秘見弥 凍の魔眼推理 ――1――

 冷たくも感じた視線の中に揺れた蒼い光。それは聞き慣れた凍の声で、いつも『蒼起』と優しく呼びかけてくれる声色だった。なぜか彼女の声がぼくの胸に溢れた。そうされることが不思議だったはずなのに、だけれど、自然と受け入れていた。彼女の瞳を見つめることを、彼女の瞳に視られることを。

 凍はぼくの心の中で語り出した――。


◆◆◆


 突然、ごめんね。戸惑わせて。けど、こうしないと伝えられないこともあったから。

 先に説明しておくよ。わたしの左眼のこと。こっちを見せるのは、今の蒼起には初めてだから。


 右眼のことは知っているでしょ?

 そう。わたしの右眼の紅い色ルビーレッドの魔眼は、人の心の動きを見せるもの。嘘をついたり、隠し事をしたり動揺したり、調子がよければ考えていることだって視えるんだよ。まあ、ちょっとばかし疲れるけどね。八重霧さんには嘘発見器みたいな扱いをされていそう……。

 あはは、蒼起も同じこと考えたって?


 じゃなかった、話がそれた。今はこっち、左眼のこと。わたしの眼は、人の心に割り込むことができるんだ。今こうしているように、。言ってしまえばテレパシーみたいなものだよ。今こうして話している声は周りには聞こえないし、考えていることもリアルタイムに伝えられる。蒼起が見ていることも、わたしには。それが視点を借りるってことだね。まあ、本質は見えることよりも、こうして語りかけられることだって言えばわかりやすい?


 深く、深く潜るの。思考の海に。蒼起は、思考の巡りって呼んでたっけ。

 そうだよ、こうして今やっているように、その思考に潜り込める。ただ、まあ、こっちは右眼よりももっと疲れるって制約つき。

 じゃあ、早くしろって?


 わかった。本題をとっとと伝えるよ。

 剣野義さんが怯えていた理由もわたしは思いついた。そして、どうしてわたしを誘ったのかも、さ。

 剣野義さんには結局聞く機会がなかったし……事件が起きちゃったし。わたし自身が言うのも気が引ける話ではあるところだけど、さ。きっと、保険だったんだよ。わたしの力を目の当たりにして。秘見弥の名の意味に気づいたんでしょう。言わば交渉材料のひとつでもあったのかもしれない。

 剣野義さんの正体を考えれば……わかるでしょ?


 うん、その通り。詐欺グループのボスは夢占い師、夢目沢で間違いない。剣野義さんもその一員。ついでに喜木先もね。

 でも、だからこそふたつ目の事件は起きたんだ。

 ボスが死んで、残ったふたりの部下がなにを考えたのか――。少しばかしくだらないけど。喜木先はもしかしたら……剣野義さんを疑っていたのかもしれないね。なにせ、消されるはずだったのは剣野義さんのほうだったんだから。


 驚くこともないでしょ?

 彼が怯えていたのは、ボスの呼び出しからは逃げられなかったからだよ。

 どうしてそうなったかにも、少しばかし予想はつくんだ。確証はないけど、さ。

 八重霧さんはどうも、わたしのことをみたい……次に会ったときにひと言くらい言ってやろうかな?


 まあだから、そのためにも蒼起にはひとつ伝えておくよ。

 きっと、正架ちゃんも勘違いしていそうだから。

 契約書なんてものは、この場に存在しないんだよ。


 あの書類の大事なところは、あのマークがあったこと。剣野義さんの目的は、ボスである夢目沢と交渉することだったんだから。


 そして、喜木先は剣野義さんを消すようにボスから頼まれていた。『夢喰』だっけ? そのマークが入った書類を回収することを任されていたんじゃない? きっと剣野義さんは、いつか交渉に使うために証拠を燃やさずに保管しておいたんだよ。

 どうして剣野義さんが消される予定になったのかは、今の段階では推測でしか語れないけど、それで間違いないと思う。


◇◇◇


 満ちていた蒼い光が、まるで潮が引くかのようにして消えた。

 一体、なんだったんだと凍の顔を見上げても、彼女は左眼を再び抑えて優しく微笑んだだけ。


「大丈夫? 蒼起くん……一分くらい固まってたけど」


 正架さんは心配したようにそう言ってくれた。

 一分くらい……? 今の時間が、か?

