夢の館を支配したもの ――1――

 いつも病室ではひとりでいることに慣れているわけだけれど、こうも広い部屋に、それも急にひとりにされたとあれば落ち着かない。椅子に座っても、ベッドに寝転がっても、ソファーに寄りかかっても、どこか気持ちは浮足立ち、気づけば立ち上がって部屋の中を歩き回っている。ただ流れるだけの時間を眺めることにも慣れていたはずなのに、時の流れが遅く感じるほどだ。

 明るいと落ち着かなくなり、部屋の灯りを少し暗く調整する。眠くもないのに一階にあるベッドに寝転がって、ぼくはただ明日が来るのを待っていた。

 早く時間が過ぎてくれ。早く雨が上がってくれ。警察が到着して真実が判明してくれ。

 ぼくは名探偵なんかじゃない。彼女を護ると言ったってできることは限られる。だからそう願っていたのだけれど、それらは結局、他力本願。秘見弥の名を継ぐ彼女の横に、魔眼を持つ少女のそばにいる以上、そうしていられるとも思ってはいなかった。『探偵ごっこ』と揶揄したのは、敵意を剥き出しにした彼女の言葉ではあったけれど、ぼくは言い返してしまったのだから。


 ぼくらが夢占いの館に到着した日の翌日、時刻は零時を回って二十分の頃だった。部屋に突如響いたのは「バンッ」という発砲音。


「ん?」と思わず声にして体を起こす。発砲音――? そんなものを聞いたことはなかったのだけれど、なぜだか妙な胸騒ぎがして、すぐに発砲音だとわかった。


 慌てて立ち上がり、部屋のドアへと近づく。部屋の中に響いたように聞こえたけれど、どうもぼくらのこの部屋で鳴った音でもない。やや緊張を覚えてドアノブを握って廊下を覗く。

 電灯が落とされ足元の間接照明の灯りのみ広がる暗い廊下は、幽霊が出そうなほどにも不気味だった。別にそんなものの存在を信じてはいないけれど、シーンと静まり返っている。左を見ても右を見ても人の姿はない。自分の高鳴る鼓動が聞こえるほどで、そんな不気味さもあったから正架さんに言われた通りに部屋からは出なかった。


 静かにドアを閉めて戻ったところで、ただ鼓動は早まる。妙な胸騒ぎは治まる気配を見せない。

 気づいてしまえば放っておくという選択肢はない。内線電話に手を伸ばし、近くに貼られていたロビーの番号を押して受話器を耳に当てる。数回のコール音の後に、『はい、どうしました?』と電話に出てくれたのは正架さんだった。


「あ、えっと。こちら足桐 蒼起……」


 などと、昨日と合わせて二度目になる問答をしてしまったのだけれど。


『蒼起くん、どうしたの?』


 正架さんはやんわりとした声のままにこたえてくれた。


「物音がして、その……発砲音みたいな」


――この館にいて緊張感は抜けなかった。


『え? 発砲音……?』


――思えば最初に足を踏み入れたときからどこか変わらぬ、張り詰めたような空気は感じていたのだ。


「うん、多分」


――だからきっと、それはぼくの心を突き動かした高鳴る胸の音のようで。


『ちょっと待ってて、すぐ行くから』


――立ち止まるなという誰かからの合図でもあったのかもしれない。


「わかった。きっと隣の部屋だ」


――神様なんてものがいるのなら、きっとぼくに『探偵ごっこ』をさせたかったのだろう。


『ツー、ツー』


 ガチャリと切られた内線電話にほっと胸を撫でおろす暇もなく、受話器を置いて部屋を出た。

 好奇心はネコをも殺す、なんて言うけれど、ぼくは好奇心で動いているネコでもない。胸のうちにあるのはたしかな覚悟。そして決めたからには、向き合わなければならなかったはずだった。

 もっと早くに話す機会もあっただろう。だけれど、気づけば忘れて後回しにしてしまった。ぼくと凍のことを招いた男の話を聞くべきだった。


 部屋を出て左隣のドアの前、そこは剣野義さんの部屋のはずだ。静かに閉まったままのそれを見つめた。正架さんは廊下を南回りに、凍の手を引いて駆けてきた。その後ろでは不安そうな顔をした猫魔さんも控えている。

 ぼくは正架さんと顔を合わせて頷き合った。頼むように合図を送った正架さんにつられて、頷いた猫魔さんはポケットより取り出したマスターキーで剣野義さんの部屋のドアを開けた。


