真実を見つめたその先で。 ――2――
足桐医院についたところで凍は目を覚ました。体調が万全ともいかないようだったけれど、それでも自分で歩けるくらいには元気になったらしい。八重霧には軽く礼を言って、「また」のひと言を互いに交わして別れ、走り去る覆面パトカーを見送った。
横にいる彼女を支えて、キャリーケースは玄関に置き去りにする。後で笹良にでも頼んでどうにかしてもらおう。
「もう、大丈夫か?」
ひと言聞くと、「うん」と静かに頷いてくれる。だけれど、その声色ひとつからも疲労は見えたままだ。
「部屋戻って休んだほうがいい」
あれだけのことがあった後なのだ。疲れが残っているのも当然といえるけれど。ただ、彼女は不安そうに玄関口で病棟を見上げるようにして呟いた。
「まだ、終わってない。なにか、嫌な予感もする……」
そう言って一歩を踏み出した凍だったけれど、足はふらつき転びそうにもなる。あの超感覚を有している凍が慣れたこの空気でそうなるはずもないのに。
「あ、おい。まだ本調子じゃないんだから」
そう言って支えたところで凍は表情を強張らせたままではあった。
ぼくは無理矢理に彼女を彼女の病室へと連れて行った。ずっとなにかを言いたそうにもごもごとしているが、その言葉は聞くことができず。彼女を部屋のベッドに座らせて、ぼくが背中を向けたところで――。
「蒼起、たしかめなきゃいけないことが、もうひとつ」
凍がなにを言いたいのかはすぐにわかった。だけれど、こんな状態の彼女を連れて行くわけにもいかない。だから。
「ここからは、任せてくれ」
ぼくはせめてもの強がりに背中を向けて、そう言ってから部屋を後にした。
なんとなく予感はあった。これでめでたしめでたし、はい、終わり。なんて簡単な話ではないことは。
◇◇◇
結末を報告する。それが亡くしてしまった彼女に向けての、せめてもの
「やぁ、こんにちは。蒼起くん」
そう言って、彼がいつも座る席に座っていたのは、見知らぬ女性だった。ぼくが一歩部屋に入るなり立ち上がり、机の前に躍り出て、それに腰をかけるようにしてぼくの前に立った。
中性的な風貌をしているというのが第一印象。ショートボブの髪を揺らして、爽やかに笑う女性だった。凹凸のないスレンダーな体型に白色に近いパンツスーツ。鋭い視線を潜ませた笑顔。ハスキーボイスというのだろうか、低く通る声がよく耳に届く。一見して、イケメン俳優だとか紹介されそうな顔立ち。だけれど、ぼくはひと目で彼女が女性だと確信した。その左眼が淡く薄く、白色に煌いていたから。
「……」
言葉を失った。その瞳を見て囚われたからというわけではない。
「おかえりなさい、と声をかけて上げるのが正解だったかな?」
きっちりと決めてネクタイもしめたスーツ姿の彼女は、かわいらしくも首を傾げて笑っている。年齢は二十代から三十くらいだろうか。妙にミスマッチな仕草ではあったけれど、それすらも様になるように決まっていた。
意識を持ちなおして、目の前の彼女に向かい合う。
「……待っていました。きっと、これで終わりじゃないとは思ってたから」
夢占いの館を後にして帰ってきて。事件を解決して決着をつけて。だけど、終わりじゃない。そんな予感は凍も口にした。
「ふふっ、いい目をしている」
彼女は笑う。不敵に鋭い眼光を放って。
「ではまず自己紹介から。あぁ、いいですよ、きみのことはよく知っている。わざわざ名乗られるまでもない」
ぼくの返事を待つことなんてせずに彼女は名乗った。
「わたしは、
そう言われたところで別に驚きもなんともしない。
「……凍は、絶縁されているはずです」
ぼくの記憶がなかろうともそんなことは
「だからこそ、利用価値がある」
閃は悪びれる様子もなくそう言って、爽やかに笑った。
「聞き捨てなりません。利用価値、言い方ってものもあるでしょう」
相手にしている閃がなにものだったとしても、たとえその眼に特殊な力を宿していたとしても、無視することなんてできなかった。
「まあ、言葉なんて捉え方ひとつですから。つまらないことできみと議論をする気もありません。だからそんな怖い顔はしないでね?」
自然と顔は強張った。睨みつけていたのだろう。だけれど、彼女は飄々と笑ったまま話を続けた。
「よくやってくれました。想定以上の結果です」
白い手袋をはめた両手を胸の前で軽く叩き出す。彼女にしてみれば、賞賛するための拍手だったのだろう。ぼくには小馬鹿にされたように聞こえたけれど。
「けれど、対価も払わされたものですね。御石 志摩……優秀な人材を失ってしまった」
それに関しても言い方はあっただろうに。どうも彼女の考えには寄り添えない。
「なにをしに、きたんですか」
凍が玄関前で不安そうにしていた理由もわかった。その超感覚から強く感じたのだろう、今ぼくが目の前にしている秘見弥の存在を。ぼくが見るだけでも明らかに存在感がある彼女の存在を。
「答え合わせ。きみが知りたいことを教えて上げなければ、と思いまして、ね」
閃はやはり爽やかな調子で笑った。
「見事です。あの館に巣くっていた闇を、わたしが思っていた以上の過程を通して、結果を導いて、祓ってくれた」
誰かの差し金である気はした。八重霧と話していても疑問が途切れることはなかった。
「わかっていたんですか。あなたには」
魔眼を継ぐ一族。秘見弥の彼女には、全てお見通しだということだろうか。
「種を蒔いたんです。いつ咲くかわからない花の種を」
全然質問のこたえになっていない。突然なんの話をされたのだろうか。
「わたしらが直接出向くわけにもいかない。だから、いつか咲けばいいと思っていた」
立ち振る舞いだけでなく、話す言葉にも掴みどころがない印象を覚えた。
