二重密室の殺人事件 ――4――
だいぶ長時間話し込んでしまった。笹良への状況説明も含めて時間がかかったのは仕方がないと言える。電話を切って振り返ると、剣野義さんの姿がロビーの向こう側に見えた。正架さんと手錠で繋がった凍と向き合って話をしているようだ。まあ、事情聴取のターンがどういうふうに進んでいるのかはわからないけれど、そうやって正架さんは話を聞いているらしい。
ぼくは近くのソファーに座っていた猫魔さんへと近づいて頭を下げた。
「猫魔さん、ありがとうございました」
「いえいえ、しっかりお話できましたか?」
立ち上がって顔を上げる猫魔さんは、やはり疲れたような笑顔を浮かべていた。
「はい、おかげさまで」
背中は押してもらえた。その先は谷だったのかもしれないけれど、そういった気分だ。
ぼくも顔を上げて笑って見せた。だけれどそうしたところで、柱に腕を組んで寄りかかっていた琴鳴さんの視線が突き刺さった。彼女の力強い目つきは、やはり口ほどにものを語っている。魔眼なんてものではないだろうけれど、視線に気づいたことも悟られた。彼女は目をそらすことなく形のいい口元を不満げに曲げている。
誘われているようだった。その誘いには乗るしかない。
数歩の距離ではあったけれど、歩いて近寄ったぼくのことをキリッと睨みつけるなり、彼女は口を開いた。
「言いたかったんだよね。ひと言さ」
柱に背を預けて腕を組んだまま、威圧感ある空気を纏って彼女は続ける。
「目障り。あなたの存在がほんっとうに。一体、なんなの?」
あんまりな言われようだった。視線に含まれた威圧感は、たしかな敵意だ。
「どう考えても、あの子が犯人でしょう?」
「ぼくはそう思ってない」
正直なところ、こうして怒ったように敵意を向けてくる彼女を前にしていると怖かった。だけれど怯んでいるわけにもいかない。ぼくは心に決めたのだから。
「へぇー、探偵ごっこってわけ。仲良し小好し、お友達の無実を信じたいって」
「別に、友達ってわけじゃ……」
夢占いの館へは足桐の名で予約しているのだ。そんなことはわかっているものと思ったのだけれど。
「ふーん。まあ、特殊よね。あの子、目が見えないみたいだし」
「そんな子が、人をナイフで刺せると思いますか?」
「ナイフなんて近距離で使えるものでしょ。刺せるんじゃない? 現に刺したんでしょ?」
もしもの話だけれど、凍ならば不可能ではないだろう。少し言い返したところで反論ができなくなってしまった。
「ほら、言い返せない。黙って見ていればいいのよ。それがお似合い」
突き刺さる視線が痛い。明らかな敵意。明確な憎しみ。それに似たものを感じた覚えがあるような気がした。記憶のないぼくにある覚え――。
「傍観者でいるのは楽よね。わたしらは所詮見ているだけしかできない。口出すなんて無用なのよ」
ただ見ているだけの日常は楽だった。目の前にした琴鳴さんの言葉は、どこかぼくの思考に引っかかり続ける。なんでそのように言われなければならないのだろう。それは単純な疑問で、そう思った瞬間に見えたことがあった。
覚えがあるこの感覚は、彼女の敵意と憎しみの中にある感情は、ごくごく身近にあるものから強く感じたことがある。嫉妬に似たものだ。『妬ましくなっちゃうから』というのは隣人の隣人である彼女の口癖だけれど、だからこそぼくにはわかる。
琴鳴さんの瞳は別に翡翠色に光ってなんかいない。だから睨み返してこたえてやった。
「ぼくは決めたんだ。彼女を護るって」
「護る? ふふっ、青くさくって耐えられない」
顔の前で手を振っておどけたように笑って見せる彼女に、だけれどぼくは視線をそらさない。そんなふうにする彼女だけれど、交錯する視線の中に敵意はやはり残ったままだ。
「じゃあ、証明してみたら? その大切な彼女の無実ってやつをさ」
「あぁ、そのつもりだ。ぼくは、信じてるから」
「できるものならやってみなよ。信じてる? 笑わせる。なんでもない、きみなんかが」
彼女は笑いもせずにそう言った。
『なんでもない』、それは否定できない。ぼくが凍にとってなにで在ったのか。そんなことはわからないし、どうだっていい。それでもこの気持ちだけは見失いたくなかった。ただ黙って、凍が悲しむ顔を見ていられない。罪を被るところなんて見ていられない。ぼくらはもう失くしてしまったのだ。記憶も、見えていたはずの世界も。そんなぼくらに付き添ってくれた大切な人も。
「……どうせ無駄だと思うけど」
最後にそう言った彼女は「ふんっ」と視線をそらすと、柱から離れてソファーに腰かけた。視線ももう合わせてくれない。これ以上話もする気がないらしい。
まあいいさ、やることはどうせ変わらない。現状がなにか変わったわけでもない。そんなふうに考えているところで肩を叩かれた。
「次、きみの番だって」
振り返ったところでそう言ったのは疲れた顔をする剣野義さんだった。「ふぅ」と息を吐いて、ぼくの目の前で笑っていた。
ちょっとした違和感が思考の巡りに引っかかる。剣野義さんは昼間会ったときは怯えていた――。そういえば彼にも話を聞いてはおきたかったのだけれど――。
「あ、はい。あっちに行けばいいんですよね」
「あぁ、そうみたいだ」
聞く暇はなかった。静かに頷いた剣野義さんは落ち着いたようにして息を吐くと離れて行く。その後ろ姿を少し眺めて、ぼくは言われた通り正架さんと凍のほうへと近づいた。
◇◇◇
「ちょっと待ってて」
正架さんにそう言われたぼくはひとり、ロビーの西側にあるソファーに腰かけて待たされていた。どうやらぼくが長電話をしている間にも全員に話を聞き終えたらしい。そうして、もう一度確認のためにも現場を見て来るとのことだった。凍とは手錠で繋がったままなので今の彼女らは一心同体。現場へもふたりで向かった。
ロビーの反対側ではずっと待たされている退屈そうな他の四人の姿がある。猫魔さんはどうにも疲れが見えて心配にもなるところだ。
時刻も既に二十三時半を回った。真夜中も真夜中、もうすぐ明日が来る。こんな気持ちで明日を迎えることになるなんて、昼間は思いもしなかったけれど。
少しして、正架さんと手錠で繋がった凍はぼくの元へと戻ってきた。
「おまたせ」
そう手を上げた正架さんが、凍をソファーに座らせてその横に座る。ぼくとは向かい合う形になった。
「さて、最終的な確認もしようか」
そう言って話を切り出したのは正架さんだった。ぼくへの事情聴取ということだけれど、聞いた話も含めて事件の整理をしてくれるらしい。
「とりあえず、三人に話を聞いてみたところ。夢占いの時間は自室にいたというのが、三人の共通する意見だ」
まあ、常識的に考えればそうこたえるだろう。嘘であろうとも。
ぼくは顔を上げて、右斜め前に座った凍のほうへと向けた。
「……視たのか?」
正架さんの事情聴取は凍の横で行われた。それは手錠で繋がっている以上、必然のものとなった。ひょっとして、そこまで考えて正架さんは皆を納得するために手錠を見せつけたのだろうか。
「うん、悟られないようにだから……しっかりは視られてないけど」
凍は頷いた。薄っすらと開ける右眼からは、ほんのり紅い光が漏れ出ている。彼女の魔眼の力はコントロールが利くものではない。開けたら力を発揮する。だからいつも蓋をしているのだけれど。そこまでわかっていて正架さんは凍を横に置いたらしい。見た目以上に頭が切れるようだ。
「それで、わたしに話してくれたことを蒼起くんにも言ってあげて」
正架さんがそう言ったところで、凍は顔色をうかがうようにして「うん……」と頷いた。
「曇ってる。どれが嘘だかわからない」
困ったようにした凍に、正架さんも「はぁ」と息を吐く。
「……どういうことだ?」
単純な疑問として。
「どうも皆、嘘ばかりつくらしい」
そうこたえたのは正架さんだった。『しっかりは視られてない』と凍が前置きをした意味はそこか。
「相手がちゃんと眼を見てくれれば、まだわかったかもしれないけど……」
凍は疲れたように言葉をこぼす。
そうだ、忘れてはならない。彼女らが力を使うにはリスクがつきものだ。周りの目という意味もあるけれど、体力的な意味でも、どうもその眼で視るだけで疲れるらしいのだ。それに魔眼の力を使っても視えないことはある。凍が口にした通り、その力を百パーセント発揮するには相手が眼を見てくれる必要性があるらしい。
だけれど、正架さんは言った。嘘ばかりつくのは『皆』だと。
「一体どういう……」
思考は巡る。剣野義さんにも、喜木先にも、琴鳴さんにも、嘘をつかなければならない理由があるということだ。
「わたしもお手上げ。三人の証言から新しくわかったことはないよ。皆自室にいて、小火騒ぎは廊下から聞こえた火災報知器の騒がしい音を聞いて出てきたってだけ。だから改めて事件現場を確認してきたんだけどね」
凍と繋がっている左手ではなく、右手だけを上げて正架さんは言う。
「改めて確認してきたって?」
「ん? あぁ、整理も兼ねてね。詳しいことは警察が到着しないとわからないだろうけれど」
なにか気になることがあったということだろうか。
「なんでもいい、教えてほしい」
なりふり構ってはいられなかった。身を乗り出す勢いでそう聞くと、正架さんは困ったように笑う。
「教えるよ、だから落ち着いて」
そうして、正架さんは改めて確認したということを整理しながら話してくれた――。
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