秘見弥 凍の魔眼推理 ――2――
喜木先が剣野義さんの殺害を認めて、夢占い師である夢目沢 志士郎の正体も判明したところで、事件は振り出しに戻った。喜木先も剣野義さんにも密室事件を起こせたとは思えない。
ひょっとしたら、殺された剣野義さんには動機があったのかもしれないけれど……。
そう、大事なのは動機だった。
一体なぜ、夢目沢は殺されたのか。御石さんまでもが殺されなければならなかったのか。どうしてその犯行が凍に擦りつけられたのか。
残念ながらぼくは推測することもできず、想像することもできず、ゆえに語ることもできない。
だけれどその目は、彼女がやったのだと口ほどに物語る。
琴鳴 銀花は勝ち誇ったように腕を組んで笑っていた。
「ご苦労様」
笑ってそう言った彼女はぼくと凍の前に立ち塞がる。
「……どうして、あなたは笑っていられるんですか」
人をふたりも殺して。罪のない凍を陥れて。
どうしてそうまでもして笑っていられるのだろう。
ぼくがそう聞いたところで彼女は決して認めないだろう。そういった意志の強さはその目に現れている。だけれど、間違いなくふたりを殺したのは彼女の犯行であり、凍を陥れたのは彼女の意志のはずだ。
きっとそこは猫魔さんにも知らされていなかった。だから、凍がひとりで夢占いの部屋から出てきたとき、猫魔さんは驚いたような顔をしたのだ。そうでなければ説明がつかない。二重の密室を解く鍵はそれしかありえない。
――琴鳴 銀花と猫魔 夢乃は協力関係にあった、それで間違いない。
「どうして笑っていられるか、だって? 笑わせる。なにも知らないあんたにはわからない」
彼女は笑顔を消して、笑わずにそう言った。
酷く歪んでしまっている。禍々しく捻じれてしまっている。
だから、ぼくは彼女の目を見て言い返そうとも思ったのだけれど――。
「蒼起のことが羨ましい? なにも知らないでいられる、彼のことが」
それよりも早く口を開いたのは、横に並んだ凍だった。必然的に正架さんも横に並ぶことになったのだけれど、彼女は黙ってぼくと凍と琴鳴 銀花の表情をうかがっていた。
凍にそう問われて、「あ?」と不機嫌そうな声を上げた琴鳴 銀花は腕を組んだまま凍のことを睨みつけた。
――紅い光が満ちる。
凍は顔の左半分を抑えたまま、右眼を開いて言葉を続けた。
「わたしには視える。あなたのその憎しみが。わたしに対して向けた敵意にある本性が」
言い切った凍の瞳を見つめた彼女は、「ぐっ」と表情を歪ませた。
ぼくは彼女のその表情を見て、考えたことを口にする。
「……考えたらわかったんです。喜木先が起こした殺人を第二の殺人なんて考えていたけれど、そうではなかった。彼が起こした凶行は、あなたの計画を狂わせた。夢占い師……いや、彼のその肩書きももう偽りのものとわかった。『夢喰』のボス夢目沢は、ディナーの後、夢占いの前に殺された。あなたの手によって」
それが第一の殺人だった。やはり事件は夢占いの前に起きていたのだ。ふたりの間になにがあったのか、あり続けたのかはわからない。それは決して彼女が語ろうとしないから。
彼女は凍の瞳を見つめて歪めた表情を戻して、やはり態度は崩さなかった。腕を組んだまま、力強くぼくらを睨みつける。
「……」
こたえもしない。
構うものか、ぼくは思考の果ての言葉を紡ぎ続けた。
「そして、凍と御石さんの夢占いの時間。あなたはあらかじめ夢占い師のローブを羽織って、あの部屋に潜入していた。あの部屋に隠した夢目沢の死体と共に。部屋のカーテンを閉めれば死体を隠すなんてことは簡単だ。それに部屋にはアロマの香りも効いている。暗い部屋の中では人の気配なんてものも探りづらい。夢占い師は集中しているために言葉を話さなくていい。だから、誤魔化すのは簡単だった。凍は目が見えない。猫魔さんは共犯者だった。御石さんの意識さえそらしてしまえば、誤魔化すなんてことは」
目が見えないことを利用された。笹良はそう言っていたけれど、ぼくが凍の立場だったとしても気づけるかどうか。自信もない。
