夢占いの館にて ――8――
部屋に戻ったところで、ぼくは自分のキャリーケースを運び込み、寝室の確認をすることにした。
階段を上って二階へ。ドアをひとつ隔てて、キングサイズのベッドがどかんと置かれている部屋だった。それ以外は特になにもない。窓も内側についているような形であり、下を覗けば一階部分、ちょうど昼食を取ったテーブルが見下ろせる。部屋全体を照らす窓からは、柔らかい夕陽が差し込みはじめていたが、少し薄暗い印象を覚える。雲が多いのかもしれない。
階下では凍と御石さんがなにやら話をしている様子で、ふたりは手を引いて一階にあるバスルームのほうへと向かった。
凍の姿が視界から消えて、そこで「ふぅ」とひと息つくこともできた。
ようやくひとりになれた。いつもならば自室になっている病室でボーッとできるというのに、外へ出てきてしまえば、横に凍がいるともなれば、ひと息つく暇もない。余裕なんてものをぼくは持っていない。
ひとりになったところで考えてしまうこともたくさんあった。ただ、どこか館全体を包んだ緊張感からも解放されたように気分が大きくなって、そのままふらりとベッドの上に大の字に倒れ込む。いつも使っている病室のベッドでは、こう手を広げて乗ることなんてできもしない。
そうして考えてしまったのは、昼間、正架さんと話をしているときに見えた、凍の寂しそうな横顔。
そっと天へと向けて手を伸ばす。
「……ぼくは、きみにとって、なんなんだろう」
誰にこたえを求めたわけでもない言葉が口からこぼれて、そんなふうに伸ばした手ではなにも掴めない。
秘見弥の名――。魔眼――。光り目――。夢占い師に、夢占いの館――。なにかを追っている警察――。凍を誘ったシェフに、誘いを受けた警部――。
駆け巡る疑問は果てなく尽きない。けれど、いくら考えてもわからないものはわからない。結局のところ、自分自身すら見失っているぼくなんかでは、そうして思考を巡らせているだけ無駄だった。力の抜けた腕がぼふんとベッドの上で跳ねて、どことなく無力さを実感する。ぼくは、どうして凍の横にいるのだろう――そう考えれば考えるほどに、意識は遠のいた。
気づけばぼくは、また眠っていたらしい。
◇◇◇
次に目覚めたとき、部屋はもう暗くなっていた。ぽつぽつと窓を打ちつける雨音が部屋に響く。
ベッドからゆっくり起き上がり寝室を出ると、階下の部屋で椅子に座っている凍と顔が合った。
「おはよう。やっと起きた? そろそろ起きてくるかと思ったんだ」
「……あぁ、起きた。おはようって時間でもないだろう?」
そう言って部屋に備えつけられている時計に目を向ければ、その針は十九時に迫っていた。猫魔さんから説明を受けているのだから忘れるはずもなく、ディナータイムが迫っていることを意味している。
「御石さんは?」
我慢できずに欠伸をこぼして、凍へそう聞いたところで彼女は立ち上がる。
「先行ってる。そろそろ起きてくるだろうって言っておいたから」
「そっか……」
「わたしの思った通りだったね」
凍にはなんでも把握されているらしい。パッと差し出された左手を、ぼくは自然と右手で取っていた。
「じゃ、蒼起。行こうか」
「あぁ。でもその前に顔だけ洗うよ」
取ったところでもう一度手を離して、ぼくは部屋を出る支度をした。
◇◇◇
時刻は十九時。ロビーにある大きな置時計がごーんごーんと鐘の音を鳴らす。
そこから両開きの大きな扉を越えて続く食堂はこれまた広く、白いクロスのかかった大きな長机にはぼくら以外の七人が席について待っていた。夕方あんなこともあったとなれば当然かもしれないけれど、どこか緊張感は残っている。ただ、ディナーは全員一緒に、というのがこの館のルールらしい。
ぼくらのために椅子を引いてくれる猫魔さんに案内されて、凍を椅子に座らせて、その横にぼくも座った。向かいの席では御石さんと正架さんが笑っている。
目の前の机の上には、見た目にも美味しい料理の数々が並んでいた。大きな丸いパン生地にチーズを敷き詰めて焼いたピザ。色とりどりの具材に、なんとも食欲をそそるトマトソースの香り。猫魔さんの自家製パン生地と剣野義シェフのコラボレーションなのだろう。他にもホワイトソースが煌くグラタン、野菜と海鮮が織り交ぜられたパスタなども机に並んでいる。どれも、剣野義さんの協力あっての出来栄えらしい。
それに加えて、前菜からはじまり、スープに魚料理に肉料理が続く。白いコックコートに身を包んだ剣野義さんと猫魔さんが料理の紹介をしながら運んでくれた。
ぼくにはもったいないくらいの料理に目が眩むような勢いだった。
「今宵は盛大に楽しんでくれたまえ!」
そんな夢目沢の声を合図に、ぼくはピザへと手を伸ばし、凍の分も取り分けてやった。
「やっぱりきみのイタリアンは格別だねぇ」
夢目沢が剣野義さんの料理を褒めていて、和やかな空気のままに食事が進んだ。
この場ではさすがに言い争いをするものもいない。当然、毒が入っていることなんてあるはずもなく、ただただそれぞれが思い思いに味わって、笑顔を咲かせて、舌鼓を打った。
凍の料理を取り分けてあげるそんなぼくを見て正架さんが笑ったり、その横では料理ひとつひとつに反応を示して一番はしゃいでいたのが御石さんだったりもして。楽しく味わうことができたのではないかな、とどこか他人事のようにぼくは思っていた。
次から次に並べられた料理の数々にお腹も膨れて、横にいる凍も楽しそうだった。
このときばかりは不安も忘れられたのだろう。ぼくは他人事ながらに、そんなふうに思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます