえば、互いにもう隠し事もしない。全てをさらけ出し、剥き出しにし、想いと言葉をぶつけるだけだった。


「志摩ちゃんは、わたしのために、全てを捨ててくれたから」

「ば、バカな……そんな、こと……じゃ、じゃあ……」


 銀花は心底驚いたといったような表情で凍にこたえた。

 御石の使命も、御石さんの覚悟もぼくにはわからない。だけれど、彼女が凍のことを思ってくれていた気持ちは本物だった。その横にただいたぼくのことまで、気にかけてくれた気持ちは本物だった。嘘もない。利用するだなんて意思もない。ぼくはそう信じられる。


「わたしは捨てられた。いいえ、捨てたのは……わたしのほうだったのかもしれない。そうしないと見えない世界があると教えてもらったから。秘見弥の家の中にいるだけのわたしじゃ、知ることもなかった世界だよ。だけど、この名を継いで、ただただ生かしてくれるような甘い世界じゃない。そうでしょう? わたしたちが生きている世界は」


 凍は語りかける。銀花はそれにこたえようとはしなかった。いや……こたえられなかったのかもしれない。認めたくない。こたえてしまえば認めることになる。だから、奥歯を噛みしめるようにしたその表情が肯定の返事だった。


「わたしはね。魔眼に関わったものを救うために、秘見弥を捨てたんだよ。そうすれば、救えるものもあると教えてくれた人がいたから」


 凍は静かに語り続けた。


「初めから……話を聞いたときから、おかしいと思った。魔眼は女性にしか開眼しない。後天的に目覚めるものだったとしても、さ。その力を持っているのは……夢占い師は夢乃さんだった。なのに、雑誌に紹介されていたのは、夢目沢という男だった。その時点で、この館には歪んでしまった真実があるんだって、わかっていたんだよ」


 猫魔さんのほうへと目を向けた凍は、優しく微笑んでいた。


「……だから、なんだって言うのよ」


 銀花はようやくそこで凍にこたえる。


「わたしはひとつ決めていた。もし、この館に闇があるならば、その闇はわたしがどうにかする。そこにある真実を見届けるために」

「……きれい事だ。おまえがどうにかできることだったっての?」

「それは事件が起こって、こうなってしまった以上、なんとも言えない。だけどそれでも、あなたの取ったその手段は間違っていたと思うよ」


 銀花は肯定も否定もしなかった。ただ静かな眼差しで、そう語った凍のことを見つめている。


「さっきの続き、ちゃんとわたしが証明してみせる」


 凍は銀花の返事も待たずに言葉を続けた。


「夢占いを受けたとき、部屋の中にいた夢占い師はあなただった。志摩ちゃんに姿を見られようとも、殺して口を封じてしまえばよかった。蒼起が推理した通り、夢目沢は、夢占いの時間の前に殺されていたのでしょう。御石の人間にとって、暗がりで銃を使うのなんて、慣れたものでしょ? 夢目沢がたとえ発砲したのだとしても、それを避けて的確に心臓を撃つなんてことは」


 銀花はやはり否定しない。


「そうして死体を隠して、わたしたちをあの部屋に招き入れた。部屋が冷えていたのも、偽装のためだったのかもしれない。その後、夢乃さんの魔眼の力でわたしたちが眠ったのを確認して、あなたは眠ったわたしにナイフを握らせて、志摩ちゃんに突き立てた。御石の人間を殺すには、眠っている間に一撃で仕留めるくらいしないと、不可能だから」


 御石の人間は、幼い頃から使命を守るために訓練を受けている。身体能力も常人以上であるらしい。御石さんが殺されてしまったのは、銀花が見せたように復讐の一部ではあったのかもしれないけれど、彼女自身が身を守るためのことでもあったのかもしれない。


「そして、夢目沢を撃った銃を倒れた志摩ちゃんに握らせて、わたしをベッドの上に戻した。その後部屋を荒らして、夢目沢が詐欺グループ『夢喰』の関係者である証拠を持ち去って処分する……。後は打ち合せしていた通り、部屋の中から内線を鳴らして、密室を脱出するだけだった」


 二重密室ダブルロックなんてものは、猫魔さんが共犯者だとわかってしまえば簡単に解ける鍵だった。


「夢乃さんとは打ち合わせをしていたのでしょう? もしロビーに蒼起や正架ちゃんがいなかったのだとしても、なにか口実をつけてふたりを呼んでいた。そうして常に見張りがいる状況を作ったところで、内線を夢乃さんに取らせた。わかりやすく『琴鳴様どうなさいましたか?』とでもこたえれば、ふたりも勝手に思い込んだ。『あぁ、こんな夜になにか用事があったんだな』って、さ」


