秘見弥 凍の魔眼推理 ――3――
◆◇◆
それがわたしに与えられた名であって、ふたつ目に与えられた名であった。
この館はその舞台で、わたしはその上で使われた駒に過ぎない。
ひとつ目の名がなんだったかなんて、もう思い出したくもない。だけど、その名はいつまでもわたしを支配する。『御石』に与えられる使命は命よりも重いものだから。
全ては魔眼を見守り、監視する一族の使命の元に――わたしら一族を統括する『秘見弥』の決めたことだった。
わたしたちは進む道なんてものを選ぶこともできない。生まれたときから死ぬときまで、そう定められてしまっているから。そのために勉学に励み、そのために体を鍛えて、訓練を受けて、ただ魔眼を護る役目の元に全うする。それが命よりも重いという意味だ。決して逃れようもない支配の中にいる。
それが忘れたくても忘れられない名前だ。
御石としてのわたしの行く先が決まったのは、今から三年前のこと。
この館では仲のいい夫婦がペンションを営んでいた。だが、立地が立地なだけに、その経営は上手くいかなかったのだという。それもそうだろう、なにもない山の中にひっそりと建つ洋館。はたから聞いても不気味な印象しか抱かない。
それもこれもわたしは後から知ったことではあったが、都合よく仕組まれて、『安く手に入るから』という口車に乗せられて、気のいい夫婦が騙されたようにして建てたものだったらしい。
だから経営はうまくいかないまま、失意の中に夫婦は亡くなった。その死因がなんだったかなんて、わたしが語るのも野暮なことだ。夫婦は娘をひとり残して旅立った。残した彼女に苦労をさせないための選択だったのかもしれないが、所詮他人事だったわたしからすれば、あまりにも身勝手だと思った。
だが、話はそれで終わらない。ひとり残された夫婦の娘は――数奇なる運命に選ばれてしまった。その目に力を開眼させてしまった。
人を眠りに誘い、その夢から簡単な
ゆえにわたしは選ばれて、その少女に伝えたのだ。
「あなたの眼は、わたしが見守るから」
見守るなんて言い方はするが、その実は監視だ。秘見弥にとって都合の悪いものにしないために――そう言った意味合いで管理するためのこと。
その真意を彼女に伝えるわけにもいかない。なのに、彼女は涙を流しながら微笑んだ。両親を失ったばかり、自暴自棄になってもおかしくない状況だった。なのに、わたしの目を見た彼女は微笑んだ。
「そうなんだ。わたしのために、あなたにまで……つらくない?」――と。
そう、わたしなんかのことを心配したようにして。淡い優しい色をしたオレンジ色に光った眼で。
わたしはどんな顔をしてこたえたのかわからなかった。自分の顔に手を当ててたしかめるようにして、「そんなことない」と言うのが精いっぱいだった。そんなわたしのことが面白かったのか、彼女は一層明るい笑顔を浮かべていた。
どうしてこの子は笑っていられるのだろう。これからどうなるかもわからないのに。道を踏み外したのに。不思議でしようがない。だってわたしは、そんなものを知らなかったから。
そんな出会いからちょっとして、あの男がやってきた。
夫婦の親戚、彼女の親戚でもあったようだが、どうにも全てが胡散臭い話だった。
「この館を再建できる。その力を使えば、人も集められるだろう」
そんな理想と、彼女が両親から受け継いだ夢とを並べて語った男は、彼女を取り込んだ。
「それがあの子の夢なんだ。なら、おまえもどうすればいいか、わかるだろう?」
あの男は、わたしには本性を隠すこともなかった。
わたしはただ見守ることしか許されない。それが御石の使命だったから。
下卑た笑いを浮かべた男の言葉に頷くことしかできなかった。それが彼女のためならば――そんなありもしない幻想に縋りついた。
男は言葉巧みに彼女の力を利用して、この館を支配し、根城にした。
先ほども語ったが、わたしは後から知った。彼女の両親はこの男に言われてこの土地とこの館を建てたのだ。全て横から掻っ攫うようにして、男は自分の都合のいいように支配した。
男の支配は完璧だった。男の言った通り彼女の夢は叶った。
ペンションとしての軌道は、彼女の魔眼の力を利用した『夢占い』をはじめたことで順調だった。
そんな中で笑顔を振りまきサービスを提供する彼女の姿は、天使のようでもあった。この歪んでしまった館の中で、想いを乗せて真っすぐでいる彼女は、わたしにとっても理想だった。
最初に出会ったあのときに、わたしの言葉を真っすぐと受け止めてくれたように。
わたしも、この子のように生きることができたなら――。
