夢の館を支配したもの ――2――
零時半。カチッカチッと時を刻む置時計の針の音に、空調が回る音と外の雨風の音が混じってロビーに響いた。
一度解散となったのに再び集められたせいもあるだろう。それぞれは眠気を我慢したようにしていて、余計にピリピリとした空気に包まれる。
正架さんと凍はマスターキーを預かって、再び現場を見るために剣野義さんの部屋へと戻った。見張りのために目を凝らしてくれている猫魔さんの目は赤く、先ほどよりもさらに疲れたような顔をしている。喜木先は苛立ちを隠さず、ソファーに腰かけて組んだ足を震わせる。琴鳴さんにしたって同じだった。立て続けに起きた事件を目の当たりにして我慢も限界だったのだろう。
「人殺しと一緒になんかいられるか!」
ロビーに響き渡るような大声を上げたのは喜木先だった。
「あんたもそのひとりでしょうが」
言い返す琴鳴さんに、掴みかかる勢いで喜木先は立ち上がった。
「あぁ?」
「容疑者だって言ってんの」
負けずと言った彼女は、足を組み替えて睨み返す。
そう彼女が言った通りだ。第二の殺人を行えたのは、ぼくら三人しかありえない。ぼくは当然やっていない。だとしたら、このふたりのどちらかが剣野義さんを殺したことになる。
「ちっ、どうしてこうなってんだか」
なにも言い返せなかったのか、座りなおした喜木先はタブレットを取り出した。こんなときになにを見たり書いたりしているのか、その神経も信じられなかったけれど。
居心地は最悪だったが、幸いなことにそれで静かになってくれた。ぼくは思考を巡らせる。
剣野義さんが殺された理由。彼がどうして凍を誘ったのか。そう思い返していると最初から不自然だった。
剣野義さんと昨日最初に出会ったのはこのロビー、彼が夢占いの館に到着したときだ。猫魔さんに案内されているとき、彼は怯えるようにしていた。たびたび凍に向けていた、震える視線――。口にはできない様子だった。それは夕方も変わらなくて、彼はずっとなにかに怯えていたのだ。
そんな彼がひとりになった途端に死んだ。それも、自室の鍵のかかった部屋の中で。客室は全室オートロックだと聞いている。鍵も渡されたひとつのみ。マスターキーを持っている猫魔さんは正架さんと一緒にロビーにいた。侵入することも不可能だろう。ならば、剣野義さんは自分から誰かを招き入れたことになる。
一体なぜだ? 怯えていた彼が……。否、違う。彼が怯えていたのは夢占い師がそばにいるときだった。細かな視線の動きだけれど、ぼくはよく覚えている。
だけれど、なにか大事なことを忘れているような錯覚が残る。なんだ、この違和感は。ぼくは記憶を失くしてから目にしたものを全て覚えようとする悪癖がある。だから、なにか見てきたことに違和感が残っているような気がしたのだ。一体ぼくはなにを忘れている? いやそれは、別に過去のことを思い出そうとしたわけでもなかったのだけれど……。
と、顔を上げたところで、ちょうど戻ってきた正架さんと目が合った。
「見つかったよ、わたしが探していたもの」
そう言って手にしていたのは一枚の紙だった。書類と呼ぶべきか。なにやら文字が書かれてはいるけれど、この距離では読めるような大きさでもない。
手にした書類をひらひらと振る正架さんに、その場にいた全員の視線が集まる。喜木先も琴鳴さんも猫魔さんも目が外せなかったらしい。
「詐欺グループ『
そうしてそれぞれの顔を見比べるようにした正架さんに、ぼくは彼女の言っていたことを思い返す。
――『この夢占いの館には、もう一件疑いがあってね。捜査の手が入るチャンスにしては好都合だったみたい』
そう言っていたのは昼どきのことだった。正架さんが探していたもの、証拠ということか。
「この書類は剣野義さんの私物の中から見つかったものです。どうやら、短時間で全部は持ち出せなかったようですね」
たしかにあの部屋の中、散らばった私物の中には書類の束も見えていた。
「ここに、マークがあるでしょう」