 説明に受けた通り、客室はどれも同じ間取りをしていたらしい。ぼくらの部屋と同じ形の部屋で、だけれどその様相は全くの別物のように変わり果てていた。

 部屋へ入るなり猫魔さんは「ひっ」と口元を押さえて目を見開いた。正架さんも顔をしかめて、己の失敗を嘆いたようだった。


 ベッドのシーツは乱雑に剥がされて、乱暴に蹴っ飛ばされたように倒れた椅子。テーブルの上では割れた花瓶に水が滴り絨毯に染みを作る。部屋中のドアは開け放たれて、棚の引き出しにしたって開けたまま。剣野義さんのものだろう。ボストンバッグは裏返すようにひっくり返されており、着替えや私物が散乱している。

 ひと言にすれば、空き巣にでも入られたような荒れようだ。そして、そんな部屋の中でなによりも目についたのは、胸から血を流して窓に寄りかかっていた剣野義さんだった。

 見開いた目は、死の間際で止まってしまった時間を眺めていたのだろうか。押し詰まるようにして、なにかを叫ぼうとするような形相にも見えて、迫った危機があったことを想像させる。だから、死んでしまったのだろう。

 そこにあったのは、紛れもない剣野義 鶏冠の死体だった。


 疲労も限界を迎えていたのだろう。ふらついた猫魔さんを横にいた正架さんが支え、落ち着かせるように宥めた。ぼくが近くにある椅子を手繰り寄せて猫魔さんを座らせると、改めてぼくと正架さんと凍は死体へと向きなおった。


 剣野義 鶏冠。レストランオーナーシェフ。数日前、八重霧に呼ばれた例の一件をきっかけに知り合った男……。


 正架さんは近づいてその顔に手をかざすと、見開いていた目を伏せさせた。脈を取るまでもなく、亡くなっている。辺りに広がる血だまりを踏まないようにと気をつけて、正架さんと凍は一歩下がった。

 胸に空いた穴。着ていたジャケットを貫き、窓ガラスにヒビを残して突き刺さっていた弾丸。そして、そばに落ちているのは投げ捨てられたようなピストルだ。死因は明らかで、現場の状況を見るに自殺とも考えられない。自殺とも――そう考えると数日前のあのことが思い出されるけれど。


 銃声を鳴らしてしまったから、細工する暇などそんなになかったのだろう。現場は荒らされたまま、犯人が逃げた証拠だ。

 ぼくが銃声を聞いて内線を鳴らすまでほんの数分。一度廊下を確認したとき、人の姿はなかった。内線で正架さんを呼んでいる間に犯人は逃げたのだろうか。それにこの雨だ。陸の孤島となった夢占いの館から出たとは考えられない。やはり内部犯。それも、正架さんと凍と猫魔さんは一緒にいたのだから、ぼくか琴鳴さんか喜木先に限られる。


「……一体、どうして」


 ボソッと呟くぼくの声に、皆表情を沈めて現場を眺めていた。正架さんはスマートフォンで現場写真を撮ると、近くに落ちていたピストルを、ハンカチで挟んで拾い上げる。凶器として使われたものに違いない。だけれど、それは夢占いの部屋で見たものとはまた違う形をしたものだ。


「これは……」


 呟く正架さんは近くに落ちていた、ピストルがしまわれていたと思われるホルダーと、小さな鞄に目をつけたようだ。


「剣野義さんが持ち込んだものだったみたいだね……」


 散らばっている私物のうちのひとつということだろうか。どうしてそんなものを持っていたのか。


「こうしちゃいられないや。これはわたしの失態だなぁ……」


 肩を落とす正架さんの考えていることもわかった。ロビーに集まったまま全員が全員を監視し合っていれば、第二の殺人なんてものは起きなかったかもしれない。だけれど、それは結果論でしかない。

 どうして剣野義さんは殺されたのだろうか――。

 理由がないはずはない。だからそれもぼくが考えなければいけないことだった。結局、彼には話を聞く機会が訪れなかった。どうして、凍を誘ったのだろうか――と。そこにもなにか理由はあったはずなのに。


「猫魔さん、皆さんを……ってもう後は琴鳴さんと喜木先さんだけですけど……もう一度、ロビーに集めてもらえますか。寝ていても起こしてください」


 表情を曇らせたまま緊迫感含んだ調子で言った正架さんに、猫魔さんも頷いて部屋を出て行く。ぼくも部屋を後にしてロビーへと向かった。

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