 それはその通りであったのだけれど、凍は見てきたかのように語る。


「小火が発生したと騒ぎを起こして、ロビーから人を払う。だけど、本当に小火が起こったのは、あなたが密室を脱出した後だった。蒼起と正架ちゃんは、わざわざ小火現場に向かうために遠回りとなる東廊下を、消火器を取りに走らされた。そうすることで時間的余裕を作ったんだよ。その間にあなたは部屋を出て、あらかじめ差してあったマスターキーで鍵を閉めた。鍵は開けられて、ただ閉められただけ。密室トリックなんて言うけれど簡単な話だった。その後廊下を走って、夢乃さんと合流して鍵を返すだけでいいんだから」


 内線コールを鳴らして騒ぎを偽装することで、脱出するタイミングは作ったのだ。


「そうして、倉庫のほうへと走ったあなたたちは本当に小火を起こした。火が広まるのが遅かったのが救い、それもそう。発生した時刻が本当に遅かったんだから。わざと報知器が鳴るようにも仕向けた。そしてその場にわたし以外の全員を集めて、後から蒼起と正架ちゃんが駆けつけた。そうすることで犯行が可能だった人間をわたしだけに見せかけた。それこそが、あなたたちふたりが利用した密室トリック。結果的に、ロビーには常に蒼起と正架ちゃんがいたことになったから『二重密室ダブルロック』なんて呼ばれるものになってしまったけど、さ」


 それが彼女の語った真実だった。この館で起こった事件の真相。


「犯行の動機はもう説明するまでもないでしょう。わたしたちは見せつけられた。被害者、夢目沢 志士郎がどんな人物だったか明らかになってしまった今となっては。彼にも殺される動機なんてものはたくさんあっただろうけど、その引き金を引いたのは、あなただったんだ」


 凍は両眼を見開いて銀花を見つめた。

 そこまでの話をただ黙って聞いて受け入れていた銀花は、なにを考えていたのだろう。真っすぐとした瞳で凍にこたえているようだった。


「琴鳴 銀花。いいえ、御石の名が本名かな。あなたが、この事件を起こした犯人だ」


 凍はそう言って、左手を伸ばし、人差し指を突きつける。


「『復讐』、『支配』。そんな悲しみはもう、ここで終わらせましょう。夢乃さんを救いたいという気持ちは正しかった。だけど、取る手段は間違っていた。あなたは、自分の『復讐』という感情に『支配』された。本当に夢乃さんを助けたかったのなら、他に取れた手段があったはずだから」


 そこまで言った凍は、肩を縦に揺らして息を吐く。口で語り続ければ当然だった。息も切れている。

 だけれど、ぼくは忘れてはならなかった。力を使ってあれを見せたのは他でもない凍だ。衝撃や疲労度で言えば、ぼくや銀花なんかよりもはるかに多くの負担がかかっていたのだろう。

 ふらついた凍を支えようと一歩近づいたところで、そこではじめて気がついた。先ほどまでは顔の左半分を抑えていたから見えもしなかった。凍の左眼からは赤い涙が一筋、頬を伝って顎を伝ってぽたりと垂れる。


「い、凍、おい!」


 とっさに名を呼んだところで――だけれど、凍はちらりとぼくを一瞥して微笑んで見せた。


「大丈夫、これくらいは」


 息遣いも落ち着かず、そうは言うけれど全然大丈夫には見えない。涙のように溢れ続ける赤い血は、彼女の頬を伝って流れ続ける。

 肩を支えようと近寄るも、凍は力強い眼差しを銀花に向けなおした。そらされた視線から感じた強い意志は、それ以上の心配の言葉を奪った。

 今まで見た彼女の姿の中で一番力強い。目が見えない、その眼に特殊な力を宿してしまい、普通とは違う道に立つ彼女はいつも凛としてはいたけれど、その中でも一際に。


「ふっ」とそんなぼくらのやり取りを銀花は笑う。凍の推理を黙って聞いていた銀花はそこでようやく口を開いた。


「そこまで魔眼の力を酷使して、あなたはわたしに向き合ったつもりになっているわけ?」


 だけれど、銀花の言葉にはいまだに強い怒りや憎しみが混ざっている。


「わたしが取った手段が間違っていた? そんなことはわかっている! でもそうするしかなかった。この歪んだ盤上を、歪んだ支配を終わらせるには! あなたがわたしと同じ立場だったなら、なにかできたとでも言うの? わたしが、夢乃を守るにはこうするしかなかった……!」


 銀花は胸を押さえて言葉を返す。


「だって、道を選ぶことができなかったわたしには、なにもなかった。なんでも持っていられる秘見弥おまえには、それがわからない。だからきれい事を並べられる。そんな簡単に言わないでよ……。間違っていたのは、あいつでしょう! 魔眼が全てを狂わせる。禍々しくあって、歪ませてしまう。あんたたちの、その力が!」