そう言って正架さんが広げて見せた紙面には、鼻の長い象のような動物をした生き物の判子が押されている。いや、象じゃない。そこまで大きいもののようには見えない。『夢喰』という言葉から連想するに――
正架さんは詐欺グループだと言った。なぜそんなものが――否、考えるまでもない。だから目をつけていたのだ、八重霧は。
「このマークが証拠。『夢喰』のボスが使うマークなんです」
警察が追っていたのはそれだ。捜査のチャンスをうかがっていたのは、その詐欺グループ『夢喰』に関してか。
資産家ばかりを狙った詐欺が横行していて、その手口も巧妙で組織の口は固く、何重にも他を介された指令書が回っていたらしい。その胴元のひとつとして、ここ、夢占いの館にも疑いがかかっていたのだと正架さんは説明する。
そんな指令書のひとつが剣野義さんの私物の中から見つかった。自ずと彼の正体もわかるものだ。そして、考えれば考えるほどに、点と点とが線で繋がっていくようにして――思考が巡る。
「それだけじゃないんです」
ただ正架さんは、話はそこで終わりではないと続けるのだった。
「これがいつ、彼に渡されたものかはわかりません。だけど、この指令書は読んだところ、最後に『燃やして破棄すること』と書かれている。それにどうも、契約書なるものが付随しているはずだった」
部屋があれほどに荒れていた理由にも、剣野義さんが殺された理由にも想像がつく。なにが起こったかは想像でしかないけれど、『夢喰』を巡って書類の取り合いが発生した。犯人は慌てて持ち去ろうとしたのだけれど、それには抜けがあった。剣野義さんを殺してまでも持ち出したものがある。
「持ちものを調べればすぐにわかりますよ」
ただ冷静に考えれば、この場で殺すことにあるリスクも想像できる。既に起こった事件、警察の到着を待っている現場。だから殺してしまったのは衝動的で、きっと犯人も殺そうとまでは思っていなかったはずだ。そうしてしまえば、この雨で孤立した館では逃げ場はないのだから。凶器も現場に投げ捨てられていた。犯行を隠す時間も、現場を調べ尽す余裕もなかったってことだろう。
それに、凶器は剣野義さんの持ち物であったはず。そう考えると現場でなにがあったのかも考えられる。先にピストルを取り出したのは剣野義さんだったのかもしれない。怯えていたはずの彼が犯人を部屋に招き入れた理由にも説明がつく。
「誰がその契約書を持ち出したのか。捨てるなんてことはできないでしょう?」
それを持ち去ることが目的だったのだから。正架さんはそう言いたいらしい。全貌が見えているようで、彼女は口角を吊り上げてそう言った。三人の顔をうかがって。
そう考えれば、剣野義さんが怯えていた理由もわかったような気がしたのだ。亡くなったウェイトレスの女性と訪れるはずだった夢占いの館。彼が詐欺グループ『夢喰』の一員で、夢占いの目的も、そこにあったのだとしたら――見えてくるものがある。見ていた世界はがらりと変わる。
夢占いの館を包んだ緊張感。歪んでしまっているような空気。
夢占い師の正体に――女性にしか開眼しないはずの魔眼。
ごぉーっと一際強く吹いた雨風が館を揺さぶった。暖房の効いたロビーは特段寒かったわけではないけれど、ぞわぞわとした寒気が背筋を伝う。
勝ち誇ったような表情をした正架さんに、一際強い憎悪を向けたのは、傍らにタブレットを置いた男だった。その右手には黒い革の手袋がはめられている。そこにあった悪意にもっと早く気づくべきだった。
「ちっ」
怒りに満ちたような目を眼鏡の奥でぎらつかせた男は、立ち上がると懐よりナイフを取り出した。刃が収まっていた鞘を投げ捨てて、銀色をした剥き身のそれがぎらりと輝く。
刃渡りのあるサバイバルナイフだ。殺傷能力には申し分ないだろう。冷静なままにぼくは観察してしまったのだけれど、「ひっ」と引きつった声を上げた猫魔さんの腰が抜けるのを見て、喜木先は動き出した――。
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