「そして、殺したんだ。眠りについた御石さんを。ふたりの殺害、その罪を凍に擦りつけるために」
それが第二の殺人だった。
動機は、犯人を作るため。
そんな身勝手なことのために、人をひとり。それが許せなくて――ぼくは自然と滲んだ瞳で彼女のことを睨みつける。
「どうして、御石さんまで殺したんだ……!」
だけれど、ぼくがそう聞いたところで琴鳴 銀花は表情を崩さなかった。動揺もしない。恨みがましい目を向けたまま、ぼくのことを睨んでいる。
ロビーを静寂が包んだ。ぼくとしても彼女の返事を待っていたのだけれど、少しして――。
「ふっ……だから『探偵ごっこ』、目障りだって言ったのよ」
満足したように小馬鹿にしたように、彼女は小さく笑った。言い返す気にも相手にする気にもならない言葉ではあったけれど。彼女がそう言ったところで、横にいた凍が手を下げた。顔の左半分を覆っていた左手を。
そして見開いた眼は蒼い光を放つ。横目でぼくのことを視た凍の視線が突き刺さり、蒼い光が心のうちに満ちてゆく。
◆◆◆
そう。蒼起が推理した通り。彼女と猫魔 夢乃さんは共犯関係にあった。それは間違いない。
だけど事件を解く前にひとつ、確認しておかないといけないことがある。それを忘れたらこの事件を解くことはできないんだよ。
◇◇◇
「あなたは知っていましたよね。夢占い師の正体を」
凍は両眼を開いて向けたまま、彼女に向かって聞いた。
紅と蒼、二色の光が広がって――彼女は明らかに機嫌を悪くしたように表情を歪めた。
「夢占い師の正体は、そこにいる彼女……猫魔 夢乃さんだった。そうでしょう?」
凍は聞く。琴鳴 銀花の横で体を縮こまるように震わせた、メイド服姿の少女を捉えて。
「光り目……魔眼は、女性の目にしか現れない。その力の正体も、わかっていたんでしょう? だから、わたしにそうまでして敵意を向ける。わたしのことも知っていたんじゃないの?」
琴鳴 銀花はこたえない。
だけれど、凍の瞳には彼女の心の動きが映ったのだろう。返事を聞かずとも言葉を続けた。
「あなたは全てわかっている。あなたもまたこの館の住人だった。わたしにはわかった気がするんです、あなたの正体も」
「だったら? 全てわかっていたら、なんだって言うの?」
彼女は苛立ったように感情を剥き出しにしてこたえた。
「猫魔さんは魔眼を開眼させてしまった。夢占い……きれいな言葉にしているけど、それは紛れもなく眼の力に他ならない。不思議、だったんです。不思議としか言えなかったんです。だけど、わたしにはすぐにわかった。どれだけ眠るための工夫がされていようと、人が初めて訪れた場所で、それも人前ですぐに眠ることなんてありえない。薬でも……なにか力でも使わない限り、さ」
凍は断言した。そういえば凍は夢占いを受けたことを話してくれたとき、そんなふうに言っていた。
――『猫魔さんに説明を受けて、軽くブランケットをかけてもらって……そこからの記憶はない。気づいたら眠っていたの。不思議なことに』
不思議でもなんでもなくわかっていたのだ。その理由も。
◆◆◆
うん、わたしにはわかっていた。魔眼の力が使われたことくらい、これでも秘見弥の血を引く人間だから、さ。魔眼はね、力を発揮するとき必ず光るんだよ。その光は、目の見えないわたしにも感知することができる。魔眼を持つ人間は、魔眼の力を感知できるんだ。
◇◇◇
「人を眠らせることができる力だったんですよね。夢を視る代償であるのかもしれないけど」
凍がそう聞いたところで、猫魔さんは怯えたように視線をそらす。琴鳴 銀花も腕を組んだまま、口を噤んだ。
「……」
こたえてくれは、しない。
◆◆◆
ふたりに認める気がないのはわかっていた。
だからわたしは、これから自分の理念に背くような力の使い方を……しなきゃいけないのかもしれない。
光り目なんて呼ばれて、忌み嫌われた力。秘見弥が持つ魔眼の力。蒼起にはちゃんと見せたこともなかったから。
どういうことだ、って?