「剣野義 鶏冠、彼に近づくためでしかなかったんですがねぇ。亡くなってしまったんでしたっけ? 彼は……。まあ、芽吹いた花は勝手に咲いてくれたようですがね」
そんな彼女が話す言葉の中にある具体性が、その意味を語るようだ。やはり知っていたんだ、なにもかも。
「あなたの差し金だったんですか、今回のことは」
「言ったでしょう? 種を蒔いた、と」
言葉なんて捉え方ひとつと言ったのは閃だったはずなのに、そこにどのような意味の違いがあるというのだろう。閃が事の発端であるという話に違いはない。
「『夢喰』、経済界に巣くう闇が、秘見弥にとっても邪魔だった。それだけの話ですよ」
そうかと思えば具体的に語りもする。本当に捉えられない。
「だから目をつけたってことですか。剣野義さんに」
「えぇ、正確には彼の部下に、ですけど」
自殺したという女性が残した遺書。その文言は、『契約に則る。秘見弥には逆らえない』――だったか。
「あなたが殺したんですか?」
「とんでもない、わたしにそんな力はありません」
嘘をつけって感じのセリフだった。
「わたしの『契約』の眼を通しても、そこまでのことはできません。どちらかといえばこの場合、彼の『支配』のほうが強かったんでしょうねぇ。わたしは彼女と簡単な『契約』を交わしただけです。わたしの眼が語る『契約』は絶対遵守。死んでも破られることはありません。だから死んでしまったのでしょうけど……」
閃きは「はぁ」と大袈裟に、わかりやすく落ち込んで見せてくる。
「わたしは援助を申し出ただけです。その代わりに、組織の情報をいただくだけでした」
「それが、亡くなった女性とした約束だった、と?」
「いえ、違います。『契約』です。だけど、それが守られることはなかった。組織を裏切れない事情もあったのでしょう。だからわたしとの『契約』を守るために、彼女は死を選んでしまった。口を噤むために」
魔眼が導いた結果――か。
「まあ、結果からいえばそれがきっかけとなって、わたしの計画は大いに進んだのですけど。だから残された彼女の家族には、精いっぱいの力添えをさせていただこうかと思っています。それが『契約』ですから」
彼女がなにを言いたいのかが全然見えてこない。そんなことをわざわざ知らせるためにきたわけではないだろう。
「なにが、言いたいんですか」
「いつ動くかもわからない均衡が保たれた盤上を動かすには、大きな一手を打てばいい。だからその一手にわたしが選んだのは、秘見弥の名を持ちながら、その家から追放された凍様だった、というだけです」
やはり彼女は悪びれる様子なく、爽やかに言ってみせてくる。
「全てあなたの手の上だった……ってことですか」
「……まあ、そうです。いつかその花が凍様の眼に触れるだろうと、種を蒔いたってことですよ」
「警察にも手を回していたんですか。うまく話が進みすぎている、と最初から違和感があったんです。あの場に正架さんが居合わせたのも……」
「まあ、そこは臨機応変に、ですね。一般の方を巻き込まないように、とあらかじめ手を回して、予約されていた方にはキャンセルしていただいただけ。だからそこは、八重霧さんでしたっけ? 彼の手腕を評価してあげてください」
事件が起きるのもわかっていたってことか。
「まさか殺人事件が、とは思っていませんでしたけど。凍様という一石を投じれば、大きな波が起こるのはわかっていましたよ。盤上が壊れるほどの、ね。それにきみの働きはそれ以上でしたし」
理解ができない。気色が悪い。素直な気持ちは表情にも出たらしい。
そう言って笑顔でぽんっと手を叩く彼女は、ぼくのそんな顔を一瞥して、つまらなさそうに息を吐いてから一歩近づいてきた。
「等価交換はわたしの『契約』の原則です。いい働きには対価がいるでしょう。だから、あなたのわからないことはわたしが教えて差し上げようかと」
一体これ以上、どう引っ掻き回そうというのだろうか。
「『雨雲神社』。調べてみてください。それであなたの知りたかったことは、知ることができるはずです」
聞き覚えはないはずなのに、妙に思考の巡りに引っかかる名前だった。
閃はぼくが呆然と思考を止めた間にも、横を通り過ぎて部屋を出て行こうとする。
「それでは――」
そんな簡単な挨拶をして去ろうとした。
「ま、待ってください」
だから慌てて振り返って、語る目を持ち合わせていないぼくの言葉は口を衝いた。
「一体、秘見弥ってなんなんですか。あなたたちは、凍に――」
「この世を見据えるもの。真理の先を見つめるためには、この眼が大事なんです」
足を止めて振り返った彼女は、自身の左眼を指しながら爽やかな風を吹かせる。
「だから光り目を守るためにも、わたしらは動いている」
「……そこにある真実や事実を歪めても、ですか」
閃は『事実を歪めた』。閃が近づいたから運命が狂った人間もいる。
魔眼は――強すぎる力は、盤上を歪めてしまう。
「どう捉えるかは、あなたに任せます」
だけれど、そう笑われることが許せなくて――。横に立つ凍は、いつだって真っすぐと向き合っていた。そんな彼女の決意まで歪んでいくように見えてしまって――。
「なにか言いたそうですね」
ぼくの目を見た閃はそう言って、最後に不敵に笑って見せた。
「ぼくが歪ませない。彼女の想いは、絶対に」
だから、ぼくは横に在り続けるものとして――そう決意した。
「……そうですか。やはりいい目をしている。惜しいくらいに」
そう言った秘見弥 閃は鋭い眼光を残し、笑いもせずに去って行った。
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