夢占いの館にて ――7――

 そのまま正架さんと話すこと数時間。すっかり打ち解けて、十五時が迫った頃。散歩から戻ってきた御石さんと合流して、ぼくらはロビーへと向かうことにした。猫魔さんから集まるようにと指示をもらっていたのだし、そこで夢占いに関しての案内もあるとのことだ。


 ぼくらが到着したところで、ロビーにある大きな置時計が十五時を知らせた。ちょうど一時間ごとに時間を知らせてくれるらしく、ごーんごーんと響く鐘の音を鳴らしている。

 ロビーには既に本日の宿泊者たちが集まっていた。ここにきて初めてとなる顔ぶれも見える。


 ロビー中央、夢占いの館へと続く全面ガラス張りの連絡通路の前に並ぶのは館の主のふたり。白いローブのフードを頭から深く被って顔色も隠す夢占い師、夢目沢ゆめめざわ 志士郎ししろう

 その横で寄り添うようにして、エプロンの前で手を合わせる女性が夢占いの館の案内人、猫魔ねこま 夢乃ゆめの


 黒いジャケットを着る彫りの深い顔立ちが目立つ男が、ソファーに座ったまま視線を頻りにさまよわせ、凍のことを見つめていた。初めて会ったときとは違う印象を覚える。彼がぼくらをこの館へと招待したレストランオーナーシェフ、剣野義けんのぎ 鶏冠とさか


 廊下から離れたソファーに足を組んで腰かける男は初めて見る顔だ。若々しく見える好青年という爽やかさをにおわせて、手にしたタブレットをフリックさせている。見たところ三十代ではあろう。カジュアルな格好をしていて、ワイシャツの胸ポケットには眼鏡がかかっていた。正架さんに聞いた話から消去法で考えるに、彼が自称ジャーナリストの喜木先ききさき 着矢きるや


 柱に腕を組んで寄りかかる、刺々しい空気を放っている女性も見える。色素の薄い銀色をしたウェーブがかった長い髪に、耳には銀色に輝くピアス。やや赤みがかった大きな瞳に、メイクで決めた吊り目な目元は、それだけで力強い印象を受ける。すっと通る鼻に整った口を一文字に結び、不機嫌そうな眼差しと目が合った。グレーのショートパンツと黒タイツにおしゃれなシャツ。すらっとした出で立ちはモデルのようでもあって、きっと彼女が、占い好きな女子大生と教えてもらった最後のひとり。名前は、琴鳴ことなり 銀花ぎんかだろう。


 そして、ぼくの横に並ぶは警視庁で光り目事件を担当する警部補。その素性を隠して潜入した刑事、白輝しらてる 正架せいか


 ぼくと横にいる秘見弥ひみや いてつき(今は足桐姓を名乗っている)。保護者として付き添ってくれた御石みいし 志摩しまさんを加えることで九人。これで本日、この夢占いの館に集まっている皆がこの場に揃ったことを意味する。

 顔ぶれが出揃った。それを確認した猫魔さんがロビー全体に届くように声を張り上げる。


「えぇっと、皆様がお揃いになりましたので、ご案内のほうをさせていただきたいと思います。はじめさせていただいてもよろしいでしょうか」


 そのひと声でソファーに座っていた面々も立ち上がり、夢占い師とその案内人の元へと集まった。それぞれが顔を見合わせて、やはり初めて会う人らは凍の顔を一瞥する。否応なしに目に入るのだから気になるのだろう。

 そんな中でもやはり、剣野義さんは初めて会ったときとは印象が違った。白いコックコート姿と違ったから、というわけでもない。凍のことを気にかけているような雰囲気はずっとあった。聞くタイミングがあればよかったけれど、どうにも話をするタイミングがない。後で機会をうかがいたいところだ。


「お集まりいただきありがとうございます。現在夢占い師、夢目沢様は集中の時間に入っております。この場には居合わせますが、説明は全てわたしのほうからさせていただきますことをご了承ください」


 ぺこりと頭を下げる猫魔さんの横で、夢占い師はひと言も発しない。腕を組んで深く被ったフードで顔を隠し、その眼差しもうかがえない。『集中の時間』と猫魔さんは語った。集中、または瞑想とも言える。夢を〝視る〟ためにそうしているのだろうか。口を開けばうるさくも感じる男だったけれど、静かなら静かで、それもまた不気味だった。