 それは単純な疑問だった。どうも夢を見ていたような気分ではあったけれど、凍が語ったことは現実だ。ぼくの心の中で彼女は話をしていた。


「大丈夫」と正架さんにこたえて立ち上がる。


「はは……で、なんだっけ? 俺が、剣野義に呼ばれたぁ?」


 そんなぼくと正架さんのやり取りを横から眺めていたのは、頭上で手を拘束されたままうなだれていた喜木先だった。乾いた笑いを上げた彼は、息を吹き返したようにして喋り出した。


「そんな証拠がどこにあるぅ? 契約書だぁ? 俺は知らねぇぞ」


 この期に及んで白を切るつもりかとも思ったけれど、静かに目を向けた先で凍がこくりと頷いた。


「探せばあるでしょう」


 正架さんは言う。だけれど、凍の推理を信じるのならば、そうではないのだ。探しても見つからない。


「……探してみたら、どうだぁ?」


 喜木先は開きなおって顔を上げた。その挑戦的な目つきで気づいたのだろうか。「くぅ」と声を絞ってしまったのは、今度は正架さんのほうだった。


「違う。あんたの目的は、契約書なんかじゃない」


 だから、代わりに言ってやった。

「あぁ?」とその目が今度はぼくに向く。


「喜木先、あんたは剣野義さんを殺すことが目的だった。そうしなければ、。そう思ったはずだ」


 そう言ったところで、喜木先は黙り込んだ。目に見えていたその色も薄くなる。


「あんたらは互いに互いを疑った。密室の中で起った殺人、犯行は凍に擦りつけられていたけれど、夢占い師、夢目沢が死んで困ったのは、あんたらふたりだった。なにせ、死んだ夢占い師が、『夢喰』のボスだったからだ」


 ここまで話が明らかになっていれば、この場にいる誰もがそう思っていただろう。『夢占い師』なんてものは表向きの肩書きに過ぎなかった。夢目沢 志士郎は、詐欺グループ『夢喰』を取りまとめ指令書を送る胴元ボスだった。夢占いの館も表向きを装うためのカモフラージュでしかなかったのだろう。山奥にそびえた大きな屋敷、設備も整っている。これほどいい隠れ家もなかったのかもしれない。


「くふははは……だから? だったらなんだというんだ?」


 喜木先は乾いた笑いを上げて開きなおる。


「喜木先、あんたはボスに頼まれていたんだろう。剣野義さんを消すことを。彼はボスと交渉するために、その書類を持っていたんだ」


 ぼくは正架さんの手にしている指令書なるものを指す。


「そしてそれは決定的だった。『燃やして破棄すること』が約束づけられていたはずの書類だ。ボスの指令の元で動くおまえらにとって、裏切り行為に他ならないだろう。剣野義さんは裏切っていた。違うか?」


 凍が語ったことではあったけれど、それが真実だったらしい。ぼくがそう言い切ったところで、なにが面白いのか、喜木先は肩を揺らして小さく笑っていた。


「……馬鹿な男だよ、本当に」


 そのひと言は半ば自白だった。それを皮切りに彼は言葉を吐き続けた。


「驚いたさ……。俺がそんな指令を受けたところで、その指令を出したボスが死ぬんだ。だから問い詰めたんだ」


 事件が起こってロビーに集められて、喜木先も夢目沢の死を知った。ひと通りの調査が進んで解散が言い渡されて、『自室待機で部屋から出ないこと』という正架さんの指示もあったのに、喜木先は真っ先に剣野義さんの部屋へと向かったのだろう。