そんなことを思ったら、わたしは彼女の夢を阻むこともできず、男のやり方を止めることもできなかった。
最初から裏があることはわかっていた。だが、わたしは気づかないふりを、目をそらしていたのだろう。
見守る存在から、護りたい存在へ。そうわたしの気持ちが変化したことも当然だったのかもしれない。だが、そう思えば思うほど、それはわたしにとっての弱点となりえた。御石としての使命も忘れて彼女に近づきすぎたわたしは、知らぬうちに罪悪感を覚えていたのだろう。そんな心の隙が、男の支配の上にいたわたしにとっては致命的だった。
「この館を壊されたくなければ、オレを手伝え」
男は世間を騒がせる詐欺グループの親玉だった。彼女の夢を護るために、わたしは言われるがまま、男の下についてそれを手伝った。夢占いの客のひとりとして館に出入りし、取引や計画、伝達などを円滑にサポートしたのもそのひとつだった。
だが、あの男の支配はそんな簡単な話でもない。
わたしがそれに気づいたのは今より少し前。『夢占いの館』が警察に目をつけられはじめたことに気づいたあの男は、この館を捨てようとしたのだ。
もういらないものだ、と簡単に言いやがった。利用するだけ利用して、弄ぶだけ弄んで。都合が悪くなれば手の上から消してしまう。
怒り。憎しみ。悔しさ。振り返って覚えたのは、吐き気を催すような感情の波の連続だった。わたしはこんな男にいいように利用されていたのか。そう気づいた瞬間に、支配は解けていた。
それだけじゃない。夢が壊されてしまえば、彼女の泣き崩れる表情が簡単に想像できる。
やっと見つけた、わたしの道に咲いた一輪の花をも、そうやって踏み潰そうとするのか――と。
自分自身、御石という名前にある弱さも、琴鳴という名前にある弱さも、許せなくなった。
彼女は男の正体を知らない。だからわたしは、彼女をあの男の支配から救うために全てを打ち明けた。あの男のことも、御石の使命も、魔眼のことも。わたし自身のことも――わたしの気持ちも。
静かに聞いてくれた彼女は、やはり最初に会ったときのように笑ってこたえてくれた。
「あなたの痛みが軽くなるならば、わたしにもその痛みを半分背負う覚悟はあります」
泣きながらわたしの話を受け止めてくれて、そう言った
気づくにも決断するにも遅すぎた。だが、決意を固めには十分だった。そう考えると、思い出したくなくても思い出すことがある。
世に稀に生れ落ちる魔眼――秘見弥以外のものが開眼させると『光り目』と呼ばれるそれは、常識では計り知れない力を持つ。強すぎる力が、そこにある欲望を露わにするようだ。あの男が彼女の瞳に目をつけたのも、その光り目に取り込まれていたからなのだろう。
そのようにして、世に出た光り目は視える世界を変えてしまう。禍々しくも歪めてしまう。
――『銀花は、そんな世界を見なくてもいいからね』
そう彼女のように優しく言ってくれたのは、わたしを生んで育ててくれた、俗に言う母親というものだ。世間一般で言う母親のようなことをしてもらった記憶は一度もない。だけど、そう優しく言ってくれた温もりを忘れることはできなかった。
わたしが夢乃に覚えた気持ちはきっと、その母親に教えてもらったものだったのだろう。
秘見弥の支配の中で育ったわたしにあったもの――。そう考えれば考えるほどに、わたしから温もりまでをも奪った秘見弥の存在が憎い。
いつだってそうだった。世の裏で暗躍する彼女らは、自分らの
あの人は御石の使命の元にいなくなってしまった。強すぎる力はいつだって、この世で事件を起こす。そうして巻き込まれたあの人は、都合が悪くなって消されたのだろう。
秘見弥にとって、御石の扱いなんて取るに足りないそんなものだ。
だったら、いらないだろう、そんなもの。命よりも重い使命? くそくらえ。
なにもなかったはずのわたしの心の中に芽生えていた想いは、たしかにここにある。
そんなときだった――今日という日が訪れたのは。
この館に秘見弥の名を持つあいつがきた。眼を白い包帯で封印したその姿を、かつてわたしは見たことがあった。
駒も舞台も出揃っている。ならば、ちょうどいい。だから今度は、わたしが支配する。
『御石』としての使命を与えた御石本家の人間も、『琴鳴』としてのわたしの夢をも利用したあの男も、まとめて消してやる。
そして、『秘見弥』だ。わたしから全てを奪ったあいつらの、世が隠したがるその名に傷を刻め。
――わたしの復讐はここで果たそう。
そうして、『秘見弥』の名を世に知らしめろ。忌々しいその名を汚して刻め――!
◆◇◆
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