 本当にこの男が夢占い師であるのか。ぼくにはわからないことばかりだけれど、こうしている間でも凍ならなにか感じられることもあるだろうか。

 繋いでいる凍の手には少しばかりの力が感じられる。緊張はしているらしい。まあ、足桐医院で入院生活をしているだけでは、これだけ多くの人数が集まる場所に早々出くわすこともない。当たり前の反応とも言える。ぼくでさえ緊張しているのだから、気配だけを感じ取っている凍は余計に、だろう。


「では、まず夢占いの案内からさせていただきますね。スケジュールとしては夕刻この後に一回と、ディナー後にもう一回、本日の夢占いはその二回です。ふたりひと組のグループ分けはこちらで調整いたしました」


 ぼくが考え事をしている間にも、猫魔さんが手元のスマートフォンに目を落としながら説明を続けてくれていた。集まった皆は一様にして、猫魔さんの話に耳を傾け、目を向けている。この場に集まった人間の目的は、占いを受けることという点で一緒のはずだ。真剣に話を聞いているようにも見えるけれど、張り詰めた空気には緊張感が含まれる。


「本日一回目、この後、ディナー前に眠っていただくのが、琴鳴様と喜木先様。本日の二回目、ディナー後に眠っていただくのが、足桐様の名前で予約の凍様、御石様です」


 夢占いの予定は事前に聞いていた通りのふたりひと組。特に指定はしなかったけれど、配慮してくれたのだろう。


「また時刻についてのご案内ですが、こちらは当館でのディナーの時間も含めてご案内させていただきますね。夢占いの所要時間はだいたい二時間前後とさせていただいております。一回目のグループが、十六時より。その後にディナーを挟み、えーっと、こちらはだいたい十九時頃になるかと思います。そして二回目のグループを二十一時三十分より。そのように予定しております。十分前にこのロビーに集合していただけますと幸いです」


 本日分の案内だと言っていた。剣野義さんと正架さんの名前は出ていない。


「また剣野義様と白輝様の占いの予定ですが、明日の朝、朝食の後にご案内させていただきます。スケジュールのほう、大丈夫でしょうか」


 まあそういうことだろうなと頷いて、それぞれ猫魔さんの話を把握したようにして頷く。


「夢占いのご案内もさせていただきますね」


 にこりと笑顔を浮かべる猫魔さんは、それぞれの返事となる頷きを確認するようにしてから説明を続けた。右手で指し示すのは、ガラス張りの廊下の先に続いた四角い箱のような小屋、ロビーからも見えていた『夢占いの館』だ。


「あちらに見えますのが、夢占いの部屋となります。まず、部屋に入っていただき、そこでお休みになっていただきます。中はリラックスができるように最上級の空間を整えております。カーテンで区切ってもあるのでご安心ください。寝つきが悪い方でも、眠くならない方にでもすぐにお眠りいただける、と自信を持っておりますゆえ、ごゆるりとお休みいただけるかと思います」


 それはすごい自信だなと感心してしまうけれど。


「お客様にしていただくことは、それだけでございます。お客様がお眠りいただいている間に見る夢を、我々のほうで覗き見させていただきます。それを占うのが、夢占いでございます」


 覗き見する――どのようにしてかの説明はなかった。


「危険とかはないんですか?」


 言葉を挟むようにして、挙手しながら聞いたのは御石さんだった。猫魔さんは笑顔で説明を続けていたが、「はい」と頷くと、御石さんを安心させるようにして質問にこたえた。


「ご安心ください。我々が近づくのもご案内させていただく一瞬でございます。部屋の中には監視カメラがありますので、その点についてはご了承ください」


 説明を聞いた段階で、誰もが不安に思うところでもあるだろう。人前で眠るということは無防備になるということだ。そもそも眠ることができるのか疑問だ。ただ、猫魔さんが誠実な姿勢を貫いているからだろうか。この場にいる誰もがそれに対してなにも言うことはなかった。質問をした御石さんも頷いて返事をする。

