二重密室の殺人事件 ――2――

 ロビーにある時計がごーんごーんと鐘を鳴らした。もう何度目かになるその音にも次第に慣れてきたところだ。相変わらず館を打ち続ける雨脚は止むところを知らず。時刻は時計が知らせた通りの二十三時、夜も更けてきた。

 それから数分して、剣野義さん、琴鳴さん、喜木先を連れて猫魔さんがロビーへと戻ってきた。眠そうに目を擦るもの、欠伸を我慢するもの、皆着替えたのだろうか。昼間と同じ服装をしていた。


「頼まれた通り、連れてきました」


 離れたところで三人を待たせると、寄ってきた猫魔さんは正架さんに向かってそう言った。


「ありがとうございます。なんと言ってきましたか?」

「えぇっと、事件があったので、と」


 まだ詳しい内容までは話していないということだろう。


「まず簡単に、猫魔さんに話を聞いておきたいんですけど」と前置きをした正架さんに、猫魔さんは不安そうな表情をしながらも「はい」と力強く返事をした。


「夢占いの館に、他に出口はありますか? パッと見た感じ地下や二階もない平屋造りの箱のようでしたけど」


 あの短時間でそう言ったところまで確認していたのだろう。さすがは現場に慣れているプロだ。


「いえ、ありません。ロビーに繋がるあの通路ひとつ、部屋についているドアはひとつです」


 凍の魔眼の力を頼るまでもなく、猫魔さんに嘘をついている気配はない。


「そうですか。先ほどもう一件頼んでおいた、部屋の監視カメラはどうなってましたか?」


 そういえば、あの部屋には監視カメラが設置されていた。ぼくも確認したし、説明を受けた際にはそれで安全も保証していると語っていたはずだ。


「それが……電源が落ちていたようで、今日の昼以降のデータがなかったのです……」


 申し訳なさそうに俯いた猫魔さんに、正架さんは「そうですか……」と頷いた。きっと犯人も監視カメラのことは知っていたはずだ。そこに簡単に証拠を残すはずがないか。


「こういったことが起きるなど思っていなくて……わたしの確認不足ですね」


 猫魔さんは縮こまるように肩を震わせて頭を下げる。ただ正架さんは「いえいえ」と冷静な様子で返事をすると、続けて質問を重ねた。


「夢占いの際、部屋の鍵は閉めるのですか?」

「はい、あの部屋はマスターキーでしか鍵がかからないので、常にわたしが持ち運んでいるものです」


 猫魔さんはそう言って、エプロンのポケットより鍵が複数ついたキーホルダーを取り出した。正架さんはそれを受け取って、確認のためだろう、鍵を見つめていた。


「これはずっと、猫魔さんが持っていましたよね」

「はい。持っていました。今晩も、おふたりを……お部屋へお連れして鍵をかけて部屋を出ました」


 凍は鍵を開けて出てきたのだし、部屋を出た猫魔さんが鍵をかけたというのだから、やはり鍵はかかっていたということになる。密室は密室のままだ。


 だけれど、鍵を持っていたのが猫魔さんだったならば、犯行が可能だったのでは――という可能性はある。小火騒ぎの一瞬、ぼくらはこのロビーから離れている。もし、あの短時間に犯行があったのなら、とも思ったが……。ただ、そんな時間はなかったというのが正直なところだろう。時間にして五分もない。その間に現場をあのように荒らして、ふたりを殺し部屋を出て鍵をかけて、消火器を持って合流などできただろうか。できはしないだろう。その推理には無理がある。部屋が元から荒れていたのなら時間もあるか――? 否、それにしても、元々部屋が荒らされていたのだとすれば、凍や御石さんが不審に思うに決まっている。