嬉しいよ。そうやって心配して聞いてくれることが、さ。
◇◇◇
凍はぼくの右手を自然と取った。
ぎゅっと握ってくれる。その際に見た微笑んだ横顔に、目を細めるようにして笑った彼女の横顔に、ぼくは見た気がした。なにか、忘れてしまっている――大事なことを。
そうして、両眼を琴鳴 銀花へと向けて、彼女は言った。
◆◆◆
だけどね、これはわたしの覚悟なんだ。
この館に巣くってしまった闇を祓えるというのなら。
彼女が抱えた想いを振り解けるのなら。
わたしはこの力を使うことにためらいなんてない。
歪んでしまった世界を見通すために、『そこにある真実を見届けるために』、わたしはこの力を使うよ。
◇◇◇
「わたしの眼の前で、嘘はつかせない」
静かに口にした凍に、琴鳴 銀花はハッとしたようにして動いた。
「おまえ! なにをする気!」
怒りに満ちた怒号が静寂を突き破り、動き出した彼女の左手にはサバイバルナイフが握られていた。
――いつの間に。
それは先ほど喜木先が取り出したもの。彼女が遠くに飛ばしたはずのもの。いつの間にか隠し持っていたのだ、彼女は。
「そんなことは、させない!」
冷静さや余裕なんてものはもうそこにない。
凍に対する敵意、憎しみがぼくの目を通しても見えた。
禍々しい意識、『殺してやる』と語る彼女の瞳。
「秘見弥はいつだってそうだ! そうやって捻じ曲げる! だからおまえらのその眼を許さない!」
ぼくはその瞬間に察したのだ、琴鳴 銀花から発せられていた敵意の正体に。
これが凍には視えていたとでも言うのだろうか。
だったら彼女が見ている世界は――悲しすぎる。
そう考えたら、呆然としてしまった。
両眼を見開いた凍に迫る刃。黙っていた正架さんがそれに気づいて、慌てて間に入ろうと飛び出すよりも早く――。
「もう、やめてぇ!」とそう叫んだのは、飛び出した琴鳴 銀花の横で、目をつむった猫魔さんだった。
叫んで右眼を開く。オレンジ色に輝く優しい色をした光が辺りを包んだ。
凍の瞳から発せられた蒼い光に、猫魔さんの瞳から発せられたその光。
ふたつの力が意思を持ったようにぶつかり合って、反発し合い、弾けた。
閃光のように弾けたふたつの光は混ざり合い、白い衝撃となってぼくらを襲った。あまりの眩しさに目を開けていることができなかった。
「うっ」とよろめいた琴鳴 銀花は目を閉じる。
「くぅ」とこぼした凍も、意識を失ったようにして目を閉じた。
「おっと!」と慌てたようにして、倒れかけた凍は正架さんが支えてくれた。
「銀花ちゃん!」と前のめりに倒れかけた琴鳴 銀花のことは、駆け寄った猫魔さんが後ろから支えていた。
そして同時にぼくもまた――ズーンとした重い疼きを頭の奥で感じたのだ。
この痛みをぼくは知っている。たしかなものとして知っていた。
意識がかき混ぜられるような、ごちゃごちゃとした、とても鋭い蒼い光。
記憶が消えそうにもなる衝撃だ。
◇◇◇
――『ごめんね、蒼起。こうするしかなくなって……』
悲しそうにそう言った彼女は、覆い隠していない蒼い瞳から涙を流す。
ぼくはそっと手を伸ばして、彼女の頬に触れて、涙を拭って温もりをたしかめた。
ぼくが忘れていた、いつか見たその光景が遠くに見えた。
蒼い光の中で、約束したのだ。
――『頼む、凍。ぼくも覚悟の上だ』
そのとき彼女にそうこたえたのは、間違いなくぼく自身の声だった。
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