「そうしたらあいつは、銃を持っていたんだ。『おまえが殺したんだろう?』、問い詰めるつもりがそう聞かれてよぉ……口論になった。カッとなって、その後のことは覚えてねぇ。気づけば奪った銃で撃っていた。ボスの指令通りにやっちまったってわけさ。だから、探したんだよ。その書類をよう。だけど、そんな時間もなかった。隣の部屋でドアの開いた音が聞こえた」


 それがぼくや正架さんが目にした通りの現場だったのだろう。


「この指令書はベッドのマットの下に隠してありました。剣野義さん、用心深い人だったみたいですね」


 正架さんは全てを語った喜木先を見下ろしてそう言った。彼はそれを聞いて静かに笑い肩を揺らしていた。

 剣野義さんの隠した指令書がなかったら、正架さんは確証を得ることはできなかった。この場に詐欺グループの名前が出ることもなかったかもしれない。警察がそうまでして追っていたのが、『夢喰』だ。夢目沢がその痕跡を残していたとも考えづらい。

 だからこの現状も、殺された彼の裏切り行為が招いたことだ。


 剣野義さんを殺したのは、喜木先だった。だけれど、喜木先や剣野義さんに夢目沢を殺す理由があったとしても、殺せたとは思えない。夢目沢を殺したのは一体――否、そう考えるまでもない。もう誰かなんてことは絞られる。


 ぼくが顔を上げると、そこまでの話をただ黙って聞いていた彼女は、腕を組んだままにやりと笑った。鋭い瞳を煌かせて、琴鳴さんは満足そうに笑っていた。

 凍が犯人じゃないと考えるならば、犯行が可能だったのは彼女しかありえない。だけれど、一体どうやってあの密室を作った……?

 ぼくがひとつの事実に気づきはじめた、そのときだった。


「慌てて探したけど見つからなかった。だから逃げ出したんですね?」


 正架さんが喜木先に訊ねると、彼は観念したように首を縦に振った。


「あぁ……その通りだ。見つからなかった。時間もなかった。だけど、幸いなことに俺の部屋は東側、それも北側に一番近い部屋だ。あんたらがいたロビーを回らずともすぐに部屋に戻ることができたんだよ」


――『ロビーを回らずともすぐ部屋に戻ることができたんだよ』


 その言葉がぼくの思考の巡りに引っかかった。

 喜木先はぼくらの部屋の前を通らずとも北側廊下を回って逃げることができた。内線をかけ終えたぼくが部屋を出るよりも早く逃げられた。南側を回っていたら、ロビーからやってきた正架さんたちに遭遇しているはずだ。だからそれは、その通りで――だからこそ見えたものがあった。


 部屋の位置、廊下の角度。

 回廊館の形、一周する廊下。

 二重の密室に、小火騒ぎ――。


――あっ……!


 ぼくらはあのとき東側の廊下を回った。それは猫魔さんに消火器を取ってきてほしいと頼まれたからだ。そのとき小火騒ぎとなった現場には全員が集合していた。だから、あの密室は解かれていない。そう考えたはずだ。

 だけれど、違うのだ。真犯人が密室を出るチャンスはあのときしかありえない――。


 第二の殺人事件、ぼくは響いた銃声を聞いて気づいた。そして鳴らした内線コールでロビーに知らせた。

 鳴り響いた内線コールの音が小火騒ぎの発端でもあった。この館の内線はどの部屋にも存在する。それはもちろん夢占いの部屋にも、だ。

 小火騒ぎは、密室トリックを解く鍵だった。

 それにあのとき――『にゃーん』と鳴いた猫魔さんのネコが、北側に位置した客室から出てきた。ぼくらを見たときは一目散に逃げた、客人に懐かないはずのネコが客室に紛れていたなんてことは――ありえない。


 夢占いの館を支配していた『夢喰』だけれど、もしその支配が届いているのが館だけではないとしたら――。


 響いた内線コールは偽装フェイク。鍵は開けられて、もう一度、閉められた。それで全てに説明がつく。

 二重密室ダブルロックだなんて、我ながら大げさに言ったものだ。

 夢占い師は二重配役ダブルキャストだった。そう考えたら密室の鍵は解かれる。共犯者という存在がそこにあれば――。

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