「そうでしたか。密室は密室だったみたいですね……」


 ぼくが考えている間にも、正架さんは猫魔さんの話に納得したようだった。

 猫魔さんは事件のことを聞かれるたびに、胸を押さえていて苦しそうな表情をしていたけれど、嘘をついているようには思えない。


「皆さんにも事情を話さないといけないなぁ……」


 離れたところで待たされた三人の視線は、ぼくらへと突き刺さっていた。一体なにがあったのかと、こんな真夜中に集められもしたら気にもなるだろう。

 猫魔さんに聞きたいことは聞き終えたのか、正架さんはそう言ってソファーから立ち上がると、待たされている三人のほうへと寄って行った。ポシェットから取り出した黒い手帳を見せて、驚いた顔をした三人に、「殺人事件が発生した」と事情を話したようだった。


◇◇◇


「殺人事件? スクープだ。現場を見せてはもらえるんだろう? 犯人も決まっているようなものじゃないか。『密室にふたつの死体。凶器は少女の手の中に。』決まりだ。現場には警察の人間もいて、どうして彼女は逮捕されていない?」


 嫌らしい笑みに、かけた眼鏡をくいっと上げた自称ジャーナリスト喜木先は、そんな心ない言葉を並べて猫魔さんに詰め寄った。そんなふたりの間に割って入った正架さんは、キッと睨みを利かせて喜木先へと返事をする。


「現場は立ち入り禁止です。猫魔さんには立場上、協力をしてもらっていますが、彼女も容疑者のひとりではあるので!」


 その力強い言い様に、「ぐっ」と怯んだ喜木先は、だけれど、ソファーで俯いている凍のことを指差してもうひと言添えた。


「殺人犯だろう? 目が見えないらしいけど、野放しにされては、怖くて仕方がない!」

「あなたも容疑者のひとりではあるんです」


 正架さんは反論する。


「この雨、外から人が入ってきたとも思えない。出て行ったとも思えない」


 だから要するに、今こうしてロビーに集まっている七人全員平等に容疑はある。


「話を聞けば、その男の言う通りで決まりじゃない?」


 腕を組んで見下げた笑みを浮かべたのは、琴鳴さんだった。鋭い瞳で正架さんのことを見下ろすようにして。


「どうして、こんなことに……」


 剣野義さんは呆然と凍のことを見つめていた。結局、剣野義さんにはどうして凍を誘ったのか、ということを聞けずにいる。こうして事件が起こってしまい、その機会もまた遠のいたような気がする。それどころではないと思考が巡り、そんなことは忘れてしまっていたから。


「あー……もう」


 少し苛立ったように頭を押さえた正架さんは、仕方ないといった調子で「はぁ」と息を吐くと、座ったままの凍の横に並んだ。

 ポシェットより取り出したのは銀色の鈍い輝きを放つ手錠。その片方を左手にはめた正架さんは、もう片方を凍の右手にはめた。


「ごめんね、凍ちゃん」


 そう言い聞かせて、凍は静かに「うん」と頷いていた。これでふたりは離れられない。この場を納得させるように見せつけて正架さんは顔を上げる。


「これでいいですか。現場は現状維持。先ほども言いましたが、立ち入りは許しません。警察には既に連絡していますが、この雨で到着に時間を要する事態です。なので、簡単な事情聴取だけさせていただきます。いいですね?」


 強めた語尾には威圧感があった。喜木先は「ぐむっ」と言葉を呑むようにして頷いた。剣野義さんも頷く。琴鳴さんはつまらないものを見るように凍のことを見ていた。その視線がなんだか気にもなったけれど、ぼくがそれを追っているところで目が合った。見ていたことに気づかれたらしい。


 琴鳴さんは鋭い視線をぼくへと突き刺す。

 目は口ほどにものを言う――。そこにどんな意味があったのかは、ぼくにわからなかったことだけれど、彼女はたしかにぼくを睨んでいた。

 途端にぐるぐると思考が巡りだす。

 一体、彼女はなにを言いたい? なんだか見逃してはいけない気がしたのに、だけれど、仕切った正架さんに制されるようにして、その場では彼女に聞くことも近寄ることもできなかった。