 ぼくとしてはやはり、当初の印象通り胡散臭い話に聞こえてしまうのだけれど、どうもこうして説明を聞いてやっと現実味を帯びてきた。


「他に、質問などございませんか?」


 それぞれの顔をうかがうようにして、猫魔さんが話を続けたが、誰も手を上げようとはしなかった。

 ぼくと凍も手を繋いだまま、ただ黙ってその場の空気を読んでいる。正架さんにしたって表情を強張らせて緊張を覚えている様子だ。


「では最後に、本日のディナーのゲストのご紹介を」


 ただひとり、緊張感とは無縁の様子で笑顔を浮かべるのは猫魔さんだった。


「お料理はいつもわたしひとりでご用意させていただくのですが、本日はレストランオーナーの剣野義さんの申し出で協力していただけることになったのです」


 猫魔さんは顔の前で、手をぱんっと軽く合わせて嬉しそうに頷いた。紹介される形になった剣野義さんが一歩前に出て頭を下げる。


「あー、えっと。夢乃嬢の手伝いになれば、と思い……期待に添えるかはわかりませんが」


 それは願ってもないことではあったのか。


「へぇ、それは光栄ですね。あの剣野義シェフの料理が味わえるなんて」


 少し大げさな動作で反応を見せたのは、自称ジャーナリストの喜木先だった。


「イタリアンの新星だなんて持て囃された男の料理とあれば期待もするってものだ」

「そんな昔の話はしてくれ……」


 わざとらしく声を上げる喜木先に、謙遜なのか剣野義さんは顔を背ける。なんだか和やかな空気が流れはじめたかとも思ったのだけれど。


「まさか毒は入ってないですよねぇー?」


 続けておどけたように笑った喜木先の一言で、その場の空気が凍りついた。

 数日前に剣野義さんのレストランで起こった服毒自殺の話は噂になっているらしい。ジャーナリストともなれば聞いたことがあるのだろう。「へっへっ」と嫌らしく笑った喜木先に、剣野義さんは顔をしかめてこたえた。


「あれは、俺には関係ない、あいつが勝手にやったことだ」

「認めるんですねぇ。まあ、事実は否定できないよな」


 なんだか険悪な空気まで流れはじめて、「まあまあ」と止めに入ったのは正架さんだった。


「ここで関係ないことをぐちぐち言っても、仕方ないんじゃないですか?」


 正架さんの年上相手にも物怖じしない言い様に、すっかり喜木先も嫌らしい笑いを消した。


「えぇっと……なんのことだかわたしにはわかりませんが……安全はわたしが保障いたします」


 猫魔さんは話に入れなかった様子で困った顔を見せていたけれど、正架さんの声に続いて頭を下げた。


「説明は終わり?」


 そんなやり取りを苛立つように眺めていたのは琴鳴さん。猫魔さんが「はい、一応……」と申し訳なさそうにこたえたところで、「はっ」と息を吐いて、ロビーをひと足先に出て行った。ばつが悪そうにした剣野義さんも続いてロビーを後にする。それに続くようにして、喜木先もつまらなさそうな顔を浮かべて、逆側の廊下から出て行った。


 先ほど全員が揃ったロビーにあった緊張感の正体にも気づく。あの喜木先というジャーナリストは、警察では公にされていないと言っていたことだけれども、剣野義さんのレストランで起きた一件を知っていた。互いに探り合うような空気感は滲み出ていたのだ。そんな空気を琴鳴さんも察していたのだろう。


「空気悪かったね……」


 横で呟いた凍に、ぼくも口にはしないが同意した。猫魔さんは困ったようにしていたけれど、優しい声で笑っていた。


「大丈夫ですよ」


 正架さんも「はぁ」と大きなため息をついて首を振る。


「では、案内はこれくらいで」


 改めて、澱んだ空気を払拭するように声を張った猫魔さんが頭を下げるのに続いて、夢占い師は無言のままに夢占いの部屋のほうへと歩いて行く。

 なにを考えていたのか、なにも考えていなかったのか。夢占い師は沈黙を守ったままだった。夢占いに関してのルール、集中する必要性。そういうことなのだろうか。

 その背中を見送った猫魔さんもぼくらに向かって一礼すると、足早に食堂のほうへと消えて行く。


「……楽しみにしていいのよね?」

「はい、それがいいかなって」


 御石さんと凍はそんなやり取りをしていたけれど、すっかり置いていかれたぼくはこんな調子で大丈夫なのだろうかと心配になった。この九人でひとつ屋根の下、一夜を共にする。なにも起きなければいいのに、と心のどこかで思っていた。

 だけれど結果から考えるのならば、このとき覚えた緊張も不安も、気のせいなんかではなかったのだろう。

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