 涙を浮かべて、隠す感情などもうどこにもありはしない。その瞳は訴えかけている。必死の表情で。

 全て見てしまった以上、それらの言葉に含まれる痛々しいほどの感情がぼくを刺激する。それは凍にしたって一緒だろう。だけれど、凍はそんな気持ちもわかった上で、圧されないように反論した。


「『名前』を捨てたというのなら、全てを捨てればよかった。けど、あなたはそうできなかった。捨てきれなかったから『復讐』なんてものに縛られて、『支配』しようとした。だから、夢乃さんの言葉の本当の意味にも気づかなかった!」


――『あなたの痛みが軽くなるならば、わたしにもその痛みを半分背負う覚悟はあります』


 そう言った彼女の言葉の意味。きっと、猫魔さんにも全てを捨てる覚悟があった。


「わかったふうに、言わないでよっ!」

「わかってるから、言ってるんだよ!」


 銀花は涙を流しながら、凍は赤い涙を流しながら。ふたりは腕を振るって言葉をぶつけた。


「わたしの眼は痛いほどに見せてくれる……あなたの、そんな気持ちだって」


 否――もはや凍は右眼からも涙を流していた。感情の昂りか、透明な涙は紅い光を反射した。


「っくぅ」と言葉を噛みしめた銀花にも、凍の気持ちは伝わっているのだろう。そうやって向き合っている気持ちが。


「わたしは、を許しなどしない。だけど、そこに復讐の意志はないんだよ。わたしにもたったひとつ、残った大切なモノがあったから」


 凍が剥き出しにした感情も、また痛いほどに響いてくるのだから。

 魔眼がそれを見せるのか、ぼくにはふたりのそうやって向き合う姿が対照的に見えた。お互いに見た世界は同じようなもので、だけれど、見据えた先が違った。


「夢乃さんがあなたを大切に思っていた気持ちは、あなたもわかっていたでしょう!」


 銀花が思い続けたのと同じように、猫魔さんもまた銀花を大切に思っていた。全てを知って銀花に手を貸したのは、そうすることで彼女が救われると思ったから。

 本人の口から聞かなくても、その目を見ればわかった。猫魔さんもまた大粒の雨を降らせていたのだから。


「だって、わたしには……なにもっ!」


 なにも返せない。銀花はきっと、そう思ったのだ。そのひと言は決定的にぼくを揺さぶった。ぼくにはなんだかわかるような気がした。大切に思ったモノの横で――なにものでもなかったぼくだから。


「わたしが、ちゃんと、言えればよかったんですけど……」


 猫魔さんは顔を拭い、涙で目を赤く腫らしながら優しい声色で言葉を紡いだ。その瞳はもうオレンジ色にも光っていない。


「わたしは、銀花ちゃんになにもしてあげられなかったから。苦しんでいる銀花ちゃんのこと、知っていたのに……」


 彼女もまた、向き合わなかったわけではないのだと思う。


「わたしは欲張りだったんです。父と母が残してくれたこの家も、銀花ちゃんも、取ろうとしたから……。余計に銀花ちゃんを苦しませてしまった。わたしが欲張りだったから、だからこんな酷いことを……」

「そんなことない! わたしがちゃんと、もっとちゃんと強くて、本当の意味で、護ってあげられれば……!」


 泣いて膝をついた猫魔さんに駆け寄って、銀花と猫魔さんは抱き合うように言葉を投げ合った。

 互いにこんなに思い合っているのに伝わらない。それは全てあの男の『支配』の中でのことだったから。この館に絡みついた二重の支配ダブルロックのせいだったから。

 ふたりが背負った罪は決して許されることではない。だけれど、やっと気づくことができたのだろう。こうして今、ちゃんと真っすぐとふたりが向き合うことで。己の中で間違いに気づいたことで。


「……あなたの、語った通り」


 涙を拭き、顔を上げて立ち上がった銀花は、凍を真っすぐと見つめて言った。


「わたしがやったこと。その罪を背負うべきは、わたしだ」


 言葉通り彼女は罪を認めて頭を下げた。

 凍は静かに微笑んで、目元を拭ってからこたえた。


「わたしは、秘見弥の名を継ぐからこそ、この道をゆく。強すぎる眼の力は視える世界を歪めてしまう。だから、そこにある真実を見届けたいの。この力は、決して禍々しいものじゃない。忌み嫌われるものでもない。わたしはこの力で救い照らしたいんだ、そんな世界を」


 断罪されるべき罪は見定められた。そうして真実は暴かれる。

 秘見弥 凍はその眼で語った。真実へと至った魔眼推理を。

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