「ひとりひとり事情を聞いていきます。このロビーは広いしちょうどいい。わたしはあちらのソファーに座っているので、猫魔さんは他の方を見ていてもらえますか?」


 ロビーに一旦全員を集めた意味もわかる。これだけ広いロビーであれば皆のことを監視しながらも、ひとりひとり話を聞くだけのスペースもある。

 西側にあるソファーを指差した正架さんは、凍の手を握って歩き出した。凍は左手ひとつで眼を抑えるようにして顔を上げたけれど、その閉じられた右眼からはわずかに紅い光が漏れ出していた。その瞳が、ぼくのほうをちらりと見た気がした。だけれど声をかける前に、正架さんに連れられて遠ざかって行く。


「えっと、ではおひとりずつとのことなので……」


 申し訳なさそうにした猫魔さんがそう言って東側のソファーを指差した。正架さんに指示も受けていたのだろう。ぼくらは言われるがままそちらへ寄る。


「で、誰からだって?」


 ソファーにどかりと腰を下ろした喜木先は、膝を組んで懐よりタブレットを取り出した。


「俺は記事を書かなきゃならないのでねぇ」


 にやりと笑う。なんとも憎たらしくて、なんの記事を書くかなんてことはその笑みひとつでわかった気がした。当然正架さんは許可しないだろうし、猫魔さんはそれでも困ったように俯いた。ぼくには止めたくても止める権利はない。この男がなにを考えているのかはわかりもしないし、わかりたくもない。要するに心の底から覚えた嫌悪感があったのだけれど、それでも嫌味を言うその口を閉じさせる術は見当たらない。


「……まずは喜木先様からとのことです」


 猫魔さんは俯いたまま言う。「ちっ」と舌打ちをした喜木先はタブレットを脇に挟んで立ち上がった。そんな彼の苛立ちを見て笑ったのは、琴鳴さんだった。


「仕事熱心でご苦労様なこと。自称ジャーナリストさん」


 そう言われたことが余程頭にきたのか、喜木先は「あぁ?」と不愉快そうに表情を歪めた。


「わたしの相手をするより事件の相手をしたら? 刑事さんが待ってるよ」


 そんな言われようをして返す言葉もなかったのだろう。喜木先は「ぐっ」と歯を食いしばって、琴鳴さんから顔をそらして、凍と正架さんがいるほうへと歩いて行った。

 琴鳴さんは勝ち誇ったように涼しい顔をしてソファーに座る。剣野義さんも黙ったまま、離れた位置に座った。そんなふたりを確認して「はぁ」と息を吐いた猫魔さんは、ぼくを見るなり「あはは」と苦笑いを浮かべた。

 思えば夕方からずっとこんな調子だ。あのときも喜木先のひと言がきっかけだった。そういうやつなのだろう、あの男は。嫌味のひとつでも口にしていないと、この状況を受け入れられないのだ、きっと。


 さて、彼もまた容疑者のうちのひとりではあるが、気にしても仕方がない男のことは一旦置いておく。こうして時間はできた。この場には話をしておきたかったふたりもいる。だけれど、ぼくが真っ先に話をしなきゃいけない相手は決まっていた。


「猫魔さん」と、ぼくは彼女を呼んだ。

 疲れたように俯いていた彼女ではあったけれど、「はい?」と笑顔で顔を上げてくれる。ただその笑顔も昼間と比べて疲労を感じるものではあったけれど。こんな事件が起きてしまえば仕方がない。


「電話をお借りしてもいいですか?」

「あっ……えぇ、どうぞ」


 ぼくの事情は少し話した。携帯電話の類を手にしていないことも察したのだろう。快く頷いてくれた猫魔さんが、ロビーの受付カウンターのほうを手で示した。カウンターの上に置かれた今時珍しいダイアル式の黒電話が目に入る。


「ありがとうございます。お借りします」


 一礼して、カウンターへと近づいて受話器を静かに上げた。ぼくの数少ない記憶の中、覚えていた電話番号を思い出して、そのダイアルを回した。


 耳元で繰り返される『プルルルル』という呼び出し音に、気持ちが逸る。

 それこそこんな事件が起きてしまえば仕方がない。伝えるしかない、ありのままを。


『はい、こちら。足桐医院でっす!』


 電話越しでもわかるなんとも元気な調子でこたえたのは、ぼくの隣人の隣人、瀬月 梨離紗だった。

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